Wednesday, February 17, 2010
アキレスと亀
私は自分の学生には語学を徹底してやってもらいたいと思っている。いずれ近いうちに
Alexandre Koyré, "Remarques sur les paradoxes de Zénon", in Etudes d'histoire de la pensée philosophique (1961), éd. Gallimard, 1971, pp. 9-35.
も読んでもらおう(彼はまだ一年生なのだ!)。私の亀の歩みに、アキレスが追いつき、追い抜くことを願いつつ…。
Friday, February 12, 2010
決め球
ここ最近(再び)読んだ本
潮木守一『フンボルト理念の終焉?』、東信堂。
潮木守一『世界の大学危機』、中公新書。
小泉義之『ドゥルーズの哲学』、講談社現代新書。
渡辺公三『戦うレヴィ=ストロース』、平凡社新書。
ゲーテ『親和力』、岩波文庫。
球種を増やすのも大事だが、それよりさらに大事なのは決め球を磨くこと。ずっと出来ずにいることかもしれない。
***どこかのスポーツ記事より。
久保とは98球の投球練習で球種と球筋を確認して“メス”を入れた。「球種が多いからといって、打者が困るとは一概には言えない。ウイニングショットを持っている方が、そうじゃない球を何球も持っているよりもいい」。決め球の重要性を説く。
Thursday, February 11, 2010
ホネット『自由であることの苦しみ』
大河内泰樹(おおこうち・たいじゅ)さんから、アクセル・ホネット『自由であることの苦しみ――ヘーゲル『法哲学』の再生』、未来社、ポイエーシス叢書 59、2009年11月をご恵贈いただいた。私は私なりに前々から『法哲学』を結婚論の文脈で読んでいたので、さっそく少し読んでみた。
論理学と国家的視点を外して、客観的精神と人倫の概念を読み込めば、ヘーゲル『法哲学』は、相互承認論(コミュニケーション的自由)の規範的理論として、さらには社会的実践に寄り添い、時代の診断を下す病理学として、まだまだ利用価値があり、現在支配的なカント的理性法のパラダイムに十分対抗しうるものだ、ということらしい。お求めはこちらから。
絶妙な距離感を保った解説を書いておられる大河内さんは私と同い年。励みになります。
2月8日(月) 自大学生との勉強会(エレアのゼノンについて)。
2月9日(火) 無事とあるイベントを終える(潮木氏の大学論二冊)。
2月10日(水) 学生相談(とうとうサークルの顧問にさせられてしまった…)・会議・打ち合わせでおしまい。
Sunday, February 07, 2010
にぎわう孤独の交錯
2月6日(土) 福岡在住の若手研究者の方々との交流。お友達倶楽部や学派づくり、サロンには興味がない。空港や大学のように、「にぎわう孤独」(ドゥルーズ)に満ちた個人が行き交う関係をつくっていければいいと思う。
Thursday, February 04, 2010
夢の続き
高校指導者が1番人気=プロ野球引退後の仕事調査
1月22日5時5分配信 時事通信
日本野球機構(NPB)が現役プロ野球選手に実施した引退後に関するアンケート結果がこのほど公表され、引退後に「最もやってみたい仕事」は高校野球指導者が24%で1位だった。「やってみたい」と「興味あり」を合わせると73%が関心を示した。
対象は昨秋の教育リーグに参加した18~36歳の271人(平均年齢23.4歳)。引退後に不安がある選手は74%で、不安要素では「進路」が45%、「収入」が39%を占めた。
NPBの調査によると、日本人の「引退選手」のうち、戦力外を告げられても他球団と契約できたのは07、08年は各10人。このほか、育成選手、コーチ契約、職員などでNPB内に残る割合は半分に上った。
NPBキャリアサポート担当の手塚康二氏は「50%が残れるのは(NPBも)懐が深い」と感心しつつも、一般会社などに「なかなか選手を供給できない」 と語る。引退後の相談に来るのは2軍クラスの選手が大半だが、同氏は「一番の問題は給料。高校からプロに入るなど、社会の(給料の)相場を知らない」と話 す。
「へこたれない力」を持つ人材が多いプロ野球経験者を「欲しい」と言う企業は多いが、引退後、一般会社への就職や自営業などの世界で再出発する元選手は、07、08年の調査では全体の約4分の1にとどまっている。
門奈が示したプロ野球選手の“引退後”
スポニチ九州[ 2007年06月27日 17:49]
門奈哲寛(37)は現状に満足している。ソフトバンクの通訳兼打撃投手。それが彼の仕事だ。ヤンキー ス・松井秀喜(33)が1位だった93年の巨人ドラフト2位。戦力外通告後、00年の米大リーグ挑戦は不合格だったが、夢は弟分がかなえてくれた。打撃投手の時に左手にはめるのは巨人時代にかわいがったレッドソックス・岡島秀樹(31)のグラブだ。アメリカで成功する夢は後輩に託し、オランダなど6年間の 海外リーグ生活で語学力も身に付いた。珍しい“一人二役”は今や、欠かせない人材だ。
やっぱり、野球が好きだった。門奈はそのことをかみしめながら、1球1球、ていねいに打者の打ちやすい球を投げ込んでいる。見た目以上に地味な仕事だ。だが、誇りを持ってやる。右手には海外で成功した後輩・岡島からもらった真新しいグラブが光っている。
「みんな大変だって言うんだけど、こっちとしては一緒に行けばうまいものも食わせてもらえる。楽しんでいるよ」。
遠征先で夕食のほとんどは“案内役”として外国人選手と一緒。メニューは決まって焼き肉。さらに彼らの気晴らしであるカラオケやダーツに深夜まで付き合うこともざらだ。だが、その環境を門奈は楽しんでいる。
失意というより、あきらめに近い。99年オフに巨人から戦力外通告を受けた。93年ドラフト2位で日大から入団し、スクリューボールを操り1年目にはヤク ルト・伊藤智仁(現投手コーチ)と9回途中まで白熱した投手戦を演じるなど、登板33試合と活躍したが、その後は長い2軍暮らし。野球を続けることもため らったが、周囲の後押しもあり00年春、米大リーグ・パイレーツのテストを受けた。「英語が話せるようになれば仕事も困らない」。そう切り替えて前向きに なったが、結果は「不合格」だった。
