火曜、西山雄二さんの丸山真男についての講演を聴きに行く。あのレベルの発表を毎回続けられるというのは凄すぎる。学問というのは知的練磨と共にまず一にも二にも体力だと痛感させられるが、…水曜日、とうとう倒れる。一日床に臥す。
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先月のパリフォーラム、橋本一径(かずみち)さんの報告も書いたのだが、字数の関係上、特にフランス語を省かざるを得なかったので、ここに再録。
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次いで、橋本氏の発表「大人を教育する――19世紀末フランスにおける警官養成」は、現在世界標準となりつつある「生涯教育」という発想の起源の一つが、犯罪学的見地からなされた捜査方法および警官養成法の改善過程にあると示すことで、《教育=養成》(どちらもフランス語ではformationである)の問題について哲学的な考察を展開する上で欠かせないものとなるであろう新たな光を投げかけた。
「教育」を意味するより一般的な語pédagogieが、「子供(pais, paidos)の指導(agein)」に由来することからも分かるように、教育とはそもそも未成年者を対象とするものであった。我々はいつから「生涯教育formation continue」、すなわち「大人を教育する」などという、一昔前であれば考えもつかない発想をもつようになったのか。
氏はその淵源の一つを、19世紀における犯罪人類学(anthropologie criminelle)のパラダイムチェンジ、すなわち18世紀的博愛主義(刑務所を改善すれば犯罪抑止につながる)の敗北と、その結果、「再犯 récidive」防止が「社会を防衛する」ための核心的な問題として理解され始めたという事実に見る。
科学警察の祖と言われるパリ警視庁鑑定局長アルフォンス・ベルティヨンによる数々の発明のうち、後の似顔絵作成法(portrait-robot)の原型となる「口述ポートレートportrait parlé」――「ベルティヨン式人体測定法 bertillonnage」とも呼ばれるようになる犯人識別法――が登場し、『犯罪人類学とその最近の進展』(1891年)の著者チェーザレ・ロンブローゾの《「生得的な犯罪者criminel-né」は骨相学的知見から割り出せる》という主張が受け入れられ、その講習会がフランス全土の学校・警察・軍隊で開かれる。治癒不可能=教育不可能な子供を早期発見すべく、教師・警官・軍人といった大人たちに教育=養成が施されることになったのである。以後、ごく一部の成人エリートに対する(例えば法曹界における)教育ではなく、広く大人を教育するという考えが社会通念として徐々に定着していく。
質疑応答では、ドゥギー氏がこの犯罪人類学の驚くべきアクチュアリティに注意を喚起し、フランスではリール大学教授Catherine Kintzler女史の仕事と、イタリアではSalvatore Palidda氏の仕事、とりわけ『ポストモダンにおける警察』Polizia postmoderna (Feltrinelli, 2000)との接続可能性を指摘しつつ、この方向でのさらなる研究の深化に期待を寄せた。
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