公務員や教員、労組などを標的にした無理難題の非難が、ポピュリズムの最も容易な人気獲得の手法となって久しい。なるほど、それらの改革には一理ある。
(国家公務員を大幅に減らすのだという。仕事量を見ずに一律に数を減らす?その結果、非正規雇用を大幅に増やすつもりなのだろう、「若年雇用の推進」という美名のもとに。)
だが、もっと根本的な改革から目を背けてはいないか。日本国民はいい加減に気づくべきだろう。最も恐るべき敵は自分たちの内にいる、と。
日本企業が栄え、だから、何なのだ?そして、どうなる?
企業が儲からなければ、社員も稼げない。そのような見え透いた恫喝に屈し続けた結果、日本人が得たものは何なのか?過労死、有給すら気をつかってとれない社会。
社会の時間を会社の時間や国家の時間を元に考え続けることの問題に気づかねばならない。
むしろ大学の時間、余暇の、脱線の、逸脱の時間を元に、社会の時間を考え直さねばならない。
学生に勉強することを求める。それは、しかし、学生に「即戦力」を求める企業の《直線の論理》――グローバリゼーションの中、フレキシビリティを拡大する企業は、一見「しなやか」に《曲線の論理》を追求し始めたように見えるかもしれないが、しかしそれはうわべだけのことである――に対して、安易に盲従することであってはならない。たとえ学生たち自身が声高にそれを、それのみを求めてきたとしても。
それはカミカゼ精神の第一歩なのだ、と。君死にたもうことなかれ、と。
地上に楽園はない。それはたしかにそのとおりだが、かといって、わざわざ自分の手で加速度的に地獄にしていく必要もない。
有給休暇日数の首位は仏など、取得最少は日本 国別調査
CNN.co.jp 3月17日(土)16時3分配信
(CNN) オンライン旅行サイト大手のエクスペディアは17日までに、世界20カ国を対象にした年間に取得する有給休暇日数の調査を行い、フランス、スペイン、デンマーク、ブラジルの4カ国が30日間で首位だったと報告した。これら4カ国では休暇日数を全て使い切ってもいた。調査は20カ国の会社従業員ら7083人が対象。
調査によると、ドイツも30日間与えられているが、消化日数は28日間。イタリアは28日間で、21日間を利用。未消化の日数の7日間は調査対象国で最多 だった。英国、スウェーデン、オランダ、ノルウェー、インドは25日間取得でき、英国とスウェーデンが全日数を消化。オランダは23日間、ノルウェーは 21日間、インドは20日間を使っていた。
インドのエクスペディア法人の責任者は、同国では休暇取得にやましさがつきまとうとの独自の風土を指摘。休暇を得たインド人の最大で54%が「休んでいる時でもこっそりと電子メールをチェックしている」と説明している。
消化した休暇日数が最少だったのは日本で、11日間のうち5日間だけ休んでいた。韓国は10日間のうち7日を利用していた。
米国は14日間で、12日間を取得していた。20カ国の平均数字は、24日間で利用日数は20日間だった。
スイスでは最近、年間の有給休暇を2週間拡大する法案の是非を問う国民投票が行われ、66.5%が反対していた。休暇拡大は労働コストを増やし経済の弱体化につながるとの政府や財界の主張を支持した格好となっていた。
“正社員”エサに残業100時間 「マジで無理…」と首つり
産経新聞 3月18日(日)18時22分配信
【過労死の国・日本 若者に迫る危機】
「本人には悪いが、息子は就職戦線での“負け組”でした」。長男を「過労自殺」で亡くした父親は、そう言葉を絞りだした。
平成20(2008)年8月2日朝、村井義郎(65)=仮名=は兵庫県尼崎市の自宅で長男、智志=当時(27)、仮名=の変わり果てた姿を見つけた。スーツのズボンに白い肌着という出勤時に着る服装のまま、首をつっていたという。
智志は、死のわずか4カ月前に「正社員」になったばかりだった。それまでの5年間を、アルバイトなどの非正規労働者として働きながら就職活動に費やしていたのだ。
智志が大学を卒業したのは、就職氷河期まっただ中の15年3月。前年10月時点での就職内定率は、64・1%だった。いまや24年3月の卒業予定者で 59・9%というさらに厳しい時代を迎えているが、当時でも智志は3年生から応募を始め、書類選考だけで落とされ続けたという。
ようやく面接にこぎつけた会社からは、容姿をけなされる“圧迫面接”を受け、自信を失ったこともあったが、希望は捨てなかった。義郎を安心させたいとい う思いが強かったのだろう。回り道の末に採用が決まったとき、智志は「やっと正社員になれたよ」と笑顔で報告している。
◆求人時は「朝7時15分~午後4時15分」
就職先は大手飲料メーカーの孫請けで、自動販売機に清涼飲料水を補充する会社。コンピューター関係の仕事に就きたいという夢を持ち、資格取得に向け勉強もしていた智志にとって、求人広告にあった午前7時15分~午後4時15分という勤務時間は魅力だった。
だが、実態は違った。朝は6時台に出社し、清涼飲料水を運ぶトラックの洗車を済ませておかねばならない。トラックで自販機を回り、商品補充を終えて夕方帰社しても、翌日分の積み込み作業とルート確認、在庫管理などに追われ、帰宅は深夜になった。
補充自体も過酷な肉体労働だ。1日のノルマに加え、自販機の故障や客からの苦情があれば、急行しなければならない。「倒れそうです」。自殺1週間前の7月26日の日報にはこう記したが、智志だけでなくほかの従業員も「まじで無理!!」とつづっていた。
「耐えられないなら、辞めてもいいよ」。姉の寛子(34)=仮名=は何度もいたわったが、智志の答えはいつも同じだった。
「せっかく正社員になれたんやから、もう少し頑張ってみるよ」
◆実際は「元請けの契約社員
智志の死後、義郎と寛子は会社を訪ねて遺品を受け取った。そのとき、机の引き出しから見つかったある書類に、2人は目を疑った。智志が正社員ではなく、元請けの契約社員であると明記してあったのだ。
書類の日付は7月11日。自殺の約3週間前だ。これ以降、日々の出費や雑記がこまめに記されていた手帳は、ほぼ空白になっている。「正社員だと信じて疑わずに就職したのに、本人は相当なショックを受けたに違いない」。義郎はわがことのように悔しがる。
智志の過労自殺は22年6月、直前1カ月間の時間外労働(残業)が100時間を超えていたなどとして労災が認定され、義郎は会社を相手に民事訴訟を起こした。智志が本当に正社員でなかったのかは、まだはっきりしないが、義郎は少なくともこう確信している。
「会社は正社員という餌をちらつかせて、アリ地獄のように待ち構えていた。健康でまじめに働く息子はいい獲物だったはずだ」
夢を持ちながら頑張り抜いた智志を、義郎は就職戦線の負け組とは口にしても、人生の負け犬だとは、決して思ってはいない。(敬称略)
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