お返事と別の文章に仕立て直す余裕がありません。もちろんお名前は伏せて、私のメールをほぼそのまま使わせていただきます。
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私のほうこそ、もう少しユーモアをもった書き方ができなかったものか反省しております。新天地での生活、エラスムスも含め大量の授業の準備などなど初めてづくしで、まだ四月が始まったばかりなのにもうかなり疲れています。
マシュレと大学論、いずれも私にとっては重要な問題であり、Xさんのような鋭い哲学的な視点をお持ちの方からのご意見はとても貴重でした。
いずれもう少し発展させてご返答に当たる投稿を致しますが(いつになることやら)、ひとまず簡略なお答えを。
マシュレ、やはり地味・穏当、さらには退屈さをすら感じさせるものが核にあるというのはたしかにそうだと思います。一番「ラディカル・斬新・面白い」感じがするのは初期の『ヘーゲルかスピノザか』と『文学生産の理論のために』ですが、ネグリのような獰猛な理論的野蛮さも、バリバールのような流行を敏感に察知し、的確かつ華麗な問題構成にまとめあげる能力もマシュレにはありません。
しかし、何かがあります。ヘーゲルのような(それでいて反ヘーゲル的な)鈍重さ、粘り強さ、文学でいえば、彼がよく引くムージルのような執拗さと退屈さ。それは、たぶん即「つまらない」ということとも違うだろうと思います。彼の「ささやかなことpetits riens」に対するこだわり(目新しさへのある種の無関心・無頓着)の中に答えが見いだせないか、と投稿の続きで示唆しようとしていたのです。
私はマシュレからこの理論と実践の関係への執拗な関心を、「哲学と哲学史は切り離せない」という形で受け取り、さらに「哲学と制度づけるもの(ce qui institue)との関係を問わねばならない」という形で発展させていこうと思っています。大学論はその一部ですし、結婚論も、そうは見えないでしょうが(笑)、そうです。
ソクラテスはまさに対話・論争を通じて鍛え上げられてきた「饗宴のネットワーク」の中にいた人、スピノザを「メール(書簡)や地方研究者ネットワークの中にいた人物」と見ています。哲学と「制度づけるもの」はいつの時代も関係していた。それを社会学とは違う形で考慮に入れることは哲学にとって重要だ、と。
ドゥルーズのようなモンスターの出現も、ノルマルやアグレグという制度の存在抜きには語れないと思っています。彼がヴァンセンヌにいたことも偶然ではないし、XさんがY大にいることもそうです。「大学にいなくても自分は哲学し続けていただろう」、あるいはXさんのおっしゃるように
「大学を通して私が育てられたという事実は忘れるわけにはいきませんが、私にとって、哲学は大切ですが大学はそれほどの重要性をもたないので、この連辞でものを考えることにあまり意味を見い出せません。」
という意識はかなりの哲学者(日本人だけではなく)が共有していると思いますが――独法化に抵抗したか否かにかかわらず、あの時期に日本で著名な哲学者が哲学的に大学を論じなかったことはその兆候ではないでしょうか――、私はもう少し唯物論的です。ですから哲学と大学の関係を現代の哲学者として問うのは、「闘争共同体」追求の果てに学問の本質が大学という場所から逃れ去るとする当のハイデガーに抗して、「歴運的」だとさえ思っています。
哲学と大学を同一視するつもりも等値だとするつもりもありませんが、現代において哲学が大学とそう簡単に手が切れるとか独立しているという意識を持つべきではないと自戒しているのです。
では具体的にどうすべきか。私にとっての暫定的な結論が、拙論の「制度に関する考察の必要性を説く第一部」と「デリダを批判的に読む第二部」という構成になったわけです。
そのうえで、しかし、独法化の時代に苦しいご経験をされ、かつ哲学的に高い見識をお持ちのXさんから見て、我々のささやかな冒険がユーモアをもって「思考を強制する」ところまでいかなかったとすれば、それはとても残念なことであり、私自身今後の課題としていきたいと思います。
私の稚拙な議論に付き合っていただいて本当に感謝しています。あらためてお礼を申し上げます。
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