そして人生が一変する転機が訪れる。知人の紹介でオランダのプロ・リーグ入りの話が、持ち込まれ た。「英語が話せるようになるなら…」(門奈)と気軽に飛び込んだが、待っていたのはプロとは名ばかりの草野球レベルの世界だった。2年目には2ケタ勝 利、本塁打王まで獲得してしまった。その後、クロアチア・リーグも含めた6年間の海外生活で得たものは語学力だけではない。
「家賃と食事が別で収入は15万円くらいだったけど、野球をやる楽しさはあった」。帰国後、一度は一般企業に内定ももらったが、再びわき上がる野球への情熱は抑えき れるものではない。知人からソフトバンクで打撃投手を探していると連絡が来たのは、ちょうどそんな時だった。「会社員をやるしかないかな、と思っていたけ ど、ここは1年契約でもやりたい仕事だね」。門奈は心の底からそう思っている。
勇気をもらっている男がいる。レ軍の不動のセットアッ パーとなった岡島だ。巨人時代は94年入団だった岡島の“教育係”だった。先輩にいじめられる岡島をなぐさめたこともあった。今でもメールのやり取りをする間柄。裏方には道具の支給がないと言うと、ぽんとグラブをくれた。「正直、メジャーに行くとは思わなかった。活躍するとうれしいし、励みになるね。若い 時に飯をおごっておいて良かったよ(笑い)」。自らは果たせなかったメジャー・リーガーの夢。それを体現する後輩に自分を重ねる。
日本 プロ野球OBクラブの調べによると、引退や自由契約になった選手が、最も身につけたい技能の1位は「語学力」で28・5%だった。太平洋を渡るだけのはずが、思いもよらず大西洋までも越えた。だが、得たものは大きい。栄光の影につきまとう“引退後”の問題。門奈の姿は一つの試金石と言えるだろう。
◆門奈 哲寛(もんな・てつひろ) 1970年(昭45)5月30日、浜松市生まれの37歳。天竜中―常葉菊川高―日大。93年ドラフト2位で巨人に指名 される。1年目の94年33試合に登板するが、2年目以降はふるわず99年に戦力外通告。00年春に米大リーグ・パイレーツの入団テストは不合格に終わ り、00年からはAODトルネーズ(オランダ)、ナダ・スプリット(クロアチア)に在籍した。06年からソフトバンク打撃投手、07年から通訳兼任。1 メートル78、80キロ。左投げ左打ち。プロ通算は44試合1勝3敗、防御率3・38。
≪母校はセンバツV≫門奈の母校・常葉菊川(静 岡)は今春のセンバツで見事、優勝を果たした。通訳兼打撃投手といっても、2倍の給料をもらえるわけではないが、ポケットマネーから20ダース(240 球)のボールを贈った。「OBは僕だけだからね。なにかしないといけないでしょう」。野球部は特待生問題など、頓挫はあったものの、先輩から贈られた白球を追い掛け、春夏連覇を目指している。
▼レッドソックス岡島秀樹投手 門奈さんには今年に入ってかな、道具の支給がないということで、 何かくれないかと言われたので、グラブを渡しました。使ってくれているんですか、うれしいですね。時々メールが来ているんで、やりとりはしています。同じ 左腕で、巨人時代は特に寮で一緒だったということもあり、特に気を遣っていただきました。僕が悩んだ時にもいろいろ相談に乗ってくれましたし、自分が今、 大リーグでやれている今でも感謝しています。打撃投手という仕事は大変ですし、私も裏方さんへの感謝の気持ちは忘れたくない。門奈さんの分まで頑張りま す。
Tuesday, February 02, 2010
一本目
年末年始に観たオペラDVD:「ホフマン物語」「バラの騎士」「トリスタンとイゾルデ」
最近読んでいる(読んだ)本
ノーマン・マルコム『ウィトゲンシュタイン』
大学論関係
金子元久『大学の教育力』、ちくま新書
内田樹『先生はえらい』読了
哲学史関係→授業準備の開始
内田樹『寝ながら学べる構造主義』←うちの学生には教科書としていいかもと思ったり。
内山勝利「総論――始まりとしてのギリシア」、中央公論新社版『哲学の歴史』第1巻
三浦要「エレア学派と多元論者たち」、同上。
ヘーゲル『キリスト教の精神とその運命』、白水社。
レヴィ=ストロース日本講演集、みすず書房。
記憶心理学関係→論文のため
ダウエ・ドラーイスマ『なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか』、講談社。
※これは面白い。記憶心理学に興味を持つ人にお勧めしたい。
菅原道哉「ジャン・ドレー〈記憶の階層構造論〉再考」、『imago』1991年7月号「特集:記憶――神経科学の最前線」※うーむ。まあ、ドレーを読むのが面倒くさいという人にはいいかも。読了
結婚論関係
堀越宏一『中世ヨーロッパ生活誌』、NHK出版。
上野千鶴子+信田さよ子『結婚帝国――女の岐れ道』、講談社。読了
その他、論文のためにジャネやらベルクソンやらドゥルーズやら再読。さあ次は二本目。
Sunday, January 31, 2010
ザンフィ『ベルクソン、技術、戦争。『二源泉』再読』
大学的に言えば、センター試験や後期試験の監督、試験答案(哲学は記述試験なので大変…)、論文やレポートの採点、成績評価がようやく終わると、今度は入学試験と来年度のシラバス入力(つまり授業準備の開始)。学生や教員、職員が絶え間なく相談や雑談に訪れる――大学教員は、平常業務の一端として、心理カウンセラー的役割を担わされつつある。その間にも、
・3/27初めて自分の科研でやる国際シンポの準備。「準備」という、この何でもない一言に込められた大変さはたぶんまったく伝えられない。
・科研の予算執行(スタートアップは10月に下りるので開始が遅いのである。3月末にシンポをやるので、現在慎重かつ徹底的に事前準備しているところ)
・4/1エラスムスの準備
・3/24シモンドン・シンポ準備
・3/19『哲学の権利』@福岡(上映会の交渉・準備)
・2/26のゴーシェ合評会の準備
・締め切りに追われる論文7本以上…。他にも、義理立ての通訳とか、若手とのネットワーク作りとか、読書会とか、ちょっと忙しすぎ、気分が塞ぎます(もっと忙しい人々がいるのは分かっていますが…)。でも、やり抜かねばならない。
頂いた本のご紹介もできないまま…。12月中頃だったか、イタリアの友人が処女作を送ってくれた。博論かと思ったら、そうではないらしい。
Caterina Zanfi, Bergson, la tecnica, la guerra. Una rilettura delle Due fonti, Bologna : Bononia University Press, ottobre 2009.
