Saturday, December 31, 2005

優しいFWは生き残れない(哲学においても)

今日、リズム論文の仏訳を終えた。明日はオーバーホールすることにして、新たに動き出すのは新年からにする。新年早々の目標は二つ。1)一月上旬に指導教官と会う予定なので、その際に約束の博論序論の一部を渡すこと。2)二月のAix遠征に向けて準備を始めること。

ところで前回のようなことをしょっちゅう書いていると、私は傲慢で叩かれたことがないかのように思われるかもしれない。しかし、かなり厳しい目にあっていることも事実である。未だに「こんな程度のフランス語のレベルじゃ出版できる状態じゃないね」と厳しいフランス人の友人に言われたりすると、かなりめげる。そりゃお前はいいよな、と思う。正直腹も立つ。けれど、こればかりは仕方がない。相手の土俵で、相手の流儀で戦っているのだ。手加減してもらって、勝ったことにしてもらって、最後に「よく頑張ったね」などと言われたいためにフランスに来ているわけではない以上、言い訳はできない。



友人の間では周知のことだが、私がスポーツネタを話題にする場合には、ほぼ必ずや学問研究の比喩としてである。したがって、以下に書くことは直接サッカーに関することではない。サッカーファンの方々に無駄な時間を使っていただきたくないので、あらかじめお断りしておく。



私は「スポーツナビ」の欧州各地のサッカーコラムの愛読者である。これらの記事はすべてフリーランスのライターによって書かれており、もちろん新聞記者の書くものより断然面白い。書くときの緊張感が違うし(彼らは面白いものを書かなければそれまでなのだ)、欧州についての文化的理解の深さも違えば、そもそも欧州サッカーという以前に、サッカーについての理解の深さが違う。

ホンマヨシカさんの「セリエA・未来派宣言」も私が愛読しているコラムの一つである。今日は、2005年12月28日付の記事「優しいFWは生き残れない」を読んで印象に残ったので、ご一読をお勧めしておく。ここではとりわけ印象に残った部分だけを引用させていただく。

いつものようにほほ笑みを浮かべながら質問に答えていた柳沢からは、試合に出場できない悔しさは伝わってこなかった。インタビューが終わった後、日本人ジャーナリストの輪の中に知り合いのジャーナリストを見つけたので、「柳沢から悔しさが感じられないね」と聞くと、「いや、やはりインタビューをしたくなかったようで、そのまま立ち止まらずに行こうとしましたよ」とのことだった。だがそれでも僕が「でも、悔しさが全然感じられないよ」と続けると、面識のないジャーナリストの1人が、「悔しくても、彼はそれを外に出さないタイプだから」と答えてその場を去った。僕にしても柳沢が悔しい思いをしているだろうと重々承知しているのだが、問題は彼がその悔しさを外に表わさない(表わせない)ことだ。 インタビューを受けたくなかったのなら、待ち受けている日本人記者たちには失礼だが、無視して通り過ぎるか、「何も言うことがありません」と立ち去るぐらいの悔しさを表わす行動を見せてほしかった。

この一文を読んで感じることは二つ。

1)一つは「悔しくても、彼はそれを外に出さないタイプだから」と答えてその場を去ったジャーナリスト氏は、質問の真意をなんら理解していない、典型的な日本人ジャーナリストである可能性があるということ。欧州に何年住んでいても、いつまで経っても悪い意味で日本人のままという人がいる。柳沢が周囲に嫌な気分を味わわせまいと悔しい思いをじっと押し殺しているだろうことは百も承知のうえで、彼がイタリアで活躍するために必要な感情表現上の工夫とは何なのかを問うているのだ。日本人が日本人スタイルで仕事をしていて受け入れられる土壌(たとえば寿司屋などの日本料理店ないし海外進出した日本の大企業)で仕事をしている人はよい。また、自分のスタイルや信条を投げ打ってまで成功などしたくないという人も勝手にすればよい。だが、そうでない場合には、時には自分の性格も信条も投げ打ってでも、相手の要求に応えてみせる用意が必要だ。「自分のスタイル」を云々するのはその後でいい。ちなみに、ホンマさんは

今年の初めだったか、スペインリーグのコラムを書いておられる木村氏が、大久保の日本人には珍しいアグレッシブな姿勢を評価されていたのを読み、セリエAでもそれくらいの姿勢(特にFWというポジションでやっていくには)が必要だと、僕は至極納得した。

とも書いておられ、木村さんの当該記事ではないが、大久保に関するKosuke Itoさんの記事(や別の記事の抜粋)を賛意とともに引用させていただいた私としては、意を強くした次第である。

2)二つ目は、この点(悔しさをストレートに表に出すこと)をそのまま哲学研究に応用することは、もちろん(笑)、できないということ。哲学というのは、悪く言えば、鼻持ちならないお高くとまった分野である。日本はいざ知らず、とりわけ欧州では、未だに良家の子女が「修身」として学ぶ学問である。実際、私の知り合いにも、貴族の末裔のような人々がいくらでもいる。この点、私たち哲学研究者の要求される技術は、サッカーにおける上記のような闘争心むき出しのガッツの見せ方とは、100%逆でなければならない。つまり、インテリジェンスとユーモアを兼ね備え、スマートでエレガントでなければならない。

(むろん、両者の差異を相対化することは幾らでもできるが、本質的な差異が残ることに変わりはない。)

このことはサッカーを低く見ることも、哲学を高く見ることも意味していない。哲学に対して皮肉を込めて言っているのでもない。フィギュアスケートやシンクロナイズドスイミングにおいて、何よりもまず優美さが要求されるからといって、彼らにガッツが求められないわけでないのと同じである。ただ、ガッツをまったく別の形で表現しなければ、そのガッツ自体が無意味になってしまう領域・分野というものが存在するのである。

ただ、哲学研究とフィギュアやシンクロの違い、そして哲学とサッカーの共通点の一つは、それが多民族間の「チームスポーツ」だということである。この点はきわめて重要なので、項を改めて書くことにして、ここで言いたかったことを最後に一言でまとめておくとこうなるだろうか。

私たちは競技場に「心優しいFW」を見に来ているのではない。「点取り屋」を見に来ているのである。哲学においても事は同じである。

Thursday, December 29, 2005

自己点検(仏語添削について)

以前、自分のblog(もちろんblog一般ではまったくない)に対するとるべき態度と、とるべきでない態度して、こういうことを書いたことがある。

しかし、誰のためのblogなのか、何のためのblogなのか、ということをさらに考えた場合、結局のところ、上に挙げた二つの態度は必ずしも両立しえないものではないのかもしれない、という思いを強めている。自分の活動状況についてより詳しく書くことは、私が思っていた以上に、他人の役にも立つものなのかもしれない。したがって日々の活動報告のようなものを少し増やしていこうと思う。



昨日、身体論文の仏訳およびレジュメを終えた(いずれ正式に公刊されることになったら、要約も公開しよう)。とりかかったのが21日だったから、6日で終えたことになる。この間、二度フランス人の友人にチェックしてもらい、議論している。こういう慌しい時期に快くチェックを引き受けてくれたlpに感謝したい。昨日は、論文抜きで、ご飯(pissaladière, tarte à l'oignon du Sud de la France)をご馳走になったので、そのことにも感謝したい(笑)。

今日からリズム論文の仏訳に取り掛かる。こちらはすでに以前始めていたので、できれば年末までに終えたい。そして別の友人edに送る。

仏文の添削というのは――断るまでもないと思うが、以下は私の体験に基づく主観的な体験談ないし内省の結果であって、必ずしも一般性・普遍性をもつものではない――、よほどの仏語の達人でもない限り、ほぼ誰しもやってもらっていることと思うが、複数の依頼相手がいたほうがいい。もちろん渡仏しても最初のうちはそれほど多くの友人がいるわけでもなく、また相手のレベルを選べるわけでもないが、いずれそうなることが望ましい。添削相手によって、出来上がりは一変する。しかし、そのためには自分のフランス語の質を常時brush upしていくことが大切である。逆の状況を考えてみればいいので、日本語初心者が書いた、間違いだらけの論文を直すときと、日本語上級者が書いた論文を直すときとで、同じ原則をもって接しているわけはない。

ちなみに、私はお金を払って添削してもらったことは一度もない。友人に頼んで、あとで一杯おごったり、ご飯をおごったりする程度である。だからプロフェッショナルな添削の良し悪しについてコメントすることはできない。私の場合、直す側は基本的に親切心ないし友情でやってくれているので、添削のやる気は1)こちらの書くものの質と2)相手の忙しさによって決まる。

1)彼らは哲学者であり、面白いものを読まされれば、基本的に知的興奮を覚える人々である。したがってこちらが一定水準に達しているものを書けば、添削にも自然と身が入る。そのためには基本的なところでミスを繰り返してはいけない。サッカーと同じである。名コーチに指導してもらいたければ、あるいは能力ある同僚と共同自主トレをやりたければ、「自分はこの人のトレーニングのために時間を割いてあげてもいい」と思ってもらえるレベルに達していることが必要である。

2)しかし、いくらこちらが努力していい物を書き、相手が興味を持ってくれようとしても、相手が忙しければ駄目である。そして当たり前のことだが、能力のある人ほど忙しい。自分の言いたいことに自分が思いもつかなかった言い回しや面白いコメントをくれることがあるのも、そういう人々である。しかし、彼らには時間の制限がある。こちらも相手のことをリスペクトしているので、もともと長々と意味なく引き止めたりはしないが、そうはいっても相手も忙しく、必ずしもこちらの意図に沿ってくれるとは限らない。そういう場合、友情に満ちていながらも、知的緊張感をもった関係を複数保持しておくことが肝要である。でないと、緊急にヘルプが必要な場合に、お手上げということになる。

添削を頼める友人を複数持っておくことはまた、自分の書く物の分野によって、添削を頼む適任者を選べるという利点を生む。経済的な内容ならslだなとか、少しエピステモ系ならplだなとか、リズムなどの変わった主題ならedだなとか、フランス語を重視したいのでkgだなとか。

そのためには普段の自然な会話がすでに一定程度のレベルを備えていなければならない。フランス語がひどかったり、哲学の知識がなかったりすれば、能力のある誰が助けてくれようか。人が親切心で動いてくれる場合には限りがある。プラスアルファを引き出すのは自分の責任である。つまり結局のところ、普段の努力、不断の努力でほとんどのところは決まっている。「365歩のマーチ」とはそういうことである。

以上のことは自分に自戒をこめて言う。

Saturday, December 24, 2005

365歩のマーチ(Gebrauch der Füße)

"So geht es allen noch rohen Versuchen, in denen der vornehmste Teil des Geschäftes auf den Gebrauch der Vernunft ankommt, der nicht, sowie der Gebrauch der Füße, sich von selbst vermittelst der öfteren Ausübung findet" (Kant, Kritik der praktischen Vernunft (1788), Beschluß).

"Il en est ainsi de tous les essais encore rudimentaires, dans lesquels la partie principale du travail dépend de l'usage de la raison, qui ne s'acquiert pas de lui-même, comme celui des pieds, par un exercice fréquent" (Kant, Critique de la raison pratique, Conclusion).

「研究の仕事の最も重要な部分が、理性の使用にかかわる試みであっても、もしその試みが粗笨であれば、結果はいずれもこのようなものになるのである。理性の使用は、足の使用と異なり、ただ反復使用したところで、おのずからその使用法が手に入るわけではない。」(カント、『実践理性批判』、結び)

Friday, December 09, 2005

知の末路

pense-bêteにも参加してくれている友人toshoheiさんが『週間金曜日』の「金曜アンテナ」というコーナーに、稲荷明古さんという方の「廃寮問題で係争中の山大」というごく短い報告が掲載されていることを教えてくれた。末尾を引用させていただく。
 国賠訴訟の控訴審判決(今年9月)で仙台高裁は、大学から寮自治会への「人格権」侵害を認め、国側に賠償を命じた。この判決に原告側は「組織としての大学の違法性を免罪する不当判決」として上告。原告団は最高裁勝訴へ向け、全国行脚を続ける(詳細は、URL http://dorouso.hp.infoseek.co.jp/)。
 廃寮の背景には独立行政法人化の流れがあった。全国で2番目に小さな国立大学(学生8323人)である山大は生き残りをかけて、文科省通達を強行した。「貧乏人は大学に来るなという圧力は全国で目に見えて深刻化」している。信州大学では今年、休学者の1人に「学内への立入を一切禁止する」との通告が出された。


これ以上愚かなことを続けるつもりなのだろうか。生き残りをかけて死に物狂いの大学のことだけを言っているのではない。国公立大学をそういう状況に追いやることで、日本の知の状況を決定的な壊滅状態に追い込んでおいて、「民営化=合理化」で得をしたつもりでいる日本国民のことを言っているのである。

ほとんどフリーター(派遣社員でもよい)状態でカップメンをすすりながら巨大掲示板に延々と愚劣な極右的言辞を書き込み続ける者、嬉々として小泉政権を支持し続ける薄給のサラリーマン…。自分の政治的行動――何度でも言うが、ノンポリも一つの政治的行動である。自分はノンポリだからなどと悠長に構えているつもりの者は、完全に勘違いをしている。レイプの現場に居合わせながらNoの声をあげない者はYesと言っているのと同じである。――の論理的帰結を考え抜くことのできない者が大半を占めたとき、ファシズムは到来する。

左翼的言説か否かなどどうでもよい。まずは『週間金曜日』の編集長コラム「「下流」の敵は、格差社会実現をもくろむ米国かぶれの為政者にあり」を読んでいただきたい。大筋には賛同できる。

Saturday, December 03, 2005

京大図書館BNC移転問題について

私の友人たちの中にはすでにご存知の方も多いと思うが、一応念のためにここにも掲載しておく。

現在、京都大学附属図書館BNC(バックナンバーセンター)の桂キャンパス移転計画が持ち上がっており、それに対する反対運動が組織されている。署名頁はこちら

大したことではない、どうでもいいじゃないか、必要部分だけ頼んでコピーしてもらえばいいじゃないか、と言う方もいるかもしれない。だが、こういう考え方は、研究活動の創造的な部分の実態をきわめて矮小化して捉えていると言わざるをえない。

学者にとって(少なくとも人文系の学者にとって)、雑誌のバックナンバーを手にとって眺められるということには測り知れない価値がある。研究者であれば、大なり小なり思いがけない発見をしたという経験があるはずだ。

自分の大学ではないから関係ない、という方もいるかもしれない。だが、えてして話はこういう「大したことではない」ところから、「自分と関係ない」と思っていたところから始まるのだ。

ディティールにしか真実は宿らず、実践にしか真実は宿らない。

Friday, December 02, 2005

plan G

現段階ではまだ詳細は書けないのですが、フランスのある地方大学に勤める友人が、ベルクソンについて話をしに来てはどうかという提案をしてくれました。

正直言って、嬉しい気持ちと不安の両方があります。一方では、もちろん嬉しいに決まっています。友人と言えども、まったく話のできない奴と思われていれば、誘ってくれるはずはないからです。したがってフランス人研究者に伍して対等に扱ってもらえている、という点ではとても喜んでいます。

しかし他方で、不安要素には事欠きません。

たしかに、コロックや研究会(Journée d'étude)など発表者が複数いる場合、あるいは一人で話す場合でも、知り合いのたくさんいるゼミなどで発表するなどの経験は私にもあります。しかし、知り合いがほとんどいないところに乗り込んで行って、私が唯一の「ゲスト」として一人で延々としゃべり、質疑応答に答えねばならないという状況ははじめてです。

しかも発表・質疑応答(もちろん仏語)含めて2時間半!これは未だ博論も仕上げていないような若造にはかなり荷が重い。これまでに呼ばれた講演者のリストを見ていると、はっきり言って場違い、お門違いもいいところ、という感じです(笑)。

また、「哲学と経済学」を主題とするゼミに呼んでくれているので、「ベルクソンにおける経済学の扱い」といった感じのテーマで話すことになっているのですが、これまた門外漢もいいところ。これも気を重くしている大きな要因です。

しかし、そろそろ次のステージにチャレンジするいい機会です。与えられた機会を確実にものにして、次のチャンスにつなげていきたいと思っています。

こういう私的なことを書くことには正直躊躇いがないわけではありません。しかし、私の友人たち、とりわけ私より若い友人たちの参考になればと願っています。

そろそろお客さん的、物見遊山留学生的な立場を脱却しなければなりません。

Thursday, November 24, 2005

日本は文化国家ではない?

まったく正当な意見である(この対談「日本を取り巻く無責任の体系」は必読)。
国家は費用を出さない、その代わり地方の都合で六・三制さえ五・四制に変えていいなんて、事実上、国家が公教育を放棄したに等しい。教育の自由化・地方分権化を進めるっていうと聞こえはいいけど、実際には、子どもを塾にやる余裕のある人とない人、都市と地方の格差が開く一方だよ。

公教育の理念さえ放棄しようとする国家をもはや文化国家と呼ぶことはできないだろう。教育さえいささかの躊躇いもなく自由化・地方分権化の名の下に――しかしながら実際にはネオリベ的「民営化」の一環にすぎない――叩き売りに付してしまえる国家は、単なる資本主義国家と呼ばざるを得ないのではないか?

義務教育費負担金移譲 高校経費8400億円で代替 地方は反発

 自民党の文教制度調査会と文部科学部会は十八日、三位一体改革で焦点となっている義務教育費国庫負担金八千五百億円の削減に対する代替案として、地方交付税で賄っている公立高校の関連経費八千四百億円を地方へ「税源移譲」する案を党執行部に提示した。与党案として検討した上で首相官邸と交渉するよう求めているが、地方六団体や総務省は「改革の趣旨から外れた内容で論外」と猛反発している。
 代替案によると、教職員給与費など公立高校の運営関連費は全国で約二兆千億円(二〇〇四年度分)。このうち、地方交付税分は約八千四百億円で、残りは地方税で賄っている。この八千四百億円を地方税へ振り替えることで「地方交付税への依存度が低くなり、地方財政の自立が図られる」としている。
 河村建夫調査会長は記者団に対し「交付税が抑制される中で教育費削減の懸念も出ている。まずそちら(高校分)を移譲し、きちっと自主財源で行うべきではないか」と語った。
 これに対し、総務省は「『税源移譲は補助金負担金から』という骨太の方針に反する」と批判。全国知事会も「地方交付税は地方の固有財源で、いわば一般財源。まさに形だけの移譲案だ」と切り捨てた上で「もし地方税に振り替えた場合、財政難の自治体は高校教育費を捻出(ねんしゅつ)できない恐れも出てくる」と反論した。
 同負担金は昨年の政府・与党合意で税源移譲の対象となった二兆四千億円の中に含まれているが、削減は暫定扱い。地方六団体は一般財源化を求めているが、文科省や中教審は負担金制度維持を主張。同調査会と同部会も制度堅持の緊急決議をしている。(西日本新聞) - 11月19日2時18分更新

また、もう少し一般的にいうと、この意見にはまったく同感である。
小泉みたいなやつが暴走すると、ある種、国権派と真の民権派が最低限綱領では一致しちゃうわけだ。たとえば、教育は国家の義務だというのは、森喜朗や石原慎太郎が言うとおりだし、公共事業の無駄をなくしつつ、しかし、地方でも安心して暮らせるインフラをつくるのが国家の義務だというのは、亀井静香の言うとおりであって、その点では一致せざるをえない。

Monday, November 21, 2005

アメとムチ?

