Sunday, April 26, 2009

パウロにおける愛の概念

関西学院大学共同研究「愛の研究」プロジェクト編『愛を考える キリスト教の視点から』(関西学院大学出版会、2007年3月)を読んでいる。

特に、
辻学による第2章「隣人愛とイエス、初期キリスト教」
嶺重淑(みねしげ・きよし)による第3章「愛の讃歌 第一コリント書13章にみるパウロの「愛」の理解」
大宮有博(ともひろ)による第4章「パウロは性と結婚についてどう考えていたか 第一コリント書7:1-7を手がかりに」
中道基夫による第10章「キリスト教式結婚式の変遷と愛による神聖化」
あたりが参考になる。例によって細かいところはいろいろあるが、一つだけ。

第一コリント書13章におけるパウロの「愛」の表現に「矛盾」が見られる、という主張についてである。論者の論点はこうだ。
1)13章8節では、愛のみが滅びることのない永遠のもので、それ以外のものは過ぎ去っていく一時的なものだと強調されている。
2)しかるに、その直後、13章13節では、愛以外にも信仰と希望も「存続する」と言われている。
3)1と2は明らかに矛盾だが、重要なのは、矛盾してまでパウロが何を訴えようとしたかである。それは「信仰、希望、愛は永遠である」というよく知られた(しかしながらパウロの思想にはそぐわない)表現を用いることで、愛の永遠性を信仰や希望とともにまず思い起こさせ、そのうえで愛の偉大性をあらためて印象づけようとすることであった。

この論点に至るまでに、著者は従来の様々な解釈を提示し、一つずつその難点を示して却下していくのだが、その最後のものが我々には最も妥当なものに思われる。すなわち、

《「存続する」という表現が終末論的な意味で用いられていることはもはや否定できないであろう。そこで、7節には「(愛は)すべてを信じ、すべてを望み…」とあることからも、愛は信仰・希望を内包しており、そのためにこのような表現になっていると解することができるかもしれない。》

著者がこの解釈を退ける理由は次のようなものだ。

《しかしそうすると、異なる意味で用いられているとはいえ、2節では信仰に対する愛の優位性が明確に述べられている点が説明できず、またそのような理解では、ここまで強調されてきた、他のあらゆる霊的賜物に対する愛の絶対性自体が否定されることになる。》

そうだろうか。まず、2節における「信仰に対する愛の優位性」は、「存続するか否か」を決める基準になり得るようには思われないし、信仰や希望が愛とともに存続するとしたところで、「他のあらゆる霊的賜物に対する愛の絶対性」が否定されることになるとも思えない。異なる層・相を孕む統一体が存続するというだけの話ではないのか。

何より決定的に思われるのは、著者自ら指摘しているように、

《ここで愛と並列されている信仰と希望は、異言や預言などの他の霊的賜物とは質的に区別されている(…)。(…)これら3つのものがここでは統一体として捉えられていることは、これら3つの主語に対して[「存続する」を意味する]単数の動詞(menei)が用いられていることからも確認できる。》

という事実である。したがって第3章の第3セクションには同意できないのだが、そこに至るまでの二つのセクションはきわめて手際よくまとめられていて感心した。授業でも使わせていただきます。

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