Friday, January 02, 2009

廃墟の後に(新年に思う)

新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。しばらく前に書いたもの。



ここ数カ月なんだかんだと忙しく、体調も思わしくなかったので、パリ行きの前に一度行っておこうと、今日は病院に行って、注射とレーザー治療をしてもらってきた。

病院近くに住んでいるgkさんと昼食をともにする。アメリカのh大に在籍していらっしゃる氏の話は、大学という制度を考える上でとても興味深かった(以下の話はあくまでも一個人の経験談と、それに触発された友人=私の私的な感想です、念のため)。

h大では、数年前まで博論のdefenseがなかった(!)。むろん提出前にかなりチェックされ、審査員たちからコメントは貰えるし、ダメな個所は直されたうえで提出されるらしいのだが、それにしても驚きである。数年前に非公開のdefenseが課されるようになったらしい(アメリカの大学は一般的に非公開とのこと)。



h大の年間予算はフランス一国家の教育予算を上回っている。その豊富な資金をバックに、大学院生の学費はすべて無料。生活費は最初の二年は奨学金でまかなわれ、その後はほぼ自動的に全員に割り当てられる授業を担当することでペイされるのだという。

また、これも重要な点なのだが、h大では語学を教えるのは若手の仕事で、大学院生が教えるのだという。語学は若い感覚(学生と近い感覚)をもったものが教えた方がいい、というgkさん夫妻の考えには考えさせられるものが多い(日本には年をとった非常勤の先生方も数多くいるので、なかなか難しい問題なのだが。常勤の先生には非常勤のコマ数制限をするなどの措置が必要かもしれない)。

ともあれ、何度も言うが、「自分の研究対象を教えることで生活費を稼ぐ」ということの意味はほとんど決定的と言ってもいい影響を若手研究者の精神形成に及ぼす。

ある先生に「学振の特別研究員が財政的に保障されているのはたしかに素晴らしいが、教育機会を義務として与えてない点がきわめて遺憾です」と申し上げたところ、彼は笑ってこう言った。「そこまで特別研究員を信頼してないよ」。ここに、日本の高等教育の縮図を見るのは行き過ぎだろうか。

貸与に際して若手研究者の親を「保証人」にとる育英会然り、教育機会を与えることを「受け入れ大学」の義務としない日本学術振興会然り、日本の高等教育行政は、若手研究者を一人前の社会人と見なそうとせず、またそのように育て上げようともしていない。その代償はとてつもなく高い。

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