Tuesday, March 13, 2007

自己内対話(ブログに抗するブログ)

murakamiさんからまたまた重要な指摘をいただく。さらに追加情報もいただいた。
http://philosophy.cognitom.com/exec/page/page20050703222358/

他の人に誤解のないように言っておけば、私がmurakamiさんに敬愛の情を抱くのは、彼が彼のフィールドで精力的に活躍されているからであって、彼が私のブログを読んでくれる、あるいはそこに書き込んでくれるからではもちろんない。

思想における友情あるいは愛は、ブログへの書き込みからは生じない。なぜならブログも書き込みも所詮その程度のものでしかないからだ(これは日常会話でも同じである。社交的に振舞うことはどんな場合にも望ましいことだが、そこに過剰な意味を見出すべきではない)。

少なくとも思想の世界では――いや、おそらくありとあらゆるプロフェッショナルの世界でも同様だろう――逆なのだ。大事なのは「人」ではない、「アイデア」だ。あらゆる意味におけるideaである。

したがって思想的ブログにおいて大事なのは、思考の断片的なアイデアが流通すること、最低限、貴重な情報が流通すること、そしてそれらが電脳空間の外で現実化・具体化することだ。実際の「出会い」が、効果的な「出来事」がそこを通じて(そこから、ではないとしても)生じること、それがすべてである。

この「外部」はまた、思想の「外部」でもなければならない。私が、この思想系ブログ以外のブログ(政治・社会系、語学系…)を、区別しつつも、連動させているのはそのためである。ドゥルーズの言うとおりなのだ。

≪ある一つの分野はみな、それぞれの仕方で非なるものと関係している。

芸術は、芸術家でないこの私たちを育成し、覚醒させ、私たちに感覚する仕方を教え、哲学は概念的に理解する仕方を教え、科学は認識する仕方を教える――それだけのことを言っているのではない。そのような教育法が可能になるのは、それぞれの分野に関わっている〈非〉に対して、その分野がそれ自身の側で本質的に関係している場合だけである。

芸術が非芸術を必要とし、科学が非科学を必要としているように、哲学は、哲学を理解している或る非哲学を必要とし、非哲学的理解を必要としているのだ≫(『哲学とは何か』結論)

ここに丸山真男の言葉が反響する。

≪若いうちに、感受の弾力性があるうちに、異質的なものと対決せよ。Stirb und werde ! ≫(『自己内対話』)

私のブログはブログ的ではない。ブログは、私が研究論文としてでなくエッセイという形で言いたいことを載せる最良の形態ではないのだろう。別にそれで結構だ。私にとって、ブログとは「井戸端会議と投瓶通信のあいだ」(penses-bêtes japonais, 2007年2月4日の項)にある何かなのである。

さらに、こうも付け加えよう。時流に抗して、私が思想的ブログでまず突き詰めたいと思っているのは、自己内対話のほうなのだ、と。

≪国際交流よりも国内交流を、国内交流よりも、人格内交流を!自己自身の中で対話をもたぬ者がどうしてコミュニケーションによる進歩を信じられるのか。

論争がしばしば無意味で不毛なのは、論争者がただもっともらしいレトリックで自己の嗜好を相互にぶつけ合っているからである。自己内対話は、自分の嫌いなものを自分の精神の中に位置づけ、あたかもそれが好きであるかのような自分を想定し、その立場に立って自然的自我と対話することである。他在において認識するとはそういうことだ。≫(丸山真男、『自己内対話』。1967年3月の最終講義メモ)

「まず」とわざわざ強調したのは、英語で『日本政治思想史』や『日本の思想』を発表し、座談の名手であった丸山のこの文章内に、不可視の、しかし確固たる「まず」を読み取れない読者のことを慮ってである。私は常に「両面作戦」(pratiques théoriques, 2004年11月1日の項)の支持者である。

Friday, March 09, 2007

制度の唯物論(脱構築の前に構築を!)

まだまだ先だと思っていたら、仏文学会用の論文の締め切りが迫っていた。この数日、慌てて見直し。日仏哲学会よりは紙数に余裕があるので、割と細部まで盛り込める。というわけで、「催眠」論文脱稿。後は結果を待つのみ。

*

「コレギウムとは何か」の項に、尊敬するmurakamiさんからコメントをいただいた。

そうですね、私にもどうすればいいのか分かりませんが、おそらく劇的な治療法はないのでしょうね。

ただ、解決策はないとしても、地道な対処法はあります。例えば、学術雑誌の作り方です。

仏文学会の雑誌『フランス語フランス文学研究』は、学会発表を行なった者の中で選抜を行ない、研究論文を書く権利を与えるのですが、その際、フランス語論文8本、日本語論文4本と定められています。

つまり、日本語論文の数を少なく限定しているのです。仏文学会が本当のところ、どういう「意図」でこの比率を決定しているのかは知りませんが、執筆者に与える「効果」は明白です。掲載されたければ、フランス語で執筆したほうが圧倒的に可能性が上がるのです。

こうして制度が意識を少しずつ変えていき、仏語能力の地道な向上につながっていく、という「制度の唯物論」(笑)があるわけです。

翻って、例えば日仏哲学会の雑誌『フランス哲学・思想研究』はどうでしょうか?

(他の人にも誤解のないように言っておくと、もちろん両雑誌の内容や質を云々しているわけではありません。言語の問題を論じているのです。)

まず言語による「枠」がありません。そうなると、結果は火を見るより明らかです。最新号である第11号を見てみると、仏語論文は公募論文7本中2本。一本はフランス人(前述の西田研究者のDalissierさん)、もう一本は私です。

むろん、これは学会の規模、それぞれのmilieuがもつ雰囲気というものも大きく関係しています。仏文学会は日本のフランス系の学会でおそらく最も規模が大きく、最も国際的に活躍している学会であり(現在の国際仏文学会の会長は、日本の仏文学会の会長である塩川徹也先生です)、フランス語で書くことが半ば自明視されているmilieuです。もともと仏語で書ける人が一定数以上いないと、せっかくの理想的な制度も成り立たないということはあります。

しかし、いずれにせよ、制度の善用とは言わないまでも、制度というものの持つ力をもっと積極的に活用すべきではないか、少なくとももっと意識的になるべきではないだろうか、と私は思っています。日本版アグレグを夢見るのも、そういうところから来ています(これについては、これまで断片的にこのブログに書いてきました)。

哲学科(フランス系)の人は仏文科の人から、仏文科は哲学科から、もっといろんなことを学べるのではないかと私は思っているのですが、なかなかどちらにも聞いてもらえません。ドイツ哲学と独文より親密な関係を築く可能性があるようにも思われるだけに、残念なことです。

コレギウムの話、ご一緒に進めていければこんなに嬉しいことはありません。実はもう若干進めつつあります。今度お会いしたときにでもお話しできれば。 hf

Thursday, March 08, 2007

制度と脱構築(Jean-Luc Amalric情報)

一月ほど前に書いたもの。デリダ・リクール論争についてまとめている途中での副産物。小ネタはすぐにあがるが、大ネタは。いずれまた。

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さて、ジャン=リュック・アマルリックである。

『リクール、デリダ。隠喩の争点』という本を出した叢書"Philosophies"は、きわめて優れた叢書で、私のお気に入りの一つである。例外もあるが、もっぱら若手にある哲学者のあるトピックに絞って書かせることで有名だ。

(日本のように、すでに功なり名を遂げた研究者が入門書的な軽い本ばかり書くのは何重にも無駄だと思う。たまに息抜きに、というのならいいが、そればっかりのような気がするのだ。だいたい大家に限らず、著書でも翻訳書でも、アメリカ同様、入門書が多すぎる。もういいよ、そういうのは。短くてもいいから、一つのテーマに絞って力作を書いてほしい。

誰か、〈ベルクソン研究叢書〉をつくってほしい!グイエのは翻訳が進行中とのことだが、イポリットとかユッソンとかミレーとかアイドジックとか、良書を精選して。『年鑑』とか、良質論文を精選して。)

アマルリックを、「モンペリエ大教授」とおっしゃっている方がいるが、私の知る限りでは、彼は職業としては高校(Lycée Joffre)で教え、研究としてはCFPE(Crises et Frontières de la Pensée Européenne, EA738)という研究グループに間接的に所属して、博論執筆に励んでいる若手研究者である。

ネットというのは本当に恐ろしいもので、Jean-Luc Amalricの家計図まで調べられてしまう。それによると、父はJean-Claude Amalricという英米文学者であるようだとか、どうでもいいことまで分かってしまう。政治的な発言を行なっているな、とか。

