Thursday, April 23, 2009

アナスの『プラトン』

ただし、アナスの話に戻れば、彼女の言っていることに全面賛成なわけではない。彼女の『一冊でわかるプラトン』を買ったのは、その第4章「愛、セックス、ジェンダー、哲学」を私の結婚論講義で用いるためだったのだが、大筋には合意できても、細かいところが気にかかる。

例えば、『饗宴』の有名なソクラテスとアルキビアデスの話をアナスはこう書いている。

《アルキビアデスはソクラテスに助言者になってもらいたくて、彼を誘い、性的関係にもちこむ決心をする。しかし、屈辱的なことにそれは失敗する。アルキビアデスがそのそぶりを見せ、ソクラテスと同じ一つの外衣を羽織って一夜を過ごすときでさえ、である。ソクラテスはただ、「もしぼくがほんとうにアルキビアデスをよりすぐれた人間にできるのであれば、このほうが単なるセックスよりずっとすばらしい価値があるだろう」とコメントを残すばかりである。》(65頁)

しかし、実際のソクラテスの言葉は、このように積極的な形でセックスと問答法の価値をはかりにかけたりはしていない。その前で立ち止まっている。

「愛するアルキビアデス、僕が本当に君の主張するとおりの男だったら、そうしてもし僕のうちに君を向上させるような何かの力でもあるのだったら、君は実際馬鹿じゃないということになるだろう。

すると、君はきっと君の美貌よりもはるかにすぐれた名状しがたき美を僕のうちに看取しているにちがいない。もし君がそういうものを看取して、僕とそれを共 有しよう、そうして美を美と交換しようとするのなら、君は僕から少なからず余分の利益を得ようと目論んでいるわけだ。それどころか、君は単に見せかけの美を代価として真実の美を得ようと試みる者、したがって実際君は青銅をもって黄金に換えようと企んでいる者だ。

がとにかく、優れた人よ、もっとよく考えてみたまえ。僕には何の価値もないということに君が気がつかないといけないから。」(『饗宴』218d-219a)

ソクラテスは確かに、アナス解釈の前提に当たる部分(もしぼくがほんとうにアルキビアデスをよりすぐれた人間にできるのであれば)を述べている(僕が本当に君の主張するとおりの男だったら、そうしてもし僕のうちに君を向上させるような何かの力でもあるのだったら)。

しかし、アナス解釈の帰結(このほうが単なるセックスよりずっとすばらしい価値があるだろう)に当たる部分で実際にソクラテスが「黄金vs青銅」「真実の美vs見せかけの美」として比較しているのは、「問答法vsセックス」ではなく、「ソクラテスの問答法(君を向上させるような何かの力、君の美貌よりもはるかにすぐれた名状しがたき美)vsアルキビアデスの美」である。

このソクラテスの言葉の中に、ただこの言葉だけに沿って、先に見たアナスのような解釈を見出すのは難しいように思う(むろん、他の対話篇に助けを求めるのなら話は別であるが、それではアルキビアデスのこの逸話を特権視することはできなくなる)。

少ない言葉で、入門者向けに意を尽くすのはとても難しいことだというのは十分理解しているので、批判するつもりは毛頭ないが。

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