Tuesday, January 26, 2010
2/26ゴーシェ『民主主義と宗教』書評会@南山大学

実に長い紆余曲折を経て、このたび、南山宗教文化研究所叢書として以下の書籍が刊行される運びとなりました。
『民主主義と宗教』 伊達聖伸・藤田尚志訳、トランスビュー、2010年(原著:Marcel Gauchet, La religion dans la démocratie, Gallimard, 1998) ※本の詳細情報、ご注文はこちらから。
今回の訳業はひとえに伊達さんのご尽力によるものであり、私はほんのわずかばかりお手伝いをしたにすぎません(いや、むしろお邪魔ばかりしたような気も…)。伊達さんのますますのご活躍に皆様ぜひご注目くださいますよう。
これに併せまして、以下の日程で書評会を開催いたします。特に名古屋近在の皆様、ふるってご参加くださいますよう、よろしくお願い申し上げます。
日時 2010年2月26日(金) 17:00~19:00
場所 南山宗教文化研究所 1階会議室
名古屋市昭和区山里町18 南山大学内
電話 052-832-3111
評者 南山大学外国語学部フランス学科教授 丸岡高弘
南山宗教文化研究所研究員 粟津賢太
リプライ 東北福祉大学総合福祉学部専任講師 伊達聖伸
九州産業大学国際文化学部専任講師 藤田尚志
マルセル・ゴーシェ(Marcel Gauchet)1946年生まれのフランスの哲学者。社会科学高等研究院(EHESS)教授で、レイモン・アロン政治研究センターに所属。『記憶の場』の編者ピエール・ノラとともに『デバ』誌を創刊、主筆を務める。著作は『世界の脱魔術化』(1985年)、『代表制の政治哲学』(原著1995年、富永茂樹他訳、みすず書房、2000年)ほか多数。
Sunday, January 24, 2010
2/5クロード・レヴィ=ストロースを偲んで@九州日仏学館
追悼企画 Souvenir de Claude Lévi-Strauss
2009年10月30日に100歳で死去した、社会人類学者でありアカデミー・フランセーズ会員であったクロード・レヴィ=ストロース。「構造主義 の父」と呼ばれ、20世紀フランス思想界を牽引し、日本を始め世界的に影響を与え続けました。多くの著書を出版し、連綿と続く人類の歴史を研究したレ ヴィ=ストロースを偲んで、当館では2月5日(金)に追悼イベントを行います。
- 日時:2月5日(金)17時より
- 会場:九州日仏学館5F多目的ホール
- 入場無料(要予約)
- ご予約・お問い合わせ:092-712-0904(九州日仏学館)
レヴィ=ストロースは、文字を持たない南北アメリカ民族を研究した偉大なる人類学者でした。彼はまた、親族の構造についてや、私たちの思考と同じく 複雑な構造をもっている“野生”的な思考がどのように機能するかについて研究しました。その対象が日本にも及んだことはよく知られるところで、彼が日本文 化に対する情熱を温めていたことは、日本、特に九州を度々訪れていたことからも分かります。自身の著作や発言でも、日本の伝統的な思想に対して敬意を表し ていたことについて度々触れています。著作の多くが日本語に訳され、人類学研究にも大きな影響を与えました。
九州日仏学館では2009年10月30日に逝去したレヴィ=ストロースの追悼企画を行います。
①17時
ドキュメンタリー上映会「クロード・レヴィ=ストロース第1回 -自然・人間・構造-」
(日本語・フランス語二重音声、45分)
②18時
ドキュメンタリー上映会「クロード・レヴィ=ストロース第2回 -日本への眼差し-」
(日本語・フランス語二重音声、45分)
③19時
ラウンド・テーブル「レヴィ=ストロースと日本」
白川琢磨氏(日本語)とエルヴェ=ピエール・ランベール氏(フランス語、日本語通訳付き)によるラウンドテーブル![]()
白川 琢磨 略歴
文化人類学・宗教人類学を専攻。カリフォルニア大学サンディエゴ校訪問研究員を経て現在、福岡大学人文学部教授。ミクロネシア、南西諸島、日本本土などを 対象に、現在は主に九州北部の宗教文化を研究しています。クロード・レヴィ=ストロースが1983年に沖縄に滞在した際、調査研究の一環として沖縄滞在の 案内役を務めたことから、今回はその時のエピソードを紹介します。
エルヴェ=ピエール・ランベール 略歴
サンジェ・ポリニャック財団の元受賞者。フランス、スイス、メキシコ、アンティル諸島、イスラエルなどを経て、現在九州大学で教鞭を執っています。専門分野は、比較文学、人類学、思想史、美学と現代のイマジネール、文明論、認識論批評、神経美学など。
Friday, January 22, 2010
ゴダール『暴力と主体性』をめぐって(ラジオ)
村上さんの親友シュネルや、私の友人ギヨームら、実力派の若手をもってくる。自著の宣伝に有名な研究者に来てもらうのではなく、自分の本をだしにして若手にvisibilitéを与えるあたり――すでに有名なシュネルはともかく、PRAGであるギヨームにとっては貴重な機会でしょう――、さすがゴダールだと思います。
メール
Thursday, January 21, 2010
「気の弱さ」にどう対処するのか
試験の季節がめぐってきた。試験監督の合間に、自分の行なった試験の採点をする。一人一人の顔を出来るかぎり思い浮かべながら、過去の成績と比較して、「この子はこの先、大丈夫なんだろうか」と心配したり。
菅家さん冤罪事件の録音記録をざっと読んだ。気の弱い(あるいはあのような状況下では多かれ少なかれ誰でもあのような精神状況に陥るのかもしれない)中年男性が、最初は検事に対して「実はやってない」と言えそうな気がするのだが、警察によって「自白」に追い込まれた過去を否定できずに、「やっぱりやったのは自分です」と言ってしまうくだりを読んでいて、