アマルリックの関係しているCFPEには、私の知っているだけでも、エピステモ系のアナスタシオス・ブレンネール、コント研究のアニー・プチ、ハイデガー研究のマルレーヌ・ザラデールなどがいる。昨年惜しくも夭折してしまったフランソワ・ズラヴィシュヴィリもこのグループに属していたようだ。

*

ちなみに、フランスの研究機関でよくUMRとか見かけて、「あれは何だ」と思われている方があると思うが、研究単位のことである。私が様々な形でお世話になっているSavoirs, Textes, LangageはUMRだが、これはUnité Mixte de Recherche、上述のCFPEはEAだが、これはéquipe d'accueilの略である。大体、JE→EA→UMRという形で大きくなっていく。例えばこんな感じだ。略称についてはリンクのところにリストを挙げておいたので、参考にしていただきたい。

フランス現代思想やフランス哲学、フランス文学の研究者で、(フランスの)学問制度のことを知らない人がけっこういる。むろん、EAが何を意味するかを知らなければデリダの思想は分からないなどと言っているのではない。だが、それにしてもあまりにも制度ということに鈍感であり、無邪気すぎはしないか。

一方でデリダや脱構築に興味を持っていると言いつつ、他方で制度的なことを知ろうとしないのは矛盾している。デリダほど制度との距離どりを考えた人はいない。

-Peter Trifonas, The Ethics of Writing : Derrida, Deconstruction, and Pedagogy, 2000. プロフィールはこちら。
-Tom Cohen, Jacques Derrida and the Humanities: A Critical Reader (Cambridge University Press, 2002).
-Peter Trifonas and Michael A. Peters, Derrida, Deconstruction and Education: Ethics of Pedagogy and Research, Blackwell Publishing, 2004.
-Simon Morgan Wortham, Counter-Institutions: Jacques Derrida And the Question of the University, Fordham University Press, 2006. プロフィールはこちら。

彼がどうGREPHに関わったか、どうしてCIPhを創ろうとしたのか、もっと日本でも知られていいはずだ。デリダの訳者たちよ、うすっぺらい本を訳すほうが楽なのは分かるが(薄い本だってすでに大変というのもよく分かるが)、この「暗い時代」にあってデリダの大部の大学論・教育論であるDu droit à la philosophieが本の形でまず訳されるべきではないのか。

脱構築とは何よりもまず諸々の制度の脱構築である。学問とは研究者の頭の中だけで抽象的に構築されていくものではなく、それ自体歴史的に形成されてきた具体的な制度の上で、ほとんど唯物論的に形成されていくものなのだ。博論一つ取ったってそうだ(笑)。その自覚なしに、その自覚を実際に示す実践なしに、脱構築とは笑わせる。

Wednesday, March 07, 2007

サクラサク(Master Mundusの結果)

Master Mundus、どうやら日本人が複数名(主要リストに2名、補欠リストに1名)、通ったようです。告知・宣伝にご協力いただいた皆様、本当にありがとうございました。

受かられた皆様、栄えある第一号として思う存分、そして思い残すことのないよう、研鑽を積んできてくださいね。プロになりたいなら、本物のプロになりたいなら、二年間くらい猛烈に勉強する時期があってもいいと思います。

残念ながら届かなかった方、気を落とさずに。来年またチャレンジするつもりで、お励みください。

*

今回の結果(暫定的な合格発表)がウェブ上で公開されています。主要候補全15名のうち、南米が5名(ブラジル3、アルゼンチン2)、アジアが5名(中国3、日本2)、ロシア2名、カナダ・レバノン・ゲオルギア各1名という結果でした。南米・アジアはほぼ予測どおりでしたが、中東が1、合衆国がゼロというのは少し驚きました。

おそらく何らかの方針なり、各地域のinvisible quotaがあるのでしょうが、来年度以降徐々に「枠」を増やしていけるように、日本のフランス哲学研究者が共同で何かアクションを起こせればいいですね。

いつか、仏独英語で世界標準レベルの哲学的な議論をできるのが、当たり前とは言わずとも、珍しくはなくなる、もう語学力か哲学力かなどという議論がナンセンスでしかなくなる、そしてその結果、このMaster Mundusの有り難味が徐々に薄れていく、そんな日を夢見て。 hf

Tuesday, March 06, 2007

コレギウムとは何か?

3月2-3日、学習院大学人文科学研究所で行なわれたMichel Dalissier氏の「ベルクソンの読者としての西田」講演会を拝聴。すでにメールではやりとりしていたtm氏やys氏と初めて対面。年来のCollegium Japan構想を実現すべく、少しずつ動いていきたい。

***

まず、コレギウムのことを説明しておかねばならないだろう。正式名称はCollegium Phaenomenologicumである(公式サイトはこちら)。ジョン・サリスやジャック・タミノーがほぼ三十年前に創設したものだ。

アメリカの大陸系哲学研究者たちの夏のささやかな祭典と言っていいと思う。毎年7月中旬から8月上旬の三週間、イタリアのチッタ・ディ・カステッロ――ペルージャからそれほど遠くないところにある何もない田舎町だ。強いて言えば、モニカ・ベルッチを輩出した(笑)――で、行なわれるバカンスを兼ねた合宿である。

参加はアメリカ全土の教授レベル数人、助教授・講師・ポスドクレベル十数人、院生四十人程度。主催者・参加者は毎回かなり変わる。ベースはアメリカ人だが、院生には何割かヨーロッパ中の学生が混じる。私は2003,2004年の二年続けて参加したが、アジア人は私一人だった。

三週間で三人の哲学者の幾つかのテクストを読み、レクチャーコースを聴き、議論する。大体フランス(現代思想)系とドイツ系(ハイデガー)が一年ごとに来ている(ようにも思われる)。例えば2003年はベルクソン、レヴィナス、ドゥルーズ。2004年は、カント、シェリング、ハイデガーという感じである。

何がいいかというと、プログラムの仕方がいい。

月・午前:レクチャーコース(1)、午後:午前中の議論を踏まえて、ディスカッション
火・中堅による発表数本
水・午前:レクチャーコース(2)、午後:午前中の議論を踏まえて、ディスカッション
木・中堅による発表数本
金・午前:レクチャーコース(3)、午後:午前中の議論を踏まえて、ディスカッション
土:遠足
日:オーバーホール

朝は10時開始。レクチャーコースは、午前中まるまる2時間超、一人の哲学者のあるテーマについて一人の大物(ないし有望な中堅)がじっくりと話す。三日間あるからいろんな細部を扱える。いろんな人を呼ぶと幕の内弁当的にカラフルだが、「食い足りない」という現象が往々にして起きるものだが、それを回避できる。

午後は、その人の提示したテーゼについて、あるいは扱われたテクストについてディスカッションする。その際、ポイントは二つある。1)院生を数人程度のグループに分ける。皆で議論というのは効率が悪い。2)各グループに一人、若手研究者(講師、ポスドクレベル)をチューターにつけて、議論の進行役、まとめ役をさせる。議論は往々にして迷走しがちだからだ。

だらだら長くやればいいというものではない。集中してやって、午後は4時で終わり。あとはフリー。院生でサッカーしたりね、イタリアだけに。腰痛めたりとか(笑)。地元のイタリア人も飛び込み参加で、英語のできないイタリア人と、イタリア語のできないアメリカ人の間で、似非英語とインチキ伊語を操って通訳したり。楽しかったな。

しかし、同時に、こんな重量級の議論・濃密なディスカッションが連日立て続けでは、やる方もやられる方も身が持たない。そこで、飛び石にして、間に中堅どころの短い発表ばかりやる日を入れる。こうすることで、中堅も実力を発揮できる場が設けられる。聞くほうも目先が変わって気分転換になる。

こんな濃い一週間の後にはリフレッシュが必要だ。土曜日にはフィレンツェやアッシジなどに出かける。日曜日はゆっくり骨休め。とかいいながら、翌週の予習をしてたけど。

院生にも発表の場が与えられる。この三週間が始まる前日・前々日にPre-Conferenceというのがあり、そこで一人20分程度話すのである。

こういうのが三週間繰り返されるわけだ。大学の枠を超えて、研究者と学生の枠も超えて、ダイナミズムとリラックスの同居した合宿。むろん悪い点は幾らも挙げられるだろうが、私のような何もしていない日本人にそんなことを言う資格も権利もない。

