Monday, March 05, 2012

ロマンとしての無機性、テクノとしてのフランス現代思想


私より一世代前以上の現代思想研究者には「非人間主義」を標榜する方が多い。

しかし、フランス現代思想の受容は変わっていく。変わっていかねばならない。もちろんルノー、フェリーのような非人間主義から人間主義への揺り戻し、反動などはどうでもよい些末な動きである。

だが、あの運動がロマンとしての無機性であったということに自覚的であるべきだろう。

私はずっとこう言い続けている。フランス現代思想はヘーゲルでもマルクスでもなく、マルクスに揶揄された過剰な実験精神のヘーゲル左派であったのではないのか、と。あるいは、カント以後のドイツ観念論だったのではないか、と。

その過剰さが悪かった、失敗だった、と言っているのではない。それはテクノが悪かったわけでないのと同じである。必要な実験だった。実に興味深い成果を挙げ、計り知れない影響を与えた。

ただ、YMOが変わり続けていることに注意を喚起したいだけなのだ。もちろん、無機から有機へという単純な話ではない。

変わらないもの、変わるべきもの。

反時代的であること、変わり続けること。アクチュアルを追うのではなく、それとはずれたもう一つの現在を生きること。


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