Thursday, October 03, 2002

ブルーメンベルク補遺(中)

『マタイによる受難』(仏訳1996)

 世界の至る所で、かつてなく多様な形で、かつてなく多様な条件のもとで、何万もの人々が、ヨハン=セバスチャン・バッハの「マタイ受難曲」に耳を傾ける時代にあって、ブルーメンベルクは、今日の聴衆がそこに何を聴き取り理解することができるのかを問いかける。

 この傑作がつくられてから250年という時が流れ、その間、世界は決定的な変化を見た。だが、広義の意味での「技術」の変化以外にも、キリストの受難、バッハの「神の受難」、アウグスティヌスやルターの神を理解することには困難が立ちはだかっている。

 今日の聴衆とバッハの属していた共同体を隔てる距離を測るために、ブルーメンベルクは、現象学の方法論に立脚し、精神分析や解釈学を縦横に駆使しつつ、福音書やバッハのリブレット、神学の様々なテクストを読み解いていく。(まあ要は、ノルベルト・エリアスばりの音楽の社会学の一ヴァリアントじゃないかとも言えるでしょうが。)


『トラキアの下女の哄笑』

 「理論」の誕生について「歴史」はその正確な時点を詳らかにはしていないが、「理論」の誕生を物語るある逸話は一つだけ存在し、幾世紀を越えて我々にまで伝えられている。

 それによれば、ある夜、星を観察していたタレスは、井戸に落ち、彼を助けに駆けつけたトラキア出身の下女の哄笑を浴びたという。世界の起源をたった一つの要素すなわち水から説明する理論を打ち立てた偉大な哲学者にして、人類史上初めて日食を予言した天文学者は、下女の笑いを誘った。というのも彼は自分の足元に何があるのかを見ていなかったからである。

 この逸話は実に様々な問題を提起している。トラキアの下婢の哄笑が哲学のイメージに与えた衝撃は、ポリスにおける哲学者の位置、近いもの(井戸、生活)と遠いもの(星、観念)の関係、生の世界と観念の世界の(あるいは理論家の自由と召使の不自由の)関係に関わっているのである。

 ブルーメンベルクは、数世紀にわたるこの逸話の変遷を分析する。あの天文学者は名が知られている場合もあれば名もなき人であったり、彼を馬鹿にした下婢も若かったり年老いていたり、彼が落ちた穴も貯水池だったり堀だったりと様々である。だが、下婢の哄笑だけは、理論の奇妙さに直面したときに日常生活が洩らす無理解の徴として留まり続けたのである。

 ブルーメンベルクは、イソップの寓話からハイデガーまで、この逸話の受容史を跡づけた後で、この逸話の前例のない成功を、哲学が自分に対して抱いている意識の一形態と捉える。

「実際、哲学者を笑えるのは、自分は彼らとは違うと思っている人たちだけであるはずだが、どう見てもこの哲学という領域にいる者たちは、自分だけは例外だと思い込んでいるようである。」
(続く)

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