Wednesday, October 02, 2002

対立の共同体(リール版)

 駄乱長文に予めご容赦を願います。

***

 2002年8月12日付の田中ニュースに「パレスチナの検問所に並ぶ」という記
事があった。パレスチナの「自治区」(今や名目化した)とイスラエルの占領
地区との間を隔てる検問所をくぐった体験を記したものである。この記事を読
んだ時、まさかその後自分が同じ体験をしようとは思ってもいなかった。

 2002年9月30日、午前十時半ごろ、軽い気持ちで滞在許可証の更新にリール
の県庁別館へ出かけた。百人ほど並んでいた。ちなみに「並んでいた」という
のは、別館の中ではなく、寒風吹きすさぶ外である。我々は建物の中で待つ権
利すら与えられていないのだ。その後一時間で三メートルほど進んだだけで、
十一時半に入り口は閉ざされた。再開は一時半、大半の人々はそれまで待つ気
であったが、私は諦めて帰ることにした。

 翌10月1日、午前八時、開館の三十分前、この時間なら大丈夫だろうと気合
十分で同じ場所に行ってみると、二百人!ほど並んでいる。昨日より早い時間
なので、本当に寒い。それでも当初私は楽観的であった。

 というのも、一昨年、昨年とリールで滞在許可証を取ったときには、8時20
分にくれば、8時50分には中に入れたからだ(並んでいる人数は30人ほどだっ
た)。しかし甘かった。

 入り口の前には、滞在許可証などを取りにくる外国人用に、仏語・英語・ア
ラビア語で書かれた大きなポスターが張ってある。その一番上に、「内務省・
外国人課」と書かれている。内務省と言えば、今年春先の選挙で右派が大勝し
た後、ラファラン政権が政策の目玉として掲げた「治安強化」を取り仕切る部
署であり、その長たるニコラ・サルコジーが「断固たる姿勢で」望むと大見得
を切って次々と強行策を打ち出しているところである。

 その後、列に並んでいる人々と情報交換をしているうちに分かってきたのだ
が、昨年までは県庁の外国人課だけでやっていた滞在許可証交付作業に、今年
から内務省が加わったのだと言う。何をかいわんやである。我々外国人は、
「断固たる姿勢で」取り締まられるべき対象であるらしい。その証拠に、去年
まで中に入って待つことができたのに、今年は建物の中に入る人数が制限され
ている。30分に10人入ればいいほうである。

 並んでいる間に、色々と「事件」が起きる。列の最前列にいる人などは、朝
5時から並んでいると言う。5時ですよ!好きな歌手のチケットでも取るために
並んでいると言うなら話は分かるが、我々はとらなくていいんならとりたくも
ない滞在許可証のために並んでいるのである。彼らは腰掛椅子・毛布・食糧持
参である。つまり彼らはすでに少なくとも一度は痛い目を見たわけだ。

 彼らは数人で来ているので、何人かが休憩に抜ける。後ろのほうに並んでい
る人たちは事情が分からないから、抜けていた何人かが人々の間を掻き分けて
元の位置に戻ろうとすると、ズルをされたような気がして気に食わない。その
うち、その場で知り合った数人のためにマックに買出しに出かけていた女の子
が帰ってくると、一人の大男が「もう後ろからきた奴を通さない。彼女を通す
んなら、俺だって前に行きたい」と喚き始めた。女の子は泣きそうになり、周
りが文句を言って、女の子を先に行かせたが、彼も数メートル強引に進んできた。

 私も懸命に彼に説明したが、埒があかない。人々が、後ろから割って入って
くる人(たとえばA)を黙って先に行かせるのは、Aが以前、前のほうにいた
のだろうと思うからだ。もちろん直接的な証拠はない。後ろのほうにいる人た
ちはそれを疑うことができる。しかし少なくともAの周りにいた人たち(たと
えばB)は彼がいたことを証言できる。Bの存在はCが、Cの存在はDが証言
してくれる。

