「大学の時間」が「回り道の時間」であるなら、センター試験のような「お手軽」を標榜しつつ、その実、学生に依然として不毛な受験戦争を継続させつつ、大学教員に恐るべき心理的・身体的負担を強いるという点で何重にもコスト高な制度はやめるべきだろう。
そして、試験は大学ごとの入試だけにするか、あるいはいっそのこと入学試験をなくし、フランスのバカロレアのような高校卒業資格試験にすべきであろう。この場合、バカロレアは「筆記試験」、つまり書いて書いて書きまくる試験であることに注意してほしい。
人生の途上で限られた選択肢に出会うことはない。社会はマークシートでできていない。
たしかにこの場合、採点は教員にとって大きな負担になるだろう。けれど、それは大人が担うべき正当な代価ではないか。どのみち、今のマークシート方式にしても、作成に大きな犠牲が支払われているのだから。
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最近、大学の同僚が奥本大三郎『奥山准教授のトマト大学太平記』(幻戯書房、2011年12月)を貸してくれた。奥本さんと言えば、ファーブル昆虫記の訳者としてしか知らなかったが、その知見が随所に活かされていて、楽しくフランス語の勉強になり、しかも大学教員の悩みがユーモラスに描かれた「内輪話」も知れるので、興味のある方はご一読を。
特に第7章「センターテスト狂騒曲」は、大学教員に押し付けられたセンター試験監督の悲喜こもごもを実にリアルに描写しているので、その辺りの事情を知らない方にはぜひとも読んでいただきたい。
まったく持つべきものは友である。「本人たちは教育界の大問題を論じているつもりだが、時代劇ならお城警固の足軽が二人、焚火にでもあたりながら文句を言っているような具合である」(221頁)。
いいではないか、足軽の気軽さで進んでいくのも。「王様は裸だ」と子どもが叫んだ時、彼はKYだったかもしれないが、たしかに物事の本質を突いていたのだ。
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