ちなみに、参加費用は教授も院生もすべて自己負担で、報酬なし。自己負担といっても、欧米の場合は大学が負担してくれるわけですが(日本の場合はどうか分かりません)。

*

特に私が注目したいのは、2004年に参加したときのこと。ディスカッションには一グループだけ、ドイツ語オンリーのグループがあった。日本人同様に外国語のできないアメリカ人だが、ヨーロッパ人に混じって、頑張ってドイツ語を話している人もいた。

これを日本のフランス哲学業界でやりたいのである。規模はもちろんもっと小さくなる。期間もずっと短くなる。けれど、コンセプトとしてはこんな感じのことを、日本で、基本的にフランス語ないし英語で、やりたい。

日本人とフランス人(英米系も)の大物若干、中堅・若手数名、院生二十数名くらいで、例えば夏の一週間、軽井沢あたりに合宿する。連日、フランス語ないし英語で哲学的な議論をする環境を作り出す。これが私の構想するCollegium Japanプロジェクトです。

むろんすぐ始めることはできない。十分な下準備が必要である。まずは、本場のコレギウムを日本人の有望な中堅・若手研究者・院生に発表者・チューター・聴講者として「体験」してきていただくプランを考えている。参加にはアメリカないしヨーロッパの教授二名の推薦書が必要です。そういうわけで、興味のある方は、私までご連絡ください。

文句ばかり言っていても始まらない。具体的に変えていくこと、ほんの少しずつでも。

Friday, March 02, 2007

近況

23日、最近韓国で発表してこられたojamoさんに韓国のベルクソニアンを紹介していただく。どうもありがとうございました。

24日、SAB(Société des Amis de Bergson)、要するに国際ベルクソン学会のcorrespondant étrangerになってくれないかとの打診。もちろん喜んでお引き受けする。

27日、ynさんより、ラクー=ラバルト逝去の報受ける。リールで一度一緒にご飯を食べたことがあったっけ。今はただ、ご冥福をお祈りします。


Les vendredis de la philosophie
vendredi 2 mars 2007 La grammaire politique d'Antonio Negri, avec lui-meme
vendredi 16 mars 2007 Philippe Lacoue-Labarthe
となっています。放送後、一週間はネット上で聞けますし、Podcastも可能です。 念のため、リベラシオン紙掲載のナンシーの追悼文も転送しておきます。では失礼します。

もう一本、深く静かに進行中の企画について、あまり良くないメールをいただく。院生を適当に並べてお茶を濁す、だって!?どうすれば志は理解されるのか?粘り強く、粘り強く。

28日、ようやく「呼びかけ」論文校正提出。できるかぎりレベルを上げようと悪戦苦闘。限られた時間の中でやれることはかなりやったと思うが、あまり満足していない。

遅れに遅れて、今日から「ベルクソンの手」改稿に本格的に取り掛かる。しばらく前から技術論関係の本を読んでいるのだが、まだ新しいアイデアを思いつくまでには至っていない。

例のトゥールーズ遠征、なんとヴィデオ撮影されるらしい。カナル・フィロでオンライン化されるかも、という話。乗り気ではないが、許可した。日本の哲学者がフランスでどんな風に戦っているか、日本でも見られるようになる。少しでも〈時代状況の閉塞〉を変えていければと思ってのこと。笑いたい奴は笑え。

語学能力か哲学能力か、などとありもしない不毛な二者択一で自分の怠惰を誤魔化すのは、いい加減やめるべきだ。両方必要に決まってるじゃないか。

Friday, February 23, 2007

近況(ゼミでやるべき三つのこと)

2月17-18日 合宿飛び込み参加。しゃべりまくって疲れる。自分としては一応「恩返し」のつもりなのだが、理解されているかどうか。まあ、「呼びかけ」はなされた。あとは、呼びかけられた人が気づくかどうかだが、こればかりはね。

ちなみに、その場で言ったことだが、ゼミなどでやるべきこと、ゼミの効用は三つある。一つは、発表そのものに関わることで、自分の考えを整理して発表をし、他人のコメントをもらうこと、あるいは他人の発表を聞くことだ。そのとき、ただ漫然と聴かずに、自分だったらどうするか、どこをどう直してあげるとさらにいい発表になるのかを考えながら聴くといい。

二つ目は、先生(方)、他の学生たちのコメントの仕方を観察すること。発表に対してコメントをするというのも一つの重要な技術であり、立派な教育だ。彼らはその発表をどんな風に良くしてあげようとしているのか、に注意しながら聴く。全体の構造をきちんと把握できている的確なコメントは、偉大な指揮者のinterprétationに似て心地よい。うまいinterventionをできる人を観察して「技を盗む」こと。

三つ目は、その盗んだ技を自分自身試してみること、つまり失敗を恐れず積極果敢に質問してみることだ。むろん、質問したいこともないのに質問するのは、百害あって一利なし。奮うべき蛮勇と、単なる野蛮の違いを知るべし。


2月19日 大学紀要論文校正。28日最終締め切りだそうなので、もう少しだけ手を入れるつもり。

2月21日 友人宅で集まって発表三本、そのうち一人が私。「隠喩」論文を二十分程度、レジュメのみ原稿なしで喋った。評判は上々だが、「ベルクソンの隠喩論はデリダの先駆者」という言葉に困ってしまう。それを乗り越えないと凡百の研究と同じになる。なぜならベルクソンにデリダを見てしまうのは、私の凡庸な隠喩理解のしからしめるところだからだ。終わった後は楽しく鍋パーティ。詩の暗誦大会、続けたいな。

したがって、この十日間でやるべきこと。
大・「ベルクソンの手」英語論文バージョンアップ(三月上旬まで)。技術論関係読み直し。
中・身体論進める。
中・「呼びかけ」論文最終直し(28日提出)。
小・「隠喩」論文準備進める。

Wednesday, February 14, 2007

正和ではなく不和を!(中教審新会長選任)

《哲学は誰も救済せず、誰も哲学に救済を求めない。たとえ政治家、法律家、医者、その他あらゆる職能集団が審議会を開く際に、考えること一般の専門家として哲学者を招聘する習慣が、社会的要求に合わせた諸規則によって制度化されているとしても。この招聘が、何らかの思想的成果を挙げるためには、この出会いによって不和(mésentente)の点が特定されなければならない。》(ジャック・ランシエール、『不和あるいは了解なき了解 政治の哲学は可能か』、松葉祥一+大森秀臣+藤江成夫訳、インスクリプト、2005年)

わが国に哲学教授ではなく哲学者はいるのか?哲学科ではなく哲学はあるのか?もっとはっきり響く哲学の声を!

中教審総会 評論家の山崎正和氏を会長に選任
2月7日9時50分配信 毎日新聞

 1日付で任命された第4期中央教育審議会の総会が6日、東京都内のホテルで開かれ、委員の互選により、評論家の山崎正和氏(72)が会長に選任された。中教審は山崎新会長のもと、安倍晋三首相が今国会の成立を目指している学校教育法、地方教育行政法など教育関連3法に関する審議を行う。

 伊吹文明文部科学相は教育関連3法の改正に向け、「国会の都合を申しあげると恐縮だが、できれば2月中か3月早々にまとめていただきたい」とスピード審議を求めた。これを受け、山崎会長は「大臣のみならず内閣からの諮問なので、精力的に間に合うように議論していきたい」とあいさつした。

 各委員のあいさつでは、教育再生会議の教育委員会改革の方向性について、石井正弘・岡山県知事が「(地方が)独自性を発揮できる改革にしてもらいたい」などと批判した。【高山純二】

◇「改正」から制度設計へ=解説

 中央教育審議会の会長が6年ぶりに交代し、評論家の山崎正和氏が就任した。前会長の鳥居泰彦・文科省顧問の3期6年は教育基本法の「改正シフト」とも呼ばれ、与党・自民党の悲願とされた同法改正を受けて役割を終えた。第4期中教審をリードする山崎氏は、同法改正後の具体的な制度設計を担う。

 安倍晋三首相は教育再生を最重要課題に掲げ、今国会で学校教育法など教育関連3法案の成立を目指している。しかし国会優先の強行日程に、文科省からも「改正案の提出はできる。ただし中身は保証できない」との声が漏れる。

 政治主導の教育改革が進む中、山崎新会長と第4期委員はどのような姿勢で臨むのか。1月30日の第3期最後の総会で、委員から「中教審の役割は教育の政治的な中立性を確保することだ」と指摘する声が挙がった。審議の継続性を求める意見も出ている。

