Wednesday, April 04, 2007
「戯作者文学論」について(1)日記に抗する日記
「聖書と木材」というページがあり、聖書に登場する木や植物の種類、出典箇所が網羅されている。しかも作られているのはどうやら、大阪堺市の木材屋さん?凄すぎる!
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あまりにも低次元の話なので、ここで取り上げることもないのだが、最近自分のブログ観やら日記観を一応表明しておかざるをえないと感じるのは、結局どこかで心理的なプレッシャーがかかっているのかもと思うと、あながち無関係でもないのだろう。
≪自分の日記にあしあとやコメントが付くと、周囲から認められたという「認知欲求」、自分を受け入れて欲しいという「親和欲求」が満たされ、それが快感になるという。好意を持っていたり、尊敬している相手からあしあとやコメントが付くと、さらに高い快感が得られるため、快感を求めて日記を更新し続けるという“中毒”症状につながる。(…)
友人同士をリンクで結ぶ機能「マイミクシィ」(マイミク)が、この応酬をさらにヒートアップさせる。ユーザーは、別のユーザーにリンク申請して承認されると、自分の「マイミクシィ一覧」上に相手が表示される。マイミクはいわば、友人である証だ。
山崎さんは「マイミクは、社章のようなもの」と言う。社章を付けた人は、その会社の社員であることを強く意識し、社員としてのふるまいを強化する傾向があると考えられている。A社の社章を付けた人は、より「A社の社員らしくふるまおう」と意識するといい、社会心理学で言う「役割効果」が発揮される。≫(IT media News、≪「mixi疲れ」を心理学から考える≫、2006年7月21日より一部引用)
幼稚な心理である。ブログやHPというのは、murakamiさんのように淡々と、あるいは私のように「くどい」のでもいいが、ともかくクールにやるに限る(上方落語は、志ん朝同様、くどいがクールなのである)。
Cf. IT media News、≪「mixi読み逃げ」ってダメなの?≫、2007年3月20日より一部抜粋
≪読み逃げを気にするユーザーの日記などを詳細に読んでみると、リアルで会ったことがないマイミクとの関係に気を遣っているケースが多いことが見えてきた。
見知らぬ人とマイミクとしてつながった場合、人間関係を保障してくれるのは、mixi日記へのコメントやメッセージ、足あとだけ。だから自分のページに足あとが付けば、必ず訪問してコメントやメッセージを残し、「あなたのことをマイミクと認めていますよ」とアピールするし、相手も同じようにコメントやメッセージを返してくれ、自分を認めてくれることを期待する。読み逃げされると「嫌われたのかな?」「マイミクと認めてくれてないのかな?」などと落胆するようだ。≫
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坂口安吾に「戯作者文学論」というエッセイがある。「文学論」と題され、私も仕方なく「エッセイ」と呼んだが、「女体」という小説を書き上げる行程を綴った二十日間ほどの創作日記――「私の小説がどういう風につくられていくかを意識的にしるした日録」――である。1947年の作品だから安吾は41歳ごろ。
なぜ創作日記を「文学論」と名づけるのか。あるいは、なぜ文学論の表題の下に創作日記を綴るのか。おそらく二つの理由がある。一つには、自らの文学を語るのに通常の文学論の形態で語ることに嫌悪感を覚えたということがあるだろう。自ら戯作者をもって任ずる彼に「戯作者文学論」を執筆するよう求めた平野謙に対して、安吾はこう答える。
≪私が自ら戯作者と称する戯作者は私自身のみの言葉であって、いわゆる戯作者とはいくらか意味が違うかもしれない。しかし、そう大して違わない。私はただの戯作者でも構わない。私はただの戯作者、物語作者にすぎないのだ。ただ、その戯作に私の生存が賭けられているだけのことで、そういう賭けの上で、私は戯作しているだけなのだ。
生存を賭ける、ということも、別段大したことではない。ただ、生きているだけだ。それだけのことだ。私はそれ以上の説明を好まない。それで私は、私の小説がどんな風にして出来上がるか、事実をお目にかける方が簡単だと思った≫(ちくま文庫版『坂口安吾全集』第15巻、14頁)。
かといって、日記を書くことで、真実の「作者の意図」が記されうると考えるほど、安吾はナイーヴではない。「それに私は、この日記に、必ずしも本当のことを語っているとは考えていない」(同上、15頁)という言葉から、では、安吾は嘘をついているのか、と早合点する人はよもやいまい。それによっては真実を描こうとしても描きえぬ方法というものがあるのである。これが「文学論」と名づけたもう一つの理由である。
≪私は今まで日記をつけたことがなく、この二十日間ほどの日記の後は再び日記をつけていない。私のようにその日その日でたとこまかせ、気まぐれに、まったく無計画に生きている人間は、特別の理由がなければ、とても日記をつける気持ちにならない。
日記などはずいぶん不自由なもので、自分の発見でなしに、自分の解説なのだから、解説というものは、絶対のものではないのだから。
小説家はその作品以外に自己を語りうるものではない。だから私は、この日記が、必ずしも作品でないということを、だからまた、作品であるかもしれぬということを、一言お断り致しておきます≫(同上、13、15頁)。
私のこの「創作日記」もまた、安吾に比べて思想的にいかに惰弱で貧相であろうとも、ささやかな「哲学論」「思想研究論」たろうとしており、それ以外にこのようなものを書く意味もない。思想研究者はその作品以外に自己を語りうるものではない。だから私は、このブログが、必ずしも作品でないということを、だからまた…。
Tuesday, April 03, 2007
フランス哲学セミナー
1・explication de texteだけでなく、さまざまな点でフランス風を取り入れてみても面白いと思う。レジュメの作り方、読み方など。これについては「テクストの聴診」 (2006年11月12日の項)参照のこと。
2・大きな学会でも、個別の研究会でも出来ないことの一つに、「玄人好みの研究者紹介」というのがある。研究者であれば、誰しもマイ・フェイヴァリットというのがあるはずで、私で言えば、D. Janicaud, J.-P. Séris, G. Lebrun, J.-F. Marquetなど、個別の思想家研究を軽くはみ出てしまう個性的な人たちをいずれ紹介してみたい。それはともかく、「ここでしか出来なさそうなこと」をもう少し追求してみるといいのではないか。
3・コレギウム・プロジェクトと何らかの接続を徐々に模索していければ。
最後に、京都からお呼びたてしてしまったmnさん、もし期待しておられたものと違っていたとしたら、ごめんなさいね。でも、研究者同士のつながり、特に直接会って話すことはとても重要だと思っているので。
Friday, March 23, 2007
プルーストとサント=ブーヴ(2)創造という虹
