Thursday, May 07, 2009

二人の中期プラトン(藤沢説と池田節)

哲学史の授業のために、プラトンに関する本を幅広く読んでいる。池田晶子『考える人――口伝(オラクル)西洋哲学史』(初版1994年、中公文庫1998年)さえも。

私は池田のような文体、哲学する姿勢が基本的には好きではない(理由は省略)。しかし、中身に関して面白いと思えばいつでも取り入れるという気持ちだけは持っていたいと思う。また、今、自分が教えている場所にあっては、彼女のようなスタイルこそが求められているのではないかという気持ちも常にどこかで持っていたほうがいいのだろう。

例えば、藤沢令夫が『プラトンの哲学』(岩波新書)で描く初期プラトンから中期プラトンへの変化は、おそらくオーソドックスだと思うのだが、あまりにも「まっとう」すぎる(これは文句ではない)。かといって、以下のような池田説にどれほどの思想性があるかというとこれはかなり怪しいが…。しかし何かある気もする。

藤沢説(せつ)の核心は「中期プラトン=ソクラテス的問答法の延長線→イデア論のプラトンへ」
池田節(ぶし)の核心は「中期プラトン=ソクラテス的産婆術との訣別→エクリチュールのプラトンへ」

どちらが正しいのか。あるいはどちらもが正しいとして、どのように両立するのか。



≪若きプラトンが描いたと思われる初期の対話篇『ソクラテスの弁明』や『クリトン』におけるソクラテスという人物は、ふてぶてしくはあるが、しかし毅然とした人物として描かれている。法廷で弁じられる「正義」をめぐる論説、牢獄での老友クリトンとの最期の対話は、その場面設定の劇的(ドラマティック)さによって、若きプラトンにとってソクラテスという人間の生涯とその終幕が、それだけで衝撃だったことを物語っている。プラトンはこの巨大で異様な人物を仰ぎ見、そして決意したのだ。彼の言行を記し遺すべし、と。

ところが、中期の著作群と目されるものを見ると、ソクラテスの立ち居振る舞いが、妙に戯画的になってくる。『ゴルギアス』に見られるように誰の目にも明らかに「食えない」やりとりをしたり、あるいは『饗宴』では偏執的とも言えるほど論理的に語る一方で、美少年を追いかけまわすというユーモラスな対比を見せる。平然と毒杯を仰いだ神々しいソクラテスが、やたら騒がしいソクラテスに変わるように思われるのだ。

描くプラトンの何が変わったのか。いや、こう問うべきだろう。今やはっきりと現れてきたプラトンのプラトンらしさとは何か、と。文章家プラトンは、生涯を通して、認識と創造、論理と詩、つまりは哲学と芸術の間を揺れていた。揺れつつ両者を統合し、あれら美しくも逞しい哲学の文体を自身のものとしえたのだ。

師とは別の道を通って同じ真理を表してみせようという、一弟子の決意表明。プラトンは、ソクラテスの論理に導かれて真理に開眼し、同時に、その「産婆術」の厳密さゆえの限界も見て取った。論理が認識にもたらすものは、論理によってもたらされるもの以外では決してない。しかもそれが、人生と社会に役立つものに限られるならば、私たちの精神の豊穣な側、例えばホメロスの絢爛たる物語に惹かれるこの心は何だ?――プラトンは、いわば師のうわまえをはねた。論理と心中した男の姿を文章で物語ることで、彼が生きた以上にその真理を表現してやろうと決めたのだ。

中期の大作『国家』。思想を軸にした堅固な構成に支えられ、旺盛に論じまくるソクラテスは、もはやソクラテスであってソクラテスではない、あるいはソクラテスでなくてもよい。認識しつつ創作する、書くことが楽しくて仕方がない。≫

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