Wednesday, April 29, 2009

ローマの女性たち(続き)

最近、新書ばっかり(笑)。

時間がないので、ごく簡単に言えば、「堕落」の原因を問う以前に、ローマ主義者塩野七生は、『ローマ人への20の質問』(既出)で、それは「堕落」ではなく、解放された女性の在り方だったのだ、それがキリスト教道徳によって縛られていくことになるのだ、と説く。例えば、アウグストゥスが成立させた「ユリウス姦通罪法」は、女性たちの逞しい戦略(自分は娼婦だと言い張る)によって実際には骨抜きにされていたのだと見る。

他方で、弓削達『ローマはなぜ滅んだか』(講談社現代新書)で、もう少し陰影に富んだ見方をしている。「堕落」はたしかにあったが、それは当時の男性上位社会の「徒花」であったのだ、と。

いずれにしても、キリスト教側から単純に「堕落したローマ」という見方をしない点で、塩野と弓削は一致している。

そのうえでいえば、塩野の見方はいささか単純すぎる。ローマ女性は、ギリシア女性に比べて、財産権が確立し、経済的自立を達成しており、宴への同席が認められ、家政全般を取り仕切っていたから、ローマ女性の地位は「強く確固としたものでした」というが、それが相対的な自立にすぎなかったこと、「イエ」の存続のための結婚にあっては女性自身が一つの「財産」であったことも強調されるべきだろう。

初代皇帝アウグストゥスの娘ユーリアは、『愛を考える』(既出)では、「結婚後も複数の愛人を持ち、その愛人の一人と皇帝暗殺を企てて流刑になった」と述べられ、「当時のローマは堕落と退廃に満ちていた」ことの代表例とされているが、おそらく弓削の次のような見方のほうがよりニュアンスに富んでいる。

《高い教育を受け、知性と教養にあふれたエリート女性たちは、一握りの支配層の家族に連なり、巨万の富に支えられ、夫たちのように政治や軍事に時間をとられることがなかった[直接関与することができなかった]から、文学を愛し、政治の話に耳を傾け、市井の情報に通じていった。彼女たちが、いつまでも男の言うなりになる女性であり続けることはできなかった。彼女たちは解放され、自立する。

 そのような女性の一人に、アウグストゥス帝がスクリボニアから産んだ娘ユーリアがいた。父皇帝の政治の道具として使われ、初めはマイケナス将軍に嫁ぎ、やがてはリウィア皇后が先夫から生んだ息子、二代目皇帝ティベリウスと結婚させられた。父によって政略結婚はさせられたが、夫に縛られることなく、誠に自由に振舞い、性的にも解放された女性となった。ユーリアの「身持の悪さ」は、男性社会の頂点に立つ父アウグストゥスの逆鱗に触れ、ついに追放された。》

塩野は、さすがのアウグストゥスも姦通を刑法で罰するなどとは非ローマ的で野暮な過ちを犯したというのだが、アウグストゥスが既存の法を強化しただけだということを見れば(弓削、136頁)、彼女のいうローマ的な截然とした公私の別も少なくともこの点には及んでいないようだと考えたほうがいいのだろう。

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