Wednesday, March 28, 2012

ラジオの未来

Affirmations péremptoires sur le futur de la radio (mauvaise foi incluse) Suite à la journée de la radio à l'ENS Lyon, qui a eu lieu jeudi, quelques reprises de notes sur le futur de la radio. Où il est question de mobilité, de relief et de quadrature du cercle.


少し前にも言ったが、ラジオが好きだった。好きで聴いていたというより、よく流れていた。

小学生のころ聴いていたSFラジオドラマも、落語や講談や浪曲も『小沢昭一的心』も、中高生のころ聴いていたさまざまな音楽番組も野球中継も、ラジオだった。

ラジオの時代が過ぎ、今やテレビの時代も終わりつつあるかもしれないが、ネットや携帯などで依然として「視覚中心」的な時代が続くなか、ラジオは案外大切かもしれないと思う。もちろん、ネットも聴覚的な使い方をしている人もいるので(作業用BGM作ってる人もいるしね)、対立するものではないのだろう。

いずれにしても、「ラジオ的」な在り方の中では、いくつもの違う時間の流れが強調されるというか、より「スロー」になるというか。ラジオ、この反時代的なもの。

「スロー」と鍵括弧を付したのは、「持続とは遅れである」とベルクソンが言うとき、「遅さ」は必ずしも量的・等質的・計測的なものを意味せず、むしろ重要なのは質的・異質的・リズム的な「ずれ」を意味しているからだ。

ユーストリームとかニコニコ動画とかは興味ないけど、いつかラジオ番組はやってみたいかも。



大学院生の頃、大学から1分くらいのところに下宿があり、お昼ご飯を食べに帰り、『ラジオ名人寄席』の再放送を聴き、語学講座を聴くというのが日課だった――「残しておきたい江戸情緒、下座のお囃子、寄席幟(のぼり)。『ラジオ名人寄席』、席亭の玉置宏でございます。この『ラジオ名人寄席』には、嘗て一世を風靡致した、東西演芸界の「名人」「上手」「人気者」が、お得意の出し物で御機嫌を伺います」(という感じだったと思う)。

権利関係は大切、というのは分からないではない。だが、追いつめた人物がいたというのが事実だとして(Wiki参照)、実に無粋、野暮である。


名司会者・玉置宏を精神的に追い詰めた事件

2010年02月15日 11時30分 [芸能] 2010年02月バックナンバー
「一週間のご無沙汰です」の名フレーズで有名だった名司会者・玉置宏が亡くなってしまったが、芸能界ではその早い死を惜しむ声が多い。

晩年見る影もなくやつれていたが、芸能史の生き字引と呼ばれたその知識を、データとして記録すべきであったという意見も出ている。演芸研究家である知識を 活かし、「横浜にぎわい座」で観客に名調子を聞かせていたが、晩年にはその言葉も時折、呂律が回らなくなることもあった。
稀代の名司会者をここまで追い詰めたのは、とある事件がきっかけである。2008年03月にラジオNHK第1放送の番組『ラジオ名人寄席』で発生した「落語音源無断使用事件」である。
この番組は、落語史に造詣の深い玉置宏が秘蔵する古い落語名人のテープが披露されるのが目玉であり、マニアックなセレクトが巷の好事家を楽しませていた。 だが、2008年2月10日に放送された先代の林家正蔵の音源が、87年にTBSラジオで放送されたものであることが判明。NHKがTBSに謝罪し、著作 権料を支払った。だが、このような無断使用は、番組が放送されていた12年間において、NHK以外のメディア7社からも91演目にも上り、1千万を超える 著作権料が未払いであることがわかり、玉置宏は番組を降板、『ラジオ名人寄席』も打ち切られた。

その後、玉置宏はみるみる痩せ衰え、周囲から心配されていた。この事件の際、玉置宏に対して、日本芸能実演家団体協議会理事職から辞任するように追い込み、玉置のライフワークともいわれた番組 『昭和歌謡大全集』も降板させるなど、彼を必要以上に精神的に責め立てた人物の存在が囁かれ、一部のメディアでも、やり過ぎではなかったのかと非難されて いる。
ミスは誰にでもあることである。芸能界を支えた功労者に対して、ここまで追い込む必要があったのだろうか。

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