 中教審は今、存在意義と位置づけが問われている。文部科学省組織令では中教審の役割として、「文部科学大臣または関係行政機関の長に意見を述べること」と明記されている。

 まず政府や国会審議、教育再生会議と一定の距離を保ち、文科相らと対等の立場に立って、大所高所からの意見が求められる。また、各委員は、教育現場の主役である子どもや保護者、教員の声に耳を傾けてほしい。永田町だけに目を向けて、間違っても「拙速」に加担してはならない。【高山純二】

Tuesday, February 13, 2007

カタカナコトバ(思想書翻訳における)

大したことではないのだが折にふれて思うことというのがあって、その一つに、

「思想系の翻訳書でカタカナ表記をするというのは一体どういうことなのか」

というのがある。話を分かりやすくするために、私の知る限り最も過剰な例を挙げておこう。渡邊二郎氏の手になるハイデッガー『「ヒューマニズム」について』(ちくま学芸文庫、1997年)である。

すぐに言い添えておくが、この「非難」は訳文に関するものではないし、個人攻撃が目的でもない。さらに言っておけば、翻訳能力とは一切関係ない。この例を挙げるのは、ひとえにその過剰さが問題の本質をはっきりと浮き立たせてくれるものであるからに他ならない。
《サルトルは次のように言明している。すなわち、プレシゼマン・ヌー・ソンム・シュール・アン・プラン・ウー・イリヤ・スルマン・デ・ゾンム〔正確ニハ、私タチハ、タダ人間タチノミガイルヨウナ平面ノ上ニイル〕、と(『実存主義ハヒューマニズムデアル』三六頁)。右の命題に代えて、『存在と時間』のほうから思索されるならば、次のように言い述べられねばならないであろう。すなわち、プレシゼマン・ヌー・ソンム・シュール・アン・プラン・ウー・イリヤ・プランシパルマン・レートル〔正確ニハ、私タチハ、原理的ニハ存在ガ与エラレテイルヨウナ平面ノ上ニイル〕、と。》(66頁)

「il y aは、《es gibt》を不正確にしか翻訳していない」という一節がこの後に続く重要な箇所であるが、率直に言って私にはフランス語の部分がカタカナ表記される意味が理解できない。

非フランス語使用者にとって、この部分はアルファベットで記されようが、カタカナで記されようが、同じように目障りである。フランス語使用者にとって、カタカナでフランス語を読むことに肯定的な意味があるとも思えない。したがって、訳文だけを記すか、アルファベット表記するか、のいずれかが望ましいと思われる。

*

以上は文章に関する、しかも極端な例なので、異論はそれほどないと思うが、概念や固有名の場合はどうであろうか?

これはケース・バイ・ケースだろう。例えば、「エンテレケイア」「コナトゥス」「エラン・ヴィタル」ならカタカナ表記でもいい気がするし、「プラトン」「デカルト」「カント」を必ずアルファベット表記せよ、というのもたしかに馬鹿げている。よく知られたものに関しては従来どおりカタカナ表記でよいと思う。

しかし、新造語、のみならず、あまり知られていない固有名(人物名・地名)、従来とは異なる用法で強調して用いられている語などに関しては、それらがアカデミックな文脈において有用であると判断される限りにおいて、訳語とともにカタカナでなくアルファベット表記されるべきであると考える。

これに関しては、折衷的な解決策もありうる。訳語の横にカタカナ表記のルビを振る、という手である。たしかに、翻訳書の種類、読者層によっては、この解決策のほうがより効果的である場合もあろうことは否定しない。

*

なぜこんな些細な問題をつらつら考えるかというと、まずは自分自身の実感から来ている。

私自身、ドイツ語にそれほど習熟していないので、カタカナ表記されたドイツ語の語彙・概念をよりよく知ろうとして辞書を引いても、すぐにその言葉にたどり着けないことがある。そんなとき、「ああ、アルファベットで書いていてくれたら」と思ってしまうのである。

このことを友人に話すと、「そんな奇特な人間はほとんどいないのだから、そんな人のことを考慮に入れて翻訳などしていられない」と言われてしまう。それも分からないではない。原文挿入ならアルファベット、原語挿入ならカタカナルビ、啓蒙書ならそもそも挿入なし、という原則でも良さそうな気もする。

しかしまた、翻訳はアマからプロになろうとする者の熱意を拒むものであってはならないのではないか、とも思う。カタカナ表記とは、アルファベットの異質さを隠蔽する似非民主主義的な折衷主義にすぎないのではないか、とも。

ハイデガーやデリダの文章のように、明らかに原文・原語で読むことを強いる文章というものがある。その場合、カタカナ表記で表層的に「読める」ものにしてしまうことは、本来その哲学が目指しているもの自体を損なっていはしないか。

結局、「学術書の翻訳はいったい誰のためのものか」、あるいは「アカデミックな学術書として翻訳する(あるいはしない)とはどういうことか」ということを考えてしまう。

一般に翻訳は「非専門家」ないし「非学者」のためのものであるが、しかしまた、学者が時間の節約のために翻訳書で済ますということも往々にしてある。学術書の翻訳はまさに学者のためと言えそうだが、しかしまた学術書を(啓蒙書とのグレーゾーンにある著作ならなおさら)いかにアカデミックに訳さないか、平明に砕いて訳すか、なるべくアルファベットを登場させず読者を萎縮・倦怠させないか、ということもまた、一つのポリティクスでありうる。

*

いずれにしても常に立ち戻るべきは、はじめて補助輪なしの自転車に乗れたときの喜び、かな。翻訳は、その喜びに至る手助けでなくてはならないのでしょう。

Friday, February 09, 2007

隠喩の退引(原語挿入、誤訳情報ページ)

締め切りが十日延びたので、思い切って「人格性」論文を解体し、本格的に組み立てなおすことにした。

焦眉の点は、長い序論―25頁中14頁。三回分載計75頁の序論だから、実はこれまでの私の基準からすると、それほど長くはないつもりだったのだが―をどの程度「隠喩」論文にもっていくか。しかしそうすると、逆に、「隠喩」論文の全体が見えないと「手術」にかかれない。

というわけで、以前からちらちら目を通していた隠喩論関係の本をふたたび読み始める。

『現代思想』1987年5月号「特集 メタファーの修辞学、意味の規則」。デリダとデイヴィッドソン、ある意味で二つの極を代表する隠喩論が日本語で読めるのは貴重である。デイヴィッドソンに関しては、畏友ssさんの文献解説もどうぞ。

それにしても、デリダの「隠喩の退-引」の翻訳(前半のみ。後半は翌月号に分載)は問題だ。翻訳の質が問題なのではなく、原語の挿入が甚だしいのである。

フランス現代思想を読んで思想形成を行なったので、私は原語の挿入には相当寛大なつもりだ。その私が言うのだから、かなりのものである。デリダの最終頁とデイヴィッドソンの冒頭を比較してみよう。緑の部分が原語挿入である(下の写真をクリックすると、拡大して読めるはずだ)。



デリダのほうの下段は、訳者付記なので、原語挿入はまだ他の頁より少ないくらいである。たしかに、難解な文を書き、複雑なレトリックを駆使することで有名なデリダのほかならぬレトリック論、隠喩論なので、デリダの「言葉遊び」がひどくなるであろうことは予想がつくし、訳者の苦労もひとかたならぬものがあろうとは思う。

だが、ハイデガーの反響を読み取ろうとして、デリダの原テクストにはないドイツ語を挿入するに至っては明らかにやりすぎであろう。しかも、訳注やルビを用いず原語挿入を選ぶという訳し方について説明するはずの「訳者付記その1」の書き方が、何と言えばいいのか、中途半端に思わせぶりで、いい加減にペダンティックなのである。要するに、ありもしない深みを匂わせようとして、こけている感じなのだ。「訳注」や「ルビ」について思うところがあるのなら、単純明快にそれを論じればいいではないか。
蛇足とは思うが訳者の理解した限りで以下に、議論の展開の跡を追い、あるいは通読に困難を感じられる読者の一助としていただくことで訳者としての務めを果たしたいと考える。(「デイビッドソン・メタファー論への註解」、上掲、68頁)
デイヴィッドソンの訳者・高藤(たかとう)直樹さんのこのような姿勢のほうがよほど「健全」に知的だと思うが、如何?