我々教師は、相談に乗るとき、「履修指導」なるものを行なうとき、同じようなことをしてはいないだろうか、とふと不安になる。特にこういうくだり。
《菅家さんの記憶を探ろうとする森川検事。自分では「言わない」と言いながらも、意識的なのか無意識なのか、答えを想像させようとするキーワードが現れていく》
森川検事「その次だから分かるだろうけど、遊んでいるところを連れ出したという状況はないだろうか? 誰かと遊んでいたところを」
菅家さん「もしかしたら駐車場で女の人がいたような気がするんですけれども」
森川検事「もう一回考えてもらいたいのは、声のかけ方がね、今まで君が説明した通りだったのかどうかね。もうちょっと別のことがなかったのかな。いきなり自転車でそばに行って声かけたんだって言うけど、もうちょっと別のいきさつがなかったかどうか?」
菅家さん「はー…そこのとこはわかんないです」
森川検事「誰かと遊んでいなかったかなと聞いている。誰かというのが大人か子供か、あるいは男か女か、どんなことをしていたか。僕は一切言わない」
菅家さん「遊んでいたとすれば、女の子と思うんですけど」
森川検事「うん、どんな子か。遊んでいた情景っていうかねえ、それが少し記憶に残ってるかな?」
菅家さん「…」
森川検事「その女の人っていうのは少しイメージが残っているわけなのかな?」
菅家さん「はー…その人が駐車場の方へいた」
森川検事「うーん…。女の人は1人? 2人?」
菅家さん「1人のような気がしたんですけど」
森川検事「駐車場?」
菅家さん「はい」
森川検事「駐車場の方っていうのは、パチンコ店の建物の…この西側の方でしょう?」
菅家さん「はいそうです」
森川検事「うん。西側っていうのは、有美ちゃんがいたところ? 違うの?」
菅家さん「えっと、有美ちゃんがいたところだと思うんですけど」
森川検事「有美ちゃんがいたそばか」
菅家さん「はい」
《必死に思いだそうとする菅家さんだが、その答えは森川検事の質問に何とか合わせようとしているようにも聞こえる。自ら答えているようだが、肝心のキーワードは森川検事の口から先に出ていることも》
学校と病院と警察と監獄の「構造的相同性」を見るポストモダンは大雑把すぎる、とは思いつつも、細かいテクニックの部分では、このような資料も参考にしつつ、十分に気をつけないといけない。誤解を避けるべく念のために繰り返すが、ここでこういった記録を参照するのは、あくまでも「いかに誘導しないか」を考えるための参考資料としてである。
特にゼミだ。やる気がなくて、あるいは何らかの(心理的あるいは経済的な)問題などで、このまま大学を辞めてしまうかもしれないという子に対して、どうアプローチするべきなのか。私たちレベルの大学では、古き良き時代の放任主義をやっていたら、どんどん退学率が上昇してしまう。
どこまで介入すべきなのか。どう介入すべきなのか。
それでも、「役に立つ哲学」は絶対にやらない。生命倫理もケア哲学もやらない。そうではない仕方で、うちのレベルの大学生たちに「単なる哲学」の面白さが伝えられなくて、どうする。「単なる哲学」とはもちろん「旧来通りの哲学概論」でもないだろう。模索は続く。
***
森川検事「警察からなんか聞かれたわけ?」
菅家さん「はい。菅家じゃないかとかと」
森川検事「うーん」
菅家さん「でも自分は、違うと話したんですよね」
森川検事「あ、そう、うん」
菅家さん「それで、まあ、あの、何ですか警察は怖いですしね」
森川検事「何が」
菅家さん「やはりなんて言うんでしょうか、自分でもよく分からないんですけど」
森川検事「調べを受けてどのくらいしてから話した?有美ちゃんの事件を」
菅家さん「ちょっと分からないんですけど、…二、三十分じゃないかとは思うんですけど」
森川検事「なんて話したの?」
菅家さん「最初はやっていないと」
《有美ちゃん事件について尋ねる検事に、「警察は怖い」との理由で「自白」したことを話す菅家さん。なぜうその自白をしたのか。検事はおだやかな口調で追及する。取り調べが事件の核心に迫ると、菅家さんは口数が少なくなり、沈黙も長くなる》
森川検事「こうだったって話したわけでしょ、後で」
菅家さん「はい」
森川検事「最初は否定したのに、その後でこうだったと話したきっかけがね。どういうところで、どんなことを考えてね、話したのかなって思ってるんだけど」
菅家さん「…やはり…自分で何だかもうわけが分からないんですけども」
森川検事「わけが分からない?」
菅家さん「はい、わけが分かんなく、まあ」
森川検事「まあ?」
菅家さん「やったとかなんとか、話したと思うんですけど」
森川検事「君がどんなことを考えてたかなと思うんだけどね。どうだったの」
菅家さん「うーん」
森川検事「違うって言ったのに、こういう事件でしたと話すんだから。何かきっかけがあって、向こうから何か言われたか、君のほうの気持ちが変わったのか。君の気持ちがね、どこか変わらなければ、いやこうですなんて話にはならないと思うんだよね」
菅家さん「はい、自分としては警察のほうで、強引なところもあるような感じでしたので」
森川検事「強引っていうのは」
菅家さん「分かってるんだとか。そういう風に言われまして」
森川検事「あの事件の当時、有美ちゃんの事件じゃなくてね。(福島)万弥ちゃんの事件(別の女児殺害事件)も話しなかった?」
菅家さん「しました」
森川検事「どっちを先に話したの」
菅家さん「やはり、その2つですよね。2つを一緒に言われたような気がするんですよね」
森川検事「一緒に言われたような気がする?」
菅家さん「はい」
森川検事「ほう。で、君のほうはどっちから話したんだ」
菅家さん「有美ちゃんのほうを先にやったと思うんですけども。その後、万弥ちゃんのほうをやったと思うんですよね」
森川検事「有美ちゃんの事件は実際にはどうなの」
菅家さん「…」
森川検事「目を伏せないで。実際にはどうなの。君がやった事件なの?そうではないの?本当のところは?」
菅家さん「本当のところはやってないです」
