こんにちは。別に続編が続々登場というわけではないので、ご安心ください(笑)。
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人がその影と縁を切ることができないように、いかなる科学もその辺縁に位置する両義的な領域をあますところなく切除してしまうことができない。
たしかに化学(chimie)は今や、錬金術(alchimie)とは何の関係もない。しかし、たとえば遺伝子工学の領域で現在行われているすべての仕事が将来、嘲笑の種にならないという保証もまたどこにもない。
精神分析とは何か。医療活動の一種なのか、それとも人文科学なのか。そもそも「科学」と呼ぶべきものなのか、それとも動物磁気説や交霊術のような、いずれは「似非科学」(para-science)と呼ばれるようになるものなのか。こうした一連の問いは、その誕生以来、精神分析につきまとい続け、今なおその影の中に潜んでいる。
「理論と実践」の問題は、明らかにこれらの問いの中心に位置している。これから数回にわたって紹介するのは、この問題を考えるうえで欠かせないと思われる「思考の素材」である。
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まず最初に全体のプランを示しておく。
1)「理論と実践」という問題構成の一般的な広がりを抑えておくために、カントの有名な論文「理論では正しいかもしれないが実践の役には立たない、という通説について」(1793)、いわゆる「理論と実践」の序論的な部分を要約する。
2)「理論と実践」という問題構成の現代的な射程を抑えておくために、アルチュセールの『マルクスのために』(1965)、とりわけその一章「唯物弁証法について-さまざまな起源の不均等性について」から、「理論的実践」に関する部分を要約する。
(ここで「科学の科学性そのもの」を考えることが実は不可欠なのであるが、科学哲学の文献が手元にない・・・thoery-ladenness of observation.)
3)「精神分析の科学性」という問題構成の一般的な広がりを抑えておくために、著名な女流精神分析史家であるルーディネスコの『なぜ精神分析か?』(1999)、とりわけその第三部第一章「科学と精神分析」を要約する。
4)「精神分析の科学性」という問題構成を「精神分析と人文科学」という観点から考察している、死後出版されたアルチュセールの講演速記録『精神分析と人文諸科学』、とりわけ同題の第一講演を要約する。
5)「精神分析の科学性」という問題構成を最も深く探究したラカンのアプローチを、すでに公刊されているセミネール、とりわけセミネールXI「精神分析の四基本概念」(1964/1973)から該当部分を要約する。
もちろんこれ以外にも読むべきものは多々あります。皆さんからも「これ読まないと」とご提案いただければ幸いです。hf
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