*

ちなみに、上のデリダの件とは無関係だが、私があれやこれやの翻訳に注文を付けると「大した翻訳力もないくせに」という人がいる。しかし、それはちょっと筋が違うのではないか。

私に翻訳力があるかないかということと、いい翻訳を見分ける力があるかないかということは別である。問題が的確に指摘されているなら、それは批判であって非難ではない。

たしかに一般的に、文句をつけるのは容易い。それは、すでに数年前に「海の広さとerrata」(2000年12月26日の項)で述べたとおりである。また、たしかに誤訳をあげつらうのはいい趣味とは言えない。

が、また同時に、現在の学術出版の苦境に(少なくとも部分的には)由来する《誤訳の放置》という由々しい現状はどうするつもりなのか?

「出版社に誤訳を指摘した手紙を送ればいいんです。再版のときに直すでしょう」。なるほど、しかしそれは、もし再版されればの話である。それまで、読者はどうすればいいのか?出版社や訳者のproduct liabilityはないのか?

せっかく各出版社がHPを持つようになったのだから、それぞれの翻訳出版物に関して、誤訳情報ページを作ればいいのではないか。スレッド&チャート方式で、頁・行・誤訳のポイント(簡潔に)を読者に書き込んでもらうのである。これなら、忙しい編集者の手を煩わせない。もちろん定期的に訳者がチェックし(忙しいというなら、年に一回でもいい)、「たしかにこれは直したほうがいい」という指摘だけを「確定事項」にして、ページに残していく。

こうすれば、出版社としては、自社のPL精神をアピールできる。読者は、いつ来るか分からない再版を待たずとも、小規模の「バージョンアップ」を行なえる。パソコンのソフトであれば、小規模の(限定的)バージョンアップは無料で、大規模な(本格的)グレードアップは有料で、といった考え方が一定程度理解されていると思うのだが。要は、多少の誤訳は「セキュリティ・ホール」と考えて、無償で、早急に、対策を講じる、というスタンスだ。

これまで誤訳というもののあり方についてきちんと考えた人はいるのだろうか?どなたか面白い「誤訳論」をご存知の方はお教えください。

Thursday, February 08, 2007

百年の大計ではないのか(教育再生会議第一次報告)

今日は一日中「人格性」論文の直し。少しでも深く。苦手中の苦手なのだが、適切に深く。締め切りが十日ほど延びた。嬉しいやら、不安やら。

春のベル哲研(第21回)のお知らせ、hmさんどうもありがとう。困った、重なってる。他の人もいろんな情報お待ちしてます。

*

私がゆとり教育の反対者のように見えたとすれば、それは誤解である。「ゆとり教育」は必要な改革過程であったと思っている。ただ、親にも、何よりもまず親にこそ、ゆとりが与えられるべきであり、親が自覚的にゆとりを求めて闘うべきであったと思っているのである。

「ゆとり教育」の“戦犯”(Web現代、2003年10月22日)
論旨が読み取りづらいが、
マニュアル世代が多数を占めるようになってきた官僚・教員たちにこそ小・中学時代に「ゆとり教育」が必要だったのである。

そのとおりである。しかし、付け加えさせてもらおう。 数十年来の「会社至上主義」「仕事人間大量生産」によって、家庭で子供を育てていく力が衰えてはいないか。土日が休みとなると、親たちは子供を塾や習い事に通わせることで安心しようとしてはいないか。家庭が教育を学校に任せすぎるようになったとすれば、それはなぜか。マニュアル世代が多数を占めるようになってきた子どもの親世代にもまた、小・中学時代に「ゆとり教育」が、ただし親や地域共同体自身がゆとりをもって子どもの教育に参加できるような「ゆとり教育」が必要だったのである。たしかに、子どもは教師に教えられて育つものだ。しかしまた、子どもは親の背中を見て育つものでもある。


[教育再生報告] 百年の大計でないのか
『南日本新聞』、2007年1月27日付社説

 政府の教育再生会議が第1次報告を決定した。これを受け、安倍晋三首相は通常国会に教員免許法改正案など関連3法案を提出する方針を示すとともに「教育再生国会にしていきたい」と表明した。
 報告には、ゆとり教育見直しに伴う授業時間数増、教員免許更新制、教育委員会改革などさまざまな処方せんが並ぶ。だが、これまでの教育のどこがどう問題だったのかが見えてこない。
 肝心の現状分析が欠落したまま処方せんを並べても、説得力に欠ける。
「50年先、100年先を見据えた議論もしてまいりたい」(首相)というなら、腰を据えて取り組むべきだ。急ぐ背景には教育再生で政権浮揚のきっかけをつかもうという思惑が見え隠れする。夏の参院選に備える動きととられても仕方あるまい。
 問題はまず、ゆとり教育見直しとして掲げた授業時間数の10%増だ。「すべての子どもに高い学力を」という首相の意向をくんで盛り込まれたに違いない。だが、子どもたちの学力のどこにどんな問題があり、授業時間数という処方せんにたどりついたのか、判然としない。
 ゆとり教育については、文部科学省や中央教育審議会は「趣旨は間違っていないが、手だてに問題があった」として、学習指導要領の見直し作業を積み上げているところだ。どんな学力を目指すのか、十分な論議もないまま、政治の力で横やりを入れるやり方は乱暴すぎる。
 授業時間数を増やすことと学力との相関関係が実証されていないことは、文科省も認めている。それどころか、学力世界一といわれるフィンランドの授業時間数は、日本よりはるかに少ない。
 2003年の公立小中学校授業時間数は、日本の9歳から11歳が年間709時間に対してフィンランドは654時間、12歳から14歳が817時間に対し796時間となっている。
 また、報告は基礎・基本の反復・徹底など指導方法にまで言及しているが、これらは学校が子どもの状況に応じて判断すべき事柄であり、官邸が口を出す問題ではない。
かつての画一教育に戻そうというつもりなのか。
 ゆとり教育見直しなどいったん消えかかったテーマが、報告に次々と復活したのは「先送り、先送りでは首相の指導力が見えないということになる」という官邸の意向だったという。教育は政治の道具でなく、子どもや国民のためにあることを忘れてはならない。

Wednesday, February 07, 2007

近況

とうとう『物質と記憶』の新訳が出た。合田正人さんと松本力さんの訳。『試論』の新訳が出たのが2002年だから五年ぶりになる。どんな仕上がりになっているか楽しみだ。


文庫化されるというのは本当に大切なことだ。

最近の仕事。十二月末に目的論に関する論文を学会誌に投稿した。結果待ち。同じく十二月末、カッシーラー論文の校正現状報告受ける。『ベルクソン年鑑』第三巻は、今年春刊行予定とのこと。「時間がないので校正刷りを送らない」って。。『二源泉』における呼びかけと人格性に関する大学紀要論文の査読結果を受け取る。受諾とのこと。
今後の予定。
1)二月上旬、某ゼミにて博論の『試論』に関する部分の構成について発表させてもらう。昨日終わったが、まだまだ全然駄目だ。
2)二月中旬、大学紀要論文の直し。まだまだレベルアップの必要あり。および、某合宿飛び込み参加で『物質と記憶』について発表させてもらう。
3)二月下旬、「ベルクソンの手」を全面改稿し、英訳する。例の英語雑誌への投稿のため。
4)三月上旬、昨秋の仏文学会で発表した「催眠」論文の提出。
5)三月中旬、今春の仏文学会の要約締め切り。全体のプランだけでもまとめないと。
6)三月下旬、トゥールーズ篇の発表、すでに出来上がっているので、練り直しに取り掛かる。
「研究のストックを総ざらいしたいという気持ちはわかるが、論文のエレガンス(文章美学)にとっては、いかに言わずに我慢するかも重要なポイント」という指摘は、今の私にとって最も重要なもの。単なる書誌情報マニアにならず、散漫なエッセイ風にもならず、といって手堅いだけが売りの論文でもなく。面白い思いつきにとどまらず、それをどこまで具体化し、不要な部分を容赦なく切り捨てていけるか。自分のレベルをどれだけ上げていけるか、「鳴り渡る今この時が重大なのである」。

Tuesday, February 06, 2007

蛍雪(マラルメ斜め読み・2)

博論を書く傍ら、マラルメを読み、ドゥルーズを読む。友人との読書会や知り合いの先生のゼミに顔を出していたらお鉢が回ってきてしまったのである。しかし、これも何かの縁だろう。一人だとまず読まないものを読み、斜め読みしかしてこなかったものを多少詳しく読み直す機会を与えられたのだから、感謝している。

しかし、赤ん坊が泣くと思考が妨げられる。泣いても読める本を読み(柏倉康夫、『マラルメ探し』、青土社、1992年。読みやすい)、暇つぶしにブログを書く。これじゃ以前と変わらない。