森川検事「やってない?」
菅家さん「はい」
森川検事「やってないならやってないで別に考えなくてもいいんじゃない」
菅家さん「…」
森川検事「やってないのにやったって話したの?」
菅家さん「…」
森川検事「なぜ?なぜそんな話をしたんだろう?」
菅家さん「やはり警察のほうで、(聞き取れず)」
森川検事「分かってるんだから話しちゃえって言われて?だけど、一番最初に捕まった真美ちゃんの事件は?これも違うのかな?これは、その通りなのかな?」
菅家さん「…」
森川検事「これはその通りなの?」
菅家さん「やってないです」
森川検事「どうしたの?」
菅家さん「…」
森川検事「どうしたんだよ」
森川検事「そしたらね、有美ちゃんの事件ね。やってないのに、やったと警察で話したのはなぜなんだろう」
《ここまでテープが再生されたとき、突如、菅家さんは手を挙げて体調がすぐれないと申し出た。菅家さんは足早に退廷し、別室で休憩。約20分後に再開された》
《取り調べは引き続き検事の執拗(しつよう)な追及が続いている》
菅家さん「すみません」
森川検事「うん」
菅家さん「ごめんなさい」
森川検事「どうしたんだ」
菅家さん「…」
森川検事「本当はやったのか君? うん、うん」
菅家さん「うー」
森川検事「本当は君がやったのか? 有美ちゃんの事件も」
菅家さん「(泣き声)」
森川検事「やっぱりそう。有美ちゃんの事件やったの? そうだね」
菅家さん「(泣き声)」
《検事の問いに、すすり泣きの中、はっきりとした言葉では答えられず、沈黙する菅家さん。森川検事は諭すような口調で質問を続ける》
森川検事「なんか君を違うことを言うようにし向けたのかもしれないしね。僕の言葉に乗っちゃったのかもしれないからさ。あえてうそをつかしたんだったら、僕のほうが悪いんだけども。僕にも悪いところがあるんだけども」
菅家さん「…」
Monday, January 11, 2010
セカンド・エフォート
毎年、年初の目標は相も変わらず「今を悔いなく生きる」なのだが、自分のダメさ加減が身にしみてきた今年は「セカンド・エフォート」を目標にしたい。
セカンド・エフォート エフォートは努力の意。ボール・キャリアーがタックルをされた後、スピン(回転)や体を伸ばして1mmでもゲインしようと努力する行為を指す。スーパーや グレートと呼ばれている選手は、このセカンド・エフォートを大切に考えている。この行為によりチームの意気が盛り上がることはもちろんのこと、1stダウ ンの更新確率が上がることは間違いない。強豪と呼ばれているチームほど、セカンド・エフォートの大切さを知っている。アメフト用語辞典より
といっても、アメフトを観たことのない人には分からないと思うので、映像をどうぞ。簡単に言えば、何度ぶつかられても倒れず、身をかわしたり、回転しながら倒れたりしながら、1ミリでも前に進むこと、ですね。基本的な身体能力が低い(足が遅い)、味方のブロックが潰されている(援護射撃が期待できない)、あるいは相手のオフェンスがいい(自分を取り巻く環境に負けそう)場合、最初のランではヤードを稼げない。それでも前に進むためにはどうすればいいか。去年の終わりごろから考え始め、今少しずつ実行に移しています。
もう時期を完全に逸してしまいましたが、本年もよろしくお願い致します。
Saturday, December 26, 2009
哲学の旅――『哲学への権利』を観る
幾つかのすでに輪郭のはっきりした人格が出会うのではない。出会いが人格をつくりあげ、呼び声が主体性を貫いて構成する。反人間主義(anti-humanisme)ではなく、非人間主義(an-/in-humanisme)とでもいえばいいのだろうか。それも真正面からの、ステレオタイプ化した意味での「実存主義的」な出会いではない(サルトル本人はむしろ違っていたのではないかという可能性は強い)。現代においては、斜めからの、すれ違いざまの、通りすがりの、振り向きざまの出会いこそが大切なのではないか。
空港や大学のような、人が絶えず行き交う、しかし奇妙にがらんとした場所、雑踏であると同時に静寂を湛えた空間に私がひどく惹かれるのは、それが現代という時代を、しかしながらそのアクチュアリティにおいてではなく、その差延的な反時代性(intempestivité)、時代錯綜性(anachronie)において引き立たせる空間であるからに違いない。
人間関係全般が希薄になったと嘆いてばかりでは仕方あるまい。そのような現代における人と人との真の「出会い」が可能になる制度をこそ夢想しつつ、既存の制度を脱構築するのでなければならないだろう。私が狭義の西洋哲学研究の傍らで展開したいと思っている三つの問い――哲学と大学の関係、結婚の脱構築、旅行の哲学――は、様々なレベルでそこに斬り込もうとするものである。
*
西山雄二さんのドキュメンタリーフィルム『哲学への権利――国際哲学コレージュの軌跡』(Le droit à la philosophie : les traces du Collège international de Philosophie)が今、全国を巡っている――彼とは、哲学と大学、旅など多くのテーマが共通するのだが、それは措こう。私もようやくそのフィルムを見ることができたので、ここにその印象を、まだ観ていない人のための配慮を施しつつ、ごく簡単に記しておくことにする。
1)表現手法の旅
まず、独りの思想・文学研究者が制度についてのドキュメンタリー映画を撮ってしまったという事実に単純に驚いてしまう。イマージュや映像を文学研究の対象とすることはもはや研究の一ジャンルとして確立したが、自分がイマージュや映像を主たる表現媒体として研究成果を発表しうると、実例をもっていったい誰が示しえただろうか。たぶん前例はほとんどない。
