来年度は(4月から)、ゼミでルソーを読もうと思っている。17世紀前半のデカルト、後半のライプニッツと来たので、次は18世紀のルソー、という私のゼミ固有の理由で選んだのだが、そう言えば、今年はルソー生誕300年である(ちなみに、ジャンヌ・ダルク生誕600年だ)。
で、まあ、学生たちに政治や社会について考えてもらうことも大事であろうと、『社会契約論』を読むつもりである。
これなら、東さんの『一般意志2.0』と接続することも可能である。私は最近の彼に特段の意見を持たないが、うちの大学の平均的な学生たちは彼の名前を聞いたことすらない。別にそれでもいいようなものだが、まあ、21世紀初頭の日本を生きているのだから、彼の本を少しかじったことがあるというのは、大学で学んだ証しとしての「教養」という意味では、意味があるであろう。だから、彼の本も読ませるつもりである。
そう言えば、次のような見解が書いてあったので、紹介しておこう。
一般意志2.0に漂う素人臭
(一部抜粋)ソフトウェア技術者から見ると、「一般意志2.0」は素人の妄想にしか思えない。
まず、(…)人々が好き勝手な思いで何かを主張しているソーシャル・ネットワークから、それら全てと相反する可能性もある「一般意思」を抜き出そうと言う発想に無理があるだけではない。「一般意思」の ─ 情緒的な記述ではなく ─
数理的な特性が分からない以上、ロボットが計算した「一般意思」が本当に「一般意思」なのかが分からない。
次に、「一般意思」の特性が分かっているとして、コンピューター・ネットワーク無しの、例えば既存選挙制度で「一般意思」が取得できない理由が分からない。膨大な計算量で人手では実現できない可能性はあるが、アルゴリズムが提示されていないとそれも評価できない。
現代思想は専門外だし、興味はもてない。しかし、「一般意志2.0」にはテクノロジーの単語をついばんで、中身を理解しようとしない何かを感じる。具体的な最終目標を設定しないで、データベースを分析するアルゴリズムが開発されると言っているわけで、それは本当に仕様無きコーディングだ。(後略)
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