*

難解、晦渋、孤高の詩人、特異な言語観、『骰子一擲』において到達した独自の《書物》概念、などのイメージがあるマラルメ。先に読んでもらった「芸術の異端、萬人のための芸術」は、若者の傲慢で実態のない単なる強がりと嗤うこともできる。ロマン主義から派生した高踏派の典型、そう文学史的にくくることもできるかもしれない。

五歳で母を失い、妹とともに外祖父母のもとで育てられたが、十五歳でその妹も失い、父は時を同じくして脳を患って病床についた。三年後、大学入学試験に通ったものの、進学を諦め、公証人事務所の臨時雇いとして働き始める。二十歳のことである。彼には詩があった。詩しかなかったというべきか。

『悪の華』に深く感動し、ボードレールを介してポーの虜となったマラルメにとって、ポーをよりよく理解し訳したい、英語に磨きをかけ、将来英語教師となって、その傍らに文学をやりたい、という気持ちは半端なものではなかった。

登記所管理官を長く務めた祖父の意見も頷けるものである。せっかく得た安定した仕事を捨てて、なぜ不安定な道を好んで選ぶのか。英語教師となるにはマラルメの英語の知識は初歩のものでしかないこと、「リセにおける現代語の授業は、お前が考えるほど魅力のあるものではなく、ごく初歩的なものだ。文法の域を出ず、文学的な意義などありはしない」こと、そのうえ収入も低く、のべつ話していなければならず大変疲れるので、丈夫とはいえないマラルメには向かない、というのが反対理由であった。

だが、マラルメの決意もまた固かった。祖父母の同意を得られないまま、1862年2月、二十歳のマラルメは個人教授について英語の勉強を開始する。

「週に五日、木曜日を除いて一日一時間の授業で、作文、仏文への翻訳、文法、会話を習い、宿題も多かった。公証人事務所での仕事は、もちろんそのまま続けていた。その上で、これらの個人授業も受けたのである。」(柏倉、上掲、78頁)

そして1862年11月、すなわち勉強開始の9ヵ月後、職業からの逃避、恋の逃避行をも兼ねたロンドン行きを決行する。後年、俗に「自叙伝」と呼ばれるヴェルレーヌ宛書簡で、当時を回顧してマラルメは次のように述べる。

「単にポーをもっとよく読もうとして英語を学んだ私は、二十歳のときイギリスへ旅立ちました。主として遁れ去るためでしたが、その一方、この国語を話せるようになって、これを学校で教えて世の片隅で生活し、他の糊口の手段を強いられるのを免れるためでもありました。私は結婚していたので、それは差し迫っていました。」

二十歳のマラルメが1862年9月に発表した「芸術の異端、萬人のための芸術」を読むとき、例えば以上のような状況を頭に入れて読むのと読まないのとでは、意味がぜんぜん違ってくる。

繰り返せば、若者の傲慢で内実の伴わない単なる強がりかもしれない。ロマン主義から派生した高踏派の典型、そう文学史的にくくることも間違いではないだろう。だが同時に、詩しかなかった八方破れの青年にとって、平凡ながらも幸せを手に入れた人々が「ついでに」「ちょっとした(偽善的な)好奇心で」詩集を購入し、気晴らしに詩を口ずさんだり批評家を気取ってくさしたりするのを見るのは憤懣やるかたないことだったに違いない。

現在、私たちはルサンチマンを胸に腐るマラルメも、努力するマラルメすらも、思い浮かべない。志ん生と精進もそうだが、マラルメと努力という言葉ほど一見懸け離れたものはない。そして、それは彼らの栄誉である。

*

言うまでもなく、私は自分の怠惰を弁護しているのである(笑)。

Saturday, February 03, 2007

「偽善的な好奇心…」(マラルメ斜め読み・1)

例えばこんな文章を読むと、どんな感想を持つだろうか。読後感をしばし省察しておいてもらいたい。マラルメ二十歳の詩論である。

《すべて聖なるもの、聖たらんと欲するものは、うちに神秘を含んでいる。宗教は選ばれた者にだけ神秘をあらわす。音楽がその一例を我々に提供する。

…こうした不可欠の性質が、なぜ唯一つの芸術、しかも最も偉大な芸術には拒まれているのかと私はしばしば自問した。それは偽善的な好奇心をもつ人々に対し、何らの神秘も持たず、無信仰な人々に何の恐怖をも抱かせない。何らなすところなく、無知な者、敵対する者の微笑や渋面のもとに晒されている。私は詩のことを言っているのだ。

…ずぶの初心者が土足でずかずかと傑作の中に入り込んでくる。そして、この闖入者たちといえば、覚えたばかりのアルファベットの一頁を、まるで入場券よろしく手にしているのだ!ああ、もの古りし祈祷書の黄金の留め金よ、パピルスの巻物の神聖な形象文字よ!

…ひとは民主主義者となりうる。だが、芸術家は二重人格なのであり、貴族としてとどまらねばならぬ。しかし、我々の眼に映るのは、およそ正反対のことだ。人々は詩人の著作の廉価版をつくって増刷する。しかも、それが詩人の同意と満足を得て行われるのだ。だが、貴方はそれで栄光を得られると信じているのか、夢見る人よ、抒情の人よ。大衆が安売りで貴方の本を買ったとして、彼らはそれを理解するだろうか。

…鳴り渡る今この時が重大なのである。教育は人々のあいだで行われ、さまざまの偉大な教義は普及していくだろう。それは一つの大衆化だが、あくまで富の大衆化ではあっても、芸術のそれではない。

…大衆が教訓譚は読んでも、後生だから、彼らに我々の詩を味わわせてはならない。詩人たちよ、貴方がたはこれまで常に誇り高くあった。そしてこれからもさらに尊大であれ!》(「芸術の異端、萬人のための芸術」)

Tuesday, January 30, 2007

ユースから一歩ずつ階段を上がる(エリート教育の問題・補遺)

たぶん気づかれたと思うが、ブログの装いが幾つか変わった。これには、この数ヶ月来進められているBloggerというブログ運営会社とグーグルの提携強化、それによるブログの性能向上が関係している。

性能強化の一つとして、日本のブログではすでに当たり前のものとなっていたラベリングが可能になった。こうなってくると、四つも五つも別名のブログをもっている意味もないようなものだが(今回のように主題がクロスオーバーすることもしばしばあるし)、当面は各ブログの方針を従来どおり維持していくつもりである。

引き続き他のブログ(profileから入る)もご愛顧のほどを。hf


「エリート教育」の問題について述べたとき、最後にサッカーの関連記事を付していたが、気づかれただろうか。Mundusのことだけではない。私たちは他領域を参照しつつ、教育の問題、制度の問題をもっと具体的に考えていくことができる。

(ちなみに、今期のテレビドイツ語会話では、昨年のサッカーW杯まで技術委員会のトップだった田嶋幸三JFA専務理事、つまり日本サッカー教育界のドンがインタヴューされ、ドイツ語で話していた。

アラビア語会話は会話向きの講師を発掘し、ナビゲーターに落語家を起用して素晴らしい効果をあげている。フランス語会話の製作陣もそろそろ抜本的な改革を真剣に模索しないと、今のままでは駄目だ。

田嶋氏については、宇都宮徹壱氏のいつもながら冴え渡るエッセイ「“総括”で隠されたもの。第5回フットボールカンファレンスより」(2007年1月10日)も参照のこと。そのうえで、私の「スシボンバーの憂鬱」(2004年10月20日)を読んでもらうと、拙いなりに私が何を言いたいのかがわかってもらえるかもしれない。)

梅崎の武器は“NOVA仕込み”の仏語
2007年1月29日(月) 10時56分 デイリースポーツ

 大分からフランス2部リーグのグルノーブルに期限付きで移籍するMF梅崎司(19)が28日、成田空港を出発した。U-20日本代表のエースは、31日の入団会見に備えて、語学学校のNOVAに10日間通学。覚えたてのフランス語を駆使して、チームメートのハートをつかむ。

 フランス入国を前に、梅崎は大分で“駅前留学”を済ませた。先に入団したFW伊藤翔(中京大中京高)から「待ってます」と言われて不安は多少和らいだが「言葉の壁が一番。積極的に話をしていきたい」。通訳をつけない裸一貫での移籍だけに、まずはコミュニケーションを図る作戦だ。

 「海外のビッグクラブでプレーしたい。まずはグルノーブルで結果を出す。日本の魂を見せ、一部に引き上げる」。現在、リーグで20クラブ中8位のチームを押し上げた先には、夢見るスペインでのプレーが見えてくるかもしれない。