国際哲学コレージュ(CIPh)というフランスの一高等教育制度についての考察を思想研究者が映像化することにどんな意味があるのか。Bruno Clémentはインタヴューの中で、デリダがCIPhを創設した精神はCIPhに「意味sens」ではなく、「奥行き、立体感relief」を与えてきたと述べていたが、インタヴューの内容だけでなく、インタヴューされる者たちの顔、身振り、手――握手を交わす手と手――の映像はまさに、CIPhの活動の「意味」ではなく、「奥行き」を観る者に与える。
思想研究はどこかの時点で必ずエクリチュールを通過するとしても、エクリチュールが最終地点であると誰が決めたのか。表現手法がイマージュや、さらには行動であっていけない決まりはどこにもない――フランソワ・シャトレが自らを「哲学のプロデューサー」と規定し、盟友ドゥルーズがその「プロデューサーの哲学」を興味深い形で引き出してみせたことを思いだしておこう(2009年1月26日の「哲学のプロデューサー、プロデューサーの哲学」、27日「プロデューサー目線」、また『思想』ベルクソン生誕150年特集(2009年12月号)の132頁を参照のこと)。
映像(イマージュ)はこうして「奥行き」とともに、ごく限られた専門家だけでなく、広く一般の聴衆を哲学と制度の問題の考察へと導くことに役立つ。嘘だと思うなら、一度この映像を見てみればよい。そして自分の書きものが達しうる読者層と較べてみるとよい。『哲学への権利』は研究手法において、思想・文学研究の表現方法において実験的な旅を試みている。いや、「実験的な旅」とは冗語的にすぎよう。実験(experiment)の語源が「貫く」を意味するギリシャ語peíreinに由来する以上、その名に値するほどの「旅」は、常にすでに幾分か「実験」であるのだから。
2)表現内容・表現主体の旅
次に、『哲学への権利』が、決して単なる「お説拝聴」のドキュメンタリーに終わっていないことを強調しておこう。一日本人思想研究者が対等にCIPhの中心的なメンバーたちに問いかけ、この特異な制度の長所だけでなく、「問題点Les problèmes」をも引き出しえている。これはとりわけ、従来の日本の、とりわけ現代思想系の研究者たちに見られなかった姿勢である(「CIPhとデリダ」のセクションは、あるいはさらに突っ込んでもよかったかもしれない)。
この作品はCIPhという制度が描いてきた「軌跡traces」、その「奥行き」を、限られた「手段moyens」(限られた時間・資金、限られたテクニック・言語能力など)で辿り直すことによって、日本の思想・文学研究全体が辿ってきた軌跡や奥行きをも逆照射する一種の「旅」である。私たち思想研究者はこの映像を、自分自身の辿ってきた軌跡や奥行きとひき比べることなしに、決して他人事としては見られないだろう。
3)上映運動という旅
最後に強調しておくべきは、『哲学への権利』が単なる一映像作品の名ではなく、西山雄二という恐るべき行動力を発揮し続ける個人がその映像作品をもって、日本全国のみならず、世界各国を巡回する運動そのものの名であるということだ。前出のBruno ClémentがCIPhはデリダの諸著作と同じように彼のoeuvre(作品)の一つである、と述べていたが、全世界に散らばる友人や知人のネットワークを駆使して織り上げられた上映運動としての『哲学への権利』もまた、西山雄二のoeuvreだと言える。
だが、さらに一歩を進めてこう言うことに西山はきっと反対しないはずだ。そうではない、人々を貫き、人々をつなぐ『哲学への権利』という映像作品および作品上映運動――握手する手と手――は、おそらくは西山雄二という個人から出発したのではないし、CIPhという運動自体すら、おそらくはデリダから出発したのではない。デリダをも貫いて流れ来たった力、思考の力の旅こそがoeuvreの真の「作者auteur」なのであり、これこそ「哲学」にほかならないのだ、と。
インタヴューの中で、François Noudelmannは、デリダに敵対的な思想的ポジションをとる人たちをも積極的にCIPhに迎え入れることをデリダが繰り返し強く勧めていたと語り、それをデリダがcontre-signatureという概念で表現していたと述べていた。公式の文書により多くの正当性を与えるためになされる「副署」であると同時に、文字どおりには「反対の意を表しつつサインする」ことをも意味しうるこの語こそ、CIPhを表現し、またCIPhをめぐる映像作品である『哲学への権利』、そしてその上映運動を表現するのに最も適した語であるかもしれない。
デリダに何の関心もなく、むしろ彼の諸著作を真剣に読んだこともなく毛嫌いしている人々、CIPhと聞いただけでデリダ派の牙城と考えてしまう人々、哲学と制度の関係についてあまり考えたことのない「職業的」哲学者たちこそ、各地の大学で行なわれている上映会をぶらりと観に行かれるべきであろう。その身振りこそ、今まさに動きつつある現代世界の思想に必要なcontre-signatureの一つであろう。
Friday, December 25, 2009
代読(2)クリスマスに思う
帰還兵たちが自らの戦争体験を語る「冬の兵士公聴会」(Winter Soldier Investigation)がはじめて行なわれたのは、実はイラク戦争の時ではない。1971年のデトロイト、反戦ヴェトナム帰還兵の会(VVAW : Vietnam Veterans Against the War)によるものが初めであった。マーク・レイン(Mark Lane)という人物が「冬の兵士」という名称を提案したとされているが、この名称にはどのような意味が込められているのだろうか?
「冬の兵士」とは
1776年、合衆国は独立戦争において敗北の危機に瀕していた。ジョージ・ワシントンの軍隊は敗戦を重ね、退却を余儀なくされた。その地で部隊は厳寒の冬に苦しむことになる。十分な食糧と衣服が支給されないまま、2000人の兵士が発疹チフスや腸チフス、赤痢や肺炎のために命を落とした。脱走者も出始め、指揮官のワシントンでさえ諦め始めていたそのとき、偉大な革命家トマス・ペインの言葉が部隊を奮い立たせた。