<東京大>学業優秀なら行きたい学部へ 来年度から

 優秀な学生はお望みの学部へ――。東京大(小宮山宏学長)は1~2年の学部前期課程から後期課程に進む際、成績優秀者には、入学したすべての科類から、すべての学部に進学する可能性がある「全科類」枠を06年度の新入生から導入する。一方、導入後、例えば文科1類から従来は全員が法学部に進めたが、成績次第では必ずしも「全入」とはいかない場合も出る。日本を代表する大学がアメとムチで学業のレベルアップを促す異例の取り組みと言え、大学改革がどこまで進むのか注目される。

 同大では、入学1年半後に学生の志望と成績によって、後期課程の学部・学科などを決める進学振り分け制度を実施している。従来は文科1類から法学部、文科2類から経済学部、理科3類から医学部医学科には前期課程を終えた全員が自動的に進学できた。

 同大が15日発表した06年度入学者募集要項によると、新制度では成績による振り分けを行う。主に成績優秀者の選択肢を増やすため、教養学部後期を除く全学部に「全科類」枠を設け、文系から理系、理系から文系を含め、より自由な進路変更を認める。

 例えば、法学部は受け入れ予定数415人のうち、文科1類からは395人(入学定員415人)に絞り、14人を「全科類」枠に割り振る。理科全類を対象とした6人の枠も加えると、文科1類の20人が予定数からあふれる形だ。

 全科類枠は学部によって差があり、法、工、医各学部は予定数の1割を下回る一方、最大は4割を超す教育学部までさまざま。同大は「安易な進路変更を奨励するものではない。強い動機と優秀な成績があり、場合によっては進学先の『要求科目』の履修をこなす、かなりハードな努力をすれば、変更も不可能ではなくなるのが趣旨」とくぎも刺している。【長尾真輔】(毎日新聞) - 11月16日9時35分更新

Thursday, November 17, 2005

情動の科学哲学(épistémologie des affects)

パスカル・ヌーヴェル(Pascal Nouvel)が、情動の科学哲学(épistémologie des affects)についてのセミネールをパリ7で行っているようだ。

ダーウィンの古典的な情動研究から、情動をコントロールする(エクスタシー、 MDMAなど)現代のメディカル・テクノロジーまで、カンギレム=フーコーのエピステモロジーを「情動」という現象に適用しようということであろう。

興味のある方は、彼のサイトをご覧ください。

Tuesday, November 15, 2005

nemo repente turpissimus

"Croire le mal moins rude quand il nous est commun avec plusieurs personnes, c'est, disait-il, une grande marque d'ignorance, et c'est avoir bien peu de bon sens, que de mettre les peines communes au nombre des consolations." (Spinoza, selon Lucas)

上の世代が戦わなかったツケは、下の世代に押し付けられる。その結果、我々は同時に複数の戦線で戦わざるをえない。上は「生意気な」と言うか、「やるならやれば」と言うだけである。周りは無知な呑気さを振りまいているか、勇気を出せずに怯えているかである。少しずつでも「連帯」できる友人の輪を広げていくほかない。

はじめに(2005年2月10日)

New Deal (2005年4月10日)

「連帯」と「世間」(2005年2月12日)

意志的隷従と怠ける権利(2003年8月2日)

「おフランス」と「ここがダメだよ日本人」(2005年2月22日)

哲学の教育、教育の哲学(1)数の問題(2005年2月21日)

哲学の教育、教育の哲学(2)エリート教育の問題(2005年5月9日)

哲学のアグレガシオン、アグレガシオンの哲学(序論断片)(2004年10月11日)

アグレグ(2004年9月28日)

両面作戦(哲学の地政学)(2004年11月1日)

スシボンバーの憂鬱(2004年10月20日)

デーゲーム(2005年5月19日)


「国立大は安い」今は昔? 入学料では私大と逆転

 国立大で入学料や授業料の値上げが続いた結果、入学料では国立大の方が私立大より高い“逆転現象”が起きている。充実した施設とともに、国立大の売りだった「安さ」。各大学は「これ以上学生の負担を増やすことがないように」と、国の予算編成を前にさらなる値上げを警戒している。

 長崎市で7日、開かれた国立大学協会(国大協)の総会。会長の相沢益男東京工業大学長は「入学料の値上げは断固反対だ」と発言した。今春に授業料の基準となる「標準額」が1万5000円引き上げられたため、「次は入学料」という警戒感を国大協として表した。(共同通信) - 11月14日11時37分更新

cf. 大学は出たけれど2005(2005年5月7日)


授業料減免 全学年一斉に厳格化 大阪府立高 公平性など重視

 大阪府教委は十一日までに、来年度から適用基準を厳しくする府立高校の授業料減免制度について、全学年一斉に適用する方針を固めた。九月議会では新入生から段階的に実施する方向で検討していることを明らかにしていたが、公平性の観点や、財政難から早期に全面適用を求める声などもあり、一斉適用を採用することにした。今年度に減免を受けている生徒については、経過措置として新基準で除外されても現行基準(旧基準)で再審査する。

 府立高校の年間授業料は全国一高い十四万四千円。平成十六年度で全国トップの24・4%、ほぼ四人に一人が減免を受けている。新制度では両親と子供二人のモデルケースで、これまでは総収入四百三十六万円以下だった全額免除の基準を二百八十八万円以下まで引き下げる。

 減免の基準になる収入は、これまで源泉徴収票や確定申告書の控えなどで判断してきたが、不動産などの副収入や複数の収入先がある場合などは把握が難しいため、新制度では住民税の課税証明書をもとに正確な収入を算定する。

 運用について府教委は、九月議会で「在校生は現行の減免制度を利用することを前提に府立高校に進学したという事情もある」と答弁。新基準の適用は新一年生からとし、二、三年生については旧基準を適用する方向で検討してきたが、公平性などを欠くことから見直すことにした。

 ただし、今年度に減免適用を受け、新制度では除外対象になる生徒については、経過措置として旧基準で再審査を行い判定する。

 この場合の適用期限は修業年限プラス一年で、全日制などは平成二十年度、定時制や通信制などは二十一年度、高専は二十二年度まで運用される。

 府教委は新基準での正確な収入状況を把握できる書類を基に、これまでの適用者に制度見直しに伴うしわよせが大きくならないように努めるとともに、「収入が多いのに減免を受けているケースがある」といった批判も解消したい考えだ。(産経新聞) - 11月11日15時12分更新

Sunday, November 06, 2005

Invasions barbares

以下のことは、特に、科学哲学や分析哲学など、科学性・厳密性・普遍性を標榜する学問に携わる若い研究者たちに向けて書かれている。

哲学が、あるいは一般的に言って学問が、真理を目指し、普遍性を目指す営為であるなら、それにより見合った手段でなされるべきである。現在、自然科学の分野で英語がスタンダードと化したのは、――愚かなファシストが言うように、英語が「数を数えるのに適している」からでないことは言うまでもない――、世界の歴史的・政治的・経済的な動向がもたらした必然的帰結である。

哲学では、現在、英・独・仏の三ヶ国語が他にぬきんでて、特権的な地位を占めている。もし私たち日本の哲学者が世界の哲学の動向に積極的にコミットしたいと思えば――それ以外に真理や普遍性の探究に参与する方法があるというなら、禅でも日本語でも「日本固有」のものを持ち出せばよい――、好むと好まざるとにかかわらず、これらの言語で読み、書き、話していかなければならない。

この厳然たる事実の哲学的な意味を理解している日本の哲学者はどれくらいいるのだろうか。逆に言えば、日本語でしか思考できないことを思考し、書けないものを書いている哲学者がどれくらいいるのだろうか。そうでなければ、普遍性の探求であり、世界に開かれてあるべきはずの哲学研究を、なぜ日本語という普遍性に開かれているとは言いがたい言語で書くのか(私はもちろんここで各言語の質的優劣を論じているのではない)。

≪ある個人が言語共同体の外にいるとき、その人は社会的な共同体一般からも脱落してしまうことになるのです。なじみのない言葉を話す人はそのままよそ者、すなわち、内的な人間的-道徳的な絆が成り立たない「野蛮人」と思われてしまうのです。

たとえその人が高度の精神文化を身につけていても、今所属している共同体の内部で言語的に理解されないならば、その人はすぐさま「野蛮人」になってしまうのです。オヴィディウスがTristia ex Pontoで、「この地では、わたしは野蛮人だ。というのは、何も分かってもらえないのだから」と述べているとおりなのです。

言語を越えた共同体という思想、すなわち特定の言語の使用により作り出され、まとめあげられるのではないhumanitasという思想が獲得されるまでには、きわめて大きな努力が費やされ、きわめて大きな精神的-道徳的な苦労が必要であったことを、人類の歴史は教えてくれます。

たしかに、この「人間性」という理念は言語を越え出ています。しかし観点を変えれば、言語はこの理念への不可欠の通過点であり、この理念に至るためにぜひとも必要な段階だということになるのです。≫
(カッシーラー、「言語と対象世界の構築」)

Saturday, November 05, 2005

Ce qui nous manque

France Cultureというラジオ局がある――以下に書くことはどれもフランスに住んでいる知識人なら知っている基本的な情報ばかりである――。プログラムを一瞥していただければ分かるように、ハイカルチャー・ラジオ局である。

Des tours de Babelではハイカルチャーテレビ局の話をした。どうもこういう話ばかりしていると、自分が鼻持ちならない教養主義者のような気がしてくるのだが、しかし教養総崩れの現在の日本を見ていると、やはりどうしてもこのような「反動」的な姿勢をとらざるを得ない。私が教養主義者なのではなく、現在の日本の知識人の平均があまりにも教養を軽視しすぎるのである。)

毎週金曜日の午前9時からは、CIPのFrançois Noudelmannらが監修する"Les Vendredis de la philosophie"という番組がある。今日は、ベルクソンについて、フレデリック・ヴォルムスが50分ほど話した。先週はドゥルーズについて新しい世代(我々の世代まで含めて)が話していた。放送はネット上で一週間だけ聴くことができる(一週間経つと消えてしまうので注意!)ので、興味のある方はどうぞ。

日本では、いかに文化的な放送局であっても、純粋に哲学的な議論のためだけに毎週金曜日の午前9時という時間帯を開放してくれるところがあるだろうか。古くはデモクリトスやエピクテトスから、エックハルトやジョルダーノ・ブルーノを経て、ナンシーやランシエールに至るまで、毎週専門家を呼んで、小一時間しゃべってもらえるところが?

もちろん、こういったことは一方で、国家の文化政策(文化省)のバックアップが欠かせないし、他方で、哲学の新刊書を出す際に宣伝を打ちたいと考えている学術系出版社との協力が欠かせない。フランスの大学界がさまざまな問題を抱えているとしても、こういう側面では日本よりはるかに進んでいる、と言わざるをえない。

すると、こんな答えが返ってくる。フランスと日本では制度が根本的に違うのだから、羨んでみても仕方ないのだ、と。そんなことなら何十年も前から分かっているのだ、と。なるほど。

では、少なくとも、羨むところから始めよう。この放送を聴いて、我々(個人としての我々、制度としての我々、文化国家としての我々)に欠けているものが何かを正確に把握するところから。少なくとも。

しかし、それすらも難しいのだ。なぜならネオリベ的な大学改革に反対している私の友人たちですら、1)フランスにおける哲学の特殊な位置づけに話を還元して事を片付けるか、2)こちらも「現実主義」で対抗すべきなので、古典教育だとか教養主義だとか悠長なことは言っていられない、と考えているようだからである。しかし、果たしてそうだろうか。

Monday, October 31, 2005

Sho SAITO

Né en 1968. Ancien étudiant à l'Université de Kyoto. Maître de Conférences d'études des langues et cultures à l'Université d'Osaska. Auteur de Humboldt no Gengo-kenkyû. Yûkitai tositeno Gengo (Recherches linguistiques de Humboldt. Langage comme organisme), Presses universitaires de Kyoto, 2001.

Ses articles écrits en allemand:
- "A. F. Bernhardi und W. v. Humboldt. Eine negative Auswirkung der allgemeinen Grammatik", in Neue Beiträge zur Germanistik (Japanische Gesellschaft für Germanistik), Bd. 3/5, 2004, pp. 75-91.
- "Zur Analytik des Sprachphänomens", in T. Ogawa, G. Rappe, M. Lazarin (eds.), Interkulturelle Philosophie und Phänomenologie in Japan. Beiträge zum Gespräch über Grenzen hinweg, Iudicium Verlag (München), 1998, pp.85-106.
- "Der "Menschliche Ursprung" der Sprache und die "Leibniz-Aesthetische Hülle" bei J. G. Herder", in Herder-Studien (Herder-Gesellschaft Japan), Bd.2, 1996, pp. 30-46.

Pour en savoir plus, voir son site: Sho Saito Webseite Posted by Picasa

Kiyonobu Date

これからは少しずつ、友人たちの仕事を相互に紹介するように心がけていきたい。ちなみに、pense-bêteその他で、私が表明している個人的な政治的・社会的・哲学的見解に、彼らが必ずしも賛同しているわけでないことは言うまでもない。

まず、pense-bêteにも名前を連ねていただいている、伊達(手戸)聖伸さん。フランスにおける宗教問題、いわゆるライシテ(脱宗教化・非宗教化・政教分離)問題、特に第三共和政下におけるライックな道徳の専門家である。彼の研究生活および奥様との仲睦まじい日常生活を綴った「kiyonobumie」。ご一読をお勧めします。

Kiyonobu DATE

Ancien étudiant à l'Université de Tokyo. En tant que doctrant à l'Université Lille III, prépare une thèse sur La Morale laïque sous le régime de Troisième République. Dans la Laïcité 1905-2005, Entre passion et raison (Seuil, 2004), Jean Baubérot mentionne son mémoire de DEA sur "La Morale laïque scolaire à travers le cas du département du Nord" (2003).

Pour en savoir plus, voir son Blog (en japonais) :
Kiyonobumie. Posted by Picasa

Sunday, October 30, 2005

近況

一ヵ月半、日本に一時帰国していた。ようやくひと段落着いたので、近況を記す。

2005年9月10日(土)日仏哲学会にて「ベルクソンの身体概念-フランス唯心論の再検討」と題する発表を日本語で行なう。

2005年10月15日(土)日本フランス文学会にて「ベルクソン哲学におけるrythmeとmesureの問題」と題する発表を日本語で行なう。

現在抱えている作業は次のとおり。
・カッシーラーのある論文を仏訳したので、それに付す解説を仏語で執筆中(11月上旬)。
・上記二つの発表を仏語論文として執筆(11月下旬~12月下旬)。
・もう一つ翻訳作業にタッチしているが、正直あまり気乗りがしない。
・来年1月に友人の古代・中世哲学講義での「ベルクソンとアリストテレス」に関する発表の準備。
・来年2月にリールで行なわれる予定の研究会での発表の準備。

Wednesday, August 24, 2005

ギイェルミの偉大さ:翻訳者、教育者、哲学者

 「今、フランスで人気のある、「売れ線」の、「旬」の哲学者っていうと誰なの?」と日本の友人たちによく聞かれる。聞くほうは別に悪意があるわけでもなく、ただ純粋な好奇心か、話題に困ってか、あるいはむしろ親切心か同情心で聞いてくれるのであろう。

 しかし、そういうことはパリの”トレンド・トレーダー”にでも訊いてもらいたい。私は大リーグ通になりたいのではなく、大リーグで勝負したいのである。パンチョ佐藤になりたいのではなく、3Aでも、1Aですらいいから真っ向勝負で自分の力量を試したいのである。ここに記しているのは、その練習メモのようなものかもしれない。



 フランスと日本では制度が根本的に違うのだから、羨んでみても仕方ないのだという。そんなことなら何十年も前から分かっているのだという。なるほど。しかし私がここでやりたいのは、ルサンチマンを吐き散らすことではない。いかに幼稚で、基本的なことであろうと、具体的に実行可能な対案を模索したいのである。

 例えば、マニュアル本以外に、過去の偉大な(「有名な」ではない)哲学者たちの講義録を可能な限り廉価で出版すること。例えば、哲学のさまざまな古典的テーマに関するアンソロジーを可能な限り廉価で出版すること。例えば、哲学のクラシックの原語との対訳版を可能な限り廉価で出版すること。

 しかし、古典的なテクストを原典で読むという作業を学生にますます課しにくくなっている(学生・大学・政府の「要望」に答えねばならないから、学生の語学力・読解力が限りなくお粗末なものになってきているから)現状の中では、このような出版では採算がとれないのだという。

 フランスでは、このような採算の見込めない学術書の廉価出版に対しても、しばしば「国立図書センターによる援助」"avec le concours du Centre national du Livre"がなされる。日本では、高価な学術出版に関してこの種の財政的援助が見られるが、廉価の出版に関しては(少なくとも私の知る限り)存在しない。学問とはいったい誰のためのものなのか。すると、こんな答えが返ってくる。

 フランスと日本では制度が根本的に違うのだから、羨んでみても仕方ないのだと。そんなことなら何十年も前から分かっているのだと。... da capo senza fine.



 哲学的アンソロジーが重要なのは、哲学において教育ということが本質的な位置を占めるからである。教育において哲学が本質的な位置を占めることもまた言うまでもない。「哲学の教育、教育の哲学」という表現が単なる言葉遊びでなく、哲学における最も重要な問題の一つを言い当てている所以である。

 この機会に、ギイェルミ(Louis Guillermit, 1982年死去。生年不明)の優れたアンソロジー『プラトン自身によるプラトン』の紹介をしておこう(Platon par lui-même, éd. de l'Eclat, 1989; repris dans la coll. "GF-Flammarion", 1994.)。


1.翻訳者ギイェルミ
 ギイェルミは、フランス哲学界ではまずもってカント翻訳者として知られている。ヴラン社から出ている『論理学』(1966)、『理論と実践』(1967)、『プロレゴーメナ』(1968)、『判断力批判第一序論』(1975)の翻訳は彼の手になるものである。権威あるEncyclopoedia Universalisの「カント」の項や、定評ある『シャトレ哲学史』第V巻の「カント」の章を執筆したのも彼である。彼のカント研究の集大成的な著作として、死後出版された L'élucidation critique du jugement de goût selon Kant, texte établi et présenté par E. Schwartz et J. Vuillemin, éd. du CNRS, 1986. また、18世紀後半のドイツ哲学ということで言えば、彼の博士論文 Le réalisme de F.H. Jacobi, Aix-Marseille, Publications de l'Université d'Aix-en-Provence, 1982.がある。

(せっかくの機会だから、ギイェルミのヤコービ研究について一言しておこう。

「神秘主義者ヤコービ」という流布しているイメージに対して、ギイェルミは「神秘主義的なものと実証的なものとを逆説的に組み合わせることである種の「実在論」を導き出そうとしたヤコービ」という解釈を対置する。哲学には「経験」を捉えきることはできないとしてその「不当」な権利主張を退け、むしろ神秘主義的なもののうちに経験の核となる客体=対象、すなわち現実的なものを探し求めたヤコービの思考を、ギイェルミは、「非哲学non-philosophies」の系列に属するものと見なす。

実証的なもの(positif)は、ベーコンの与えた意味(もはやそれ以上説明できない最終的な事実が自然の実証的な法則と合致するものと見なされる場合の実証的なもの)を引き継いでいるように思われる(…)。神秘主義的なもの(すなわち、ヤコービ自身が言うように「完全に神秘的なもの」)は、レヴィ=ブリュールの与えた意味(「神秘主義的なものとは、感覚には知覚されえないにもかかわらず現実的な力・影響・作用の存在を信じる場合に言われる」)と同時に、偽ドゥニが創出した狭義の宗教的な意味(「理性的推論ではなく愛による神との結合がもたらす学」)でもありうる。(p. 65, n.2.)
ギイェルミは、ヤコービの実在論(リアリズム)のきわめて独創的なあり方を強調しつつ、その実在論が必然的に経験と信仰との関係に関する反省を促す以上、ヤコービの思想は神学的伝統よりも、むしろ例えばレヴィ=ブリュールによる原始心性の分析など人類学的伝統のほうに近いのだと繰り返し指摘している。以上の記述は(とりわけこの最後の点に関しては)、友人フレデリック・ケックに負っている。彼の博論の註611を参照されたい。http://www.univ-lille3.fr/theses/keck-frederic/html/these_notes.html 


2.教育者ギイェルミ
しかし、ギイェルミには翻訳者以外にもう一つの顔がある。教育者の顔である。ジャック・ピジョーは、『プラトン自身によるプラトン』の序文でこう述べている。

ルイ・ギイェルミが偉大な翻訳者であることは、彼のカントの翻訳によって知れ渡っていた。彼は偉大な翻訳者であり、かつ偉大な哲学者であった。一方を抜きにして他方を語ることはできない。(p. 8.)

