Wednesday, January 07, 2009

大学の脱構築

昨年10月末に書いたメモ。



大学という制度の脱構築は様々な形でなされうるはずだが、私の考えでは、次のようなことがまず何よりも先に行われるべきである。


1・そもそもの「大学」概念の脱構築

 特に、中世における「大学」の生成過程について私たちはもっと詳しく知る必要がある。例えば、大学の起源はassociationであった、universitasは単にcorporationという意味であった、という事実を振りかざして、大学の起源における独立性・自律性・連帯性を強調するのはいいが、1)ボローニャをはじめとする南欧の医学系・法学系が強い大学が学生主導の団体であったのに対し、パリなどの教養系が強い大学が教師主導の団体であった、つまり「団体」そのものが画一的ではなかったこと、2)その団体が形成されるにあたって、宗教的・政治的権威との折衝が最初から重要な役割を果たしていたこと(licentia docendiの導入、修道会士たちの参入、都市や国家の介入)などが見過ごされては困る。起源にユートピア的な団体の純粋な独立や自律があったわけではないのである。


2・近代大学の「起源」としての「フンボルト理念」の脱構築

 これは、フンボルトのテクスト(いわゆる構造論文)の脱構築的読解という形もありうるし、フンボルト理念の形成史の脱構築という形もありうるだろう。いずれにしても、最低限《フンボルト理念は遡及的に捏造された「起源」である》という程度のことは踏まえる必要がある。この点で、今年刊行された潮木守一氏の『フンボルト理念の終焉?――現代大学の新次元』(東信堂、2008年3月)は、それだけで十分ということはないにしても、ぜひ参照される必要がある。


3・現代大学をとりまく諸概念・諸価値の脱構築

 「卓越性」「評価」「能率性」「引用数」といった諸概念・諸価値自体を批判的に再検討することは可能ではないか。「卓越性excellence」とは一体何なのか。「卓越性」を強要する人々の書いたテクストを読み解くことで、あるいは過去の思想家(必ずしも経済学者でなくともよい)や哲学者たちの諸概念を借用することで、脱構築を試みる、ということである。最後のこの点は、「哲学科」の哲学者こそが彼らの優れた能力を駆使して試みるべき類のものである。無関心であるのは論外であるとしても、絶望して見せたりシニシズムやニヒリズムを気取るのもあまりに安易ではないか。

1 comment:

Unknown said...

はじめまして、私は現在関西学院大学に通うものです。
アグレガシオンのことを調べていて、偶然にここを通りかかりました。現在の大学組織に対して、私も疑問を感じております。そのため、私も自らの学部を”脱構築”する運動を大学内で行っております。私の学部は総合政策学部でして、英語名はpolicy studiesといいます。しかし、そのカリキュラムも学部の成り立ち自体もpolicy studiesとはほど遠いのが現状です。運動自体も無関心と、あきらめの意見のなかで、黙殺されることがしばしばです。私どもの学部の標榜する教育を満たすのであれば、AAスクールのようなユニット制にすることが望ましいと考えています。仰っているような、起源がassociationであること、宗教的・政治的権威との折衝があったこと等が我々の学部では黙殺されている状態です。私どものように大学組織に対して疑問を抱くような学生は、希有な存在です。そのほとんどが、自らの学業や研究、興味を追求することよりも、自らの次の就職に腐心しているからです。偏差値中程度の大学なので無理もないですが、やはり大学というものの意義はどこにいってしまったのか、という問いは残ります。他の項でも触れられていたように、大学の教師に一人一人インタビューをしてまわったのですが、ほとんど組織の運営や改革に対しては、「ぼくらもやりたいのはやまやまだけど忙しくて」と言い訳のような意見か、「どうせ社会が変わらなきゃ無駄ですよ」というような悲観的な意見しか聞こえませんでした。唯一、可能的なものから変えて行きたいと熱弁を振るってくれたのは、哲学の教授だけでした。このような絶望的な状況を少しでも変えるために、可能なことから通ずるさらに高位な可能なことに状況を移行させていくために、1/29日に有志の学生を集めて、キャンパスの中に小屋を作り、討論し、一晩を明かすというワークショップを行います。セキュリティという名目から管理側の認可はおりませんが、断行するつもりでおります。セキュリティという名目で、全てを駆逐してしまっては、なにも新しい活動や結びつきは生まれないと考えております。彼らは、学生運動の時の記憶を呼び覚ますような(私たちの掲げるものとはほど遠いですが)自律や能動性を謳うような活動には拒否反応を見せます。
哲学や政治や教育機関について、とてもわかりやすく書かれていて、とても勉強になります。と同時に自らの不勉強を反省させられます。勝手ながら、これからも拝読させていただきたく存じます。長々と駄文失礼いたしました。