将来性が海外挑戦の鍵に 森本、はい上がって活躍

 18歳8カ月、森本のセリエAデビューは衝撃的だった。後半39分から少ない時間でチャンスを生かし、鮮烈な同点ゴール。試合後はイタリア人記者に囲まれ「びっくりした。(頭の中が)真っ白になった」と喜んだ。

 引退した中田英以来となるデビュー戦での得点。だが、日本代表で不動の地位を築いていた中田英とは違い、森本にフル代表歴はなく、10代で海を渡った。カターニアのユースで活躍し、はい上がって欧州屈指の舞台で出場機会をたぐり寄せた。

 マリーノ監督は「彼は伸びている最中。特に体の強さが成長している」と目を細める。プルビレンティ会長も「若くて質が高い。この得点を一生の思い出にしないと」。周囲の目は温かく、森本は純粋に才能と将来性を見込まれている。

 森本が所属するマネジメント事務所のモラーナ氏は「今の日本で中田英のように欧州で十分に活躍できる選手を探すのは難しい。クラブは若い内に体力と戦術両面を鍛える必要を感じている」と話す。ジャパンマネー目当てではなく、戦力に育ちそうな逸材を探すクラブが、日本にも関心を示している。

 かつてオランダでプレーした平山や、このオフにフランスに渡った伊藤や梅崎など、若くして海外に挑戦する例は増えている。こうした傾向が今後も続くかもしれない。(共同)(了) [ 共同通信社 2007年1月29日 17:00 ]


新しい挑戦の道切り開く デビュー戦ゴールの森本

 セリエAに初出場した森本がいきなりゴール。名前の発音が似ているためにサポーターから「マレモート(イタリア語で津波の意味)」と呼ばれる18歳の日本人が、愛称に負けない衝撃的なデビューを飾った。

 主軸FWが出場停止で得たベンチ入りの機会だった。これまでは控えのまま投入されない試合が続いたが、そのたびに「焦りはない。いつでも準備はできている」と話していた森本に、ようやく晴れ舞台が訪れた。

 0-1の後半39分にピッチに立つと、まずは巧みなポストプレーで試合の流れに入った。ユースの試合では活躍を続けているだけに「試合勘は忘れていなかった」と落ち着いていた。

 試合終了間際にゴール前のスペースに忍び込むと、右斜めからのクロスを左足でトラップし、複数の相手DFと交錯しながら右隅へ決めた。「頭が真っ白になった」と驚きと喜びの混ざった表情。チームの仲間にもみくちゃにされながら祝福された。

 これまでセリエAに挑戦した日本人は、フル代表として活躍した実績を引っ提げていた。だが森本は若くして本場へ移り、ユースから一歩ずつ階段を上るという新しい道を切り開いている。マリーノ監督は「無理なく自然に成長している」と、将来が楽しみな日本の若手に目を細めた。(ベルガモ共同)(了) [ 共同通信社 2007年1月29日 9:51 ]


森本がセリエA鮮烈デビュー=日本人最年少出場とゴールをマーク-伊サッカー

 【ロンドン28日時事】サッカーのイタリア1部リーグ(セリエA)で、カターニアのFW森本貴幸は28日、イタリアのベルガモで行われたアタランタ戦で後半39分からセリエA初出場を果たし、同43分に初ゴールを挙げる鮮烈デビューを飾った。18歳8カ月でのセリエAデビューと得点は日本人選手最年少。ゴールは貴重な同点弾となり、カターニアは1-1で引き分けた。

 欧州の主要リーグで、デビュー戦で得点をマークした日本人選手はMF中田英寿(1998年、ペルージャ)、FW大久保嘉人(2005年、マジョルカ)、FW平山相太(05年、ヘラクレス)に続いて4人目。

 森本は88年5月生まれ。Jリーグ時代にも15歳だった04年に、当時J1東京Vでリーグ最年少出場、最年少得点を果たした。昨年7月に期限付き移籍でカターニアに加入した。北京五輪世代の1人としても期待されている。  [ 時事通信 2007年1月29日 9:31 ]

Thursday, January 25, 2007

ベント・プラドJr.逝去


ベント・プラドJr.が亡くなった。私が『ベルクソン読本』の「世界におけるベルクソン研究の動向」で特筆していた人物の一人である。これで日本にお呼びすることが永遠に叶わなくなった。享年69歳。

今年の十二月にはサン・パウロでも『創造的進化』百周年ブラジル版が予定されており、彼が主催者の一人として名を連ねていた(実質的な責任者であった)だけに、さぞ無念であったろう。ようやくフランスでも彼の仕事が認知されつつあったというのに。

せめてもの手向けに、FAPESP(Fundação de Amparo à Pesquisa do Estado de São Paulo サンパウロ州研究支援財団?)の「おくやみ」を生齧りのポルトガル語から翻訳しておく(したがって正確さは保証のかぎりではありません)。

日本でもせめてベルクソン研究の文脈において彼の業績がきちんと導入され吸収・消化されることを祈ってやまない。

*

ベント・プラドJr.逝去、享年69歳

FAPESP通信 哲学者のベント・プラドJr.氏が1月12日金曜日の午前1時ごろ、サンカルロスの病院で亡くなった。享年69歳。ブラジルの哲学界を代表する人物の一人であった氏は、サンカルロス連邦大学(UFSCar)の哲学・科学方法論科で教鞭をとっていた。

UFSCarの発表によると、死因は喉頭がんの悪化による心肺機能停止。埋葬は同日、サンカルロスの墓地にて執り行われた。

UFSCar哲学科長 José Eduardo Marques Baioni 氏は、プラド氏をブラジルにおける哲学研究の構築における主要人物の一人であり、「哲学、文学、芸術の間のきわめて興味深い境界領域を、卓越した手腕をもって探求していた、偉大な著述家」であった、と語っている。

ベント・プラドJr.の哲学への最も偉大な寄与の一つは、フランスの哲学者アンリ・ベルクソンに関する業績である。1965年に諮問を経た彼の博士論文『現前と超越論的領野。ベルクソン哲学における意識と否定性』は、今もこの主題に関する国際的なレフェランスであり続けている[そのとおりである!]。本書は2002年に翻訳され、フランスで出版された。

「ベルクソンをめぐるあらゆる研究は、サルトルやメルロ=ポンティを含む二十世紀のフランス現象学についての研究同様、ベント・プラドの諸研究との対話を続けることを必要とする」とバイオニは語っている。

サンパウロのJaúで生まれた Bento Prado de Almeida Ferraz Júnior は、1961年から1969年までサンパウロ大学で教鞭をとっていたが、軍事独裁政権が倒れ、大統領令によって大学から追放された。同法令によってCaio Prado Júnior、Octavio IanniやFernando Henrique Cardosoなど23人の教員が退職を余儀なくされた。1998年に、USPの名誉教授号を得た。

1970年から1974年まで、プラドは、フランス国立科学研究センター(CNRS)の研究者としてポストドクター職を得た。1977年にUFSCarに入る。

なによりもまず教育者

最近、プラドは、20世紀のフランス現象学とアングロサクソンの分析哲学が共通の根を持ち、繋がりを保ち続けていることを示す研究を展開していた。

「2006年の最後まで彼は授業を続け、大学院の学生を指導し続けていた。2007年度に予定されている哲学科の学部の授業の編成を主に担当するなど、最後までUFSCarに重要な遺産を残した」とバイオニは語る。

「ベント・プラドのおかげで、私は教育的で啓発的な哲学研究というものが存在するという感覚を学びました。したがって彼のおかげで私は、学生と知の間に先生がしゃしゃり出てこない場合に哲学教育というものがあるということを学んだのです[…]。学生自身が「先生」になりえたとき、哲学教育というものは成り立つ。なぜなら、先生とはすべての者に開かれた、無限の研究のサインに他ならないからです。言葉を換えて言えば、ベント・プラド先生のおかげで、私は教え学ぶことに潜む自由の感覚を発見したのです」と、哲学者 Marilena Chauí さんは雑誌『高等研究』(Estudos Avançados)2003年号に発表された論文の中で語っていた。現在USPで教鞭をとる彼女は、かつて1967年にDEA課程に在籍しベント・プラドの指導を受けたのであった。

ベント・プラドはまた、カンピナス州立大学(Unicamp)やサンパウロ州立大学(Unesp)、カトリック司教大学(PUC-SP)などの機関でも研究に従事していた。

