院生の頃も含め、学生時代は本当によく古本屋に通った。京都にいた頃も、東京にいた頃も、暇さえあれば古本屋に通っていた。
いつ買ったのか、珍品の一つに、イッセー尾形が『中原中也全詩歌集(上)』(講談社文芸文庫、1991年)から20ほどの詩を朗読している『バーチャル朗読館』なるCDがある(スコラ、1994年)。
いろいろ時代を感じさせる効果音が入っているが、まあ面白い。
日本には朗読CDが圧倒的に少ないので(中也は多いほうだが)、もっと出してもらいたい。特に哲学書の朗読。
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イッセー尾形は福岡出身なのだが、「山口気質」の持ち主なのだろうか。
以下は中原中也生誕百周年の2007年に山口で行われた「中原中也のつくり方」の時の模様をイッセー尾形さんが報告したブログの一部抜粋。
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この、今風なおしゃれを嫌う気質は、老若男女五十人ほどのワークショップの参加者にも満ちあふれていた。
「何が祭りだ、商店街にちょうちんぶらさげてるだけだろうが」「蛍見に行ったって、子供が浮かれて尻出して走り回って、何を見に行ったんだか」
「おれ、東京で思ったんだよ。カエルの鳴くとこに家建てようって。そしたら『そうだそうだ』って落ち着いたんだ、気持ちがよぉー」
山口気質としか思えない反骨な言葉の数々が出てきた。芝居のけいこには、演劇とは縁の無い方々の参加が多い。山口の参加者も医療や製造などの本業を、ちょっと休んだり抜けたりして来ているという。
四、五日のけいこで舞台に立ってもらうだけでも大変なのに、今年は「中原中也にまつわる組み立て」にしなければならない。だが案ずるより産むがやすしだった。
成功しても生活の糧にならない「詩の世界」を目指した中也を、金銭的にも精神的にも支えた肉親や縁者。陽の目を見ないだろう気概、無欲の援助。山口気質の土壌はこれなのだろうと思わせる人物を、参加者たちが形作った。舞台は、平凡につましく生きるから見えてくる、変人中也の話となった。
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