これはもちろん、哲学書を正確に翻訳するためには語学力のみならず根本的な哲学的素養が必要であり、哲学書を正確に理解するためには哲学的な素養でだけでなくしっかりとした語学力の裏づけがなければならないからである。より正確にこう言おう。「ルイ・ギイェルミは、偉大な哲学翻訳者であり、かつ偉大な哲学教育者であった。つまりは端的に偉大な哲学者であった」(Louis Guillermit était un grand traducteur de philosophie et un excellent professeur de philosophie, bref un grand philosophe tout court.)と。翻訳・教育・哲学を切り離して考えることはできないのである。

ピジョーはこう続けている。

ルイ・ギイェルミは、かなりの量のきちんと書き下ろされた講義ノートをあとに遺した。生前カーニュ(ノルマル準備クラス)や大学の授業で用いられ、絶えず改良を加えられていたこれらの講義は、彼の学生たちを虜にした。

このギイェルミの教育者としての本領が最もよく垣間見られるのが、彼の講義録『プラトンの教え』(L'enseignement de Platon, 2 tomes, Nîmes, éd. de l'éclat, 2001.)である。第一巻は、『カルミデス』『ラケス』『リュシス』『エウテュプロン』『大ヒッピアス』『小ヒッピアス』を、第二巻は、『ゴルギアス』『パイドン』『メノン』を扱っている(『国家』『ソピステス』を扱う最終第三巻は、2002年刊行予定であったが、未だ未刊)。

第二巻序文で、ジル・ガストン・グランジェはこう述べている。

ルイ・ギイェルミは、私も含め同世代の者たちの中でも抜きん出て優秀な研究者であったが、あまり多くの業績を残さなかった。にもかかわらず、私たちはカントやヤコービに関する彼の仕事を知っている。また、パリやエクサンプロヴァンスでの授業は、学生たちの心に比類なき哲学的遺産を残した。私は学生たちから非常にしばしばその名講義ぶりについて聞かされたものである。(…)

ルイ・ギイェルミは、同世代のプラトン注釈者たちのうちで疑問の余地なく最も優れたもののうちの一人であった――いや、おそらくは最も優れていた。彼の聴衆たる学生に向けられたこれら対話篇の解釈は、彼がいかに深くプラトン思想に馴染んでいたかを示すと同時に、彼の例外的な教育者としての才能をも示している。きわめて適切に『プラトンの教え』というタイトルを付された本書においても、ギイェルミが常々説いていた、話しかけるような、対話のような表現の長所が見出される。


par Jean BlainLire, mars 1995Cette anthologie constituée de textes extraits de l'ensemble de l'œuvre de Platon, regroupés autour des principaux thèmes de sa pensée, est l'une des meilleures introductions qui soient à la philosophie de l'auteur de La République. Ce grand professeur que fut Louis Guillermit, mort en 1982, ne s'y propose - rien de plus mais rien de moins - que de laisser Platon commenter Platon.Ces pages, choisies pour leur caractère exemplaire ou significatif et servies par une belle traduction, s'adressent à tous ceux qui désirent s'orienter dans la lecture d'un des plus grands penseurs de tous les temps.
http://www.lire.fr/critique.asp/idC=30611/idR=210/idTC=3/idG=7

Thursday, June 09, 2005

怠ける権利のために(Le droit à la paresse, à la Nietzsche)

≪挽歌。

――瞑想的生活の後退やときにはそうした生活の過小評価を伴ってくるということは、おそらく我らの時代の長所なのであろう。しかし我らの時代が偉大なモラリストに乏しく、パスカル・エピクテトス・セネカ・プルタルコスがもうほとんど読まれず、労働や勤勉――以前は健康という大いなる女神のお供であった――がときおり病気のように荒れ狂うかに見えるということは、率直に認めなくてはならない。思索のための時間も思索にある安らぎも欠けているので、人はもう相違する見解を吟味しない。それを憎んで足れりとしている。生活速度が恐ろしく増したので、精神も眼も半端なまたは間違った観察や判断に馴らされ、誰もが土地や住民を鉄道によって知る旅行者に似ている。

自主的な慎重な認識態度はほとんど一種の狂気として見下げられる。自由精神は悪評されている。特に学者たちによってだ。彼らは自由精神の物の見方に、彼らの深遠性や蟻の勤勉さが欠けているのを不満として、自由精神を学問の片隅に閉じ込めておきたがっている。ところが自由精神は、孤立した立場から学者・博識者の全召集軍を指揮して彼らに文化の進路や目標を示すというまったく別のさらに高い課題をもっているのである。――

今歌われたような嘆きは、たぶん止むときが来るであろう、そしていつか瞑想の精霊の堂々たる帰還に際して自ずから黙り込むであろう。≫



≪活動家の主要欠陥。

――活動家には通常高級な活動が、私のいわゆる個人的な活動が欠けている。彼らは役人・商人・学者として、つまり類的存在としては活動的であるが、はっきりときまった個々の、しかもかけがえのない人間としてはそうではない。この点から見れば彼らは怠慢である。

――彼らの活動がほとんどいつも幾らかは不条理であるということが、活動家の不幸である。たとえば、金を貯めている銀行家にその休みない活動の目的をたずねてはならない。この活動は不条理なのである。活動家は、石が転がるように、機構の無感覚性に従って転がっていく。

――あらゆる人間は、あらゆる時代と同様に、今でもまだ奴隷と自由人とに分かれている。なぜなら、自分の一日の三分の二を自分のために持っていない者は奴隷である。その他の点ではたとえ彼が政治家・役人・学者など何者であろうとしても同じことである。≫



≪閑人のために。

――瞑想的生活の評価が下がってきた印として、学者たちは今では一種のせかせかした楽しみを求めて活動家と張り合い、それでしたがってこの楽しみ方を、本来彼らに属しているような、そして事実はるかに多くの楽しみともなるようなやり方よりも高く評価しているかに見える。

学者たちは閑暇を恥じる。しかし閑暇や無為は高貴なものだ。

――無為が実際あらゆる悪徳の始まりであるならば、したがってそれは少なくともあらゆる美徳のすぐ近くにあることになる。暇な人間は常に、活動家よりまだましな人間だからである。

――だが、私が閑暇や無為ということで、諸君を指しているとはまさか思うまいね、怠け者の諸君?――≫(ニーチェ、『人間的な、あまりに人間的な I』、第5章、断章282-284)

Tuesday, May 31, 2005

彼らはその為すところを知らざればなり(Car ils ne savent ce qu'ils font.)

決して誤解しないようにしよう。ニーチェの言う「弱者」は、現在の日本で言うサイレント・マジョリティ、すなわち「強者」のことである。

***

…抑圧された者、蹂躙された者、暴圧された者らが、無力なるがゆえの復讐に燃えた奸計からして、「われわれは悪人とは別なものに、つまり善人になろうではないか!そして善人というのは、およそ暴圧しない者、誰をも傷つけない者、攻撃しない者、報復しない者、復讐を神に任せる者、我々のように隠れて密かに生きる者、あらゆる悪から身を避け、総じて人生に求むるところ少ない者、そして我々と同じように忍耐強い者、謙虚な者、公正な者のことだ」と言って自らを慰めるが、――これは、冷静に先入見なしに聞いたにしても、もともと、「我々弱者は、どうせ弱いんだ。我々は自分の力の及ばないことは何一つしないのが、我々のよいところなんだ」というだけのことにすぎない。

それなのに、この苦々しい事態が、昆虫類(大きな危険に出会うと、「ですぎた」ことをしないようにと上手に死んだふりをする)でさえもっているきわめて低級なこの利口さが、無力からするあの贋金づくりと自己欺瞞のおかげで、諦めのうちにじっと待っているという美徳の装いを身につけてしまったのだ。

まるでそれは、弱者の弱さそのもの――言い換えれば弱者の本質、その働き、その唯一の避けがたく分解しがたい全的現実――が、一つの随意の所業、ある意欲され、選択されたもの、一つの行為、一つの功業であるといったようなありさまだ。

かかる類の人間は、あらゆる虚偽を神聖化することを習いとする自己保存、自己肯定の本能からして、あの選択の自由をもつ超然たる<主体>に対する信仰を必要とするのである。こうした主体(あるいは、もっと通俗的に言えば、霊魂)が、これまでこの地上において最上の信条であったというのも、おそらくはこれが死すべき人間の大多数に、あらゆる種類の弱者や被圧迫者に、弱さそのものを自由と解釈し、彼らの現にある様態を功業と解釈するあの崇高な自己瞞着を、可能ならしめたためであったろう。

ここからなら、その暗い工房の中が丸見えだ。見たところを言いたまえ。今度は私のほうが聞く番だ。

――「何も見えません、それだけによく聞こえます。隅々から用心深い、陰険な、ひそひそ話と囁きあいが聞こえます。嘘を言っているように思われます。どの声音にも、甘ったるい婉曲の味がねっとりついています。弱さをごまかして功業に変えようというのでしょう、きっとそれに違いありません。あなたの言われたとおりです。」

風太君か(苦笑)。自分の姿を見るようなのだな、きっと。]それから!

――「報復しない無力は<善良さ>に、びくついた卑劣さは<謙虚>に変えられ、憎悪を抱く相手に対する屈従は<従順>(つまり彼らの曰くでは、この屈従を命ずる者に対する従順、――この者を彼らは神と呼んでいるのですが)に変えられます。

弱者の退嬰ぶり、弱者にたっぷり備わった怯懦そのもの、戸口でのその立ちん坊ぶり、その仕方なしの待ちぼうけぶり、それがここでは<忍耐>という美名で呼ばれます。それはまた徳そのものとも言われるらしいのです。

それに<復讐できない>が<復讐したくない>の意味に、おそらく宥恕という意味にすらなっています(「彼らはその為すところを知らざればなり――ひとりわれらのみ彼らの為すところを知るなり!)。それにまた、「敵に対する愛」についても話しています――しかも汗だくでやっています。」

もうよい!もう結構!(ニーチェ、『道徳の系譜』、第一論文、第13-14節)

Thursday, May 26, 2005

思想のマッチ(l'allumette de pensée)

 もう一つ別な自己防衛の機略は、できるだけ稀にしか反応しないこと、自分の「自由」、自分のイニシアティヴをいわば取り外され、単なる反応薬になりさがるという憂き目に会いそうな状況や関係から身を引くことだ。書物とのつきあいを例にとろう。つまりはただ書物を「ひっかきまわして検索する」ことだけしかしない学者は――並の文献学者で日に約二百冊は扱わねばなるまい――しまいには、自分の頭でものを考える能力をまったくなくしてしまう。本をひっかきまわさなければ、考えられないのだ。彼が考えるとは、刺激(――本から読んだ思想)に返答するということ――要するにただ反応するだけなのだ。こういう学者は、すでに他人が考えたことに然りや否を言うこと、つまり批評することに、その全力を使い果たしてしまって――彼自身はもはや考えない…自己防衛本能が、彼においては、ぐにゃぐにゃになってしまったのだ。そうでなければ、書物に抵抗するはずだ。学者――それは一種のデカダンだ。――わたしは自分の目で見て知っているが、天分あり、豊かで自由な素質をもつ人々が、三十代でもう「読書ですりきれ」、火花――つまり「思想」を発するためには人に擦ってもらわねばならないマッチになりさがっている。――一日のはじまる早朝、清新の気がみなぎって、自分の力も曙光とともに輝いているのに、本を読むこと――それをわたしは悪徳と呼ぶ!(ニーチェ、『この人を見よ』、「なぜわたしはこんなに利発なのか」、第8節)

Monday, May 23, 2005

Parrains de la Cosa deleusiana


photo d'ensemble des participants du séminaire Deleuze.
Lors de la dernière séance (11 mai 2005) Posted by Hello

Hero Suarez Posted by Hello

Olivia Navarro Gonzalez Posted by Hello

Razvan Amironesei Posted by Hello

Ludovic Duhem Posted by Hello

Arnaud Francois Posted by Hello

Guillaume Sibertin-Blanc, co-organisateur du séminaire Posted by Hello

Arnaud Bouaniche, co-organisateur du séminaire Posted by Hello

Sunday, May 22, 2005

エリート教育の問題(補遺)

 今日、France Musiqueというクラシック中心のラジオを聴いていると、現在、École normale de musique (Paris)でピアノを勉強している日本人の若手ピアニスト関本昌平さん(1985-)の演奏が聞こえてきた。

 (ちなみに、エコール・ノルマルのサイトを見る限り、レベルの違いこそあれ、ソルボンヌ文明講座と同じ傾向の商売っ気があるような気がする。)

 インタヴューは、通訳のフランス語がアジア人(日本人?)風のかなりきつい訛りで、聞き取りにくかったが、その中で、「日本ではかなり若い頃から厳しい練習を積なねばならず、また少年少女向けの多くのコンクールがあるようだが、それについてはどう思うか?」という少し皮肉交じりの質問に対して、関本さんはおおよそのところこんな風に答えていた。

「たしかに日本ではかなり早くから厳しい練習を始めますし、また子供向けのたくさんのコンクールがあります。もしコンクールで賞を取るといったことだけを目的として厳しい練習を積まねばならないとしたら、それは良いこととは言えないでしょう。でも、コンクールに向けていろいろな曲を練習してレパートリーを広げることができ、これまで知らなかった未知の作曲家、未知の奏法、ひいては未知の自分に出会える機会と捉えれば、コンクールはそれほど悪いものではないのではないでしょうか」。

 哲学のエコール・ノルマルも「コンクール」の一つである(実際、フランス語では、入学試験にも「コンクール」という言葉を用いる)。ノルマルに入学するためには、高校卒業後、特別の準備クラス(カーニュ)に入って、専門の勉強を行なう。大学は通常の学生が行くところ、グラン・ゼコールは研究者ないし教育者予備軍のための教育機関である。



 2003年12月に行われ、前述の関本さんも4位入賞した浜松国際ピアノコンクールの審査員チョウ・グォアンレン(中国)は、こんなことを言っている。  
チョウ審査員は「浜松が世界レベルのコンクールに育ったことを確信しています。特に若いピアニストの演奏レベルが上がっているのには驚き。今日も、18歳のピアニストがいましたが、あの年であれだけの演奏をするのは素晴らしいことです。みんな指の動きがとても早くて驚いています」と述べた。
 会見ではなぜ浜松国際ピアノコンクールが短期間の間に国際的に評価を受けるようになったのか、といった質問も飛んだが、チョウ審査員は「市制80周年の記念に、ピアノコンクールを創設という発想が浜松ならでは。市を上げてコンクールに取り組んでいることが大きい。中村審査委員長とのコンビネーションもよく、関係者が一丸となっているから」と発言。ステーン=ノックレベルグ審査員は「ウィーンやパリでオーディションを行っていることで、ヨーロッパの若い才能から逆に注目されるという効果を生んでいる」と、海外からの注目度が最近上がっていることを指摘した。

こういったことは、日本の高等教育機関も、「国際的な競争力」を云々したければ、徐々に検討していくべき課題であろう。こういった制度改革のことを考えるとき、昨年のプロ野球改革ほど典型的な事の成り行きを示したものはない。一年半ほど前に、各球団オーナーがご大層に言っていたことを一つ一つ思い出し、そして今日のプロ野球の姿を見てみればいい。

Friday, May 20, 2005

デーゲーム(上)

エリートについて書いたが、あれはあくまでも制度に関するものであり、人間に関するものではない。ひとたび制度が確保されたなら――しかしこれが現在の日本では絶望的に困難なのだ――プロがその中でやることはエリートであろうとなかろうとさほど違わない。したがって大事なのは「世の中にはエリートばかりいるわけではない」といった「庶民の目線」をもつことではない。そういうポピュリズムで世の中が変わるなら、日本はとっくに変わっているはずではないか。

重要なのは、制度改革と個人的な質の向上を区別することである。ここでは、個人としての学者のほうに話を移そう。ここでもまた、スポーツの比喩がヒントを与えてくれる。

スポーツ関連の記事で興味深いのは、技術や練習方法に関するちょっとした記述である。「汗と涙」とか「遺恨勃発」とか、スポーツ新聞の記者によって捏造された人間ドラマはどうでもいい。スポーツが提起する中心的な問題は身体技術の問題(そしてそれに関連する限りでの≪精神的な技術≫の問題)であって、感情は副次的な付随物にすぎない。

2005年5月18日の日ハムとの交流戦で通算449二塁打を打って、福本豊(阪急)のもつ二塁打の日本記録に並んだ中日・立浪は、「野球エリート」である、とある記事は言う。

エリート、18年目の勲章 抜群の野球センス
 レギュラーを張り続けてきた証しがプロ野球記録として結実した。18歳でプロの世界に飛び込んでから18年。積み上げた二塁打の数は449本に到達した。「野球エリート」。立浪ほどこの言葉が似合う選手はいない。中学時代、大阪の高校野球関係者の関心事は「立浪はどこの高校に行くか」に絞られていたという。強豪、PL学園に進んで1987年には甲子園で春夏連覇を達成。素材の良さは際立っていた。
 立浪を獲得した中田スカウト部長は当時を振り返り、「野球を見る目はもちろん、守備力がずばぬけていた。脱臼してコンバートされたが、15年はショートはいらないと思った」と話した。高校出ルーキーとしては22年ぶりに開幕の大洋(現横浜)戦に遊撃手で先発出場。6回には将来を予感させるかのように、初安打となる二塁打も放った。
 新人王を獲得し、高校出ルーキーでは史上初のゴールデングラブ賞も同時に受賞。故障に泣いたこともあったが、常に中心選手としてチームを引っ張り、1年目など3度のリーグ優勝も経験した。輝ける野球人生。しかし、「今は誇れるものは何もない。終わってから、最高のプロ野球人生を送れた、と思えるように頑張りたい」と立浪は言い切る。“挑戦”はこれからも続く。(了)[ 共同通信社 2005年5月18日 22:18]http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/npb/headlines/20050518-00000056-kyodo_sp-spo.html

なるほどそうなのだろうが、正直言って、つまらない平凡な記事だ。こちらのほうが面白い。
1メートル73、70キロ。決して体格に恵まれていない。試合前、“恋人”の平沼打撃投手を相手に緩い球でスイングの速さを確かめる。数分後、距離を約10メートルに縮めて速球を打ち込む。目を慣らすため。一歩間違えば大怪我ににつながるから相棒は1人。「練習でいい当たりはいらない」。プロで生き抜くための知恵の結晶が大記録につながった。(…)決して才能だけでは頂点には立てない。本塁打のように派手ではない。だが、だれにも踏み込めない聖域を作り上げてみせる。
http://sports.yahoo.co.jp/hl?c=sports&d=20050519&a=20050519-00000025-sanspo-spo

(ちなみに普段は笑わせる福本だが、この日のコメントは真面目。 「記録達成は彼の広角打法のたまもの。記録に並ばれて寂しいというより、二塁打記録が脚光を浴びてうれしい。今後もどんどん記録を伸ばしてほしい。」 [ 共同通信社 2005年5月18日 22:16 ] )

まったく偶然だが、同日の記事。こちらは、今のところ大記録とは縁がないが、阪神・桧山である。


出場機会が減った今季。外野の守備練習を終えた後、何度もショートの位置に立っていた。誰に指図を受けたわけではない。ひたすら、フリー打撃の打球を追っていた。「打球は速いし、これが目慣らしになるからね。回転とかも全部違ってくるし。バッティング練習だけだと分からないし、鈍らないようにね」。バッターボックスに生きる男が、そこに生きがいを見つけるため―。オフの自主トレ中には、携帯電話の動画で、自分のバッティングを撮影したこともあった。「小さいけど、肩の動きとか分かるから」。ひっそりと、それでも重い汗を流す。華やかな世界に身を置きながら、地道に踏みしめる一歩を忘れない。この信念が、マンモスを揺るがした。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/npb/headlines/20050519-00000015-spnavi_ot-spo.html

練習時は試合のときより速い球で練習する。試合で完全なプレーをそつなくこなすためだ。

デーゲーム(下)

奥田民生(というかユニコーン)の歌に『デーゲーム』というのがある。少し気だるくもの悲しい歌だが、プロ野球の二軍選手の感じがとてもよく出ている。

個人としての学者の話をするとき、「二軍」の話をしないわけにはいかない。

「悪循環のために、慎重は憶病に映り、強気は雑に映ってしまう。何をやってもすべてが裏目に出た。」http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050502-00000005-dal-spo

救世主ブラウン 初先発初勝利
 スポットライトへの強い渇望が、1人の助っ人を救世主へと変えた。窮地に追い込まれていた猛虎を救ったのは、5回1失点で初白星をつかんだ阪神・ブラウンの右腕。来日初先発のマウンドは、連敗ストップの歓喜のフィールドと化した。
 「(お立ち台は)信じられないぐらい素晴らしい。これだけのファンに囲まれて自分でも何を言っていたか分からない。もう一度感じてみたい、いい気分だったよ」。五回につかまったものの、きっちりとゲームを作って打線の援護を導いた。勝因を振り返った時、そこには「さぼったりせずに練習できた」という鳴尾浜の日々がある。開幕直前に襲われた風邪の影響でまさかの2軍スタート。ただ、心の支えがあった。
 海を渡る決意を固めたとき、1枚のDVDを手に取った。「好きな映画だからアメリカから持ってきたんだよ。日本に来てからも見てるんだ」。ケビン・コスナー主演の「BULL DURHAM(さよならゲーム)」という野球映画だ。
 「3Aの選手の生き方を描いた映画なんだ。僕も長かったからね」。長いバス移動や人もまばらなスタンド。栄光の日を思いながら過ごす地味な生活。プロ入り7年でメジャーでの登板はわずか4試合、0勝に終わった。映画を眺めながら思い返した日々。ただ、あの時を忘れたくない。辛かったが、そこには夢があった。下積みの苦労を忘れない男だからこそ、この日が待っていた。
 バッグにしまい込んだウイニングボール。“メジャー初勝利”の大切な証しだ。「宝物の一つになるよ。これからも勝っていきたいね」。いつか、こういう日が来ると信じていた。聖地を埋めた虎党のハートを射抜き、マンモスの揺れを肌で感じる。異国で用意されていた晴れ舞台。簡単に手放す気はない。[5月5日 11時0分 更新]http://sports.yahoo.co.jp/hl?c=sports&d=20050505&a=20050505-00000005-dal-spo

Thursday, May 19, 2005

Aux Macherey


le fameux Seminaire de Pierre Macherey. A la dernire seance (18 mai 2005). Posted by Hello

Thursday, May 12, 2005

続・スシボンバーの憂鬱

不満な点が幾つもある。言いっ放しだと思われたくないので、手短に問題点を素描しておこう。

1. 「ゆとり教育」に関して

子供が勉強に対する意欲をなくしているという。しかし、親がそもそも偏差値や学校のネームバリューや子供の「将来」(良い会 社に入ること?)にしか興味をもっていないのに、どうして子供が勉強の面白さに気づけようか。要するに、まずは親自身が再教育される必要があるのである。これは別項で 指摘したが(pratiques théoriquesの2005年2月21日の項参照)、教育問題を論じるときに見落とされがちな視点は、親があたかも完成された人間であるかのように 見なされているという点である。

2.海外で活躍する日本人選手と日本人研究者

木本大志さんの「イチローvs.松井秀を前に思う日本人メジャーリーガーの成熟」(2005年05月09日)という記事を読んでいて、改めてこの十年の日本人メジャーリーガーの成熟を思う。

海外のプロスポーツに挑戦するというのは、一つ一つ偏見を打破し、自分の能力を証明していくということである。

去年だったか、オランダ・リーグの韓国人サッカー選手が批判されていた。活躍していないから、というのではない。オランダ人並みにしか活躍していないから、というのである。オランダ人並みにしか活躍しないなら、わざわざ外国人を雇う必要はない、というわけだ。つまり外国人選手に求められているのは、並みの活躍ではない。ずば抜けた活躍なのである。その意味で、次の発言はまったく驚くに当たらない。

ハンセンもベイラーも、ともにこの10年を振り返ったとき、こう言った。「驚きは、日本人がここでプレーしていることじゃない。彼らにそのポテンシャルがあることは、ずっと前から感じていた。ただ、彼らがメジャーのトップ選手となり、レコードブックに名を残すような活躍を見せていること。それは、さすがに10年前には想像できなかった」


先発投手として先陣を切った野茂や、抑え投手として先陣を切った佐々木、外野手として先陣を切ったイチローのような存在が「レコードブックに名を残すような活躍」をしてきたからこそ、その後に続く選手たちに道が開かれたのである。

1995年、野茂が日本人大リーガー初の先発投手として登板。これまでは「ジャイアンツの村上」というわずか数試合に出場しただけの選手が伝説の名前として刻まれていたにすぎない。