今こそ魂が問われるときである。夏の兵士と日和見愛国者たちは、この危機を前に身をすくませ、祖国への奉仕から遠ざかるだろう。しかし、今立ち向かう者たちこそ、人々の敬愛と感謝を受ける資格を得る。専制政治は地獄にも似て、容易に克服されることはない。それでも私たちは、この慰めを手にする。闘いが困難であればあるほど、勝利はより輝かしいものとなる。夏の兵士と冬の兵士
“These are the times that try men’s souls. The summer soldier and the sunshine patriot will, in this crisis, shrink from the service of their country; but he that stands it now, deserves the love and thanks of man and woman. Tyranny, like hell, is not easily conquered; yet we have this consolation with us, that the harder the conflict, the more glorious the triumph.” (Thomas Paine’s first Crisis paper, written in December 1776)
ひとびとの熱気を支えに勇ましく進軍していくのが「夏の兵士」だとすれば、「冬の兵士」とは、冷え切った世論を前に、ともすれば「裏切り者」扱いされかねない困難な状況下で、真に祖国のため、世界のために行動できる人々のことに他ならない。
このトマス・ペインの詩からスピンして「冬の兵士」という言葉が出来たのだという。冬の兵士とは、最も過酷な状況にあって、本当の意味で祖国のことを思い、精神的な意味で「前線で体を張る」、そういった人々のこと、心の声に耳を傾ける者たちのことであろう。証言者の一人、ハート・バイジェスはこう言っていた。「自分はいま、兵士(soldier)ではなく、魂の戦士(soulja)です。…魂の戦士は弾丸ではなく、言葉をもつ。教条ではなく、心の声に耳を傾ける」。
応答と責任
ここでわざわざ「冬の兵士」の系譜を辿ってみたのは、いかなる政治的行為も何らかの形での「応答response」であり、そのような「応答可能性=責任responsability」なしに政治はありえないということを確認するためであった。IVAWは言ってみればVVAWの放った呼びかけを受け止め、それに応えたのであり、私(たち)はささやかながら、斜めから、すれ違いざまに、通りすがりに、IVAWの呼び声を聴いたのである。
パスカルは「イエスの神秘」において、こう述べていた。「落ち込んだりしないように。もしお前が私を見出していなければ、私を探したりはしないはずだから」。ベルクソンの一節「やがて自分のものになるはずの言葉は、すでに自らの内部にその反響を聞いていた言葉なのである」は、パスカルの言葉と完全に響きあう。わずかであれすでに見出しているからこそ探せるのであり、かすかであれすでに反響を聞いているからこそ自分のものにしようと思うのである。「あんな風になりたい」という憧れに身を焦がし、決心を固め、行動に移る人は、模倣者であると同時に、すでに少しだけ創造者と化している。動的行動の発生は、事後的・遡及的にしか見出されえない。いかなる出会いにも言えることだが、奇妙な因果性がある。本当に出会うためには、すでに出会っていたのでなければならないのだ。
この話の続きは、私の論文でどうぞ(笑)。
Thursday, December 24, 2009
代読(1)
*
考えてみれば「代読」とは興味深い行為だ。誰かの書いたものを代わりに読むという行為。むろんそれがあまり大きな意味をもたない場合もあるだろう。哲学の学会で発表を代読されて感動する、などということはまずないように思う。
だが、『冬の兵士』朗読会では感動した。内容だろうか。それもあるだろう。イラク戦争のドキュメンタリー本の朗読でも感動するかもしれない。しかし、その場合は、読み手の能力に大きく依存するだろう。今回はしかし、朗読のプロでない市井の人々が朗読し、それが確実に何かを伝え得たのだから、〈声の複数性〉ということに意味があったように思う。
それにまず、ドキュメンタリー本を誰か一人が読み聴かせるという朗読会ならば、私は行こうと思わなかっただろう。なぜだろうか。たぶん独りの人格が大きすぎ、強すぎる(trop imposant)のだ、今の私の衰弱しきった政治感覚にとっては。
そのことに真正面に向かい合いすぎると逃げたくなることがある。真正面すぎる〈出会い〉には疲れてしまう。斜めから、すれ違いざまの、通りすがりの出会いが、私だけでなく、今の日本人の政治感覚にとって重要ではないかと思ったりもする。フランス語で「声」を意味するvoixは、投票の際の「票」をも意味する。かつて(2002年5月のいわゆるルペンショックの時)そのことをめぐって短い雑文を書いたことがあった。
行き交い、響き合い、消えてゆく声の政治。だからこそ、イラク戦争の帰還兵たちの〈証言〉を、彼らのさまざまな〈声〉を、年齢・性別の近い人々のさまざまな〈声〉が代わりに読み上げるということになんとなく漠然と興味をもったのではなかったか。
Tuesday, December 22, 2009
新たな出会い(その3)
その場で、日仏学館にお願いしようと思っていた3つほどあるプロジェクト「福岡でフランス哲学を」(PFF : Philosophie Française à Fukuoka)(笑)がいずれも前進。
2010年3月中旬:とある映画上映会開催(か?)