プルーストは『サント=ブーヴに反論する』の中の「サント=ブーヴの方法」という中心的な章の一つをこう始めている。
≪この世で一番言いたく思ってきたことを、突然二度と言えなくなってしまうのでは、と危惧するような時期に、なんなら状況にといってもいいが、私は立ち至っている。感受性の衰弱と才能の破産のせいで、一番言いたかったことというのはもう無理だとしても、その次ぐらいの、きわめて高くきわめて内密な理想と比べれば評価はおのずと低いが、これまでどこでも読んだ憶えはないし、今言わなければ言わずじまいになってしまいそうな、いずれにせよ私たちの精神のさして深からぬ部分に関わると知れた事柄、それをしも言えなくなってしまうのでは、と恐れるわけだ。[…]ここで習い性となった怠惰にとどめを刺し、「光あるうちに仕事をせよ」というヨハネ伝のキリストの良き戒めに従いたいと考える≫(前掲、25頁)。
ここで怠惰と訣別してプルーストが言おうとしているのは、「この世で一番言いたく思ってきたこと」ではなく、少なくとも最低限言っておかねばならないことである。「サント=ブーヴについて、それなりに重要な事柄」(同上)を言おうと決心しているのは、サント=ブーヴの才能の浪費を嘆きもし、また浪費されるほかない才能のあり方というものがあると喝破してみせたプルーストその人である。プルーストはこの並行性に――少なくとも方法論のレベルでは――意識的である。「サント=ブーヴを話題に上せつつ、彼自身がよく使った手だけれども、私はこの人物を、生のさまざまな様相を語るための良き手がかりにしてみたいのだ」。
≪おそらく、『月曜閑談』以後、サント=ブーヴは、単に生活態度を変えただけではなく、強いられてやむなく仕事をする今の生活のほうが、生来、無為に流れやすくて、強制されないと自分の持つ富を放出できないたちの人間には、結局のところずっと多産でもあるし、またぜひ必要なものでもあるという思想に登りつめる――と言えるほど高次な思想ではなさそうだ――辿りつくことになる≫(前掲、36頁)。
才能はまったく発揮しないより浪費されたほうがマシだ、というあまり高尚とは言えない思想――林達夫や浅田彰や、多くのスマートで博覧強記の知識人を想起させる思想――と縁を切り、孤独のうちに籠もり、自分自身と真摯に向き合って文学の仕事に邁進せねばならない。あたかも反面教師に対するように、あたかも自分自身に言い聞かせるように、プルーストは言う。サント=ブーヴは、一度たりとも、詩的感興や文学上の作業には特殊性があり、文学の仕事は、一般の人たちのさまざまな仕事とも、作家自身の、文学以外の仕事とも、まるで違うものだということが分からなかったとおぼしい、と。
≪孤独に浸りつつ、自分のものでもあれば、他人のものでもあるような言葉には、沈黙を命ずる。たとえひとりきりでいようと、自分になりきらないまま物事を判断しているようなとき、私たちが使っている言葉は黙らせてしまう。そして自分自身にあらためて面と向かい合い、おのが心の真の響きを聞き取ってそのまま表現しようとする。それが文学の仕事というものだろうが、サント=ブーヴは、この仕事と会話とのあいだに、どんな境界線も引こうとしなかった。「書くこと…」
実際には、作家が一般読者に提示するのは、ひとりきりで、ひたすら自分のために書いたものであって、それこそが彼自身の作品なのである≫(前掲、34-35頁)。
著者・作家に対するこのような視点は、当然読者との関係、ひいては作品概念をも規定している。
≪…こうして彼[サント=ブーヴ]には、自分の紙上批評が、何かアーチのようなものに思えてくる。起点はたしかに自分の思索や文章の中にあるのだが、終点は読者の心の中にまで延び、讃嘆の念にまで届いていて、そこでようやく虹の円弧も完成するし、色彩も最終的に仕上がるというわけだ。[…]
新聞記事の美は、あげて書かれた記事にあるというわけにはいかない。総仕上げをしてくれる読者の胸裡から切り離されてしまえば、ただの毀れたヴィーナス像にすぎない。そして新聞記事の美は、読者大衆からこそ最終的な表現を汲むものである以上(選りすぐりの大衆であったとしても同じことだ)、その表現にはいつも幾分か通俗的なところがある。あれこれの読者の、声なき賛同を思い描きつつ、新聞寄稿家は自分の言葉の重みを量り、言葉と思索の釣り合いを取ろうとする。したがって彼の作品は、意識的にではないにせよ、他人の協力を得つつ書かれていて、その分だけ、彼独自のものとは言いにくくなっている≫(41-42頁)。
サント=ブーヴを批判しつつ、彼の手法に依拠するとはどういうことか。批評という文学活動の「余技」「灰汁(あく)」のようなものがもつ読者との根本的な対話があるのである。そしてその批評はプルーストが「この世で一番言いたく思ってきたこと」、文学的営為の結晶とすら無関係ではない。このテーゼの論証はしない。これは論文ではないからだ。
最後に、ブーレーズの言葉を引いておく。思えば、ドゥルーズが「より深いというのではないが、別種の、暗黙裡の、(彼は自分の著作の中でしばしばプルーストを引用しているが)言外の関係」をブーレーズと結んでいるものとして指名したのは、マラルメでも、ミショーでもシャールでもなく、プルーストであった(『エクラ/ブーレーズ 響き合う言葉と音楽』、笠羽映子訳、青土社、2006年、299頁)。
≪PB:けれども、小説が進行していくにつれ、形式的な進展がいっそう目立ってきます。それで、『失われた時を求めて』は物語自体についての省察となり、内省は鋭さを増し、芸術創造の核心に触れる問題が扱われていきます。章が進むにつれ、小説としての小説は重要性を失うことが分かります。[…]
彼の結論?文学作品はそれを読む人によって作られるということです。当時としては、そうした記念碑的な作品と向き合う際、人々を面食らわせる結論でした。結局、創造家は、読者を証人とするんです。
――いささか過小評価的な理屈ですね…
PB:そんなことはありません。逆に素晴らしく実り豊かです。プルーストは「作品は、私がそれに与えた意味だけではなく、読者であるあなたが、読むたびに与える意味をも持つ」と指摘していますからね。それは、作者の占有物としての作品を否認することになりますが[言うまでもなく所有の問題系である]、それを読んだり、眺めたり、聴いたりする人のために、作品を昇華することになるのです。
この機会に指摘しておくなら、未完の作品や構想中の仕事はしばしば人々の想像力を豊かにする可能性をもっています。[…]未完の絵をまず嘆賞すべしと言っているのではありません。私が問題にしているのは、示唆に富んだ、意味深いアプローチです。というのも、『失われた時を求めて』の最後の巻は、大急ぎで仕上げられていて、デコボコや矛盾を免れていないのですが、その代わり、文学創造の方法に関する新たな世界を私たちに示してくれているのです≫(上掲、322-323頁)。
Thursday, March 22, 2007
大局観(2)日本と世界

Gilles Deleuze, Georges Canguilhem, Il significato della vita, a cura di Giuseppe Bianco, Mimesis Edizioni, nov. 2006.