し かし野茂が出てきて1995年に16勝し、1996年にノーヒットノーランをしてもなお、それは「日本人は先発投手としては使えるらしい」というだけのことにすぎなかった。その後、「ハマの大魔神」こと佐々木が抑えとして活躍し、はじめて「抑え投手」としても能力があることが証明された。それでもなお「投手としては使えるが、野手としてはどうか」という疑念があった。

2001年にイチローが来て、いきなり首位打者、ゴールドグラブ、リーグMVPをとってもなお、それは「日本人は外野手としては使えるらしい」というだけのことにすぎなかった。その後、松井秀喜は勝ち組やSHINJOは負け組となったが、外野手はコンスタントに取られるようになった。

日本人選手は未だ内野手としては完全に能力を認められていない。二塁手として は井口、内野で最も難しいポジションと言われる遊撃手には松井(稼)や中村が挑戦しているが、完全に勝ち取ったと言えるようになるにはまだ時間がかかるだろう。現在の日本人選手の壁は、したがって内野手レベルである。

しかし、未だ挑戦すらされていないさらに困難なポジションがある。それは、キャッチャーである。なぜならキャッチャーはコミュニケーション能力が最も問われる、すなわち「言葉の壁」が最も高いポジションだからである。来年、ソフトバンクス(旧ダイエー)の城島健司が挑戦すると言われているが、はたしてどうなるか。

これらのことはすべて学問研究にも当てはまる。海外で研究に従事する研究者はいちいち能力を証明していかなければならない。ある分野はこなせても、他の分野がだめなら、トータルの力がないと言われてしまう。また、認められやすい分野とそうでない分野がある。語学の壁が相対的に低い自然科学分野にはすでに多くの優秀な学者がいて国際的に認められている。最も語学の壁が高いのは哲学・文学研究である。ここで認められるのはなかなか…。


3.「記録より記憶に残るプレーを」ではなく、「記録によって記憶に残るプレーを」

大リーグに行ったというだけなら、もはや珍しくもなんともない。SHINJOの「記録より記憶に残るプレーを」というのは確かに名言ではある。しかし、記録か記憶かという二者択一にこだわる必要はない。より望ましいのは、そしてもちろんより困難なのは、記憶に残るような記録を残すことである。

試合前の打撃練習。ケージに向かうイチローの背中を見ながら、ベイラーコーチは首を振った。「いったい何人の選手たちが、その記録に挑んできたと思うんだ?ロッド・カルーもできなかった。ジョージ・ブレットもできなかった。ピート・ローズだってできなかった。それを日本人が、さらっとやってのけてしまっ
た。教えるというより、こちらが学ぶことの方が多いよ」


ここまで言われるようになれば、大したものだ。先日、 フランスのテレビで、アインシュタインの特殊相対性理論百周年を祝う番組をやっていた。そう言えば、アインシュタイン本人も、自身の専門領域のみならず平和運動や公民権運動などにおいても、「海外で活躍した選手」の代表例である。物理学者のカク・ミチオが登場してコメントしていたけれど、堂々としたものだった。

Tuesday, May 10, 2005

教育の哲学、哲学の教育(2)エリート教育の問題

 以前「スシボンバーの憂鬱」に書いたようなことを普段の会話でもよく話しているのだが、最近海外での研究をスタートさせた友人(理科系の研究者)で、「サッカー選手の譬えは、今の自分の状況にとてもよく当てはまっていて、考えさせられました」と言ってくれた人がある。このスポーツ選手の比喩はもちろん、誰にでも分かりやすいようにという「啓蒙的」な意図から出た、半ば冗談にすぎないものだが、しかし高等教育の現状が提起する諸問題には想像以上によく当てはまる。

 以下、どこまでプロスポーツの比喩を学問に適用することが可能か、その限界を常に意識しつつ、展開してみることにする。今回は、エリート教育の問題をこの比喩によって考えてみよう。

1.プロスポーツとしての学問 :エリート教育とは何か?

 誤解を防ぐために最初から言っておくが、私がここで「エリート教育」と呼んでいるのは、早い時期からの徹底したスペシャリスト教育、プロフェッショナル教育のことである。「早い時期から」ということで念頭においている対象年齢は、18歳から22歳くらいまでであり、「徹底した」ということで想定しているのは、大学生に与えられる通常レベルの教育以上のハイレベルな教育ということである。

 また、対象学問としてはとりわけ人文科学を念頭においている。なぜなら、エリート教育に対して最も拒否反応を示すのが人文系の学者だからである。自然科学ではエリート教育は半ば公然化してきていると言っていい。なぜ人文科学だけが悪しき平等主義、言葉の最も悪い意味での「衆愚政」の弊害を受けなければならないのか。真のエリート教育とは何か。いかなる先入見も排除して考えなければならない。

a.
 プロスポーツの将来を真剣に考える者で、エリート教育を疑問視する者はいない(文末のニュースを参照のこと)。サッカーで小中学から訓練を積んでいない超一流のプロ選手などいない。Jリーグには下部組織として小中学生くらいからクラブがあり、衰えたとはいえ国民的スポーツであるプロ野球にはリトルリーグがある。幼い頃からの切磋琢磨によってごく一握りのプロ選手が磨かれていくが、その際、誰も「エリート主義」などと騒ぎ立てはしない。

 クラシック音楽についても同じことが言える。たしかに芸術はすべての人に開かれている。しかし、そのことは、クラシック音楽の分野で一流の芸術家を育てあげようとする特別な機関までがすべての人々に開かれているという意味ではない。

(私が単に音楽と言わず、ポピュラー音楽を外してクラシック音楽を例に選んだ理由は、①今現在、ポピュラー音楽の「レベル」「基準」は限りなく資本の論理によって決定されている、②ジャズ、ポピュラー音楽、ロック、パンクは「我流」「無手勝流」とまでは言わないまでも、「反制度」を基本としており(例外はいくらでも挙げられるが、例外であることに違いはない)、学問におけるエリート教育制度のモデルにはなりえない。むろんこれらの理由は美的な価値基準に基づくものではなく、制度の必要の度合いに基づくものである。)

 狭義の意味での学問はプロスポーツや職業としてのクラシック音楽に近い、プロフェッショナルな「職業 profession」である。「狭義の意味での学問」とは、ここでは、高等教育と研究者養成という二重の目的を兼ね備えた大学で行われる活動を指す。この狭義の意味での学問の未来を考えるなら、エリート教育ということを真剣に考えねばならない。エリートはどんな国、どんな時代でも評判が悪いものである。しかし狭義の学問の本質を考えるとき、我々は必ずエリート教育の問題にぶつかる。この問題を避けて通ることは、真実から目を逸らすことである。

b.
 「私は子供にはエリート教育など与えたくない」という人も当然いるであろう。自然な、ごく普通の教育の信奉者である彼らには、彼らの望む教育を可能な限り、可能な範囲で青少年に与える権利が保障されている。しかし他方で、一流の音楽家になりたいと真剣に願う青少年の願いを圧殺する権利は彼らにはない。したがって一般の音楽教育とエリート音楽家教育を区別しなければならない。「エリート音楽教育が日本に存在することが必要だ」ということは、「すべての人々にそれが制度として押し付けられねばならない」ということではない。一流のクラシック音楽家だけがクラシック音楽を愛しているのでないことは言うまでもないし、一流の音楽家になることが音楽の唯一重要な目標だというのでもない。

 しかし、一流のクラシック音楽家、一流のスポーツ選手になりたいのであれば、また国際的に活躍できる一流のクラシック音楽家・スポーツ選手が日本からどんどん輩出されるようになるのを望むのであれば、話は別である。むろんみんなが自由にのびやかに好き放題、無手勝流に練習を積んで一流の芸術家になれるのであれば、それに越したことはない。あらゆる機関などというものは、制約や拘束を課す以上、嫌がられ、嫌われる類のものである。しかしみんながみんな天才であるわけではない以上(この教育における天才主義の問題には後で戻る)、類まれな才能をごく幼い頃からの厳しい練習によってさらに磨きをかけて育て上げていくには、「コンセルヴァトワール」のような機関の存在が不可欠である。したがってエリート養成機関とは、ある種の芸術・スポーツにとって「必要悪」なのである。

 同様に、たしかに「国民には等しく学問、研究と自由に取り組む基本的権利がある」が、それは高等教育機関に誰でも入れるということを意味しはしない。

(ここで重要なことを一つ強調しておきたい。たしかに、哲学はすべての人に開かれている。哲学は専門の職業的な哲学者の占有物ではない。誰にでも何かを言う「権利」がある。しかし、このことは誰にでも哲学について何かを判断する「能力」があるということを意味しはしない。物理学や数学についてなら、このような混同は起こりえないのだが、哲学をはじめとして人文系諸科学に関してはほとんど常に起こりうる。現代物理学者は新たな数式や記号を提唱して当該分野の進歩に寄与すると敬意をもって眺められるが、現代哲学者が新たな造語や比喩を提唱しようとすると外野から野次が飛ぶ。「俺たちに分からない議論は、すべて非人間的で、似非知性主義的、エリート主義的、貴族主義的だ」と言わんばかりではないか。

 大衆食堂で飯を食っているオヤジがうなる。「こら、キヨハラ、そんなボールもよう打たんのか!」。隣でこっそり飯を食っているプロ野球選手はこういった発言を耳にしても咎め立てはしないだろう。だが、この発言が卑しくもプロの端くれのものであるならば、「じゃあおまえ、打ってみろや」ということになるだろう。そして実際に打てなければ、自分の能力の欠如を恥じてそのような自分の能力を超えた発言は慎むべきである。素人と玄人の決定的な違いがここにある。

 政治的な議論でも同じである。インターネット上で言論を展開する者は(私も含め)、あたかもその差異が消え去ったかのような妄想を持ちがちだが、能力の差は厳然としてある。)

 もちろん、「一流の芸術家だけが芸術に関わる権利がある」とかいった誤まった「エリート主義」が問題になっているわけでないことは言うまでもない。  ここで、有害無意味な「エリート主義」と必要悪としての「エリート教育」とをはっきりと区別しておく必要がある。エリート主義とは、「エリートは素晴らしい」「エリートには一般人より多くの特権が認められるべきだ」といった単なるイデオロギーであり、エリート教育とは、学問において国際的な競争に勝つのに必要不可欠な国家からの支援を制度化する、単なる教育施策である。エリート主義は平等主義を否定するものであるが、エリート教育は平等主義を否定するものではなく、むしろそれを補完するものである。反エリート主義者の敵は、エリート主義であって、エリート教育ではない。敵を見間違えてはならない。


2.平等主義の陥穽、天才主義の弊害
  
 教育においてこういったスペシャリスト養成を目的とする改革を実現しようとすると、途端に非難の声が上がる。平等主義者の声である。

(ちなみに重要なことなので強調しておくが、教育の哲学が戦うべき相手は二つある。一つは、冷めた目で教育政策を政争の道具としか見ていない教育行政担当者(文科相・文科省官僚)であり、もう一つは、熱い心をもち高い志を掲げてはいるが残念ながら教育の本質を見誤った教育論者である。エリート教育は、むろん異なる観点からではあるが、両者から評判が悪い。

 「エリート教育機関の創設などと言えば、世論から反発を食らうに決まっている」という単純な理由から、教育行政担当者は、意識的なポピュリズム戦略に徹している。これに対して、教育熱血漢は、エリート教育の弊害をむしろ指摘するであろう。エリート教育で育てられた野球選手、体操選手、音楽家などなどの性格の「歪み」など指摘するものは誰もいないが、事が学問教育になると、このような議論が出てくることは容易に想像がつく。しかし、これは物事の本質を捉えそこなった無意識的なポピュリズムである。普通の教育を受けても性格の歪んだ人間はいくらでもいるという単純な事実をこの手の議論は忘れている。)


 民主主義や機会均等は確かに重要であり、通常の国民教育制度が維持・改善されねばならないことは言うまでもない。しかし、それと同時並行的に高等教育や研究者養成制度がもっとはっきりと確立されるのでなければ、学問研究は天才頼み、「神頼み」の状況になってしまう。平等主義の陥穽は、天才主義の弊害と表裏一体の関係にある。

 たしかに、叩き上げのジャズピアニストには、「気取った」(これもまた偏見にすぎないが)クラシック音楽の演奏家にはない魅力があるかもしれない。が、それは二つのまったく異質なものを混同しておいて、無い物ねだりをしているのである。また、茶道や華道の場合に顕著に見られるように、硬直してしまってむしろ弊害のほうが多い制度も確かにある。しかし、完全な制度というものは存在しないからといって、制度自体が存在しなくてもいいということにはならないし、制度の改善を諦めねばならないということにもならない。

 モーツァルトはコンセルヴァトワール出ではないとか、田中角栄は小学校しか出ていないのに総理大臣になったとかいう人がいる。しかし、教育を論じるとき一番やってはいけないのは、天才について語ることである。 天才とは自ら規則の体系を作り出す人のことだとカントは言ったが、まさに教育のモデルとして考えるべきなのは、ごく普通の凡人である。一例を挙げよう。大検制度「改革」に関する、『東奥日報』の2003年8月10日付「社説」(!)の一節である。

 国民には等しく学問、研究と自由に取り組む基本的権利があり、学問には広く国境を越えて接すべき根源的性格がある。管理、運営する立場のみからこの問題を偏狭に考えると、後世に甚大な後遺症を残すことになりかねない。

 ちなみに、今年は本県の生んだ世界的板画家棟方志功の生誕百年。ここで少し頭をひねって考えてみよう。好奇心旺盛な彼が今、仮にどこかの大学を受けようとしても、現状では大検に合格しない限り、大学の受験資格さえ得られないのだ。あれほどの人間だ。明らかに変な制度ではないか。

 大検は専門に大検の受験勉強をしなければ合格は難しいという。これでは板画や油絵をライフワークにしながら、大学にも通って研究を深めたい人の学問の自由は、はく奪されたも同然だ。

 逆に言えば、一芸に秀でた学生の入学を促進し、学内の活性化を図ることは、そうした学生の門前払いをせざるを得ない現行制度では、不可能ではないか。これでは大学、学生双方にとって、はなはだ不幸で不都合なことと言わなければならない。

 未来の棟方志功のために大検制度「改革」を心配するよりも、現在の『東奥日報』論説委員の選抜制度を心配したほうがいいのではないかとこちらが要らぬ心配をしてしまいそうな文章だが、平等主義と天才主義はどのような形で結びつくのか、ポピュリズムの論理を典型的な形で示してくれている。

 そもそも棟方志功のような版画の天才が大学に入る必要はどこにもない。そして入って学びたいのであれば、そこで要求される条件を満たすべきである。『東奥日報』論説委員は、小泉首相が政治手腕において「あれほどの人間だ」から(どういう意味なのか明確にされていないところが味噌である)、専門の訓練を必要とする入団テストのせいでメジャーリーグに入れてもらえないのは「はなはだ不幸で不都合」だとでも言うつもりだろうか?

 異なる能力を混同してはいけない。人間は確かに平等だが、それは個々人が現在持っているあらゆる能力において平等なのではなく、異なる能力を発展させうる潜在的な可能性において平等なのである。こういう事を言うとすぐに、差別だの傲岸不遜だのと言い出す人がいる。しかし、物事の本質を見極めず、理性分別を欠いた意見を押しつけることほど、差別的で傲岸不遜な行為はない。

 大学は高等教育の中枢である。「好奇心旺盛」でさえあれば、そして金と暇さえあれば、「専門に受験勉強」をしなくても誰でも入れるカルチャーセンターではない。この論説委員は、大学とカルチャーセンターを勘違いしており、能力の論理と資本の論理を混同している。

(ちなみに、大学における悪しき平等主義の最たるものは、国立大学の授業料の値上げである。国立大学の最大の利点は、金のない人間でも、能力さえあれば、最高の教育を受けられるという点にあった。日本政府および文科省は、「私立大学との格差をなくすため」(!)この政策を徐々に放棄した。現在、国立大学の授業料は年間50万円近くに達している(ちなみに、フランスの国立大学の年間授業料は5万円にも達しない)。さらにあろうことか、小泉政権は、大学法人と称して、大学の「経済的」な効率化を求めている。将来的なさらなる授業料値上げは目に見えているではないか。

ところが、小泉政権に対する異議申し立てが盛んにならないところを見ると、日本人の大半は、この政策の致命的な帰結を気に留めていないらしい。もしかすると「自分たちには関係ない。国立大学の授業料値上げ?そりゃけっこう。みんな苦しいんだから、あいつらだけが優遇されるのは我慢ならない」と思っているのかもしれないが、それによって割を食うのは、金持ちのボンボンや教授の子女ではなく、苦学生たちであるということを日本人は本当に分かっているのだろうか?

最も守られるべき機会の均等が守られず、ポピュリズムに受けのいい偽の平等主義がまかり通る。偽の平等主義がはびこる国で勝つのは、きまって強者である。そして自分を強者と心情的に同一視したがる「弱者」――とにかく暇ならあるとばかりネット上に罵詈雑言を撒き散らしている人々が「精神的弱者」でなくて一体なんであろうか――が、意志的隷従の拡大再生産に邁進する。日本人はニーチェをかつて一度たりとも読んだことがないに違いない。)

 ところで、「学生や両親を顧客と考えて弛まぬサーヴィス改善に努めねばならない」とはよく言われることで確かに一理あるが、学問は「職業profession」ではあっても「商売commerce」ではない。これが、大学と予備校の本質的な違いである。大学教育は本質的に資本の論理とは相容れないものなのである。

 イチローをモデルにプロ野球の下部組織としてのリトルリーグ改革を考えても仕方がない。天才はおそらく彼(彼女)独自のメソッドを持っているであろうが、その方法論は必ずしも万人向けのものではない。制度とは、それがたとえエリートのためのものであっても、天才をモデルに作ってはいけない。教育制度は、あくまでも「凡人」のためのものであり、高等教育や研究者養成は「プロフェッショナル」のためのものであって、決して「天才」のためのものではない。

 また、一芸入学制度はあくまで副次的な制度にとどまるべきであって、これを中心に大学を考えるのは本末転倒である。大学は知名度のある女優を入学させることによって学生の関心を集め、学生数を確保することで「学内の活性化」はできるかもしれないが、そのことによって「学問の活性化」ができているかは大いに疑問だからである。


3.大学院では遅すぎる:プロフェッショナルとしての学問研究の未来を真剣に憂慮するなら、若手エリート養成機関が必要不可欠である

 事実を事実として率直に受け止めることから出発するのでなければ、客観的で説得的な論理など創出できるはずもない。

 日本の大学にとっての事実とは何か?それは、「大部分の大学生にとって、大学は就職のためのパスポート、証明書にすぎない」ということである。彼らが法学部に入るのは大抵の場合、文系学部で最も偏差値が高いからであって、法学という学問の研究を志してのことではない。経済学部や商学部に入るのは、就職後何らかの役に立つのではないかと思っているからであって、学問としての経済学を学びたいからではない。

 究極的に言えば、彼らにとって、無事卒業さえできれば、大学で何を学ぶかはどうでもいいことである。大学は受験戦争という厳しい資格試験を勝ち抜いた褒美としての、これからまたしばらく(退職まで)資本の論理に完膚なきまでに従属する前の「四年間の休暇」である。これは「一流大学」と呼ばれる大学の学生であろうと同じことである。

 繰り返すが、これは嫌味でも何でもなく、単なる事実の確認である。理想主義的に、あるいはポピュリズムから否定してみても始まらない。むしろこの単純だが厳然たる事実から出発せねばならない。大学が社会人になるための一般教養なりある程度特化した知識をつけるための機関であることを日本人の多数が望むのであれば、大学人がこれに反対する理由はない。大学をそのように捉える結果、大学がどのような性質のものになろうとも、それは国民が望んだことであり、その責任は国民自身が負うだけのことである。

 したがって、日本の高等教育機関たる大学はエリート教育機関ではないし、今後もそうなることはないであろう。東大や京大をエリート大学だと言う人が(東大生や京大生の中にも少なからず)いるが、彼らが間違っているのはこの意味においてである。

 ここまで私の論を追ってきた人は、「大学院はまさにそのために、研究者を育成するためにあるのではないか」と言うであろう。それは間違ってはいないが、重要なポイントを一つ見落としている。ここで、スポーツの比喩が再び重要になる。

 なぜ大学院では不十分なのか、理由は簡単である。それは、大学院では遅すぎるからである。

 スポーツにおいて、18歳から22歳といえば最も重要な成長の時期であるが、研究者においても事情は変わらない。日本の教育行政は、この時期に将来研究者になるべく専門的な努力をすべき若手の研究者に、一般の大学生と同様の教育しか与えないことによって彼らの成長を妨げている。

 したがって大学とは異なる(大学内にでも構わないが)新たな機関を創設することが急務の課題である。フランスで言うところのGrands Ecolesのような存在を構想することである。