ベルクソンの哲学以外に、ベント・プラドJr.氏は、哲学史、認知哲学・言語哲学、心理学・精神分析のエピステモロジーなどの領域で活躍した。代表作には上記の博士論文のほかに、
『幾つかの試論:哲学、文学、精神分析』(Alguns ensaios: Filosofia, literatura e psicanálise),
『誤謬、錯覚、狂気』(Erro, ilusão, loucura)
『精神分析の哲学』(Filosofia da psicanálise)
などがある。

Friday, January 19, 2007

短すぎる夏の輝きよ―阿部良雄墜つ

個人的な面識はなかったが、常々仏文学者、いや端的に学者の典型のような人だと敬意を抱いていた(2000年6月1日の項。MLの気安さも手伝ってとんでもなく若い)。確か彼がノルマルへの留学第一号ではなかったか。今、仏文科の学生はフランスで博論を書くのがかなり当たり前になりつつある。彼以降の先人たちの地道な、継続的な努力のおかげである。

制度を整えていくには、友愛と信頼に支えられた連携作業が必要不可欠である。

私がフランス詩をいくらか暗誦するようになったのは、フランスに行く一年ほど前だったろうか。友人たちが彼の家に招かれ、詩の暗誦大会などをやって楽しんだ、という話を伝え聞いてからであった。

それまでは「詩を暗誦する」などとはなんとなくスノッブで厭だったのだが、その話を聞いて肩の力が抜けた気がした。そうか、そんな風にワイワイやってもいいのか、それなら自分にも出来そうだな、と。

フランス語の練習ももちろん兼ねていた。詩の暗誦は今もやる。言葉はスポーツと同じだ。やればやっただけ上達するし、やらなければ忘れる。プロとしての心構え。これも私が阿部良雄から(一人合点して)受け取った「教え」の一つかもしれない。

Bientôt nous plongerons dans les froides ténèbres ;
Adieu, vive clarté de nos étés trop courts!


<訃報>阿部良雄さん74歳=東京大名誉教授、仏文学者
1月18日0時43分配信 毎日新聞

 阿部良雄さん74歳(あべ・よしお=東京大名誉教授、仏文学者)17日、急性心筋こうそくのため死去。葬儀は25日午前11時、東京都渋谷区西原2の42の1の代々幡斎場。自宅は非公表。喪主は妻文子(ふみこ)さん。ボードレール研究で知られ、著書に「西欧との対話」などがある。95年度に和辻哲郎文化賞を受賞。
最終更新:1月18日0時43分

Thursday, January 18, 2007

哲学と政治

ヤミナ・ベンギギの『移民の記憶』についての告知メールをいただきましたので、pense-bêteのほうをご覧ください。

哲学を政治から切り離そうとする人々はこう主張する。「いったい誰が、数学者に政治を論じるよう求めるだろうか。政治は政治学者に任せておけばよい。哲学者は哲学をすることだけが任務なのである」と。日本のみならずフランスにも多くいるタイプである。

なるほど餅は餅屋であり、床屋政談などに大した意味はない。一市民として政治的な言論を行なうのは結構だが、それはすでにもはや哲学ではない、と。だがしかし、そのような物言いは、哲学という営みと、哲学科で行なわれているアカデミックな活動を我知らず同一視してしまっている。

アカデミズムを徒に敵視する人にも、アカデミズムに頑なに立て籠もろうとする人にも、あまりに個人的ルサンチマンが見えすぎる。問題はそんなところにはないのだ。

《なるほどひとは、哲学に、精神がおこなう快適な商売を見たくなるのも致し方ないのかもしれない。今度はコミュニケーションに倫理を提供することができる社会性、しかも西洋の民主主義的な会話を糧とする不偏不党の社会性だ、というわけである。

しかし、近代哲学に救いがあるとするなら、近代哲学は、古代哲学が都市国家の友ではなかったように、資本主義の友ではないという点を挙げねばなるまい。

そのつどユートピアを携えてこそ、哲学は政治的なものに生成し、おのれの時代に対する批判をこのうえなく激しく遂行する。

なぜなら、哲学が呼び求めるような人種は、芸術同様、純粋だと主張されるような人種ではなく、ある虐げられた、雑種の、劣った、アナーキーな、ノマド的な、どうしようもなくマイナーな人種だからだ。》(ドゥルーズ、『哲学とは何か』)

Tuesday, January 16, 2007

『創造的進化』百周年(英語雑誌投稿募集)

などと言いつつ早速更新である。

***

皆様、今年もよろしくお願い致します。

ベルクソンにご関心がお有りかと思われる方々に一括送信させていただいております。長文メール、あらかじめご寛恕のほどをお願い致します。

ご存知のように本年は『創造的進化』百周年にあたり、11月のコレージュ・ド・フランスにおける大規模なコロックをはじめ、各地で様々なイヴェントが企画されております。

私も若輩者ながら4月にトゥールーズで行われるコロックの主催者に名を連ねさせて頂き、日本の『創造的進化』読解の最前線を担う方々にご協力を仰ぎつつ日本チームでの「遠征」をして参ります。
http://w3.univ-tlse2.fr/philo/article.php3?id_article=100

出版物も例外ではありません。ベルクソン「公認」の名の下に久しく改訳の出なかった英語でも、ようやく『創造的進化』の新訳がアンセル・パーソンのイニシアティヴでWarwick大学から出るようです。

この機会に、英訳者二名が、ウィスコンシン大学出版の"SubStance"という雑誌から『創造的進化』特集号を出すので英語論文を投稿してみないかというお誘いが参りました(下記および添付ファイル参照のこと[添付ファイルはもちろんここには採録されていない])。

この投稿募集を広く告知してよいということなので、こうして皆様にもお知らせする次第です(転送歓迎です)。掲載の保証はもちろん私にもありませんが、チャレンジされてみてはいかがでしょうか?

寡聞にしてこれまでその存在を知りませんでしたが、数号の目次を眺めていると、定期的にフランス現代思想や現代文学、アートなどの特集がある雑誌のようです。
雑誌について:
http://muse.jhu.edu/journals/substance/index.html
雑誌のサイト:
http://www.french-ital.ucsb.edu/substance/category/home/

英・独・仏語で哲学することがますます重要になりつつある昨今――むろん、これは裏を返せば「何故、いかに、日本語で哲学するのか」がますます問われるということでもあります――、こうしたささやかな挑戦を、しかし粘り強く積み重ねていくことも大切なのではないかと思っています。

日本でもさまざまな雑誌で『創造的進化』特集が組まれ、実りある議論が活発に交わされるようになることを心から祈りつつ。

hf

Date:Mon, 15 Jan 2007 00:59:58 +0900
Subject: Bergson's Creative
Evolution CFP

Dear HF,

As you are no doubt aware 2007 is the centenary of Henri Bergson's master-piece Creative Evolution. Please find attached the call for papers for a special issue of SubStance devoted to this text.

The coming year will see a series of events devoted to Creative Evolution at (among others) the University of Warwick, the University of Toulouse Le Mirail, etc. There will also be a new edition of Creative Evolution published by Palgrave Macmillan in 2007, edited by ourselves along with Keith Ansell Pearson.

Please feel free to forward this message to any person who might be interested.

Yours Sincerely,

Michael Kolkman and Michael Vaughan
Department of Philosophy
University of Warwick

Sunday, January 14, 2007

新年

年末から新年にかけて、二つ大きな出来事があった。一つは子供が生まれたことである。これは新鮮な体験で、身をもって(体を張って?)いろいろと考えさせ られる。もう一つはパソコンがクラッシュしたこと。どうやら復活の見込みはないようだ。メアドにしても、書きかけの草稿にしても、パソコンに取り込んで バックアップを取っていなかった録音や写真にしても、もう取り返しはつかない。すでに不便は不便なのだが、これからじわじわと苦労するのだろう。しかし、 これも何かの巡り合わせだろう。もっと精進せよ、という。そういうわけで、当面新しいパソコンではメールもブログもしないことにした。

というわけで、メール返信速度が鈍り、ブログ更新回数が減ることを私の仕事(研究にせよ子育てにせよ)が捗っていることと解して喜んでいただきたい。むろんメールはチェックするし、このブログも更新はするので、たまに見に来ていただけると嬉しい。

「世の中に人の来るこそうるさけれ とはいふもののお前ではなし」

という蜀山の狂歌を玄関に貼り出した内田百閒は並べて

「世の中に人の来るこそうれしけれ とはいふもののお前ではなし(當家あるじ)」

今年もよろしくお願い致します。hf