(友人とはもちろん御大二人ではなく、ビアンコである。なかなか面白い奴なので、トゥールーズに呼ぶようゴダールに提案したら、彼ものってくれた。ゴダールはレン同様、「大局観」ということを本当に理解している数少ない友人だ。大局観を持つのに、年齢も地位も関係ない。)
Arnaud Bouaniche, Deleuze, une introduction, Presse Pocket, jan. 2007.
「コレギウムとは何か?」の項に、CPの公式サイトのアドレスを追加しておいたので、興味のある方はどうぞ。去年はデリダ追悼ということで、サリス、ベニントン、ローラー。今年は、解釈学系らしい。テーマは「解釈、言語、イメージ」。
来年2008年のディレクターは、今年のセッション終了直前に公にされる。具体的な募集は来年からになるだろう。
重要なのはここに大挙して日本人の院生が押しかけることではない。それではパリのブランドショップと同じ現象が起きてしまう。
なぜブランド品を買うのか?目に見えない「雰囲気」を身につけるためでなくて、他にあさましい所有欲以外の何があろうか?雰囲気を感じとることが最も大事なのに、集団で、彼らの「地」のスタイル(服装ではなく)で行くことで、まさに求めるべき「何か」を壊してしまう。挙句の果てに、金を払って動物並みに扱われ、見下されて「オトクな買い物」と満足する――こんなことでエレガンスが得られるはずもない。
同様に、むやみに学生を送り込んでも、学生にも向こうにも大したメリットはなく、所期の目的を達成することはできまい。むしろ教官の側が優秀な学生を精選して送り込んだほうがいい。
学生の側にもというのは、悪平等では、実効的な研究者養成は達成できないからである。ここでもまた、大局観が必要なのだ。偽のエリート主義ではない、本物のエリート教育が必要なのである。
向こうにもというのは、アメリカがせっかく長年かけて作り上げてきたシステムを体験させてもらうのだから、やはり遠慮は必要だということである(アメリカ側の参加学生のレベルはたぶん日本の平均とそう変わらない。それでいい。私たちとは目的が異なるのだから)。
体験は、それがどんな体験でも、貴重なものにしてあげるべきだと思う。コレギウムの体験は彼らにとって生涯忘れられないものとなるだろう。私もまた、サイトの写真を見ると、あの夏を思い出し――2003年、ヨーロッパ中が記録的な猛暑に苛まれていた――、しばし感傷に耽る。
Wednesday, March 21, 2007
大局観(1)地方と中央
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歳を重ねるほど、失望は深くなる。フランス哲学・思想研究の置かれた現状に関して、大局観を持たない無邪気な人々は四十代だろうが、五十、六十代だろうが、いる。年齢、地位、風評など本当に当てにならないものだ(強調しておくが、研究者としての能力とも直接関係はない)。
むろん、嘆けばいいというものではない。「今、ほんと何もかも駄目だよね」。日本を知的砂漠と評したければそれも結構だが、問題はどこにあるのかという具体的な現状分析、具体的な処方箋の模索がなければ、そんな言葉には何の意味もない。
地方の――といっても、日本有数の大都市なのであるが――学生にも普段聞く機会のない世界標準レベルの哲学的議論、それも代表的なフランス人哲学者とフランス語で行なわれる議論を肌で感じてもらおうと私が提案したことがあった、としよう。
「東京でやったほうがいい。」
「東京でやることは既に決まってるんです。その上で、地方でもやろうということなんです。」
「東京で二回やったほうがいい。私も呼んでくれ。」
「…」
私は地方大学の実態・今どきの学生の平均レベルを知らないわけではない。地方の大学教員の「悲哀」を直接間接に聞いてもいる。けれど、だからといって、希望を失って(あるいは自分本位の希望を胸に)、自分の学生たちの未来の可能性までも奪っていいのか。もしかしたら、気まぐれからシンポジウムに顔を出し、それがきっかけ(ショック療法?)となって真剣な勉強を始めるかもしれないではないか。
戦にはグローバルに勝てばよいのであって、将来への先行投資として「覚悟の負け戦」が一部あってもいい。大局観とはそういうものだ。
人は往々にして理念の力をもはや信じられなくなった者に「枯淡の風」や「泰然自若」を見て取ってしまい、理念の力を信じ続けようと努める者を「幼い」「若い」と評する。だが、私に言わせれば逆である。大局観を持たない者は、精神年齢において、永遠に「幼く」「若い」ままなのだ。
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今度のトゥールーズ篇のヴィデオ撮影とは、これのことを言っているらしい。フランス南西部の大学が共同してやっているらしい哲学科修士課程のワークショップの模様を見ることができる(『アンチ・オイディプス』について)。今度のメンバーとずいぶん重なっている。
この地方大学(連合)の健闘、いや奮闘をどう見るべきか。「できない」「無理だ」「意味がない」と言う前に、やるべきことがあるのではないか?やれることがあるのではないか?
