Wednesday, February 11, 2009

内向き

このあいだ、「天動説」「地動説」の話を書いたところ、

地動説(成人式の後に)(2009年1月13日のポスト)
天動説(2009年1月20日のポスト)

知り合いの先生から「本当ですか、詳しくきかせて下さい」と言われた。

2009年2月10日付の「朝日新聞」夕刊の記事。この「トレンド」は、哲学研究と無関係ではないでしょう。

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「日本文化の発信」現状は 自然体?いえ「内向き」深刻

 外務省や国際交流基金をはじめ経済産業省や文化庁も海外への「日本文化の発信」に力を入れているが、実際の文化の国際交流は、そう簡単ではないだろう。それを考えさせられたのが、1月末、東京で相次いで開かれた二つのシンポジウムで、世界における「日本」がテーマになった。

 一つは、「いま“日本”とは? 現代を疾走する3人に聞く」(24日、ジャポニスム学会主催)。パネリストはパリ国立高等美術学校教授で造形作家の川俣正、ルーブル美術館ランス分館を建設中の建築家・妹島和世、海外でも豊富な展覧会経験を持つ画家の中村一美の3氏。いずれも外国でも知られる50代のアーティストだ。

 刺激的だったのは、川俣氏の「日本らしさを売り物にする作家は残らない」という発言。和服からアニメまで、外国でイメージされ求められる「日本らしさ」にあわせ、評価されるとわかる範囲で作品を作ることを批判。「藤田嗣治の時代にはそれが戦略として必要だったが、今では安易な手段。村上隆氏はその例と言えるのでは」

 中村氏は、自分にしか意味のないものを描くことで普遍性を目指すという。妹島氏の「日本的なものを目指したことはないが、結果として日本的と言われる」というのが共通意見だ。もはや日本らしさから脱却しているのだろう。

 司会を務めた美術史家の宮崎克己氏は、「現在は作り手が自然体になった。日本のイメージもくっきりしなくなった」と締めくくった。

 英国の国際文化交流機関・ブリティッシュ・カウンシル主催のシンポジウム「今日の世界における国際文化交流の意義」(26日、国際交流基金共催)では、交流の中身について話し合われた。

 国際交流基金の小倉和夫理事長は「相撲を見てもわかる通り、日本文化は日本人だけのものではない。能や歌舞伎を学ぶ欧米人も多い」「文化発信には受信側の事情を知ることが重要」。心配になったのは、セゾン文化財団の片山正夫常務理事の「この20年で日本のアーティストは完全に内向きになって、外国から招待されても行こうとしない場合も多い」という発言だ。

 先のシンポの川俣氏たちの世代は、海外で作品を見せることで自らを成長させてきたからこそ、日本にこだわらないと言える。作り手が自然体になるのはいいが、海外への関心が薄れることは、文化発信以前のもっと深刻な国内問題かもしれない。(古賀太)

4 comments:

Anonymous said...

こんにちは。

> セゾン文化財団の片山正夫常務理事の「この20年で日本のアーティストは完全に内向きになって、外国から招待されても行こうとしない場合も多い」という発言だ。

この発言に正直驚いてます。
セゾン文化財団の片山正夫常務理事という方、どんな日本のアーティストを思って言っているんだろうか。というか、どんな日本のアーティストと付き合っているんだろう?!
私の知っている若いアーティストは皆、国内海外に拘らずに展示の話がきたら先ずは誘いを嬉しいと思って是非とも参加したいという人ばかりですよ!

hf said...

おっしゃるとおりです。片山理事の言葉を「日本のアーティスト」全員、あるいは「日本の若いアーティスト」すべてにあてはまる客観的な事実であると私が理解し、引用しているかのように受け取られたとすれば、それは私の言葉足らずが原因です。

あらためて言い添えれば、この記事の書き手(古賀太氏)同様、私も、片山氏の言葉を鵜呑みにしているわけではありません。私たち思想研究者の文脈でも、すべての若手研究者が「内向き」なわけではなく、国の内外を問わず活発に発信を続けている人も多い、ということは言うまでもありません。

ただ、私が、私の文脈と共鳴するかもしれない現象として注目し、この記事を引用することで私の文脈において注意を喚起したかったのは、昨今またぞろ若手研究者にネガティヴな姿勢がちらほらと見られる、ということでした。

核心部分で言葉に頼らないアーティストの世界と違い、核心部分で言葉が重要になる哲学研究の世界では、「外国語を学ぶなどという些事にかまけるな。日本語で哲学研究に打ち込むほうが重要だ」という考えが依然根強いのです。私たちはそのような「語学力か哲学力か」という二者択一は偽の問題だと主張しています。上記記事は以上の文脈において、あくまでも日本の哲学研究において支配的な「内向き」イデオロギーに対するささやかな「カウンターパンチ」(のひとつ)として引用されたものです。

つまり、アーティストにせよ研究者にせよ、「すべての若手が内向き」だと日本のすべての若手を断罪することが問題なのではなく、「若手研究者の一部に内向き志向が見られることが心配」と言うために、そのことと無関係ではないであろう昨今の「兆候」として(支配的な「傾向」としてではなく)引用した…かったのです。

Anonymous said...

ご丁寧にお返事を頂きまして、ありがとうございます。
少し私も敏感に反応をし過ぎだったかもしれません。
そうですね、これらは全ての若い人を指しているわけではないですし。そう信じたいと思います。

言葉、母国語以外を理解できるというのは、どちらにしろ、どんな分野においても視野が自然と広がることになるので「外国語を学ぶなどという些事にかまけるな。日本語で哲学研究に打ち込むほうが重要だ」ということはないですよね。(^^;
たしかに専門分野を外国語、たとえば英語で授業を受けるとか、英語のまま学ぶなどした際に、英語では表現できるけど、これは日本語でどう訳すのか、訳せれるのかという問題も出てくるとは思います。
そして日本語に訳さず、その分野の専門家達は全員が分かり合えるだろうということで英語のままで話したり書いたりすると、かなりの範囲でカタカナが入ってしまうでしょう。
「日本語で哲学研究に打ち込むほうが重要だ」と、おっしゃる方は、もしかしたらこの辺の事を言いたいのかなと想像しました。
私は哲学のことは全然分かりませんが、哲学にも色々あって日本語で哲学した方が調子が良い場合と、外国語を必要に駆られて学ばなければいけないという場合があるのではと思うのです。
中国をはじめアジアの哲学は日本語の方がしっくりとくるかもしれません。
ところが文化・歴史背景の違いや習慣の違いなども含めてヨーロッパ哲学を読み研究する場合は言語力が必然だと思うのです。

素人なのに偉そうに書いてしまいました。
失礼をお許しください。

Anonymous said...

ノーベル物理学賞受賞 益川敏英さんは、「理論物理学者であれば体験しなくてもおおむねのことがわかるから、わざわざ海外旅行に行く必要はない」っとノーベル賞を受賞されるまで言っていたとご自身で証言しています。
ノーベル物理学賞受賞をとられた方にに失礼かもしれないけど、こんなことを思って、この歳まで過ごされたということに正直驚きました。
「理論物理学者であれば体験しなくてもおおむねのことがわかる」
いやいや・・・そんなはずがないということ、子供でも十分に分かるはずですけどね。
ナショナリストな人なのかな?? と思いました。(^^;

http://www.youtube.com/watch?feature=related&hl=ja&v=EaYG_21KxM4 
(1:22 あたりに注目です)