<訃報>落語家の立川談志さん死去、75歳
毎日新聞 11月23日(水)15時53分配信
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立川談志さん=名古屋市中村区のミッドランドスクエアで2007年3月16日、鮫島弘樹撮影 |
【談志さんの軌跡】
東京都出身。1952年、16歳で五代目柳家小さんに入門、小よしを名乗った。63年、五代目談志を襲名し真打ちに昇進した。
「伝統を現代に」を掲げ、江戸情緒を大切にしながらも現代的な感性で古典落語を捉え直し、新たな息吹を与え、戦後落語界の風雲児となった。「落語とは人間の業(ごう)の肯定」と唱え、卓越した心理描写で語る「芝浜」や「紺屋高尾」などの人情ばなしを得意ネタとした。
落語への愛着は強く、65年、落語人気を盛り上げようと、「笑点」(日本テレビ系)の前身番組を企画。69年まで「笑点」初代司会者を務めた。
また高座でもテレビなどでも、毒舌で政治や社会を鋭く風刺。言動はしばしば物議を醸した。
タレント議員の活躍に触発され、71年、参院選全国区に立候補して当選。75年12月、三木内閣の沖縄開発庁政務次官に就任したが、飲酒トラブルなどで翌年1月に辞任した。
83年には、真打ち制度をめぐって落語協会と対立し、脱会。落語立川流を創設し、家元を名乗った。志の輔さん、談春さん、志らくさんら人気と実力を兼ね備えた弟子を育てた。
97年に早期の食道がんを公表。09年8月、糖尿病などの治療のため休養した。10年4月に高座復帰したが、ほとんど声が出ない状態が続いた。今年3月 に入ってストレス性胃潰瘍で一時入院。その後も療養を続けていた。10月27日に容体が急変し、約3週間、意識が戻らないまま亡くなった。
落語家の立川談志さん死去…75歳
読売新聞 11月23日(水)16時5分配信
1936年、東京都生まれ。52年に五代目柳家小さんさんに入門。63年に五代目立川談志を襲名して真打ちに昇進した。小ゑんを名乗った二ツ目時代から 頭角を現し、切れ味のある啖呵(たんか)と痛烈な毒舌でファンを増やした。同年代の先代三遊亭円楽さんや古今亭志ん朝さん、先代春風亭柳朝さんとともに 「寄席四天王」と呼ばれて活躍。66年開始の日本テレビ系の演芸番組「笑点」で初代司会者を務め、テレビやラジオ、映画の世界でも売れっ子になった。
71年には参議院全国区に無所属で立候補して当選。自民党に入党し、沖縄開発庁政務次官も務めた。
83年には、弟子の真打ち昇進問題をきっかけに一門とともに落語協会を脱退。「立川流家元」として一派を率い、志の輔さん、談春さんらの人気落語家を育てた。
97年に食道がんを公表。手術して高座に復帰したが、09年8月末に体調不良から休養を発表。10年4月に再度復帰を果たしたものの、今年3月6日、川崎市での一門会での「蜘蛛駕籠(くもかご)」を最後に活動を休止。入退院を繰り返しながら闘病を続けていた。
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