私たちは、どこから始めるべきか。何から始めるべきか。人を年齢や地位や風評でしか判断できず、現状を打算や政治的力学、人間関係のしがらみでしか判断できない者たちよ、何度でも繰り返す、哲学の歌を聴け。
Tuesday, March 20, 2007
プルーストとサント=ブーヴ(1)月曜閑談
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恋は盲目というが、ファン心理はごく当然の真理までも見えなくさせてしまう。中途半端にアカデミックな「常識」では、ドゥルーズは「当然」ベルクソンより「深く」、マラルメは「当然」ヴェルレーヌより「深く」、プルーストは「当然」サント=ブーヴより「深い」。しかし、問題はむしろその「深さ」が、異なる尺度で測られるべきものに対して強引にただ一つの尺度が押し付けられた結果ではないのか、つまり蜃気楼の産物ではないのかどうかを知ることなのである。
プルースト(Marcel Proust, 1871-1922)の「サント=ブーヴに反論する」(Contre Sainte-Beuve)はいつ読んでもぎくりとさせられる。とりわけこのブログに書き込んでいるときには。それが月曜であったりするとなおさら。
念のために言っておけば、サント=ブーヴ(Charles Augustin de Sainte-Beuve, 1804-1869)とは、近代批評の父であり、代表作に『月曜閑談』(Causeries du lundi)がある(例のごとくGallicaで原本を見られる。この第15巻にはルソーやヴォルテールなどのほかに、ド・メーストルやトクヴィル、サン=シモンらの名前が見える)。
≪友人のために、自分のために、また、おそらくは書かれずじまいになったはずの、長いこと想を練ってきた作品のために、彼としては大事に取っておくつもりだったものが、十年間にわたってことごとく形を成し、次々に世に出ることになってしまった。
貴重な思索をぎっしり収めた貯蔵庫があって、一篇の小説をまわりに結晶させるべき核も、いずれは詩に発展したかもしれない材料も、かつて美しさに感じ入ったことのある事物も容れたまま、書評すべき本を読んでいるサント=ブーヴの思考の奥底からせりあがってくる。
すると彼は、律儀にも、より美しい捧げ物をするためとばかり、最愛のイサク、至高のイフィゲネイアのほうを生贄にしてしまうのである。
十年の間、月曜ごとに打ち上げたあの類なく華やかな花火を作るのに、もっと長続きする書物の原料となるべきものをぶちこんでしまったので、原料は、以後、底をついてしまったのだとも言えよう。≫(『プルースト評論選』第I巻「文学篇」、保苅瑞穂(ほかり・みずほ)編、ちくま文庫、2002年、38頁)。
プルーストとサント=ブーヴの距離が明らかに遠い箇所は論ずるに及ばない――「サント=ブーヴは文学を総体として『月曜閑談』の類と見なしていた」「彼は文学を時間の相の下に眺めていた」「彼の書物は、さまざまな対談相手を招いた一連の社交場といった趣がある」など。プルーストは安心しきって攻撃している。
けれど、プルーストがあそこまで執拗にサント=ブーヴを批判せずにいられなかった理由を訊ねていくと、二人の距離は必ずしも遠くはない。
しかし、それはまた次の機会にしよう。私のプルーストの声が聞こえてきそうだ。まだ大したこともしていないのだから「自己内対話」が大事だというのはそのとおりだが、対話を「作品」に結実させるなおいっそうの努力を、という声が…。お前なりに精一杯のopus magnumを書け、と。
Friday, March 16, 2007
老いたり、ゴト師(晩年の林達夫を聴く)
国際哲学オリンピアード(International Philosophy Olympiad,実態を知らないので何とも言えないが(というのも往々にして哲学という名称はさまざまなイデオロギーに利用されるから)、理念には興味を惹かれる。しかし、現代の日本の高校生に可能なのだろうか?
略称:IPO)は、元々1993年にブルガリアで始まったグローバルな哲学教育運動です。次代を背負う若者たちの物の考え方を哲学的に涵養し、訓練することを目的として、参加国の高校生に外国語(英独仏)によるエッセイ・コンテストを毎年一回(通例五月)に実施してきました。日本は、2001年5月に、米国のフィラデルフィアで開催された第九回IPOに初めて参加しました。
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やはり一月半ほど前に書いたもの。
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近くに図書館があるというのはとても幸せだ。かなり定期的に利用している。私は一時期古本屋に精通していたが、この「カセットできく学芸諸家シリーズ」など、図書館でないとお目にかからない気がする。
で、期待して聞いた。なにしろ日本の誇るエンシクロペディストにして軽妙洒脱なエッセイスト林達夫である。
が、失望した。なにしろ話が長いうえに、下手だ。彼の喋り方はいかにもインテリくさい節回しの訥々としたものだが、問題はそこではない。私はそういう喋り方は嫌いではない。肝心の「三つのドン・ファン」の中身がぜんぜん貧相なのである。
まず、前置きに三十分。自分と岩波書店の関わりについて(和辻より年上、とか)。そのうちになんとなくドンジュアンの翻訳の話になるが、これも「前ふり」ではなく、エディションがどうだの、こんな訳もある(鈴木力衛より年上、とか)、あんな訳もある(石川淳も訳していた、とか)、といった話で、ちっとも「三つのドン・ファン」にいかない。それなら「日本のドン・ファン翻訳百面相」とでも題して話せばいいのに。
モリエールの生誕三百周年だから、彼の『ドン・ジュアン』が他の二つ(ティルソ・デ・モリナとモーツァルト)に比してクローズアップされるのは当然だが、そうなるのかと思ったらそうでもない。延々と『タルチュフ』や『守銭奴』の話をやってA面が終わる。つまり、四十五分間、比較にほとんど入らなかったわけだ。それなのに、「僕に言わせりゃ時間が短くって」などとのたまわっている。このテープだけから判断すると、悪しきペダンティストという印象を免れない。以って他山の石とすべし。。
面白かった点。
・ファウストは実在の人物からとられているのに対し、ドン・ファンはティルソ・デ・モリナの完全な創作らしいこと。ただし、ファン(フアン、ホアン)はありふれた名である。
・ティルソ・デ・モリナの『ドン・ファン』は基本的に説教劇で、直前の作『不信堕地獄』と並べてみるとその意味がよく分かる(らしい)ということ。『不信堕地獄』では、道徳心を持たないが神を信じきっている大悪党が死の淵でも神への絶対的な信頼を保ち、道徳心を持ってはいるがどこか神を信じきれていない僧侶を動揺させる。その隙に付け込んだ悪魔は、大悪党が天国へ行く姿を僧侶に見せ、彼の信仰を打ち破る…。このスキャンダラスな演劇に宗教界は騒然となり、自作の援護のために、ティルソ・デ・モリナは、今度は『ドン・ファン』で徹底的な悪党が地獄に堕ちる、という劇を書いた、というわけである。
