ラファエロの有名な「アテナイの学堂」。今道大先生は1502年完成とされているが(『アリストテレス』、講談社学術文庫)、1509-10年が正しいようである。「美の巨人たち」は、この絵が、数十メートルしか離れていないシスティーナ礼拝堂で同時に進行中だったミケランジェロに対する讃嘆の念から、ある重要な変更を加えたことを指摘していて興味深かった。番組HPにはこうある。
「ラファエロの受けた衝撃の強さを知るヒントが、この下絵の中に隠されています。当初ラファエロは、中央階段部分を広く開ける構図を考えていました。 しかし実際の作品はこうなります。
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しかし、素朴な疑問が生じる。ラファエロがそんなにミケランジェロに入れあげたのなら、なぜプラトン=ダヴィンチに匹敵するアリストテレスの位置を与えなかったのか。Wikiを見ても、アリストテレスのモデルについて説明がない。
こちらのブログに書いてあったことが説得力がある気がする。つまり、
「その右隣がアリストテレスです。最初そのモデルはミケランジェロだったらしいですが、ダ・ヴィンチと並ぶのが嫌だった彼がラファエロにクレームをつけたそうです。それで、ラファエロは急遽、画面手前にミケランジェロをモデルとしたヘラクレイトスを加えたそうです。」
なるほど、それで、ミケランジェロはskoteinos(闇の=晦渋な=気難しい)として知られるヘラクレイトスに…。からかいつつも、その重要性はしっかり認め、違った形で中心的な場所を与える。ラファエロのようなしなやかな知性に見習いたいものです。
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