結婚論は、ヘーゲル、キルケゴール、フーリエと来て、いよいよマルクスである。
が、某出版社のゴリ押しにおされ、準備時間を大幅に削られてしまう(怒・怒・怒)。
哲学史は、新プラトン主義を終え、いよいよ中世哲学へ。今回はアウグスティヌス。アウグスティヌスには結婚論も教育論もあるのだが、今回はオーソドックスな全体像を描きたい。と当初思っていたのだが、山田晶と服部英次郎に惹かれて、「アウグスティヌスと〈女性〉」の話から、愛(カリタス)の理論が中心になってしまった。ドゥンス・スコトゥスを捨てて、アウグスティヌスをもう一回やることにした。
毎回最初に少し復習をやるので、次回は、まずアレントの『アウグスティヌスの愛の概念』を使って復習してから、もう一つの代表作『神の国』の思想を取り上げることにしよう。
1.まず「キリスト教哲学」なる概念について。
Etienne Gilson (1884-1978), Introduction à la philosophie chrétienne (1960), 2e éd. précédé de la présentation de T.-D. Humbrecht o.p., Vrin, 2007.
ジルソンの旧著『中世哲学の精神』(服部英次郎訳)上下巻、筑摩叢書、1974‐1975年の要約という印象である。主張は『存在と本質』以来変わらない。賛同するかどうかはともかく、読ませる文章。
クラウス・リーゼンフーバー『中世思想史』(初版2002年)改訂・増補版、平凡社ライブラリー、2003年。
リーゼンフーバーは無味乾燥。ただびたすら知識のために苦痛をおして読む。
中川純男ほか編『中世哲学を学ぶ人のために』、世界思想社、2005年。
第1部第2章「愛の思想」(松崎一平)、同第3章「キリスト教哲学」(脇宏行)をざっと読んだ。
中川純男「総論:信仰と知の調和」、『哲学の歴史』第3巻(中世)、2008年、19‐33頁。中川氏60歳。
もう少しコンパクトかつソリッドに(深く突っ込んで)まとめられるはず。
山田晶(1922-)「中世における神と人間」、『岩波講座 哲学』第16巻(哲学の歴史I)、1972年。山田氏50歳。哲学史における「中世」には三つの解釈がある、と氏は言う。
1)中世哲学=スコラ哲学(Stöckl, Grabmann, de Wulfらの説)
2)中世哲学=キリスト教哲学(Gilsonの説。中川氏もこれ)
3)中世哲学=「すでにキリスト教以前、イスラエルの宗教思想がギリシア哲学と交渉をもちはじめて以来、新しい原理の元に形成されていった哲学の歴史」(ユダヤ人の思想家ヴォルフソン)
山田氏は何と3を選ぶ。
《この見解は、内容的に「中世哲学」を把握するのに最も適当であると思われる。事実、スコラ哲学を理解するために、単に教父の伝統のみならず、アラビア、ユダヤの哲学者たちの深い影響を看過できないように、教父の哲学そのものが、それに先立つユダヤ人の哲学の伝統を無視しては十分に理解されえない。このように「中世」をイスラエルの宗教思想とギリシア哲学との出会いによって新たに生じた哲学的問題の展開の歴史とみることによって、スコラ哲学と教父哲学とを含むいわゆるキリスト教哲学のみならず、中世にそれに並んで発展するユダヤ教とイスラム教の哲学の伝統も、いわば一つの「中世哲学の相のもとに」理解される道が開かれるであろう。》
リベラは、中世における相互作用は認めるとしても、この「起源」についてどういうだろうか?イスラムの影響にどの程度触れるか、時間の関係上、難しいところである。
2.当時の時代状況およびアウグスティヌスの生涯
ローマ関係の書物はすでに幾つか挙げた。
さらに、青柳正規(あおやぎ・まさのり 1944‐)『ローマ帝国』、岩波ジュニア新書、2004年。
東西ローマ帝国分割統治の地図は使える。
ピーター・ブラウン(1935-)『アウグスティヌス伝』(出村和彦訳)、上下巻、岩波書店、2004年。
アウグスティヌス関連地図としては一番見やすい。
アダルベール・アマン『アウグスティヌス時代の日常生活』(東丸恭子訳)、上下巻、リトン、2001年。
第1部第4章「都市の家庭」は結婚論に有用。
3.アウグスティヌス(ラッセル、シャトレ、熊野、貫、原典はもちろん)
トレルチ(Ernst Troeltsch, 1865-1923)『アウグスティヌス――キリスト教的古代と中世』(西村貞二訳)、新教出版社、1965年(2008年復刊)。
トレルチ、実に久しぶりに買ってみた。岩波文庫を学生時代に買って以来である。が、正直苦痛。
服部英次郎(1905-1986)『アウグスティヌス』、勁草書房、思想学説全書、1980年。
特に第六章「人間と愛」がよかった。「アウグスティヌスの愛の説について語ることは、彼の教え全体にわたることになるかと思う。それほどまでに、愛はアウグスティヌスの思想全体に中心的な地位を占め、それほどまでに、彼の神と人間についての説はすべて愛につながっている」。
エティエンヌ・ジルソン+フィロティウス・ベーナー『アウグスティヌスとトマス・アクィナス』(独語原書1954年、服部英次郎+藤本雄三訳)、みすず書房、1981年。
「キリスト教哲学」に関する膨大な書物から二人の部分だけ抜き出したもの。先の服部さんの「カリタス」記述はごく大雑把な描写で終わっていた。そこにさらに一歩踏み込んでくれている。さすがジルソン。
宮谷宣史(よしちか 1936‐)『アウグスティヌス』(初版1981年)、講談社学術文庫、2004年。
このシリーズの非常な長所である「索引」がないのがとても残念。時間のない私のような読者には苦痛。
中川純男(1948-)「アウグスティヌスとキリスト教神学」、『新岩波講座 哲学』第14巻(哲学の歴史1)、1985年、267‐291頁。中川氏37歳の時の論文。これら御大の間に挟まれるとつらいですね。
山田晶(1922‐2008)『アウグスティヌス講話』、新地書房、1986年。講談社学術文庫版(1995年)は未見。1987年の大仏次郎賞受賞作である本書は、アウグスティヌスの青年時代を放蕩無頼だったとする通説を『告白』の鋭い読解によ り覆し、「子供までもうけて離別した内縁の女性こそ、アウグスティヌスに最も大きな影響を与えた人物」と説く。第一章「アウグスティヌスと女性」は、私の結婚論に使える。
ハンナ・アーレント『アウグスティヌスの愛の概念』(原書1929年 千葉真訳)、みすず書房、2002年。
とても興味深い。
中川純男・松崎一平「アウグスティヌス」、中公『哲学の歴史』、同上、81‐190頁。
共同作業の弊害がむしろ出ているような気がする。伝記的部分と思想概説部分にかなりの重複感がある。
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