それ以外は知っていたことばかりだ。つまりモリエールについては昔勉強したこと以上の何も得るものがなかった。
林の結論:モリエールの『ドン・ジュアン』はさまざまに解釈でき、この意味のバロック的多義性、多層性こそが重要だ。
モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』は「薄っぺら」の一言で片付けられて、ダ・ポンティの寄与とか、キェルケゴールの解釈とか、まるで切り捨てられている。おいおい。
唯一考えつく弁護は、77歳だから仕方がない、ということかしら。もっと若い頃は、もっと話が上手かったのか。ともかくこのテープはお奨めできない。
Thursday, March 15, 2007
ゴト師、林達夫(下)…と資本主義
この頃の林達夫は冴えていた。三木の「剽窃」騒動を、彼は「学問の共有と私有」の問題構成と結びつける。剽窃、広く盗みの問題は、プルードンを引くまでもなく所有権の問題であり、私有財産の問題なのである。
≪資本家的大盗人から同輩的コソ泥に至る一連の、学問を金にしようとする泥棒…金、金、金…学説所有権の擁護の叫びは、だからとりもなおさずこれらの学問泥棒に対する学者の生活権擁護の叫びにほかならないのだ。学問が社会の共有財産であらねばならぬのに、しかもこれをあくまでも神聖なる私有財産視しなければならぬのは、実にここにその根拠をもっているのである。
かくて資本主義社会では「剽窃」も多くこの角度から取り上げられる面を有し、それが「不労所得」を意味し、「窃盗罪」を構成する場合も少なくないのだ。
では、人は何とかしてこの学問的共有と私有との深い矛盾を取り除くことができるであろうか。我々にとって明らかな一事は、かかる矛盾の克服は現在のままでは資本主義的体制の埒内では決してできないということである。
かくて「剽窃」の問題も資本主義の存続する限り、唾棄すべき財産的犯罪の問題として提起せられる一面を常に保持し続けるであろう≫(『林達夫著作集』、第4巻「批評の弁証法」、平凡社、1971年、158-159頁)。
知的所有権以上に哲学的に問題になりうるのが、固有身体の所有ではないだろうか。いずれ「愛と所有:結婚の形而上学とその脱構築」という研究に取り掛かりたいと思っている。
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林達夫は、日本の思想界において一流の「ゴト師」であった。例えば、彼の西田論「思想の文学的形態」を見よ。「随筆」と「随想」の区別から始まって、西田哲学を常に生成途上にある哲学行為の「随筆」と規定する手つきの鮮やかさ。
ただ、惜しむらくは、西田論の第二部「思想、文学、教育のフランス的三位一体について」が、単なるフランス論に終わり、この三位一体は我が国でどのように考えられ、とりわけ西田の哲学においてどのように考えられていたのかについて、突っ込んだ考察がなかったことだ。
林達夫の思考には――浅田彰にも言えることだが――ほぼ常に深さ、粘り強さが欠けている。西田は随筆的だがやはり哲学であり、林は哲学的だがやはり随筆なのである。パチプロとゴト師の違いと言えば、冗談にも程があると言われるだろうか。ならば、天才と秀才の違いと言おう。
≪鴎外→あらゆるものを内面的に理解しながらそのどれとも自己をidentifyしようとしない冷たさ、それは「秀才」の悲劇である。捨て身にならない。捨て身にならないですむから、――なぜなら、理解力を示すだけで常人よりはるかにすぐれた業績を残しうるから、「理解力に頼りすぎる」≫(丸山真男、『自己内対話』、みすず書房、1998年、5頁)。
天才とは自分の道において呆れるほど馬鹿になれる人のこと、極道になれる人のことを言う。道を極めると書いて、極道と読む。
Wednesday, March 14, 2007
ゴト師(壮年の林達夫を読む)(上)剽窃…
rythmeとmesureを組み合わせたときのように、見掛けは似ているけれど実は異質で、しかし緊張関係にあるという二つの項を衝突させることで何かが見えてくる、という手法はスリリングで好きだ。メタファーとアナロジーがそうなるかどうかはまだ分からないが。
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2月上旬に書いたもの。
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さまざまな器具等を使用し、パチンコ店等で不正に出玉を獲得する人を「ゴト師」という。まあ要するに、いかさまをやる人のことと思ってもらえばいいだろう。ここでは、「ゴト師」という言葉をもちろん犯罪的な意味においてではなく、広義の意味で用いる。
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林達夫は、広義の意味での「ゴト師」の側に自分を置き入れた。板垣直子の三木清に対する「剽窃」告発騒動のさなか、「いわゆる剽窃」(1933年)という文章で三木を擁護したときのことである。
「もっとも仮借なき《職業的》廓清家(レーニンのいわゆる職業的革命家と同じような尊敬的意味で)」たる板垣直子の「秋霜烈日の如き断罪的方法」に、林達夫は「多少ともかの中世的スコラ的宗教裁判方法に似通う形式主義、機械主義、末梢主義への危険」を嗅ぎ取る。
いわゆる剽窃は日本の今日の現象であるばかりでない。シェークスピアやモリエールやスタンダール。プラトンやデカルト。古来その独創性を以って鳴る西洋の大文豪や大学者のうちにさえ、証拠歴然たる剽窃行為が見出される(しかも当の張本人たちがその正当性を主張している)。
人類社会の共通現象であるとも言えそうで、となると、他人の思想や文句のドロボウ、インチキ師、ゴト師は、無数に世界を横行していることになる。何という恥ずべき、嘆かわしい犯罪的世界!
むろん林達夫はありとあらゆる剽窃を擁護しているのではない。「私がこんなことをいいだしたのは、いわゆる剽窃にはピンからキリまであるということがいいたかったからだ」。そこで林は、板垣夫人とはまったく異なる見解をもつ知識人を引く。アナトール・フランスである。
かつてドーデが剽窃のかどで攻撃されたとき、彼はドーデの擁護者として立ち、有名な「剽窃の擁護」を書いた。詳しく知りたい人のために原典を挙げておく。
Anatole France, "Apologie pour le plagiat", Le Temps, 4 janvier 1891, reprise dans La Vie littéraire, quatrième série, Paris, Calmann-Lévy, 1924, pp. 157-167.
