Monday, May 25, 2009

二人の哲人王(納富プラトンと藤沢プラトン)

プラトン関係は実に多い。

田中美知太郎『ソクラテス』、岩波新書、
藤沢令夫(のりお 1925-2004)『プラトンの哲学』、岩波新書、1998年。
納富信留(のうとみ・のぶる 1965-)『プラトン 哲学者とは何か』、NHK出版、2002年。

先の『ソフィスト』はよかったが、こちらの田中の本は正直いいとは思わなかった(冗長に思えた)。藤沢の書くものはいつも明晰な印象がある。納富さんのはこれまた素晴らしい。

例えば、藤沢も納富さんも、プラトン思想にとって「三十人政権」――ペロポネソス戦争でアテナイが敗北し、民主派と抗争してきた寡頭派が貴族制ポリス・スパルタの勢力をバックに樹立した政権で、クリティアスやカルミデスらプラトンの縁者が主要メンバーであった――が持つ決定的な意味を強調するのだが、この事件をどう描き出すかによって、深みが全然違ってくる。

藤沢さんのはこう。《この「三十人政権」は、スパルタの勢力をバックに独裁権力と化し、戦時中の非行者を処罰する仕事を拡大して、反対派や反対派の疑いのある者を次々と捕えて処刑するという、恐怖政治を現出させた》。

非常にオーソドックスな描き方である。そうではあるが、しかし、これだけのことであれば、なぜプラトンが後に『カルミデス』という掌編を書き、カルミデスやクリティアスを俎上に乗せたのかよく分からなくなる、とおそらく納富さんは考えた。

これに対して納富さんはこう描く。《プラトンは、同時代や後世の多くの人々のように、クリティアスを「悪人」として非難して切り捨てることはできなかった。それは、単に彼が身内であったからではない。クリティアスが政治に臨むにあたって抱いていた基本的な考えの多くを、プラトン自身も共有していたからである。(…)

若き日のプラトンがクリティアスに共鳴したのは、理想と現実の両面における政治への基本姿勢であったと考えられる。とすると、クリティアスが行なった政治の失敗とは何であったのかを問い直すことが、プラトンにとっては決定的な重要性をもったことになる。クリティアスの考えを吟味することは、プラトンにとってある意味で、自己の吟味に他ならなかった。》

藤沢さんの『国家』篇における「哲人王」の描出――「太陽」「線分」「洞窟」の三大比喩の手際の良い紹介――はさすがだが、「哲学と政治」といった場合の「政治」があまりにも薄いのはまさに以上の点に関係していると考えざるを得ない。

しかし納富さんの本にも瑕疵がないではない。「対話」「現実」「生」と題された三部構成のうち、第二部「現実」で『カルミデス』、第三部「生」で『ソクラテスの弁明』を中心的に取り上げるのであれば、結局「哲人王」思想に至るまで――一応『国家』も引用されている――、至ってもなお、プラトンは「父」離れ(乳離れ?)していないことになる。それは彼が最後の節のタイトルを「ある絶対的なものとの出会い」としていることからも明らかだ。

《プラトンは、ソクラテスという絶対の視点から現実を見ることを知ってしまった。それは、哲学から生を見つめることであった。》

「私がこれから書くのは、〈プラトン〉という名の下にさまざまに語られる思想ではなく、プラトンその人、その生である」。それはよい。問題は、納富プラトンがあまりにソクラテスと近すぎることにある。これでは、イデア論もソクラテスという絶対の視点から引き出されることになってしまわないか。この点は、藤沢プラトンが「ソクラテス的基層」と呼ぶものからいかにテイクオフしていくのか――『饗宴』で初めて登場するイデア論をソクラテスがディオティマからの伝え聞きとして語るのは、プラトンがここにためらいがちな自らの思想の第一歩を記しているのだ――を手堅く描いていて説得力がある。

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