Saturday, November 12, 2011

フランス哲学と「科学」の思考~構造主義・数学・医学・エピステモロジー

フランス哲学と「科学」の思考~構造主義・数学・医学・エピステモロジーAdd Star

| 12:40
●開催概要
2011年11月20日(日)14時~17時30分(13時30分開場)
青山学院大学青山キャンパス(渋谷区渋谷4-4-25)総研ビル(14号館)3F・第10会議室
入場無料・事前申し込み不要
主催:青山学院大学フランス文学科
問い合わせ先:青山学院大学フランス文学科合同研究室(tel :03-3409-7914)、
阿部崇研究室(tabe〔アットマーク〕aoyamagakuin.jp)

●開催趣旨
古来、哲学はさまざまな科学と不可分の関係を取り結んできた。数学、物理学、生理学や医学等々、さまざまな科学が哲学とともに、広大な「人文 学」の領域を形成してきたのである。学問の専門化が進行した近現代の思考において、哲学と科学を通底する広大な知の地層を探ることは、すでに困難なことか も知れない。だが、一見失われたかに見える哲学と科学との結びつきをさまざまな「知」の具体的なあり方のうちに見出し、「哲学的な思考」と「科学的な思 考」が互いを支え合うさま、またその片方がもう片方にとっての密やかな原動力となるさまを見ることができはしないか。科学史や、フランスで花開いた「科学 認識論(エピステモロジー)」によってもたらされた知見を中心軸としながら、数学や哲学、医学といった知の領域の背景に垣間見える「科学的思考」のあり方 を検討する。

●参加者(50音順)および発表概要
阿部崇(司会、青山学院大学)
《イントロダクション:哲学の思考と科学の思考》
かつてフーコーがフランス哲学について「意識の哲学」と「概念の哲学」という二つの潮流が存在することを指摘したことは知られているが、とり わけその「概念の哲学」は、フランス科学認識論(エピステモロジー)と密接に関係するものであった。その概念の哲学がフランス哲学の歴史においてどのよう な位置を占めるのか、そしてそれがいかなる思考の可能性を開いてきたのかという点について確認し、「科学の思考」が「哲学の思考」に何を与えうるのか、と いう問題を提起したい。
田中祐理子(京都大学
《「非人間的」な身体の思考:フランス医学理論の変転について》
18世紀末から19世紀末にかけてのフランス医学理論、特に病理学的記述における「人体」の描写に注目して、この時期を通じた医学の科学性の 確立と「人間性」との間に生じた距離(すなわち「客観性」の条件)を探る。ビシャ、ベルナール、パストゥールの三者の言説を取り上げつつ、同時に彼らのテ クストからカンギレムやフーコーが引き出そうとした近代的人体像についても考察したい。
前田晃一(東京大学UTCP共同研究員)
《ミシェル・フーコーの絵画論におけるエピステモロジーの影響》
ミシェル・フーコーは自身にとっての「エピステモロジー」を論争のなかで定義することを迫られ、それは「方法論的」な著作『知の考古学』の執 筆の契機の一つともなる。同時にフーコーは「絵画論」や「文学論」を積極的に執筆することをやめる。カンギレムの影響による「エピステモロジー」の確立と 「フィクション」についての再検討がこの時期に行われる。本発表では、『言葉と物』におけるベラスケス『侍女たち』論から未完に終わった『マネ論』へと至 る「絵画論」の変遷を辿るなかで、フーコーにおける「エピステモロジー」の位置づけについて考察する。
松岡新一郎(国立音楽大学
《数学と構造主義:ブルバキの1950年代》
哲学において構造主義の立場から数学、さらに物理学の基礎付けを行おうという試みは、近年様々な立場から活発な議論がなされているが、その中 心である圏論をめぐっては、1950年代に数学者の集団ブルバキの中でも議論があった。圏論を大きく発展させたグロタンディークをメンバーに抱えながら、 なぜブルバキは圏論をその数学体系に加えることに躊躇したのか。本発表では、この問いを歴史的に振り返りつつ、より広範な構造主義の問題を考えてみたい。
シンポジウムのチラシはこちらからダウンロードできます。

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