BNFでは原本をウェブ上で読むことすらできる。日本の知識人の端くれとしては羨ましいというほかない。「フランスを羨ましがってばかりいないで、日本の厳しい現実を見たほうがいい」としたり顔で忠告してくれる人もいる。だが、まず夢見るところから始めなくて、この国に何が残されているのか。
アナトール・フランスによれば、剽窃家とは、何でもかでも、他の家から家財でも雑巾でもゴミ箱でも滅茶苦茶に盗んでくる人間のことであって、かかる輩は思想の殿堂に住むに値しない。
「だが、他人から自分に適したもの、得になるものだけを取る作家、選択することを心得ている作家について言うならば、それは立派な人間である」。
また、アナトール・フランスによれば、それは「節度の問題」でもある。「人はミツバチのように他に迷惑をかけずに盗むことができる。だが、穀粒をまるごと略奪するアリの盗みは決して真似してはならぬ」。
つまり剽窃には二つあるのだ。法のレベルに納まるものと、法の概念そのものを揺るがし、ひそかにその根本的刷新を促すものと(アンチゴネーを剽窃の問題から考えることも出来るかもしれない)。
Tuesday, March 13, 2007
自己内対話(ブログに抗するブログ)

http://philosophy.cognitom.com/exec/page/page20050703222358/
他の人に誤解のないように言っておけば、私がmurakamiさんに敬愛の情を抱くのは、彼が彼のフィールドで精力的に活躍されているからであって、彼が私のブログを読んでくれる、あるいはそこに書き込んでくれるからではもちろんない。
思想における友情あるいは愛は、ブログへの書き込みからは生じない。なぜならブログも書き込みも所詮その程度のものでしかないからだ(これは日常会話でも同じである。社交的に振舞うことはどんな場合にも望ましいことだが、そこに過剰な意味を見出すべきではない)。
少なくとも思想の世界では――いや、おそらくありとあらゆるプロフェッショナルの世界でも同様だろう――逆なのだ。大事なのは「人」ではない、「アイデア」だ。あらゆる意味におけるideaである。
したがって思想的ブログにおいて大事なのは、思考の断片的なアイデアが流通すること、最低限、貴重な情報が流通すること、そしてそれらが電脳空間の外で現実化・具体化することだ。実際の「出会い」が、効果的な「出来事」がそこを通じて(そこから、ではないとしても)生じること、それがすべてである。
この「外部」はまた、思想の「外部」でもなければならない。私が、この思想系ブログ以外のブログ(政治・社会系、語学系…)を、区別しつつも、連動させているのはそのためである。ドゥルーズの言うとおりなのだ。
ここに丸山真男の言葉が反響する。≪ある一つの分野はみな、それぞれの仕方で非なるものと関係している。
芸術は、芸術家でないこの私たちを育成し、覚醒させ、私たちに感覚する仕方を教え、哲学は概念的に理解する仕方を教え、科学は認識する仕方を教える――それだけのことを言っているのではない。そのような教育法が可能になるのは、それぞれの分野に関わっている〈非〉に対して、その分野がそれ自身の側で本質的に関係している場合だけである。芸術が非芸術を必要とし、科学が非科学を必要としているように、哲学は、哲学を理解している或る非哲学を必要とし、非哲学的理解を必要としているのだ≫(『哲学とは何か』結論)
私のブログはブログ的ではない。ブログは、私が研究論文としてでなくエッセイという形で言いたいことを載せる最良の形態ではないのだろう。別にそれで結構だ。私にとって、ブログとは「井戸端会議と投瓶通信のあいだ」(penses-bêtes japonais, 2007年2月4日の項)にある何かなのである。≪若いうちに、感受の弾力性があるうちに、異質的なものと対決せよ。Stirb und werde ! ≫(『自己内対話』)
さらに、こうも付け加えよう。時流に抗して、私が思想的ブログでまず突き詰めたいと思っているのは、自己内対話のほうなのだ、と。
「まず」とわざわざ強調したのは、英語で『日本政治思想史』や『日本の思想』を発表し、座談の名手であった丸山のこの文章内に、不可視の、しかし確固たる「まず」を読み取れない読者のことを慮ってである。私は常に「両面作戦」(pratiques théoriques, 2004年11月1日の項)の支持者である。≪国際交流よりも国内交流を、国内交流よりも、人格内交流を!自己自身の中で対話をもたぬ者がどうしてコミュニケーションによる進歩を信じられるのか。
論争がしばしば無意味で不毛なのは、論争者がただもっともらしいレトリックで自己の嗜好を相互にぶつけ合っているからである。自己内対話は、自分の嫌いなものを自分の精神の中に位置づけ、あたかもそれが好きであるかのような自分を想定し、その立場に立って自然的自我と対話することである。他在において認識するとはそういうことだ。≫(丸山真男、『自己内対話』。1967年3月の最終講義メモ)
Friday, March 09, 2007
制度の唯物論(脱構築の前に構築を!)
*
「コレギウムとは何か」の項に、尊敬するmurakamiさんからコメントをいただいた。
そうですね、私にもどうすればいいのか分かりませんが、おそらく劇的な治療法はないのでしょうね。
ただ、解決策はないとしても、地道な対処法はあります。例えば、学術雑誌の作り方です。
仏文学会の雑誌『フランス語フランス文学研究』は、学会発表を行なった者の中で選抜を行ない、研究論文を書く権利を与えるのですが、その際、フランス語論文8本、日本語論文4本と定められています。
つまり、日本語論文の数を少なく限定しているのです。仏文学会が本当のところ、どういう「意図」でこの比率を決定しているのかは知りませんが、執筆者に与える「効果」は明白です。掲載されたければ、フランス語で執筆したほうが圧倒的に可能性が上がるのです。
こうして制度が意識を少しずつ変えていき、仏語能力の地道な向上につながっていく、という「制度の唯物論」(笑)があるわけです。
翻って、例えば日仏哲学会の雑誌『フランス哲学・思想研究』はどうでしょうか?