未来の日本代表を育成 「JFAアカデミー」を発表 日本サッカー界に“超エリート選手”誕生だ!
 27日、2006年度から福島県の「Jヴィレッジ」(楢葉町、広野町)で開始される中高一貫のサッカーエリート教育プログラム「JFAアカデミー福島」の概要が発表された。会見に出席した日本サッカー協会の田嶋幸三技術委員長は「4人に1人はJリーガーにし、(初年度の)男子は2014年と2018年のワールドカップを、女子は2008年の北京五輪を目指す」と高らかに宣言した。
 日本サッカー界の未来を背負って立つ最初の「金の卵」となるのは、男子が中学1年の15人程度、女子は中学1年から3年生15人程度、高校1年生8人程度という少数精鋭。8月下旬から11月上旬にかけて3度の選考試験を実施して選抜される。求められる人材について、田嶋委員長は「特色のあるプレーヤー」と語り、特にポジションにはこだわらず「全員がFWでもいい」と未知なる選手たちの才能に期待を寄せた。
 3泊4日の合宿形式など、過酷な選抜テストをくぐり抜けることができた選手たちは、優秀な指導者と専用の寮・練習場など充実した施設の中で、長期的かつ集中的なエリート教育を受ける。またサッカーのみならず、勉強面についても「Jヴィレッジ」の地元となる福島県、富岡町、広野町、楢葉町の公立中学、高校と連携。「真の国際人として社会をリードする人材」の育成を目指した教育を中高一貫で受けることができる。
 この教育プログラムは、フランス代表のアンリ、アネルカらを輩出したフランスのナショナルフットボール学院(INF/クレールフォンテーヌ)がモデル。同学院の元校長であるクロード・デュソー氏も来日し、アドバイザーとして指導にあたる予定である。活動拠点となる「Jヴィレッジ」のある福島県も40億円を投じ、万全のバックアップ体制で未来の日本代表選手の輩出を目指す。[4月27日 19時14分 更新 ] http://sports.yahoo.co.jp/hl?c=sports&d=20050427&a=20050427-00000018-spnavi-spo

<JFA>エリート教育でフランス協会との提携模索
 日本サッカー協会(JFA)の川淵三郎会長は27日、選手のエリート教育についてフランス協会との提携を模索する考えを明らかにした。中高一貫で選手のエリート教育を目指すJFAアカデミー福島が28日から来年度の募集要項を配布し、本格始動する。川淵会長は「この試みを日本全体に普及させるためにも、フランスのノウハウを吸収したい」と話した。
 フランス協会は72年に、今回の福島のモデルの一つとなったナショナルフットボール学院(INF)を設立。13~15歳の選手が寄宿生活を送り、トレーニングを積んでいる。フランス代表・アンリ(イングランド・アーセナル)もINF出身。この世代の育成システムの確立がフランス代表を支えている。日本代表の世界トップ10入りを目指す日本協会も、エリート教育の範とする。
 渡欧していた田嶋幸三技術委員長がフランス代表のジャケ元監督と会談し、手応えをつかんでいるという。今秋以降、具体的な調整に入る。【小坂大】[4月27日 20時7分 更新 ]http://sports.yahoo.co.jp/hl?c=sports&d=20050427&a=20050427-00000121-mai-spo

Sunday, May 08, 2005

大学は出たけれど2005

大学院まで出て博士号も得たけれど、職がない。フランスでも厳しいのは同じであるが、厳しさの度合いが違い、またその意味合いも違う。
博士号は得たけれど「ポスドク」激増で就職難
 博士号を取得したものの、定職に就けない「ポストドクター」(ポスドク)が、2004年度に1万2500人に達したことが、文部科学省が初めて実施した実態調査で明らかになった。
 2003年度は約1万200人で、1年間で約2300人も増えている。
 年齢別では約8%が40歳以上で“高齢化”が進んでいる。大学助手など正規の就職先が見つからず、空席待ちが長引いていると見られる。さらに、社会保険の加入状況から推定すると、常勤研究者並みの待遇のポスドクは半数程度しかいないと見られ、経済的に苦しい状態も裏付けられた。
 政府はこれまで、国内の研究者層を厚くするため、大学院の定員拡大などポスドク量産を推進してきた。しかし、研究職はさほど増えておらず、その弊害が出た形だ。多くは研究職志望で進路が少なく、企業も「視野が狭い」などと採用に消極的で、不安定な身分が問題化している場合が多い。
 ◆ポストドクター=博士号(ドクター)を取得した後、専任の職に就くまでの間、大学などに籍を置いて研究を続ける若手研究者。公募型の研究費を得たり任期付きで給与をもらったりして生活している例が多い。(読売新聞)
- 5月2日18時59分更新http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050502-00000306-yom-soci

大学は出たけれど、そこでいったい何を学んだのか。

「銃後」「御真影」知らず 大学生、沖縄戦の日も
 「銃後(じゅうご)」「御真影(ごしんえい)」といった言葉を知っている学生が減り、近代史に関する日付として6月23日を「沖縄戦終結」、9月18日を「柳条湖事件」、12月8日を「太平洋戦争勃発」と正しく記憶している割合も低下していることが、教育史研究者の岩本努さんの調査で分かった。特に加害の歴史については理解不足が目立った。

 岩本さんは「中高校で近代史を十分教えず、マスメディアもあまり取り上げない。中国、韓国で反日運動が高まる中、歴史を正しく知らなければ、本当の意味の友好関係を築くことはできない」と話している。岩本さんの講義を受けている中央大の44人、法政大の79人を対象に4月に調べた。(共同通信) - 5月4日16時41分更新http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050504-00000084-kyodo-soci


学校は出たけれど、そこでいったい何を学んだのか。これは運転士たち個人の問題ではなく、日本人の間で急速に消滅してしまった連帯心の問題である。連帯心の消滅に至る歴史をひもとくことが火急の課題かもしれない。

「仕事気になった」=救助せず出勤の運転士-「指示なかった」と批判・JR西労組
 JR福知山線の脱線した快速電車に乗り合わせたJR西日本の運転士2人が、救助活動せずに出勤していた問題で、27歳の運転士が労働組合の聞き取りに、「現場にいようと思ったが、仕事が気になり、警察の邪魔になるとも思ったので、出勤した」と話していることが4日、分かった。 運転士2人が所属する西日本旅客鉄道労働組合が記者会見し、明らかにした。 同労組は「2人が指弾されても弁解の余地はない」とする一方、「事故現場に残ることを指示しなかった」と同社を批判した。 (時事通信)- 5月4日16時1分更新http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050504-00000817-jij-soci

Wednesday, May 04, 2005

『神学的転回』(7)後期ハイデガー(下)

では、ハイデガーは本当にこの「現象学」の参照を必要としたのか?自分の晩年の思考を常に現象学的なものとして提示していたのか?ジャニコーによれば、この二つの問いへの答えはいずれも「否」である。むろん、いかにわずかなものではあっても、現象学的発想法との関係をなおも維持する必要をハイデガーは感じていたのではないかと問うことは適切ではあるが。

実際には、例えばツェーリンゲン・セミネールや「私の思考の道程と現象学」など、後期ハイデガーの現象学への言及が目立つ箇所は、彼の思考の軌跡の一貫性が問題になっている箇所だ、ということである。だからこそハイデガーのフッサールとの出会いから、周知のフッサールとの相違・対立に至るまで、フッサールの遺産との関係が必ずこれらの議論の中心を占めるのである。ハイデガーの思想の道程の一貫性・統一性を強調しようと思えば、常に彼とフッサールとの共同作業の根底にあった根本的な意見対立を認めざるをえない。例えば、フッサールのブレンターノとハイデガーのブレンターノは、同じブレンターノではない。フッサールが惹かれたのは『経験的な観点からする心理学』(Psychologie du point de vue empirique)のブレンターノであるのに対して、ハイデガーが「哲学を読むすべを教わった」のは『アリストテレスにおける存在者の多様な意味について』(Des significations multiples de l'étant chez Aristote)のブレンターノである。また彼ら相互の評価に関していえば、若きハイデガーは『論理学研究』第6部に惹かれていたが、フッサールはそれにはもはやほとんど意義を認めていなかった。しかしこういったことはすべて、『存在と時間』がフッサール現象学の方法と、とりわけその前提に加えることになる大変動に比べればまったく何でもない。

したがって確認しておくべきことは、一方で、現象学は、その名からしても着想からしても、誰に属するものでも(フッサールにすらも)ない以上、ハイデガーには現象学を自分のものとする十全な権利があるということ、他方で、しかしながらハイデガーが最終的に賞賛する「同語反復的思考」は、フッサールによる構成の試みとはもはや何の関係もないものだということである。なぜならこの後者は、存在者のさまざまな断面(現実存在の主観的な相関物の側まで含めて)のより根本的で、より真、より完璧な認識をきちんと提供しようとするものであったからである。

ジャン=フランソワ・クルティーヌが見事に示したように、後期ハイデガーが最終的に到達した「現れないものの現象学」から振り返ってみるならば、『存在と時間』の段階は、言ってみればはじめて現象の覆いを剥がす方向に進んだものと見ることができる。一種の賓辞の文法という、現象学の解釈学的深化として見なすことはまだ可能であった。しかしながら、『存在と時間』で提示されたハイデガーのプロジェクトの「同語反復的」ラディカル化は、クルティーヌによれば、ただ単にあいまいさに行き着くのみならず、現象の放棄というUnglück、災厄、カタストロフに行き着くことになるのではないか?

こうしてハイデガー思想の謎めいた展開をたどってくると、まさにここから神学的転回の問題のすべてが始まるのだということが分かる。ここにこそ、実証的な現象学プロジェクトと、その始原的なもののほうへの方向転換との間の断絶がある。一方を困惑させるものが他方を満足させる、和解の余地なき選択肢がある。「現れないものの現象学」は、沈黙に縁取られた言葉に耳を傾けるべく、現象の整然としたあらゆる提示を最終的に揺るがし、始原的なものへ、見えないものへ、密やかに佇むものへ向かう。実際、ハイデガーのヘルダーリン解釈を見る限り、彼の「転回」が聖なるものの探求によって条件づけられていることを否定するのは困難である。このハイデガーのKehreなしに、フランス現象学の神学的転回はありえなかった(Sans la Kehre de Heidegger, point de tournant théologique.)。

Tuesday, May 03, 2005

『神学的転回』(6)後期ハイデガー(上)

「現れないものの現象学」と贈与(donation)

1961年に現れた二つの著作――レヴィナスの『全体性と無限』と、後期メルロ=ポンティの『見えるものと見えないもの』――は、ただ単に完全に同時に現れたというのみならず、まったく同じ問題に取り組み、それぞれなりの仕方で解決を与えようとしている。すなわちフッサール現象学における「志向性」の限界、志向的地平をいかに乗り越えるか、という問題である。どちらも、フッサール以上に現象学の「精神」に忠実たることによってこの難題を解決しようと試みていたのであった。

ところでこの戦略を最初に開始したのは、ハイデガーである。ハイデガー自身はやがて晩年に至って――したがってレヴィナスやメルロ=ポンティの後に――、「現れないものの現象学」という主題のうちにその最良の解決策を見出したと考えた。デリダやミシェル・アンリがその遺志を継いで、やはりそれぞれなりの仕方で、引き続きこの道を切り開いていくことになる。とりわけ本書の中心的な課題として問題になってくる「神学的転回」を担う哲学者たちがこの後期ハイデガーの思想を「開発=活用=搾取exploiter」「収用・占有ex-s'aproprier」ないし「簒奪usurper」しているように思われる以上、ここでその後期ハイデガーの思想の本質を簡潔に把握しておくことはきわめて重要である。

「現れないものの現象学 phénoménologie de l'inapparent」という表現は、ハイデガーの晩年になってようやく現れてきたものである。初出は1973年、ツェーリンゲンのセミネールにおけるもので、最初フランス語で発表された(Questions IV, Gallimard, 1976; tr. Vier Seminare, Klostermann, 1977. プロトコルは、ハイデガー自身によってフランス語で執筆されたことを想起しておこう)。

さて、逆説的にも思えるが、この表現の中でハイデガーの思想にとって本質的な問題を提起するのは、「現れないもの」というテーマの出現ではなく、「現象学」というフッサール的語彙の維持である。

たしかに、「現れないものl'inapparent」という言い回しは両義的ambiguである。一方では、逃れ去るもの、眼差しにはっきりとは現れないものという意味でもありうるが、他方では、(現実存在とは区別される)単なる見かけ(仮象apparence)に還元されないものをも意味しうる。しかしもちろんハイデガーは、俗流プラトン主義的なイデア概念につながりかねない後者の意味を斥ける。

ツェーリンゲン・セミネールは、まさに「いかなる意味で、フッサールには存在の問いがないと言えるのか」(ボーフレ)という問いに答えようとするものである。フッサールは『論研』第六研究を除けば、なおも存在を客観的な与件と見なしているが、ハイデガーは存在の「真理」を「現前の非覆蔵désabritement de la présence」のうちに見て取ろうとしている。

だとすれば、すべてが意識の志向性から説明されるのではなく、むしろ意識こそより根源的に「現-存在の脱自のうちにdans l'ek-statique du Da-sein」位置づけられねばならない。形而上学にも、常識の目にも現れない、この現前の出現が取り集められる瞬間をこそ捉えねばならない。ハイデガーはこのより原初的な思考を「同語反復的思考pensée tautologique」と呼ぶ。

こうして見てくると、「現れないもの」の方へのハイデガーの「転回」の方向性はよく分かる。どこまでも形而上学的な、意識の(志向性の)思考からの(その外への)救出の諸条件を探ること。では、しかしながら、なぜ依然として「現象学」にこだわるのか?ほとんど破壊せんばかりに根本的な変形を加えてまで、なぜ「現象学」を維持する必要があるのか?捨て去ってしまった方が簡単ではないのか?

[ハイデガーが1927年夏学期にマールブルク大学で行った講義『現象学の根本問題』に関して、木田元はその著書『ハイデガー『存在と時間』の構築』(2000)で、こんなことを言っている。
この講義の表題について一言しておきたい。『現象学の根本問題』――文字通りには「根本的諸問題」と複数形――と聴くと、誰しもハイデガーが先生のフッサールの現象学を祖述してみせる、あるいはそれを継承展開してみせようとするのだと思ってしまうであろうが、この講義の内容はフッサールの現象学とはほとんど関わりがない。ハイデガーは『存在と時間』でも「序論」の第七節で「現象学」に言及し、「存在論は、ただ現象学としてのみ可能である」とか、「事象的内容から見れば、現象学とは存在者の存在の学――存在論である」とか、それどころか、「以下に続く考究は、エドムント・フッサールが築いた地盤の上で、はじめて可能になったものである」とか、いかにもフッサールの現象学を忠実に受け継ぎますと言わんばかりの言い方をしてみせている。だが、ハイデガーには、フッサールの現象学をそのまま継承しようなどという気はまったくない。それは、この第七節での「現象学」という概念の解明を見ても分かる。フッサールが読んだら怒り出すにちがいないような解明の仕方である。どうも悪意で見ると、一年後のフッサールの退職後、その後任としてフライブルク大学に推薦してもらうお礼に、<現象学>に義理立てしたと思えないでもない持ち出し方である。
 といって、ハイデガーが<現象学>をまったくどうでもよいと考えていたということではない。むしろ彼は、数学から転向してあまり哲学史的素養のない[!]先生のフッサールに代わって、その現象学に哲学史のなかでの位置を指定してやろうという気があったのである。[…]ハイデガーの<現象学>観については、拙著『現象学』(岩波新書)の第IV章をご参看願いたい。(81-82頁)

木田氏一流の軽妙な言い回しだが、要するに――マルクスは「ラディカルであるとは、物事を根本からつかむことである」と言っている――、ハイデガーは現象学をラディカルに、つまり根本から捉え直そうとしているのである。]

Monday, April 25, 2005

ベルゲン学会の報告(三日目)

最終日(4月24日)の午前中は、「自我と主体性」「アレントと政治」「ハイデガーと古代哲学」の三部門に分かれて、第四セクションが行われた(10.00-13.00)。以下、私が参加したIVa, IVcについて報告する。残念ながらかなり疲れていたので、ほとんど覚えていない。

一つ目は、知人Joona Taipaleの発表。フッサールの発生的現象学における自我の概念について。これが初めての発表ということで緊張していたが、大過なくこなしていた。

二つ目は、Dan Zahaviの「時間と自己」に関する発表。ナイサーやストローソンの分析系、リクールやマッキンタイアーの解釈学系、そして「メルロ=ポンティ、アンリ、サルトル、フッサール」(どういう並べ方なんだ?)などの現象学系における「自己」概念を比較していた。

三つ目は、友人Jussi Backmanの発表(実はすでに昨年のCollegiumで使ったもの)。ハイデガーの1930-31年講義の未刊草稿を元に、パルメニデス、プラトンの"Instant"概念に関するハイデガーの理解を彼の哲学のみならず西洋形而上学の中心と捉えるかなり野心的な論文。

昼食は、再びフィンランド人哲学者たちと(13.oo-14.00)。非印欧言語である日本語とフィンランド語による「哲学」の困難と可能性について激論。

午後は、Lenの講演。『盲者の記憶』を中心に、デリダの最晩年の動向を「形而上学の脱構築からキリスト教の脱構築へ」という動きとして捉えようという興味深いものだったが、残念ながら、飛行機の時間のことがあったので、最後まで聞くことができずに、会場を後にした。

***

最後に、大会全体に関する総括的なコメントを。全体の動向としては、昨年はハイデガーが多かったようだが、今年はメルロ=ポンティ(アンリ、ナンシー)などフランス系が増えていたそう。別にテーマで発表を募集しているわけではなく、自由投稿なので、これはまったくの偶然であるようだが。

発表の質は、日本と比べてそれほど変わるとは思えない。ただし、彼ら全員が母国語ではない共通言語の英語でやっているという点は改めて強調しておきたい。歴史的・政治的に複雑な過去を抱えるこの地域では、それぞれお互いの言語を多かれ少なかれ理解することができるものの、「ニュートラル」な英語を用いているのである。英語のレベルは個人差が非常にあるが、ここでもまたサッカーと同じことが言える。スペイン・マジョルカの大久保嘉人はこう言っている。


スペインで活躍するには、スピードが一番大切。やっぱりリーガは速い。特に、上のチームがそう。攻守の切り替えっていうのが、すごく速い。でも技術とかは、そこまでだと思う。むしろ日本人の方が足元とかうまい。日本人の方が柔らかいし。外人は、固いから。でも、試合になるとこれが違う。試合だとこっちの奴の方が、うまい。精神的な部分の違いなのか…
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/eusoccer/spain/column/200503/at00004230.html

同様に、北欧の哲学者たちもここぞというときの議論に強い(ただし、粘り強いが、それほどプッシュは強くない。ラテン系のようなファールすれすれのあざとい議論はない)。

私たち日本の人文系研究者(Humanities)も、東アジアで同様の試みが少しでも多くできるようになれればいいですね。そのために、一緒に打開策を模索していきましょう。

Sunday, April 24, 2005

ベルゲン学会の報告(二日目)

二日目(4月23日)の午前中は、「現象学、医学、精神医学」「メルロ=ポンティにおける具体・受肉をめぐって」「技術と合理性の問題」「現象学のリミット」の四つに分かれて、一般発表の第二セクションが行なわれた(09.30-12.45)。以下、私の参加したセクションIIaについてのみ報告する。

私は二番手の予定だったのだが、大会直前にプログラムが変わり、一番手になった。①前日のドンチャン騒ぎの後での早朝の発表であること、②私の発表の表題がかなりテクニカルであり、いわゆる「純粋哲学系」ではなく他学問とのインターフェイスを扱う「応用系」部門に入れられてしまったこと、などから予想されたとおり、当然参加者は少ない。おそらく十人弱ではなかったか。どうしても短くならなかったので、あらかじめ断りを入れて、35分喋った。反応はそこそこよかった気がする。しかし、何より嬉しかったのは、Lenが来てくれたことである。人目を引く主題を選んで、話の分からない大勢の聴衆が来てくれるより、テクニカルでも本質を突く主題を選んで、話の分かる聴衆が少数でも来てくれたほうが嬉しい(もちろんベストは、話の分かる聴衆が大勢来てくれることであるが、私のような駆け出しの身ではそれは望外のことである。)

というわけで、私の発表は、ベルクソンとメルロ=ポンティによる「デジャヴ」と「幻影肢」という二つの現象の取り扱いを通じて、彼らの知覚理論の本質的な差異と、それが依拠している時間・空間概念の本質的な差異を浮き彫りにするよう努めた。質疑応答は、一つがメルロ=ポンティにおけるこの現象の両義性(物理的には存在しないが、感覚的には存在する)の取り扱いについて、もう一つは、Lenによるものだが、私の発表の底流にある、ベルクソン・ドゥルーズの「内在哲学」路線とデリダの「超越論哲学」路線とを融合させようとする試みの射程・妥当性に関するものであった。

次のFinn Nordtvedtはノルウェーの外科医で、幻影肢に関する自身の症例研究を元に、哲学の博士論文を準備している。哲学的な概念操作には不安定さが残るものの、医者特有の手際の良さで、見事に切り抜けていた。私にとっては幻影肢に関する具体的なエピソードを聞けたことが何よりの収穫であった。幻影肢には幻影痛が伴う場合も少なからずあるのだが、幻影肢以外の部位に現れる感覚ないし苦痛もまたきわめて幻覚的なものであり、この後者の場合の「局部定位localisation」を哲学的にどう考えるかというのはきわめて興味深い問題である。

(①一人の哲学者の思想体系が世界のあらゆる問題を解決してくれると信じるのがいささかナイーヴにすぎるのと同じように、ひとつの症状ないし現象が肉体の哲学ないし身体論に根本的な解明をもたらしてくれるとする考え、たとえば「幻影痛がすべての苦痛現象の鍵である」という言い方は未だ大雑把すぎる。一般に、ある一つの症状ないし現象が哲学的に興味深いものとなるのは、それが哲学的に何を明らかにしてくれるのかが明確にされたときである。幻影肢の現象はとりわけ局在性を問題とすることから、空間概念の再考を要請する。メルロ=ポンティによる「位置の空間性」と「状況の空間性」の区別は、身体空間の根源的な状況性を明らかにしてくれる。あらゆる苦痛は(少なくともベルクソン的観点からすれば)多かれ少なかれ感覚であり、あらゆる感覚(sensation)は多かれ少なかれ運動感覚(kinaesthetic sensation)なのである(pain as sensation-emotion(mood/modus), pain as impotence of movement(motu)-immobility)。

②幻影肢に随伴し、他の局部に現れる感覚・苦痛のもつ空間性は、果たして幻影肢の持つ空間性と同じ性質のものか?)

