浅野忠信のインタヴューから一部抜粋させていただく。テレビと映画の関係は、哲学の世界では、ジャーナリズムとの距離感ということになるのだろう。映画界の世代間のバランスや国際化について語っていることにも注目してほしい。
――10年ほど前からテレビドラマなどに出演しなくなっていますが、なぜでしょうか?
浅野: 最初の頃はテレビにも結構出演していましたが、マネージャーと喧嘩することも多く俳優を辞めたいと思う時期もあったんですよ。それと僕の感覚ですが、テレビはシステムに縛られて撮影している感じがして、撮って放映されて、また撮ってすぐ放映されてというサイクルが自分に合わなかったんですよね。映像という意味では同じですが少し機械的というか。
逆に映画は感情的につくる印象が強かったんですよ。撮影は本当に大変で、徹夜してまた次の日も朝早くて。それでもいい大人が時には喧嘩しながら、同じ目標に向かって頑張る姿がなんだかすごく自分の中で信用できることに思えましたね。僕が若い頃に関わった映画の中には、公開されるか分からない作品も結構あって、それでもみんながむしゃらに撮り続けているのを肌で感じて、この世界だけでやりたいと思うようになりました。
実際に映画中心の活動になると、今度は映画スタッフから「これからもお前は映画だけでやれよ!」と愛情を込めて言ってくれるようになったんです。すごく大切にしてくれるし、そう言われると、いまさら俺がテレビでやってもしょうがないかなと思うんですよね(笑)。
俳優より「映画俳優」と言われたい!!
――では、俳優というより「映画俳優」と言われる方がうれしいのでしょうか。
浅野: はい、ありがたいです。20代の頃から多くのベテラン共演者の方に「浅野君は映画俳優として頑張ってね」と言ってもらってここまで来ました。誰かが映画俳優と呼んでくれることで、映画一筋でやっていけることを示せていると思います。
――映画監督も若い人が増え、助監督経験を踏まずにいきなり監督ができる環境にもなっています。ひと昔前とは大きく変わっている現状をどう思いますか?
浅野: それは全然ありだと思います。ただ、若い監督は、映画しかない時代からやっている人たちの経験や知識を機会があるなら学ぶべきだと思います。今の技術しか知らずに映画を撮るのはもったいないと思います。
もちろん、その逆も言えます。ベテランの映画人も新しい技術や映像を学ぶべきだと思います。自分の世界に固執せずに映画の持つ自由さを受け入れるべきで す。お互いがリスペクトし合って相乗効果を生む必要があると思います。僕も俳優として壁を作らずに、若い人たちの野心的な撮影の仲間に入れもらいたいし、 ベテラン監督の持つ手法もきちんと教えてもらいたいです。
それと、海外とも手を組んでどんどん映画を作るべきだと思います。特にアジアは距離も近いので、もっと仲良く映画を撮ってほしい。どうしても日本は閉鎖的な部分があり、海外の人と話をすると、そこを指摘されるのでまず閉鎖的なところを取っ払うのがいいと思いますね。
多少、騙されることや変だなと思うことがあっても、それは最初だけですから、慣れて相手を理解すれば、解消されていくと思います。違和感はあるかもしれ ないですけれど、それならなおさら早いうちに解消したほうがいい。世界中の人と一緒に作品を作れるのが映画の良さだと思うので。
(写真/菊池 友理、文/永田 哲也=日経トレンディネット)
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