(他の人にも誤解のないように言っておくと、もちろん両雑誌の内容や質を云々しているわけではありません。言語の問題を論じているのです。)
まず言語による「枠」がありません。そうなると、結果は火を見るより明らかです。最新号である第11号を見てみると、仏語論文は公募論文7本中2本。一本はフランス人(前述の西田研究者のDalissierさん)、もう一本は私です。
むろん、これは学会の規模、それぞれのmilieuがもつ雰囲気というものも大きく関係しています。仏文学会は日本のフランス系の学会でおそらく最も規模が大きく、最も国際的に活躍している学会であり(現在の国際仏文学会の会長は、日本の仏文学会の会長である塩川徹也先生です)、フランス語で書くことが半ば自明視されているmilieuです。もともと仏語で書ける人が一定数以上いないと、せっかくの理想的な制度も成り立たないということはあります。
しかし、いずれにせよ、制度の善用とは言わないまでも、制度というものの持つ力をもっと積極的に活用すべきではないか、少なくとももっと意識的になるべきではないだろうか、と私は思っています。日本版アグレグを夢見るのも、そういうところから来ています(これについては、これまで断片的にこのブログに書いてきました)。
哲学科(フランス系)の人は仏文科の人から、仏文科は哲学科から、もっといろんなことを学べるのではないかと私は思っているのですが、なかなかどちらにも聞いてもらえません。ドイツ哲学と独文より親密な関係を築く可能性があるようにも思われるだけに、残念なことです。
コレギウムの話、ご一緒に進めていければこんなに嬉しいことはありません。実はもう若干進めつつあります。今度お会いしたときにでもお話しできれば。 hf
Thursday, March 08, 2007
制度と脱構築(Jean-Luc Amalric情報)
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さて、ジャン=リュック・アマルリックである。
『リクール、デリダ。隠喩の争点』という本を出した叢書"Philosophies"は、きわめて優れた叢書で、私のお気に入りの一つである。例外もあるが、もっぱら若手にある哲学者のあるトピックに絞って書かせることで有名だ。
(日本のように、すでに功なり名を遂げた研究者が入門書的な軽い本ばかり書くのは何重にも無駄だと思う。たまに息抜きに、というのならいいが、そればっかりのような気がするのだ。だいたい大家に限らず、著書でも翻訳書でも、アメリカ同様、入門書が多すぎる。もういいよ、そういうのは。短くてもいいから、一つのテーマに絞って力作を書いてほしい。
誰か、〈ベルクソン研究叢書〉をつくってほしい!グイエのは翻訳が進行中とのことだが、イポリットとかユッソンとかミレーとかアイドジックとか、良書を精選して。『年鑑』とか、良質論文を精選して。)
アマルリックを、「モンペリエ大教授」とおっしゃっている方がいるが、私の知る限りでは、彼は職業としては高校(Lycée Joffre)で教え、研究としてはCFPE(Crises et Frontières de la Pensée Européenne, EA738)という研究グループに間接的に所属して、博論執筆に励んでいる若手研究者である。
ネットというのは本当に恐ろしいもので、Jean-Luc Amalricの家計図まで調べられてしまう。それによると、父はJean-Claude Amalricという英米文学者であるようだとか、どうでもいいことまで分かってしまう。政治的な発言を行なっているな、とか。
アマルリックの関係しているCFPEには、私の知っているだけでも、エピステモ系のアナスタシオス・ブレンネール、コント研究のアニー・プチ、ハイデガー研究のマルレーヌ・ザラデールなどがいる。昨年惜しくも夭折してしまったフランソワ・ズラヴィシュヴィリもこのグループに属していたようだ。
*
ちなみに、フランスの研究機関でよくUMRとか見かけて、「あれは何だ」と思われている方があると思うが、研究単位のことである。私が様々な形でお世話になっているSavoirs, Textes, LangageはUMRだが、これはUnité Mixte de Recherche、上述のCFPEはEAだが、これはéquipe d'accueilの略である。大体、JE→EA→UMRという形で大きくなっていく。例えばこんな感じだ。略称についてはリンクのところにリストを挙げておいたので、参考にしていただきたい。
フランス現代思想やフランス哲学、フランス文学の研究者で、(フランスの)学問制度のことを知らない人がけっこういる。むろん、EAが何を意味するかを知らなければデリダの思想は分からないなどと言っているのではない。だが、それにしてもあまりにも制度ということに鈍感であり、無邪気すぎはしないか。
一方でデリダや脱構築に興味を持っていると言いつつ、他方で制度的なことを知ろうとしないのは矛盾している。デリダほど制度との距離どりを考えた人はいない。
-Peter Trifonas, The Ethics of Writing : Derrida, Deconstruction, and Pedagogy, 2000. プロフィールはこちら。
-Tom Cohen, Jacques Derrida and the Humanities: A Critical Reader (Cambridge University Press, 2002).
-Peter Trifonas and Michael A. Peters, Derrida, Deconstruction and Education: Ethics of Pedagogy and Research, Blackwell Publishing, 2004.
-Simon Morgan Wortham, Counter-Institutions: Jacques Derrida And the Question of the University, Fordham University Press, 2006. プロフィールはこちら。
彼がどうGREPHに関わったか、どうしてCIPhを創ろうとしたのか、もっと日本でも知られていいはずだ。デリダの訳者たちよ、うすっぺらい本を訳すほうが楽なのは分かるが(薄い本だってすでに大変というのもよく分かるが)、この「暗い時代」にあってデリダの大部の大学論・教育論であるDu droit à la philosophieが本の形でまず訳されるべきではないのか。
脱構築とは何よりもまず諸々の制度の脱構築である。学問とは研究者の頭の中だけで抽象的に構築されていくものではなく、それ自体歴史的に形成されてきた具体的な制度の上で、ほとんど唯物論的に形成されていくものなのだ。博論一つ取ったってそうだ(笑)。その自覚なしに、その自覚を実際に示す実践なしに、脱構築とは笑わせる。
Wednesday, March 07, 2007
サクラサク(Master Mundusの結果)
受かられた皆様、栄えある第一号として思う存分、そして思い残すことのないよう、研鑽を積んできてくださいね。プロになりたいなら、本物のプロになりたいなら、二年間くらい猛烈に勉強する時期があってもいいと思います。
残念ながら届かなかった方、気を落とさずに。来年またチャレンジするつもりで、お励みください。
*
今回の結果(暫定的な合格発表)がウェブ上で公開されています。主要候補全15名のうち、南米が5名(ブラジル3、アルゼンチン2)、アジアが5名(中国3、日本2)、ロシア2名、カナダ・レバノン・ゲオルギア各1名という結果でした。南米・アジアはほぼ予測どおりでしたが、中東が1、合衆国がゼロというのは少し驚きました。
おそらく何らかの方針なり、各地域のinvisible quotaがあるのでしょうが、来年度以降徐々に「枠」を増やしていけるように、日本のフランス哲学研究者が共同で何かアクションを起こせればいいですね。
いつか、仏独英語で世界標準レベルの哲学的な議論をできるのが、当たり前とは言わずとも、珍しくはなくなる、もう語学力か哲学力かなどという議論がナンセンスでしかなくなる、そしてその結果、このMaster Mundusの有り難味が徐々に薄れていく、そんな日を夢見て。 hf
Tuesday, March 06, 2007
コレギウムとは何か?