 むろんミニマルに見れば、隣同士で少しでも前に行こうという小競り合いな
どはあるわけで、「人類愛に満ちたタイトな共同体」などは望むべくもない
が、巨視的に見れば、こうして我々は間接的な信頼によってルースな秩序を保
ちつつ、一つの「共同体」を構成しているわけだ。

 カントの永遠平和の理論を思い出させる状況だ。我々は麗しい人類愛によっ
て、戦争のない永遠平和を達成するのではない。幾度も際限なく続く戦争に徐
々にうんざりして、ルースながら大波乱のない無戦争状態へと巨視的に見れば
至るはずだ、と。

 さらに快い驚きだったのは、大男が突然、それまで口論していた人々に謝っ
てその人々を前に行かせ、自分は後ろへ下がったことだった。統制的理念の勝
利だね、と件の女の子に言いたかったけれど、「うまく片がついてよかった
ね」とだけ言っておいた。

 こうしてカメルーン人、インド人、中国人、あらゆる国のアラブ人、スロ
ヴァキア人などと喋りまくって、4時まで待つ間に、へとへとになってしま
う。ようやく扉まで数メートル、僕の前には三十人、入れるか入れないか微妙
なところだ。

 ようやく中の様子が見えてくる、と思いきや何も見えない。ガラス扉の中に
もうひとつ鉄の扉があって、ぴったり閉められている。カフカの「法の門番」
を思わせるな、と思っていると、本当に数人の警官が数十分に一度出てくる。

 威圧的な態度と、いかなる懇願も受け付けない冷酷無比もそっくりだ。入り
口までもうすぐのところにいるというのに、時間は無慈悲に過ぎて行く。我々
はますます焦り、後ろの人々はますます強く我々を押してくる。扉を開けるた
めに、警官は人々に「下がれ」と怒号するが、人々はわずかに開いた隙間から
中に飛び込もうとする。扉をはさんで奇妙なおしくら饅頭が続く。人々も警官
も考えていることは同じなはずなのに、やっていることはそれぞれ正反対なのだ。

 そのうち、キレた警官の一人が警棒を振りかざし、扉はまた閉じられた。ま
だ4時10分。あと二十分ある。かなりの人々が諦めて帰り始めたおかげで、4時
20分には私は列の先頭、扉の真ん前にいた。扉の前には諦め切れずに残ったニ
十数人。すぐ後ろの人なつっこそうなアジア人のおばさんが「あんた、ラオス
語喋れる?」と聞いてくる。私はアジア人だけど、残念ながらラオス語は喋れ
ない、とフランス語で答える。

 彼女がなおも私の隣にいる巨漢太っちょアラブ人を指して「リアン、リア
ン」と言うので、「困ったな、ラオス語分からないんだけど。rien(何に
もない)って言いたいのかな」と太っちょに言うと、太っちょが「彼女は、僕
の髭を指してlion(ライオン)って言ってるんだよ。僕はアジア人じゃないの
に、君よりラオス語が分かるよ、きっと」と皆を笑わせる。

 あと五分というところで、また別の思いがけない青年と出会う。去年の年末
の火事のとき僕たちを助けてくれた同じアパートの住人だった男だ。彼も私た
ちも、その後、神経症的につらくあたるようになった大家さんにうんざりして
アパートを出たのだった。「お互い大変だったね」「今もね」と慰めあってい
ると、4時半になる。

 県庁に書類を取りにきたのに、したことと言えば見知らぬ異国の友たちとの
おしくら饅頭だけであり、見たものといえば紅潮した警官たちの怒りの形相だ
けだ。書類には指一本触れることもなく、役人の顔すら見ていない。

 こうして人々は肩をすくめて散り散りに散っていく。数時間だけの名もなき
共同体は、跡形もなく掻き消えていく。そして明日も同じ事が繰り返される。

 共同体とはそもそも本質的に、このような形であるものではないか。
 ちなみにブルシエやら交換留学できている人たちには優遇措置があるよう
で、彼らはこの貧しい共同体には参画していない。Tant mieux pour eux !
 私は明日、5時に家を出る。そういうわけでこのメールが皆さんのもとに今
届くわけです。

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