2010年3月27日(土):フランス哲学に関する国際シンポ開催決定!(詳細は追って)
2010年11月20日(土):結婚の脱構築をめぐる国際シンポ開催決定!(詳細は追って)
その後、某氏とふたたび夜の福岡バー巡り。たまに飲むのは好きです。
それにしても、見ず知らずの方に「ブログ読んでます」とか言われると、どきっとしますね…。心臓によくないので、そっと見守ってやってください。たまに檄文調のものがありますが、あれは別人(?)が書いてますので、気にしないで下さい。
Friday, December 18, 2009
来し方行く末
別に自分が特別忙しいと思っているわけではなく、ただ作業量が自分の処理能力を超えているというだけの話である。このブログからリンクさせていただいている少し年上の友人たちは、もちろん私以上に多くの研究外の仕事を抱えながら、日々の研究を怠っていない。本当にすごい、といつも思う。一歩でも近づければ、と願っている。
年末だからというのでもないだろうが、大量のメールに交じって、来し方行く末を知らせる便りが二つ。遠く懐かしい人から、私がリールで奮闘していたことをフランス人たちが今も覚えていると伝えるメール、そして恩ある人から未来についてのメール。みな忙しく自分の生活を送っている中で、世界のどこにいても、覚えていてもらえるというのは本当に嬉しいこと。感謝しています。
Tuesday, December 15, 2009
後悔はしていない――新たな出会い(その2)
さらに、こんなイベントにも無関係ではなかったり。
そんななか、プロジェクトの成功に向けて、地道なネットワークづくりのために行ってきました、12月12日(土)、九州仏文学会@西南学院大学。西南もはじめて行ったが、関西で言うところの「関西学院大学」のような、おしゃれな感じ。懇親会ではいろいろな人々と少しずつ知り合うことができました。
来年の福岡シンポのビラ配りに行くというだけのつもりだったのだが、いきなり委員にさせられてしまった。身がもたないので、あまりこき使われたらやめてしまいます。
今やっているさまざまな活動について、その一瞬一瞬をいつか振り返ったとき、「後悔はしていない」と言い切れるだろうか。
*
阪神・赤星、決死のダイブは後悔なし(クリップ) 2009.12.9 20:59
「泣いたら、いろんなことを後悔すると思った。貫き通そうと思った」。記者会見の間、赤星が涙を見せることはなかった。
9月に脊髄(せきずい)を損傷した。家から出られないほど症状は重かった。いくつもの病院を巡ったが、返ってくる答えは厳しいものばかり。シーズン終了 後、球団から引退をすすめられた。約1カ月「人生で一番苦しかった」と言うほど悩み抜き、決断した。現役への未練はもちろんある。「若い選手に負けていな い。けがさえなければ、まだまだできる気持ちがあった」と33歳は言った。
脊髄(せきずい)損傷のほかに首や腰、さらには手足にしびれが出る。「言葉に表せないくらいしんどかった。首の痛みで眠れない」。ここ3年間は常にけがとの闘いで「最後の3年間が9年分に感じるくらい長かった」とつぶやいた。
けがをしたのは9月12日、雨の甲子園だった。右中間の当たりに頭から飛び付き、赤星のプロ生活が終わった。「夢であのシーンが出てくる。野球人の本能でやった。後悔はしていない」。この言葉に、この日一番の力がこもっていた。
Monday, December 07, 2009
備忘録的に。
2)12月中に某雑誌に投稿予定の論文完成(日本語)。
3)12月中に第三回シンポ原稿完成(仏語)。
4)来年1月中にエリーとのデジャブ・セッションで行なった発表(ベルクソン&メルロ)を論文化(日本語およびフランス語)。
5)来年1月中にネオジャクソニスム研究会のためのデジャブ論文(ベルクソン&ドゥルーズ)執筆(日本語)。
6)来年1月中に、すでに書いたベルクソン/ソレル論文をバージョンアップ(英語)。
7)来年3月の福岡シンポのための発表原稿準備(日本語およびフランス語)。
8)来年4月のエラスムスのための授業準備(フランス語)。