三番手のFrederik Svennaeusは、「ハイデガーにおける欝の問題。調律・疎外・世界内存在」と題して、もっぱら前期ハイデガーにおけるmoodの問題(1927年の『存在と時間』における不安、1929-30年冬学期の『根本概念』講義における孤独など)を基礎存在論・時間論との関係から検討した。質疑応答では、Heimwehに関するヤスパースの博論やフロイトのUnheimlichとの関連を問う質問、moodと時間・空間概念との関係(むろんDidier Franckが『ハイデガーと空間の問題』で示したように『存在と時間』以来潜在はしていたわけだが、後期に至ると空間概念が前面に出てくる。もう一方で、不安や孤独といった存在様態の分析はまったく影を潜めてしまうが、この二つの現象には何らかの関連があるのか)といった質問が出た。

四番手のMarja-Liisa Honkasalo(University of Linköpping and Helsinki)は、人類学者。彼女の発表"Agency and human suffering as phenomenological problems"は全体の構成がいささか混乱しており、その趣旨をすべて理解できたとは言いがたいが、ポイントはおそらく≪「現象」が文化・歴史・階級・性差などによって異なって現れるものならば、現象学は人類学と協力して研究を推し進めることができる≫という点にある。彼女は苦痛や惨めさなどの現象の文化的多様性に着目し、英語などの言語におけるsuffering, enduringなどのingをagentと捉えて、この苦痛理解をキリスト教文化に固有のものと理解しようとしている(?)。これを論証しようとして、イタリアの人類学者Ernest de Matino(1908-1965)の"La crisi della presenza"分析に依拠していた。なかなか面白そうなのだが、いかんせんまとまっていないのと、基本的な現象学理解に不十分な点があったのが惜しい(たとえば、質疑応答で突っ込まれていたが、ハイデガーの世界内存在をGeworfenheitと対立させるといった点は明らかに初歩的なミスである。ただし、これは私が擁護したのだが、ハイデガーの被投企性をサルトル的な理解と対立させて、前者が未だ十分に実存論的・人類学的でないとすることは可能であろう。もちろん、ハイデガーは望んでそうしたのであり、サルトルのハイデガー理解が一面的にすぎたというだけの話なのではあるが)。

昼食は、Rudolf Bernetと一緒に食べる。彼とも、一昨年のCollegiumですでに知り合っていたのである。雑談ばかりして、彼の最近の関心や肝心の私の仕事の話をしなかったのが今となっては悔やまれる。アドヴァイスをもらういいチャンスだったのだが。

午後はまず、「自己性のアノマリー」「現象学と性差」「情動と傷つきやすさ」の三つに分かれて、一般発表の第三セクションが行なわれた(13.45-16.00)。以下、私の参加したセクションIIIaとIIIbについてのみ報告する。

一つ目は、IIIaのEgil Olsvik(PhD.Student, Univ. of Bergen)の発表を聞いた。精神病者の「非了解性」への現象学的アプローチに関するものであったが、質問はpassive synthesisと区別されるpassive symptomに集中していた。

二つ目は、IIIbで発表した知人のLinda Fisher(カナダ人で、現在はブダペストで教えている)を聞きにいった。Phenomenology of Genderと区別されるGendered Phenomenologyに関する発表であった。私は、ジェンダー的現象学の困難について質問したのだが、あまり理解されなかった。

三つ目は、再びIIIaに戻って、Lisa Källの発表を聞いたはずなのだが、疲れのせいか、残念ながらほとんど何も覚えていない。

コーヒーブレイクをはさんで、Theodore Kisiel(Northern Illinois University)の、ある意味できわめて「アメリカ的」な発表を聞いた(16.15-17.30)。彼の発表がアメリカ人の典型だというのではない。しかし、アメリカ人以外にできない芸風であることはたしかであり、アメリカ人哲学者の一つの「型」ではある。言ってみれば、スパイダーマンとバットマンが、ジェイソンとフレディーの連合と戦うような生き生きとした哲学である。ベルゲン大学哲学科の秘書の方も聞いておられて、「この発表は楽しかった」とおっしゃっていたが、うなずける。ハリウッド映画をいたずらに敵視すべきではない。

こうして二日目の日程を終了した後、7時半からレストランPa Hoydenでディナー。私と連れ合いは、finnophileないしlaponophileなので、フィンランド人哲学者たちと同席する。JussiやJoona、デリダにおける悪や神学の問題を研究しているJari Kauppinen、そして前述の秘書の方と楽しく団らんのひととき。秘書の方(お名前を聞かなかった)はアメリカ人で、スウェーデンにいた頃、ノルウェー人のご主人と知り合われたとか。その後、ドイツ・リューベック出身(ここもハンザ同盟ね)で現在ハンブルク大学で勉強しているという学部生の女性も加えて、ドイツ話。大部分はまだまだ宵の口という感じで残っていたが、我々は翌日のこともあり、結局、十二時半くらいまでいて退席。結局、十二時半くらいまでいて退席。

Saturday, April 23, 2005

ベルゲン学会の報告(初日)

2005年4月22日から24日にかけて、ノルウェー第二の都市ベルゲンで行われた北欧現象学協会の第三回年次大会に参加してきた。私個人としては、4月23日のセクションIIa "Phenomenology, Medicine and Psychiatry"で、「Between Phainomena and Phantasmata: Bergson's 'Déjà-vu' and Merleau-Ponty's 'Phantom limb'」と題した発表を行なった。旅行にまつわる話などはpense-bêteに書くとして、ここでは大会の様子などを報告しておこう。

(ちなみに、海外の哲学事情に詳しくない人のために一言付け加えておくと、
①昨今の英語圏(北欧も含む)の哲学業界では、一般的な呼称としての「現象学」は「大陸哲学」というのとさほど違いはない。そういうわけで、今回のベルゲン学会でも「アレントと政治」といった、狭義の現象学とは無関係のセクションがあったり、あるいは一昨年・昨年と二年続けて私が参加したCollegium Phaenomenologicumでも、一昨年のテーマが「ベルクソン、レヴィナス、ドゥルーズ」、昨年のテーマが「カント、シェリング、ハイデガー」であったりしたわけである。「現象学」という語がより広範な意味を持ちうるという点に関して、もう少し理論的な説明がほしいという方は、ハイデガー『存在と時間』の第7節を読まれることをお薦めする。それから、

②「大陸系哲学と分析哲学の対立などというのは存在しない。ヨーロッパ各国は独自の哲学的伝統を持っているし、分析哲学はそもそも大陸哲学(ウィーン学派)から派生したものだ」という正論もあるが、これは「ヨーロッパとアメリカの文化的差異などというのは存在しない。ヨーロッパ各国は独自の文化的伝統を持っているし、そもそもアメリカ文化はヨーロッパ文化から派生したものだ」と言うのと同じで、原理論としては正しいが、世界の哲学界の現状を正確に捉えているとは言えない。アメリカ文化とヨーロッパ文化の間にきわめて具体的な差異が見られるように、グローバルに見れば、「分析系」と「大陸系」の対立は、諸大学の哲学部(ないし関連学部)のポストをめぐる争いというきわめてマテリアルな形で存在している。
 もちろん、この対立を乗り越えようとする試みもまた確かに存在する。私が今回の訪問で知り合ったデンマーク・コペンハーゲン大学教授で、北欧現象学会の創設者の一人であるDan Zahaviが所長を務めるDanish National Research Foundation: Center for Subjectivity Researchもそのような方向性で動いているようだ。)

2001年5月にデンマーク・コペンハーゲンで創設された「北欧現象学協会(Nordic Association of Phenomenology)」は、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、アイスランドなどの現象学者が所属する団体である。年次大会は、第一回がデンマーク・コペンハーゲン、第二回がスウェーデン・ストックホルム、そして今回第三回がノルウェー・ベルゲンで行なわれた(来年はアイスランドで行なわれる予定である)。現在、会員数が全部あわせても60人程度、日本のさまざまな哲学関連の学会から見れば確かに規模は小さく見えるが、北欧諸国の人口規模や、いわゆる「大陸系哲学」を取り巻く厳しい状況を計算に入れれば、それほど悪い数字ではない。

では、内容を簡単に見ておこう。三日間、毎日、一つか二つの講演(一時間前後の発表と30分弱の質疑応答)と、三つか四つの一般発表(25分前後の発表と20分程度の質疑応答、コーヒーブレイクも含め、全部で三時間強)がある。一般発表はいくつかのセクションに分けて同時進行で行なわれ、発表者はドクター、ポスドクの学生を中心に、しかしながら哲学科教授、助教授や、心理学者・人類学者・医者など他学部からの参加者も含まれる。

初日(2005年4月22日)の午前は、フッサール・アルヒーフ所長のRudolf Bernet(ルーヴァン・カトリック大学)の講演"Bergson on a Present Folded Back on the Past"。ベルクソン『物質と記憶』の時間論の大筋をたどる、きわめて啓蒙的なレクチャー。ただし、Len(Leonard Lawlor、メンフィス大学)の指摘に窮したとおり、「持続」との関係がまったく触れられていないなど、ベルクソンの専門家でないことからくる「脇の甘さ」はあったかもしれない。

昼食は、大学のラウンジで、Jussi BackmanやJoona Taipale(共にヘルシンキ大学)と、片言のフィンランド語で冗談を言い合いながら、そそくさと済ませる。ランチタイムは一時間もない。たっぷり二時間はとり、ワインも飲むフランス流とはかなり趣が違う。

午後はまず「現象学と心理学」「現象学の方法論」「芸術と美学」「レヴィナスと倫理」の四つのセクションに分かれて一般発表が行なわれ(12.45-16.00)、Sara Heinämaa(ヘルシンキ大学)の人格と性差への現象学的アプローチに関する講演が行なわれたが(16.30-17.45)、私は翌日の準備のこともあったので、セクションIa「現象学と心理学」の最初の二つの発表しか聞いていない。

コペンハーゲン大学のPhD学生Rasmus Thybo-Jensenは、メルロ=ポンティにおける心理学と現象学の一体性(分離に対する批判)を強調した。大半の質疑応答は、哲学(現象学)と科学(心理学)の差異を超越論的なものと経験的なもの、アプリオリとアポステリオリの差異と同一視する態度に対する異議であった。

同じくコペンハーゲン大学のPhD学生Thor Grünbaumは、運動感覚的経験(kinaesthetic experience)の性質に関する哲学的・心理学的考察を展開した。質疑応答では、感覚と苦痛の差異を強調する発表者に対し、感覚の本質的な運動性と苦痛の被運動性との根源的な統一性の観点から、幾つかの問題提起がなされた。

18時から20時くらいまで大学のラウンジでレセプションがあり、私はもっぱらLenやLinda Fisher(中央ヨーロッパ大学、ハンガリー・ブダペシュト)との再会を喜び、地元ベルゲン出身だというGunnar Karlsen(ベルゲン大学)に北欧の哲学事情を聞いたりして過ごした。みんなはその後、地元のバーに移って二次会に突入したのだが、私は翌日の発表のため遠慮した。

Saturday, April 16, 2005

『神学的転回』(5)後期メルロとレヴィナス(下)

では、同じ目的(志向性の超出 dépassement de l'intentionnalité)・同じ戦略(現象学を見えないものに向かって開くこと ouverture de la phénoménologie à l'invisible)から出発しながら、なぜメルロ=ポンティとレヴィナスの間にこのような根源的な相違が生じてくるのか。前者は存在論を擁護し形而上学を糾弾しているが、後者は形而上学を擁護し存在論を糾弾しているといった程度の指摘で満足することはできない。事は現象学運動の方向性そのものに関わるのである。

直接的で具体的な争点は一にかかって、超越性を無条件的に主張するのか、見えるものを忍耐強く問い続けるのか、という点にある。どちらかを選ばねばならない(entre l'affirmation inconditionnelle de la Transcendance et la patiente interrogation du visible, l'incompatibilité éclate ; il faut choisir.)。むろん我々の問いが哲学的かつ現象学的なものたることを望むのであれば、恣意的な裁断など問題外である。方法に関する問いを導きの糸として先鋭化することで、答えるように努めるほかはない。

では、方法論のレヴェルにおいて見られる、メルロ=ポンティとレヴィナスとの相違とは何か。メルロ=ポンティの方法論には、発見的手法(heuristique:与えられた課題に対して段階的に評価を進め、自己発見的に解を見出す方法)に付き物の脆さがある。誰もが感じることのできる経験の豊かさへと接近するために、それを表現する言葉そのものをも手探りで探求を続け、性急な断定や理念の誘惑に屈することなく、他者に対して注意深い眼差しを投げかけ続ける、言ってみればミニマリスト的な手法である。知性はここでは、プルーストにおけるように剥き出しのまま、感性的なものを深く捉えにやって来る。何物も仮定することなく、経験のうちで最も逃れ去りやすいものをただひたすら解明しようと欲する、メルロ=ポンティの飽くなき意志は、現象性を間近に思考し、それに浸されよう(penser au plus près de la phénoménalité pour mieux être habité par elle)とする点において、あくまで現象学的であり続ける。絡み合いは何物も排除することなく、世界の深みに眼差しを開く。

これに対して、一挙に私を奪い去る他者性の鉛直は、現象学的というよりは形而上学で神学的的なアプリオリを示している。サイコロには仕掛けがしてあり、決断はすでになされており、背景には信仰が厳かに立ち上る(les dés sont pipés, les choix sont faits, la foi se dresse majestueuse à l'arrière-plan.)。読者は、絶対者の峻厳に打たれ、洗礼志願者(catéchumène)のような立場に置かれて、もはや聖なる託宣や尊大な教義の開陳に黙して耳を傾けるよりほかない。
欲望とは絶対的に他なる者の欲望である[…]。欲望にとって、観念と合致しないこの他者性はある意味を持つ。他者性は、他者の他者性として、いと高き者の他者性と解される。(原書文庫版 p. 23)

すべてはあらかじめ準備されており、一挙に与えられる。そして、この「すべて」はすべて伝統的な聖書の神に由来するものなのである。これは、超越論的な自我をその限界まで裸性に導こうとする「還元」に対する裏切り以外の何物でもないではないか。神学という放蕩息子とそのお供たちの厳かな帰還ではないか。あたかも自明のことであるかのように、神学がほとんど魔術的・秘儀的に意識の最も親密な場所を占めることを哲学は黙って見過ごすことができようか。

むろんレヴィナスの有り余る才能や傑出した独創性を否定することが問題なのではなく、彼の現象学的な方法論の一貫性(cohérence méthodologique et phénoménologique)を問い直すことが問題となっているのである。たとえば、欲望は大文字化され、極限まで強調されているが、いかなる経験に即してそうされているのか。言うまでもなく形而上学的な独断にすぎない。一方で知性主義的合理主義(rationalisme intellectualiste)の精神に忠実たることを宣言しつつ、他方で「形式論理学」と彼が名づけるものを乗り越えようとしているようだが、「欲望」や「他者」の大文字化による総称化・実体化はどうするつもりなのか。高みの次元を考慮に入れるのはいいとして、なぜ「いと高き者=神」と同一視されねばならないのか。

この種の形而上学的な独断の積み重ねによってレヴィナスの思想体系が構築されていくとすれば、その方法論は解釈学的循環と折り合いをつけることはできても、現象学的なものではありえない。「たしかに現象学に固有の光(と)の戯れからは逸脱している」といったレヴィナスの「自白」ではまったく不十分である。教育的配慮からか護教論的配慮からかはともかく、彼の現象学の用い方は、経験の核心に他者の鉛直を据えようとする彼の試みとともに、まったく歪曲に満ちたものであって、現象学から形而上学への明白な移行ないし転向を示しているにすぎない。結局のところ、最初の形而上学的・神学的前提があまりに膨大なものなので、「取るか、捨てるか」が唯一の回答にならざるをえない。

本書『フランス現象学の神学的転回』は、近年開拓されたこれらの神学的な地盤に関する調査とともに、その大元になった急激な方向転換(embardée)にまで立ち返り、この方向に進まない可能性を思考しようとする。これによって、レヴィナスが大きく開けた突破口とともに、後期ハイデガーが繊細な手つきで見せた幾つもの切れ目にも、神学的な底意のあることが理解される。神学は否定的な形でも介入しうるのであり、存在論的な不安とむすびつくこともあるのである。

Friday, April 15, 2005

『神学的転回』(4)後期メルロとレヴィナス(上)

絡み合い(l'entrelacs)と鉛直(l'aplomb)

1.メルロ=ポンティにおける絡み合いの探求

『見えるものと見えないもの』に代表されるような後期メルロ=ポンティの探究の核心には、古典的な表象の哲学はもちろんのこと、フッサール現象学ですらも捉えるには至らなかったものを捉えようとする試みがある。たしかに、フッサールの「地平」概念は、このような試みの先駆であると言えるが、「この語を厳密にとらねばならない」とメルロ=ポンティは言う。地平は、絵や地図、さらには空間性のように、可視性ないし一般性の半透明(translucide)の空間に還元されるものではない。



フッサールが事物の地平について――誰もが知っている事物の外的な地平について、それからそれらの「内的な地平」、事物の表面がその境界線を示すにすぎない可視性に満ちたあの謎の暗闇について――語ったとき、この「地平」という語を厳密に受け取らねばならない。地平とは天でも地でもなければ、細々した物の寄せ集めでもないし、[...]何か「意識のポテンシャリティ」のシステムといったものでもない。地平とは、ある新たなタイプの存在であり、ある多孔質の、プレグナンツ[知覚された像などが最も単純で安定した形にまとまろうとする傾向を指すゲシュタルト心理学の用語]あるいは一般性を備えた存在(un être de porosité, de prégnance ou de généralité)であり、地平がその前で開かれる人間は、そこに取り入れられ、含まれている。その人の身体や遠景は、ひとつの同じ身体性ないし可視性一般に参画しており、この身体性ないし可視性は、その身体や遠景の間で、地平さえも超えて、その皮膚の手前で、存在の深奥に至るまで、支配している。(原書p. 193)
絡み合いとして解された地平は、可視的なもののうちで私の視覚によって為されるあらゆる限定を横溢し、事物の「肉」たる潜伏(latence)のうちにすべての可視的なものを包み込んでしまう。というのも、可視的なものは決して純粋なものではなく、常に不可視性に触れているからである。同様に、私の視覚は、一度かぎり決定的に画されるものではなく、身体性のうちに刻み込まれるものだからである。絡み合いとはしたがって、一方で世界の肉による可視的なものの横溢、他方で身体性による私の視覚の横溢という二重の横溢の運動である。世界の肉、可視的なもの、身体性、私の視覚というこの四つの項がキアスムをなし、その交差点には絶えず、「あるいは彷徨し、あるいはまとめられる」可視性の神秘的な出現が認められる。

(ちなみに、ジャニコーが挙げている64年の初版と、私の手元にある(判組みを変えたらしい)2002年版とでは、頁数がほぼシステマティックに二頁ずつずれている。これも注意されたい。)

ルノー・バルバラスは、その博士論文『現象の存在について。メルロ=ポンティの存在論について』(Renaud Barbaras, De l'être du phénomène. Sur l'ontologie de Merleau-Ponty, Grenoble : Jérôme Millon, 1991.)の第1章において、『見えるものと見えないもの』において素描された存在論が、『知覚の現象学』がその中に囚われになっていた二元論、すなわち未だ古典的な「反省性」概念と「前反省的」ないし自然的なその相補物との二元論をいかに超出したかを見事に示した。実際、前期メルロ=ポンティの思考は、隅々まで自然と文化(nature et culture)の対立によって貫かれている。逆に、存在のエレメントとしての肉(「エレメント」は古代哲学の「四大」やバシュラール的な意味において理解されねばならないし、「存在」自体、純粋な贈与としてではなく、絡み合いとして捉えられた限りでのものである)の探求に専心することで、後期メルロ=ポンティは、反省的なものと前反省的なものの分割に先立ち、自我の他我への対面の手前にある次元に到達しようとする。この次元にあっては、私の身体性は、間主観的なものとなる。だからこそ間主観性の骨組みは、世界の生地と分かちがたいのである。あらゆる鳥瞰(surplomb)の思考は、この複雑な生きた身体性の次元を捉えそこなう。大文字の他者の鉛直(aplomb)もまた、間主観性の細やかな繊維を断ち切ってしまう。

2.レヴィナスにおける鉛直的思考

レヴィナスの代表作『全体性と無限』は、ただ単に後期メルロ=ポンティの哲学的探究と同時代であるばかりでなく、フッサール現象学のある種の欠陥が提起するまったく同じ問題に対して答えようとする試みであるという点まで同じである。志向性は、反省性を「還元する」までには至らない。世界への出現も、他者の接近も、ラディカルな超越論的観念論による自我意識の普遍的な構成を解明しようとする試みにあって、十分な注意が払われたとは言いがたい。レヴィナスは、「地平」概念の純粋に志向性的な意味を超出することを目指したが、少なくとも用語的なレヴェルでは、メルロ=ポンティのそれと酷似している。

志向性の分析とは、具体的なものの探求である。観念は、それを規定する思考の直接的な眼差しのもとで捉えられた場合、この素朴な思考の知らないうちに、この思考によって疑われぬ地平のうちで、立ち尽くしたままでいることが明らかになる。これらの地平こそが具体的なものに意味を与える――これがフッサールの教えの要点である。フッサール現象学において、文字通りに受け取った場合、これらの疑われぬままの地平はそれら自身、対象を目指す思考と解釈されるのではないか、といった問いは重要ではない。(原書文庫版、p. 14.)

