午前の第一セッションは、デュムシェルさんが「カタストロフ」(正確には「道徳的カタストロフ」)、アルノー・フランソワが「リスク」と「決断」の概念をめぐってきわめて興味深い議論が交わされた。予見不可能性を論理的に突き詰めていく一つの方向性がここにある。
ボワソナード・タワー26階からの眺め
第1セッションの模様
安孫子先生の『笑い』と『二源泉』をつなぐ読解も非常に示唆的であった。知的なもの、喜劇的なものだけでなく、最後「苦み」で終わる『笑い』の議論に「悲劇的なもの」の思考を読み取るという、パスカリアン安孫子先生らしい発表だった。
午後の第二セッションは、一転して「非現代的」、一見すると「形而上学的」?、でも実は現実と切り結ぶ「出来事と人格性」というテーマ設定。人選も、若手(もう中堅?)の代表格のお二人、平井さんと増田さん。どちらも非常に緻密に論理の糸を辿りながら、骨太の議論をするというお手本のような発表。
ヨハネス・シックはベルクソンとレヴィナスという、私とかぶる発表。かと思っていたら、彼は『物質と記憶』のベルクソンと前期レヴィナスにおける「痛み」概念の取り扱いだったので、ほっと一安心。
すべての発表が出来事の超越性と内在性の境界線をめぐるものだったと言っていいのではないか。
アルノーと安孫子先生、平井さんと増田さんがベルクソン内在的に、内在の哲学の観点から、デュムシェルとシックはより超越性の側も取り込んだ議論ということで、全体のバランスも良かったし、
議論もかなり多く出た。はるばる北海道や熊本や和歌山から来てくださった聴衆の方々もいて、30~40名はいたのではないか。宣伝期間が短かったことも考慮に入れれば(ポスターを発送したのが実質10日前くらい)、月曜日に終日行なったフランス語の学術イベントとしては悪くなかったと思う。
この一日目の模様はビデオ撮影され、法政大学のウェブ上に公開される予定らしい。
自分が喋っている様子は見たくないが、多くの人々に開かれた学術会議の今後の可能性としては重要だと思う。
さて、次は木曜日!みなさん、京都でお会いしましょう。
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