Monday, January 05, 2009

サイレント・マジョリティ―日本的な、あまりに日本的な

第3回現象学会についての村田純一さんの報告より。まったくそのとおりである。

《もちろん現象学研究者の数や、現象学会の規模などを考えれば、香港と日本とでは桁数が違うことには変わりはない。また、国際的な視野からすると、確かに日本の西欧哲学導入の長い歴史は尊重されており、さらに現在では、国際的に活躍する研究者が増えてきてはいることも間違いはない。しかしそれでも、香港(中文大学)のスピードとエネルギーと比較すると、日本の現在は「沈黙」の多数派といった印象を持たれても仕方がないように思われた(8月のソウルで開かれた世界哲学会議では、日本の研究者から、日本で同規模の会議を開催することのむずかしさを語る声を多く聞いたが、今回の国際現象学会でも、同じように、現在の日本で今回のような規模の会議を開くことは困難だという声を多数聞くことになった)。このような点から、あらためて日本の哲学の行方とアジアの哲学の行方について考えさせられる機会となった。

なお一つ付け加えておくなら、この会議の直前に、香港で、香港中文大学と教育学院に所属する二人の若い哲学研究者の努力によって、日本哲学を中心軸とする国際会議が開かれた。この会議に関してはすでに参加された中島隆博氏が報告を書かれている。中島氏は、そこで、「ボールはわたしたちに投げられているのだ」と書かれているが、たしかにUTCPのような組織の責任はますます重くなるように思われる。》

新しい一歩を踏み出さないための言い訳はもういい。やるか、やらないか、それだけだ。

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