メルロ=ポンティと異なり、レヴィナスはフッサールを扱う際にかなりの自由裁量を行使し、それを率直に表明しているといった違いを除けば、少なくとも志向性の地平を乗り越えることを目標としている点で、そして実は、フッサール以上に現象学の「精神」に忠実たろうとすることを戦略としている点でもまた、両者の試みは一致している。この戦略はハイデガーによって創始され、「現れないものの現象学」のうちにその完成形を見出し、デリダやミシェル・アンリによって継承発展させられている。

しかし、『全体性と無限』に代表されるようなレヴィナスの思考の核心には、「鉛直aplomb」と呼ぶほかない思考態度がある。ここでは「厚かましさ、ずうずうしさ」といった心理学的な意味ではなく、自我や存在から同性(mêmeté)を一挙に奪い取り、「無限」観念の優位を断固として主張するその哲学的な姿勢を意味する。

Thursday, April 14, 2005

『神学的転回』(3)マルクス主義的現象学、リクール

解放(Libération)に続く戦後の十年は、フランス現象学にとって試行錯誤の続く十年間であった。この時期に問題となっていたのは、とりわけ現象学とマルクス主義の関係である。

サルトルは、はっきりと政治的な時期に入り、現象学から撤退した。以前彼が実践していた現象学的存在論は社会的・弁証法的な現実に対して抽象的にすぎたと認めたのである。

チャン・デュック・タオに代表されるような、現象学とマルクス主義を融合させようという試みにしても、マルクス主義によって現象学をその悪弊たる抽象から「救い出す」という姿勢は鮮明であった。現象学の扱う質料(matière)、なまのhylèは、文化的な産物であって、その中立性は疑わしいものであり、十分に弁証法的でもなければ、人間の労働によって変化させられうるものでもない、というのがその理由であった。たしかに現象学的還元は、意味・方向の贈与(donation de sens)を通じて人間的でダイナミックな真理へと導いてくれるものではあるが、フッサールにあっては一種の「全面的な懐疑論scepticisme total」にまた再び落ち込まないから抜けきってはいないというわけである。こうした試みは結局のところ、本格的に現象学をマルクス主義と統合しようというよりは、現象学の周囲にcordon sanitaire(伝染病の流行している地域の周辺に設けられる防疫線ないし予防線)を構築しようとするものにすぎない。

(ジャン=フランソワ・リオタールの『現象学』やジャン=トゥッサン・ドゥザンティの『現象学入門』(Jean-Toussant Desanti, Introduction à la phénoménologie, Gallimard, 1963 ; repris dans la coll. "Idées", 1976 ; disponible maintenant en Folio.)においては、繊細な手つきで、フッサール現象学に対するマルクス主義的批判が行なわれている。

ちなみに、リオタールの名著『現象学』(初版1954年)は、少なくとも私が手元に持っている1961年の第4版と、2004年の第14版ではテクストが若干違っている。たとえば、ジャニコーがここで引いている"scepticisme total"という言葉は、前者の版ではscepticisme destructifとなっており、引用符はついていない(したがってジャニコーは1954年の版を参照させているが、これは正確ではない)。

また、新版では、「Nous avons pris le parti d'écrire intentionalité comme rationalité plutôt qu'intentionnalité.」という註が付されているが旧版にはなかったり、あるいは「フッサールからハイデガーに至る遺産もあるが、また裏切りもある」という旧版の表明の「裏切りtrahison」が新版では「変成mutation」に変更されていたり、といった例には枚挙に暇がない。いつの時点でテクストが変更されたのか、何度も変更されたのか詳細は不明だが、1965年に初版が出た邦訳はそれ以前の古い版に拠っているので、引用されるときには注意されたい。)


この時期の重要な地殻変動は、むしろもっと目立たない形で生じている。1950年、ポール・リクールは、『イデーンI』の翻訳を刊行したが、リクールの付した序論は重要である。リクールは、とりわけフッサールの超越論的観念論の意味に対する戸惑いを隠していない。単なる主観的な観念論が問題になっているにすぎないのか?しかし、未だ「世界的」なあらゆるアプリオリの徹底的な還元を行なう直観の哲学によって、フッサールは相対主義からもカント主義からも解放されているように思われる、と。リクールは、フィンクの解釈がもたらす次のようなパースペクティヴを共感をもって描いているが、それを積極的に採用したわけでもない。つまり、心理学的な志向性も、ノエシス・ノエマ関係も超えて、フッサールは、志向性の第三の意味、すなわち世界の起源の「生産的」で「創造的」な解明を見出したのだという解釈である。

リクールは後年、『他者のような自己自身』において提出することになる問いをすでにこの1950年の段階で定式化しているわけだ。主体性が間主体性と合致するのは還元のどのレベルにおいてであろうか、と。「最もラディカルな主体は神であろうか」と何気なく洩らしている言葉を聞き逃すことはできない。神学的転回は明らかにこの種の問いかけに胚芽として含まれているわけだが、とはいっても、リクールはいつものように慎重な姿勢を崩さない。現象学から神学への一歩を彼が意志的に踏み出すことはない。いずれにせよここでもまた、フッサールの残した諸困難がいかに大きなものであるかが明らかになったわけであり、我々はその分析を、とりわけ現象性の核心に住まう根源的なものという形で逆説的に姿を現す超越性という形而上的な概念を導きの意図にして、本書において深めていくことになる(une question directrice, métaphysique par excellence, celle de la Transcendance se révélant paradoxalement dans un originaire logé au coeur de la phénoménalité)。

言い換えれば本書の課題とは、還元の意味、間主体性によるアプローチ、生活世界の概念的な地位、現象学と形而上学の関係などなどが交錯する諸問題が、大きく分けて二つの方向へと収束し、と同時にある種の「解決」を見るのはなぜかを理解することである。二つの方向性をキーワードで示せば、それぞれ「絡み合いentrelacs」と「鉛直aplomb」になる。

Wednesday, April 13, 2005

『神学的転回』(2)前期メルロ=ポンティ

他方で、メルロ=ポンティもまた、サルトルが出会い、避けたとまでは言わないものの、かわそうとした諸困難とより忍耐強く、より慎重に取り組んだものの、完全に解決するには至っていない。メルロもまた、サルトル同様、「事象そのものへ」の現象学の回帰は、「意識への観念論的な回帰とは絶対的に区別される」ものだと宣言し、代表作『知覚の現象学』の出発点に、「発生的現象学 phénoménologie génétique」に関する後期フッサールの仕事を置こうとしている。現象学の特権的な対象たる「形相的なものl'eidétique」は「諸本質を実存のうちへ」置き入れ、世界内存在(l'être-au-monde)の錯綜性、間主体性の錯綜性に開かれることを可能にするから、というのがその理由である。記述の厚みは方法論的な正当性の薄さをカバーし、志向性の分析は前反省的なコギト(cogito préréflexif)を発見するために用いられる。目的は手段を正当化する、というわけだ(La fin justifie en quelque sorte les moyens.)。こうして実存主義的現象学が出現する。

しかし、サルトルにせよ、メルロ=ポンティにせよ、フッサールの遺産から、言ってみれば名前を借りているだけで、その実質を与え返すrestituerことに成功しているわけではない。

(ちなみに、ジャン=フランソワ・マルケに『与え返し。ドイツ哲学史研究』という優れた論文集がある(Jean-François Marquet, Restitutions. Etudes d'histoire de la philosophie allemande, Vrin, 2001.)が、このタイトルは、まさにrestituerという語の繊細なニュアンスに注意を払った用法である。マルケは言っている。
周知のように、キュヴィエにとって、ある生きた有機体の全体は、「その各部分の各断片によって見分けられる」。そうであってみれば、ある一つの要素から、今日では失われてしまった一品種のサンプルを復元する=与え返すrestituerすることも可能であろう。本書に収めた諸研究もまた、同様の意図をもっている。毎回ある一つの問いから出発して、ある哲学的営為(ここでは、カントからハイデガーまでのドイツ哲学に限られるが)の「秘密の建築構造」の総体を復元する=与え返すこと、である。私の仕事は、こう言ってよければ、哲学的古生物学paléontologie philosophiqueのようなものだ。

マルケには他にも玄人好みの渋い作品がある。こういう思想家が日本に紹介されないのは残念だ。)

メルロは『知覚の現象学』序文で次のように述べているが、これはほとんど、「フッサールは一度も観念論的形而上学から自由になったことはない」と認めるようなものである。
長い間、それも最も最近のテクストにおいてもなお、還元は超越論的意識への帰還として提示されている。世界は、この超越論的意識の前では、完全に透明なものとして展開され、一連の統覚によってすみずみまで生気づけられている。そして哲学者は、これらの統覚の成果から遡って統覚を再構成する、という仕事を課せられることになろう。

実際、メルロ=ポンティの予感していたとおり、実存的なものを救い出すという口実のもとに志向性に依拠したとしても、依然として思惟作用(cogitatio)が中心的な役割を果たす哲学の地平やその諸前提から抜け出すには至らない。この障害となっている岩盤を吹き飛ばすのに必要であったのは、ハイデガーとのより真剣で、より根本的な対決であって、後期フッサールの再評価を促すためにハイデガーをルアー(囮)として用いることではない。結局、若き日のサルトルや前期メルロ=ポンティにとって、フッサールは、現象学的方法がもたらした絶対的で創設的な新しさのcaution(保証人・担保・お墨付き)としての役割を演じていたのである。だが、「たしかにこういう悪い面はあるが」といった純粋に修辞的な譲歩や、後期フッサールの「悪い変化」について語ることでフッサールへの本質的な批判を最小限にとどめ、フッサールへの言及を全般的に神聖化することにしか役立たない奇妙なゲームはやめるべきである。

無論そうはいっても、フッサール受容のこの第一段階において、サルトルとメルロ=ポンティが果たしたすぐれてポジティヴな役割を否定するのは適切ではないであろう。フッサールの思想に忠実であれ不実であれ、サルトルの『想像力』やメルロの『知覚の現象学』といった知的で挑発的な仕事が生み出され、これらの作品がフランスにおける現象学研究を活性化し、ひいてはフランス哲学自体を豊かなものにしたことは否定しがたい事実である。また、実存主義的現象学による伝統的な表象の哲学や新カント主義との断絶は、少なくともこの点では、フッサール自身が引き起こした地殻変動(ハイデガーもまた継承すると同時にずらした)を正確に反映している。

Tuesday, April 12, 2005

ジャニコー、『神学的転回』(1)

では早速、第1章「転回の輪郭」から見ていくことにしよう。

1960年代から90年代までの30年間のフランスにおける現象学的研究は、60年代後半から70年代前半の構造主義全盛時には陰に隠れていたものの、ポール・リクールやミシェル・アンリによる真剣かつ執拗な取り組みや、エマニュエル・レヴィナスによるきわめて独創的な展開とその世界的な認知のおかげで、その後徐々に理論的な豊穣さを見せ始め、その成果や一貫性が80-90年代になって現れてきた。この理論的な豊穣さのすべてが「神学的転回」という名称で要約可能なわけではないし、戦後フランスの現象学運動を≪サルトルやメルロ=ポンティ、あるいはデュフレンヌの無神論的現象学から、リクールやアンリ、あるいはマリオンの「スピリチュアリスム」的現象学への移行≫として捉えるだけで満足するわけにもいかない。しかし少なくとも出発点として、賞賛的であれ侮蔑的であれいかなる価値判断も方法論的批判もなしに、次のことだけは確認できるであろう。すなわち、l'ouverture à l'invisible, à l'Autre, à une donation pure ou à une "archi-révélation"といった特徴が、60年代以前の現象学第一世代(フッサール・ハイデガー受容の第一段階)から60年代以後現在までの世代を隔て、rupture avec la phénoménologie immanenteを画するものなのだ、と。

この第一章の狙いは、以上の歴史的パースペクティヴの論拠を示し、理由を挙げることにある。神学的転回の理論的な可能性の条件を理解するために、まずはその少し前へと時間を遡って始めることにしよう。これは単なる方法論的な慎重さではなく、la spécificité et les de la première "percée" phénoménologique françaiseをより正確に捉えることで、後の世代との対比をより鮮明に捉えるためである。

フッサールという衝撃、サルトルという怒号

いかに半世紀を経た我々の眼から見てフランスにおけるフッサール受容の第一段階がsimplificatriceなものであるとはいえ、やはり新たな方法論への渇望にも似た関心と類稀なる才能の幸福な出会いが当時のフランス思想界にもたらした衝撃は見過ごしえない。この点で最も意義深いテクストは、1939年に執筆され、のち1947年に『シチュアシオンI』に収められた「フッサール現象学の根本的な一概念:志向性Une idée fondamentale de la phénoménologie de Husserl : l'intentionnalité」である。40-50年代の「現象学的存在論ontologie phénoménologique」の動きのいわばマニフェストの役割を演じたこのテクストの中で真っ先に目を引くのは、その反観念論(anti-idéaliste)的な性格である。精神の吸収・統合能力を分析し賞賛していたラランド、ブランシュヴィック、メイエルソンら、講壇哲学の主流を占めていたいわゆるphilosophie réflexiveの流れに抗して、サルトルは、"なにか堅固なものquelque chose de solide"を求めた。かといって、粗雑な感覚論(sensualisme)にも、客観主義(objectivisme)にも、あるいはベルクソン型(我々の知覚のactualitéと「イマージュ」のvirtuelな総体を区別する)のより繊細な実在論("un réalisme de type plus subtil, à la Bergson (distinguant entre l'actualité de notre perception et l'ensemble virtuel des images)" )にも回帰するわけにはいかない。まさにこのような状況下で、新たな、ほとんど奇跡的な解決策をもたらしてくれたのが、「志向性」の概念だったのである。これにより、観念論/実在論の二者択一、と同時に主観/客観の二項対立も、その手前で生じている相関関係、「いかなる物理的なイメージも与ええないこの還元不可能な事実」によって乗り越えられてしまったのである。

(少しだけ詳しく言えば、「志向性intentionnalité」とは、意識は常に何かのほうへ向かう意識としてしか存在しない、という意識の存在様態を指す語である。したがって何物にも向かわず自律的に自分だけで存在する純粋意識などというものは存在しないし、また客観的に存在する対象・客体といったものも、この志向性以前には主体に知られることはない。この意味で、主観・客観の二項対立は、両者を隔てると同時に結びつける相関関係によって先行されているのである。La célèbre formule : "Toute conscience est conscience de quelque chose." proclame que la pseudo-pureté du cogito est toujours prélevée sur une corrélation intentionnelle préalable.)

サルトルのこの怒号にも似たマニフェストの魅力的な加速度は、実際には数々の理論的な問題点を覆い隠すのに役立っている。そのうちで最も重大な問題点は、「とりわけ情動の領域において具体的なものと出会い、それを与え返すことは、形相的記述という方法によって、いったいどうやって本質主義に再び落ち込むことなく可能になるのか comment la méthode de la description va-t-elle permettre de rencontrer et de restituer le concret, en particulier dans le domaine affectif, sans retomber dans l'essentialisme ? 」というものである。

(少しだけ詳しく言えば、情動生活というものは、決して一枚岩的なものではなく、多数多様の特異な強度からなるあるダイナミズムによって活気を与えられているもので、現われ・現象の「形相eidos」の描写を事とするとフッサール現象学の網の目にはきわめて引っかかりにくい。無論だからこそ、フッサールも執拗に意識のこの側面に取り組み(Phantasia, conscience d'image, souvenir, Millon, 2002)、後期フッサールは「生活世界」へ向かうわけであるが。)

では、プルーストがあれほど繊細に描き出した「intermittences du coeur」はあまりに内面的なものとして諦めねばならないのか。たしかにサルトルは『存在と無』序論において、多少この問題を取り上げてはいる。存在者がそれを顕現する一連の現象に還元されるとしても、志向性によって捉えられる現象の存在は物的なものではない(Si l'existant est réduit à une série des apparitions qui le manifestent, l'être du phénomène intentionnel n'est pas "chosique".)。したがってこのような存在の固有の超越性を、観念論に再び陥ることなく、守らねばならない。だが、フッサールの意識構成の試みは、フッサール自身認めているように、一種の超越論的観念論(idéalisme transcendantal)の復興に手を貸すものである以上、サルトルは譲歩を余儀なくされ、フッサールは結局カント主義を乗り越えることができなかったのだと認めることになる。当時サルトルの関心を占めていたもの、すなわち対自の直接的に見出される諸構造(自己意識の非定立的な諸様態)の記述(la description des structures immédiates du Pour-soi qui sont autant de modalités sui generis, non thétiques, de la conscience(de) soi)を手に入れるべく、フッサールのアポリアをひとまず棚上げにすることを可能にしてくれたのは、ハイデガーの前存在論的了解(compréhension préontologique)であった。

すでに、1936年に書かれた『自我の超越性』において、サルトルは、フッサール的なコギト(「toute légèreté, toute translucidité」)をデカルト的なコギトから切り離すと同時に、超越論的な自我の古典的なテーゼへのフッサールの回帰(とサルトルが考えたもの)を批判していた。つまり一方ではフッサールの「括弧入れépokhè」を保持しつつ、他方では、『論理学研究』の直観的なラディカルさから『イデーン』における新たな観念論へのフッサールの「悪しき」変化(すでに『論研』の内部においてすら見られる変化)を攻撃したわけである。サルトルは、あまつさえ自我を「世界の存在être du monde」と捉えさえし、我々の超越性と世界との前もっての相関関係にほかならない炸裂した志向性(une intentionnalité éclatée, corrélation préalable entre notre trasncendance et le monde)へと遡る。

こうしてその「変化」の理由を深く突き詰めることがなかったゆえにフッサールに関しては幾多の曖昧さを残しつつも、超越的な(自我的でないnon égotique)意識を「非人称的な自発性spontanéité impersonnelle」として展開することによって、サルトルは、史的唯物論と共犯関係を結びうるラディカルな現象学を構築しえたのであった。

(現象学者サルトルに関しては、ドゥルーズが早くから注目していた。非人称的自我に関する記述は、『哲学とは何か』は言うまでもなく、『差異と反復』『意味の論理学』において繰り返し現われているし、すでに1964年の小文「彼は私の師であった」において、les lacs de non-être, les viscosités de la matièreといった哲学素に注目し、人間の実存を世界における「穴」という非存在と見なすサルトルのハードで貫入的な実存主義を、襞と襞の折りたたみと見なすメルロ=ポンティと対比させている。En assimilant l'existence humaine au non-être d'un "trou" dans le monde, "petits lacs de néant" disait-il, Sartre devançait un existentialisme dur et perçant, tandis que Merleau-Ponty insiste plutôt sur des plis et des plissements pour s'engager de son côté dans la voie d'un existentialisme plus tendre, plus réservé. また、かなり最近になってからではあるが、再評価も徐々に進んでいる。たとえば、現象学系の雑誌Alterの特集号(Sartre phénoménologue)を参照のこと。)

Monday, April 11, 2005

New Deal

このポストは、ごく簡単に言えば、こういうブログをやる意味自体を問い直すことを目的としている。もう少し詳しく言えば、哲学以外(政治的・経済的・社会的・文化的・教育的事象)に関する私の考察の妥当性・射程を問い直すことを目的としている。

自分の意見の妥当性・射程を正確に知るというのはなかなか難しいものだなどと言うと、「何を今さらその歳になって」と言われそうだが、残念ながら今の私にはまだまだきわめて難しいと正直に認めなければならない。

カントとスピノザの間で

一方では、市民の積極的な政治参加・意見表明は(その質の高低を問わず)常に重要である。この一般的な観点からすれば、HPやブログに私的な形で、政治や教育に関する私見を表明すること自体は間違ってはいないと思うし、とりわけ現在の日本のような状況においては非常に重要であるという考えに変わりはない。慎重・確実を期すあまり結局何も言わないという姿勢は、単なる無為同様、決して事態を動かすことはないと思うからである。だからこそ私自身、少なからぬ時間を割いて、日本のニュースをフォローし、日本の政治・経済・社会・教育状況について考えるのみならず「発言」しようとしているわけだ。 この点では、カントが「啓蒙とは何か」の冒頭で述べていた"Sapere aude !"、「敢えて賢かれ!」、つまり自分自身の理性・悟性を用いる勇気を持て、が私のモットーである。

しかし他方で、もし仮に自分のこの「発言」が単なる友人間でのおしゃべり、言いっ放しの放談、結局のところ平凡きわまりないドクサ(臆見)であることを超えて、なんらかの理論的で普遍的な価値を獲得することを望むのであれば(公的publicな形で、雑誌・大学紀要等に発表publicationしようというのであればなおさらのこと)、それなりの準備・覚悟がいるということもまた確かである。「床屋政談」は、いくら積み重ねてみても、その性質をいささかたりとも変えるわけではないからである。だからこそ私自身、少なからぬ時間を割いて、「床屋政談」から一歩でも先へ進み、本当の政策論議や理論的考察に近づくために模索を続けているわけである。この点では、スピノザが時に書簡の結びに用いた言葉"Caute !"、「用心せよ!」、つまり(この言葉を私なりに流用すれば)政治・教育問題を論じるにあたっても哲学の諸問題を論じるときと同様の手続きを取ることで方法論的な慎重さを欠かぬよう気をつけよ、が私のモットーにならねばならない。

カントとスピノザのこの二つのモットーの間での悪しきアポリアの作り方はこうである。「何も言わないよりましだから、とりあえず何でもいいから言ってしまえ」という無知の蛮勇主義者に対して、「どうせ床屋政談にとどまるのであれば、時間と労力をかけるに値するであろうか?」とだんまりを決め込む理知の無為主義者。

カントとスピノザの二つのモットーの間に織り成される正しいアポリアにおいては、逆に、これら二つの誘惑を同時に退けることが問題となる。一方では、「時間がないから」「これは私の本来の仕事ではないから」という理由で、あるいは「平凡な床屋談義ではない何か完璧に独創的なものが生まれるまでは沈黙を守りたい」という理由で、専門領域以外への発言を控えることが態度として因襲化しないよう気をつけねばならない。しかし他方では、「時間がないし、私本来の仕事でもないけれど、とにかく何かを言わねばならないし、言わずにおれないから」という理由で、自分の発言の平凡さや質の低さ(主題に関する確実で広範な知識の欠落、思索の浅さ:論理の飛躍・論拠の不確実さ・論証の不十分さ、など)に言い訳をするようなことがあってはならない。

要するにカントの「敢えて賢かれ!」とは、あくまでも理知の蛮勇であって無知の蛮勇や理知の夢精ではないし、スピノザの「用心せよ!」とは、あくまでも理知の自制であって理知の無為や理知の無声ではない。前者は競技に参加することを奨励するが、だからといって参加者の放埓を奨励しているわけではないし、後者は思考が力強く走り出す前に必要な弾みをつけるためのテイクバックであって、単なる後ずさりではないのである。

しかしこういった予備的な考察は、抽象的なレベルでいくら展開してみても、虚しい言葉遊びにすぎない。では、毎日の仕事が終わった後の限られた時間と残された労力の中で、具体的にどうやって満足に足る言説を紡ぎ出しうるのか。これを考えない限り、結局のところこのようなブログをやって何か発信している気になっても、所詮は自己満足にすぎない。


Pas du gribouillage à l'article

実際、毎日の仕事が終わった後の限られた時間と残された労力の中で、具体的にどうやって満足に足る言説を紡ぎ出しうるのか。たしかに、gribouillage(下手くそな殴り書き)とarticle(論文)の間には埋められない隔たりがある。しかし、このことは両者がまったく無関係だということを意味するのではない。両者の間には、言ってみれば否定的・批判的・héautonomeな関係がある。そもそも暴論を書こうと思って書いているわけではない以上――この点は決定的に重要である。もし暴論でよいと思って書いているのなら、話はまったく違ってくるし、これほど悩む理由はまったくなくなる――、暴論が正論になる唯一の道は、暴論が暴論である所以の特徴を一つ一つ消し去っていくこと、なぜ殴り書きになってしまっているのかを否定的・批判的に考え抜くことである。pasという語が「否」であると同時に「一歩」であることを思い出すならば、私たち自身のモットーは、今のところ、Pas du gribouillage à l'articleとでもなるだろうか。

héautonomieというのは、カントが『判断力批判』序論第5節で、判断力の特性を規定する際にautonomieと区別するために用いた語である。カントの区別を一言で言えば、autonomieとは常に他に対する自立=自律であり、自と他の直接的な規定関係であるのに対し、héautonomieとは常にまず自分自身にのみ関わる自立=自律であり、徹底した自と自の関係から間接的に他への規定関係が生じる。

(少しだけ詳しく言えばこうなる。自然の法則をひとたび発見すれば、あとはそれを機械的に適用すればよいだけといった悟性や理性の場合と異なり(規定的判断力)、判断力はケースバイケースで判断するので(反省的判断力)、理性や悟性がその対象に対して直接的に規定的であるという意味でautunomeなのに対して、判断力はその対象に対して間接的に規定的である(その対象に対して反省が生じるために自分自身に法則を指定する)という意味でhéautonomeなのである。)

ここで我々にとって重要なのは、暴論がひたすら自分を突き詰めていくことによって正論になりうる可能性である。この意味では、暴論のautophagieによる理論的考察の生成の可能性と言ってもよい。では、暴論の自己批判は、いかにして遂行されるのか。別に答えを持ち合わせているわけではないが、少なくともひとつ自分自身に向かって戒めておきたいことはある。

たしかにあらゆる思想は現状に対する不満から生まれる。しかし重要なのは、その後育つかどうか死産かどうかを意に介さずとにかく生みまくることではなく、数少ない本当に生まれた子供を見極め確実に育てることである。言いたい放題の殴り書きは自分の憂さ晴らしにはなるかもしれないが、それだけなら生みっ放しの無責任な親と同じである。

たとえシーシュポスの岩のように倦まず弛まず思考を練り上げていくほかないのだとしても、怠け方をではなく、よりよい岩の押し上げ方を考え続けなければならない。

Sunday, April 10, 2005

Apparition de l'inapparent

ここでは率直に現在までの私の仕事の進捗ぶり、というよりテイタイ(手痛い停滞)ぶりを総括して、少しでも前に進む材料にできればと思う。

私の研究の中心的な主題は「ベルクソンにおける身体corps概念」である。ベルクソン哲学といえば、通常、持続や記憶、エラン=ヴィタルといった諸概念が有名である。「身体corps」などというのは、はたして一定以上のconsistenceを備えた、積極的に取り上げるに足る概念なのであろうか。ここでは、メルロ=ポンティが『自然』についてのコレージュ・ド・フランスでの講義において序論として述べた言葉をパロディしてみたい気に駆られる(Cf. Maurice Merleau-Ponty, La Nature. Cours du Collège de France, établi et annoté par Dominique Séglard, éd. Seuil, coll. "Traces écrites", 1994, pp. 19-20)。

Peut-on valablement étudier la notion de "corps" ? N'est-elle pas autre chose que le produit d'une histoire au cours de laquelle elle a acquis une série d'acceptions qui ont fini par la rendre inintelligible ? N'est-il pas bien vain de chercher dans un sens unique le secret du mot ? Ne tombe-t-on pas sous la critique de Valéry lorsqu'il disait, à peu près, que la philosophie n'est que l'habitude de réfléchir sur des mots, en supposant que chaque mot a un sens, ce qui est illusoire puisque chaque mot a connu des glissements de sens.
Il faudrait s'attacher à l'histoire des méprises sur le sens du mot. Mais ces changements ont-ils été fortuits, n'y aurait-il pas un quelque chose qui a toujours été visé, s'il n'a pas été exprimé, par ceux qui employaient les mots ? Recherchons le sens primordial, non lexical, toujours visé par les gens qui parlent de "corps". Il y a corps partout où il y a une frontière entre vie et non-vie, sens et non-sens, mais où, cependant, il n'y a pas d'esprit. Corps est plutôt cette frontière même. Est corps ce qui a un sens, sans que ce sens ait été posé par la pensée. C'est l'hé-autoproduction d'un sens. Le corps n'est donc pas tout à fait la même chose qu'une simple chose ; elle a un intérieur, se détermine du dedans ; d'où l'opposition de "corporel" à "réel". Et cependant le corps n'est pas non plus tout à fait de l'homme ; elle n'est pas instituée par lui, elle s'oppose à la coutume, au discours.
Le corps est un objet énigmatique, un objet qui n'est pas tout à fait objet ; elle n'est pas tout à fait devant nous. Elle est notre sol, non pas ce qui est devant, mais ce qui nous porte.

きわめて乱暴な言い方をすれば、メルロ=ポンティの功績は、意識現象を中心的な研究対象とした前期フッサールに対して、後期フッサールの未刊草稿群を用いつつ、身体現象、とりわけ知覚を中心的な研究対象として、現象学の研究領野の拡大を図ったと言える。我々の試みは、身体現象、とりわけ知覚の特性に関するさらにいっそうラディカルな分析が実はベルクソンの中に見出されるのではないか、という仮説を提示することにある。

ベルクソンを現象学の伝統との対比の中で読むということは決して恣意的な試みではない。『ベルクソン年鑑』第二巻(2004年)の特集が「ベルクソンと現象学」であることを例に挙げてもよいが、ここでは
むしろ現象学の側から例をとることにしよう。

ドミニック・ジャニコーの佳作『フランス現象学の神学的転回』(1990年)は、ジャニコー自身が述べているように、フランス現代思想に関するヴァンサン・デコンブの見事なサーヴェイである『同と他』への一種の「追伸」(un post scriptum à la talentueuse rétrospective de Vincent Descombes, Le même et l'autre)であるが、より正確に言えば、同じジャニコーの小論("Rendre à nouveau raison? Dix ans de philosophie française (1979-1989)", in La philosophie en Europe, sous la direction de R. Klibanski et D. Pears, Gallimard, 1993, pp. 156-193.)やエリック・アリエズの『現象学の不可能性』がフランス現代思想一般を扱っているのに対して、タイトルが示すとおりフランス現象学の伝統に焦点を合わせている。

この著作においてジャニコーは、メルロ=ポンティが突然の死に見舞われた年であると同時に、レヴィナスが代表作『全体性と無限』を刊行した年でもある1961年を転回点と位置づけている。世界内存在の了解から歴史的存在としての人間に迫ろうとしたサルトルやメルロ=ポンティの世代に対して(その意味で、コルバンが創出しサルトルが継承したDaseinの仏訳がréalité humaineであったことには、ハイデガー理解の成否という文脈を超えて、もっと積極的な評価が与えられてよいのかもしれない)、それ以後、とりわけレヴィナスに始まり、ジャン=リュック・マリオン、ミシェル・アンリと続くフランス現象学の「王道」においてはむしろ、過度に観念論的ないし端的に形而上学的な超越性への依拠・回帰が見られる。この転回の方法論的な諸前提を明るみに出すこと、すなわちこの変動はいかなる代償を支払って成し遂げられたのか、その争点と限界とは何か、現象学のあらゆる側面に考察をめぐらすことで他の道を探ることは果たして可能かを問うことが、この著作の目的である。

 我々はこのパースペクティヴの取り方全般には完全に賛同するが、ただ一点、次のような点にはより細心の注意が払われるべきではないかと考える。

Se tournant vers "l'inapparent", la phénoménologie s'est mise en quête d'une manifestation originaire ou de la révélation de l'Autre comme tel, jusqu'à se faire la servante d'un discours plus ou moins explicitement théologique.

まさにこのl'inapparentの取り扱いにすべてがかかっている。現象、現れるものの分析のradicalisationは、現象と非現象の境界のよりラディカルな画定へと向かう。現れつつ現れないもの、現象が最も不透明に現れ出る場所にこそ現象の現象性を求めねばならない。そして、その可能性を我々はベルクソンのうちに探ろうというのである。この点で、ジャニコーが『転回』の第1章で「展開」以前の状況を素描し、最終章「新たな方向性 Réorientation」で「転回」以後の新たな可能性を探るべく再び出発点として依拠しているのがフッサールとともにベルクソンであることはきわめて興味深い。ここでは少し詳しくその論旨をたどってみよう(pp. 75-91.)。

(本書に対する諸々の批判(たとえば、J. Colette, "Phénoménologie et métaphysique", in Critique, nos 548-549, 1993.)や、それに対するジャニコーの反論をまとめた続編『炸裂する現象学』(1998年)は、ここでは取り上げない。)

(続く)

Friday, April 08, 2005

哲学の翻訳、翻訳の哲学

G.W. Leibniz, L’Harmonie des langues, présenté, traduit et commenté par Marc Crépon, édition du Seuil, coll. "Points", 2000.

何度確認しておいてもよいことだが、どんな書物も状況の産物fruit de circonstancesである。状況の産物でないような、いかなる書物もない。

本書もまた、「哲学における翻訳の重要性」という、より大きなテーマに連なる状況の産物である。本書は、Seuilという人文系大手出版社の売れ筋文庫Pointsの、Essaisというシリーズ(série)の一冊として刊行されているが、最も重要な書誌情報は、「この著作は、アラン・バディウとバルバラ・カッサンの監修下で刊行されている」という一文である。同じSeuilに、Ordre philosophiqueという別の叢書をもっている(例えば、ドゥルーズのベーコン論『感覚の論理学』の簡略版はこの叢書から刊行された)この二人は、明記されているわけではないが、どうやらEssaisの中に「シリーズの中のシリーズ」とでも言うべき、自分たち専用のシリーズを持っているようである。

バディウとカッサンのこの「シリーズ」の特徴は、重要な哲学的テーマに関するテクストを対訳版で、関連資料や語彙を付して提供することにある。例えば、ハイデガーが取り上げなおした中世存在論の枢要概念に関するトマス・アクィナスとフライベルクのディートリヒの決定的なテクストに、中世哲学の第一人者アラ ン・ド・リベラが解説を付した『存在と本質』(1996年)。あるいはまた、現代フランスを代表する政治哲学者バリバールが、近代認識論の祖ジョン・ロックの『人間悟性論』のとある一章とその仏訳に、近代西洋哲学全般を規定する「意識」と「自己」という概念の創出を見て取ろうとする『自己同一性と差異』(1998年)。他にも、パルメニデスの希仏対訳、スピノザの羅仏対訳、ルターやシュライエルマッハー、ニーチェの独仏対訳、ベンサムの英仏対訳などがある。

「オリジナルのテクストをとにもかくにも自分で、原語で、読む。現在の日本の思想界に最も欠けていると思われるこの誠実な態度が、フランスでは当たり前のように、現在第一線で活躍する哲学者たちの号令の下に、大手人文系出版社の、しかも文庫本で出版される、という形で実行されている」といった形の問題提起をすれば、「事態を誇張しすぎている」といった反駁の声が確実にあがるであろう。だが、日本の事態の深刻さを指摘するのは簡単だ。皆さんが廉価で入手しやすい代表的な哲学書の対訳版を一つでも挙げてくださることができればそれでいいのである。たった一つでも!

学部生時代から極端な専門化の一途をたどり、アリストテレス専門家はデカルトを知らず、デカルト研究者はフッサールを知らず、フッサール学者はネグリを知らない、という「哲学の縦割り行政」は根本的な問題の一つであるが、ここではそれが専門言語の一本化・秘教化として姿を現しているのである。

1)専門言語の一本化 「君はギリシャ語も読めずにアリストテレスを論じるというのかね」という哲学教師の嫌味を私は不当だとは思わない。それは至極まっとうな意見であり、語学のできない哲学者は心を入れなおして、真摯に語学の勉強に取り組むべきである。

しかし他方で、対立が「語学のできない表層的なゼネラリストか(現代思想家に多い)、特定の語学はできるが広範な視野を持たない専門家か(各分野の哲学者)」というレベルにとどまってしまうならば、それはきわめて不毛だと言わざるを得ない。そして、残念ながら、このレベルを超えた状況に今の日本がいるとは到底言えない、ということは最低限どんな立場の哲学者でも認めるところであろう。なぜなら私たちの国の哲学institutionは言語教育の重要性を看過するようにできているからである。これが次の問題、すなわち私が「専門言語の秘教化」と呼ぶ問題である。

2)専門言語の秘教化 「君はドイツ語も読めずにカントを論じるというのかね」という哲学教師の嫌味を私は不当だとは思わない。それは至極まっとうな意見であって、語学のできない哲学者とは端的にナンセンスである。

しかし他方で、現在の日本の哲学のinstitutionには、言語的なトレーニングを与える場が決定的に不足している。外国語で哲学の授業を行なう外国人教師がほとんどおらず、外国語で論文を書く習慣もない状況で、学生たちはどうやって哲学のツールとしての外国語(それは一般的な外国語の修練とはかなり異なる)の訓練ができるというのか。一部の意識ある学生たちが「手弁当で」「竹槍で」やるしかない状況なのです、残念ながら、と悲しげに首を振り微苦笑を浮かべつつ、大先生たちはおっしゃる!また、とりわけ哲学科においては、海外で修行を積んだ者が必ずしもより高い評価を受けるとは限らず、小判鮫よろしく先生の後ろに密着していた者が教授になるという不可解なる「人事慣習」が横行していないとも限らない。

マルクスをもじって言えば、意識が制度を規定するのではなく、制度が意識を規定するのである。必要は発明の母である。制度なしに大学における哲学が存在し得ないならば、「必要悪」としての制度をせいぜい活用しなければならない。したがって重要なのは、学部における外国語の習得をより本格化させ、哲学研究の根幹に「言語」を据えると同時に、大学院入試により高度の語学能力を要する試験を導入することだ。生き残りをかけて必死な大学の哲学科が安易な簡素化に生存の希望を託すようなことがもし万が一あれば、後で悔やんでも悔やみきれない禍根を残すことになるだろう。だが、私たちの政府は目先の帳尻あわせを優先し、国の宝であるべき国立大学を天下り官僚という「解体業者」たちに売り払ってしまった。こんな重大な過誤を見過ごした国民は自分の子孫たちがツケを支払わされる羽目になるということを十分に意識しているのであろうか。

専門研究にあまりにも入り込みすぎた結果、それ以外のものが見えなくなってしまった痛ましい研究者たちは言うまでもなく、アクチュアルな問題に対する広い視野を誇るはずの現代思想家たちさえもが、制度論的な視点を見事に欠落させているのはどうしたことであろうか。意識が生活を規定するのではなく、生活が意識を規定するというマルクスの言葉を好んだ「批評家」が大学の哲学について罵詈雑言以外に語ることかくも少なく、建設的な意見に関しては皆無であったという事実は兆候的である。

さて、そうは言うものの、たしかにフランスと日本では、状況は-哲学の置かれた社会的地位も、出版状況も-かなり異なる。フランスは、大統領や大臣が演説の中で文学者や哲学者を当たり前のように引用し、それを聴衆がさして奇異としない国柄である。哲学者の発言が、他の知識人に比べて、さほどの遜色なく通用する国である。すでに中学・高校から、自国の哲学者デカルトのみならず、プラトンやカントのテクストにたとえ形だけではあっても目を通し、どれほど貧弱なものであろうと一家言もつことが端的に時間と労力の無駄だとは判断されない国である。

出版事情に関して言えば、哲学が高校で教えられることと相まって(むろん日本のかつての「倫理」の授業のような知識詰め込み教育ではなく、テクストを読みながら複数の概念を実地で学習・議論していく型の教育である)、毎年相当量の哲学書(リライトされたものではなく、オリジナル)が高校生・大学生向けに刊行され、それによりある程度の採算が見込まれることによって、 例えばプラトン『プロタゴラス』の複数の翻訳が文庫本で出版される国である(むろん、それらのほとんどが読まれずに中高生の本棚の肥やしになるだけであったとしても、それはそれで文化的な意義を持つ。彼らがいつかその『プロタゴラス』を手に取らないと誰に言い切ることができよう)。否定的側面が多々あることを承知で言えば、アグレガシオン(高等教育資格試験制度)が毎年複数の哲学者・テーマを課題とするために、それらの哲学者の著作が定期的に復刊され、課題となったテーマに関する研究が参考書として刊行されるという「制度」が、出版に関する限りで言えば、ある種の「好循環」を生んでいる国である。

現在の日本では、「日本語とギリシャ語の対訳版でプラトンを出版することに何の意味がある。どうせ学生たちは読めないのだから」とおそらくはプラトン研究者すら言うだろう。「そのような対訳版を廉価で出版するのはリスクが大きすぎる。一般読者は買わないだろうから」と比較的経営状態の安定 した大手出版社すら言うだろう。だが、日本の哲学者の言い分も、日本の出版社の事情も脇に置かせてもらって、「理念を振りかざす青二才の屁理屈」と軽くいなされることを承知で言えば、やはり対訳を廉価で出版することには見過ごせない哲学的な価値がある。原書を、原語で、ゆっくり読んでいくことの重要さが今の日本ほど必要とされている国もまたないということに、彼らは気づいているのだろうか。スロー・フード、スロー・ライフが重要であるように、スロー・リーディングにもまた、測り知れない哲学的な重要性があるのである。

もちろん、売れ筋の本を仕掛けていくことにも意味がある。商業的にはこちらのほうがメリットが大きいことは、私のようなど素人でもよく承知しているつもりである。2004年現在で言えば、ネグり+ハートの『帝国』関連書籍や、デリダ=ナンシー系列のイタリア人脈などを積極的に仕掛けていくことにはむろん大きな思想的意味もある。だが、率直に言って、これは現代思想かぶれの学生・若年サラリーマン向けだという印象を拭いきれない。ジジェクやバトラーの思想が大学を超える大きなムーヴメントをアメリカや、とりわけ日本において、引き起こしたという証言を私は寡聞にして知らない。そして、かつてのバルトのときと同じように、性急に出版された悪訳をつかまされるのは、最も熱心な信者たちなのだ。

現代の平均的な日本のサラリーマンが真っ先に読むべきなのは、そして繰り返し熟読玩味すべきなのは、16歳の少年が16世紀に書いた『喜んで隷属することに関する論文』であり、19世紀末のとある地方代議士が書いた『怠ける権利』である。これらの本を廉価版で提供することこそ、2004年現在の日本で最も大胆かつ壊乱的な営為なのであって、最先端の現代思想を輸入することはただそれら本物の思想を輝かせ(そして同時に自らをも輝かせようと する)ことによってしか価値がない。本物の思想はいつの時代にもアクチュアリティを失わない。ただ現在においてしかアクチュアルでない本は、これらの書物に束の間当てられるスポットライトに過ぎない。

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 本書には、ライプニッツ(1646-1714)が1679年から1710年にかけて、すなわち彼が33歳から64歳までの間に書いた言語と国民性の関係に関する三つの試論、主題的に関連する書簡からの抜粋や各種関連資料、キーワード解説、参考文献一覧が収められている。(2004年9月20日)