***
まず、コレギウムのことを説明しておかねばならないだろう。正式名称はCollegium Phaenomenologicumである(公式サイトはこちら)。ジョン・サリスやジャック・タミノーがほぼ三十年前に創設したものだ。
アメリカの大陸系哲学研究者たちの夏のささやかな祭典と言っていいと思う。毎年7月中旬から8月上旬の三週間、イタリアのチッタ・ディ・カステッロ――ペルージャからそれほど遠くないところにある何もない田舎町だ。強いて言えば、モニカ・ベルッチを輩出した(笑)――で、行なわれるバカンスを兼ねた合宿である。
参加はアメリカ全土の教授レベル数人、助教授・講師・ポスドクレベル十数人、院生四十人程度。主催者・参加者は毎回かなり変わる。ベースはアメリカ人だが、院生には何割かヨーロッパ中の学生が混じる。私は2003,2004年の二年続けて参加したが、アジア人は私一人だった。
三週間で三人の哲学者の幾つかのテクストを読み、レクチャーコースを聴き、議論する。大体フランス(現代思想)系とドイツ系(ハイデガー)が一年ごとに来ている(ようにも思われる)。例えば2003年はベルクソン、レヴィナス、ドゥルーズ。2004年は、カント、シェリング、ハイデガーという感じである。
何がいいかというと、プログラムの仕方がいい。
月・午前:レクチャーコース(1)、午後:午前中の議論を踏まえて、ディスカッション
火・中堅による発表数本
水・午前:レクチャーコース(2)、午後:午前中の議論を踏まえて、ディスカッション
木・中堅による発表数本
金・午前:レクチャーコース(3)、午後:午前中の議論を踏まえて、ディスカッション
土:遠足
日:オーバーホール
朝は10時開始。レクチャーコースは、午前中まるまる2時間超、一人の哲学者のあるテーマについて一人の大物(ないし有望な中堅)がじっくりと話す。三日間あるからいろんな細部を扱える。いろんな人を呼ぶと幕の内弁当的にカラフルだが、「食い足りない」という現象が往々にして起きるものだが、それを回避できる。
午後は、その人の提示したテーゼについて、あるいは扱われたテクストについてディスカッションする。その際、ポイントは二つある。1)院生を数人程度のグループに分ける。皆で議論というのは効率が悪い。2)各グループに一人、若手研究者(講師、ポスドクレベル)をチューターにつけて、議論の進行役、まとめ役をさせる。議論は往々にして迷走しがちだからだ。
だらだら長くやればいいというものではない。集中してやって、午後は4時で終わり。あとはフリー。院生でサッカーしたりね、イタリアだけに。腰痛めたりとか(笑)。地元のイタリア人も飛び込み参加で、英語のできないイタリア人と、イタリア語のできないアメリカ人の間で、似非英語とインチキ伊語を操って通訳したり。楽しかったな。
しかし、同時に、こんな重量級の議論・濃密なディスカッションが連日立て続けでは、やる方もやられる方も身が持たない。そこで、飛び石にして、間に中堅どころの短い発表ばかりやる日を入れる。こうすることで、中堅も実力を発揮できる場が設けられる。聞くほうも目先が変わって気分転換になる。
こんな濃い一週間の後にはリフレッシュが必要だ。土曜日にはフィレンツェやアッシジなどに出かける。日曜日はゆっくり骨休め。とかいいながら、翌週の予習をしてたけど。
院生にも発表の場が与えられる。この三週間が始まる前日・前々日にPre-Conferenceというのがあり、そこで一人20分程度話すのである。
こういうのが三週間繰り返されるわけだ。大学の枠を超えて、研究者と学生の枠も超えて、ダイナミズムとリラックスの同居した合宿。むろん悪い点は幾らも挙げられるだろうが、私のような何もしていない日本人にそんなことを言う資格も権利もない。
ちなみに、参加費用は教授も院生もすべて自己負担で、報酬なし。自己負担といっても、欧米の場合は大学が負担してくれるわけですが(日本の場合はどうか分かりません)。
*
特に私が注目したいのは、2004年に参加したときのこと。ディスカッションには一グループだけ、ドイツ語オンリーのグループがあった。日本人同様に外国語のできないアメリカ人だが、ヨーロッパ人に混じって、頑張ってドイツ語を話している人もいた。
これを日本のフランス哲学業界でやりたいのである。規模はもちろんもっと小さくなる。期間もずっと短くなる。けれど、コンセプトとしてはこんな感じのことを、日本で、基本的にフランス語ないし英語で、やりたい。
日本人とフランス人(英米系も)の大物若干、中堅・若手数名、院生二十数名くらいで、例えば夏の一週間、軽井沢あたりに合宿する。連日、フランス語ないし英語で哲学的な議論をする環境を作り出す。これが私の構想するCollegium Japanプロジェクトです。
むろんすぐ始めることはできない。十分な下準備が必要である。まずは、本場のコレギウムを日本人の有望な中堅・若手研究者・院生に発表者・チューター・聴講者として「体験」してきていただくプランを考えている。参加にはアメリカないしヨーロッパの教授二名の推薦書が必要です。そういうわけで、興味のある方は、私までご連絡ください。
文句ばかり言っていても始まらない。具体的に変えていくこと、ほんの少しずつでも。
Friday, March 02, 2007
近況
24日、SAB(Société des Amis de Bergson)、要するに国際ベルクソン学会のcorrespondant étrangerになってくれないかとの打診。もちろん喜んでお引き受けする。
27日、ynさんより、ラクー=ラバルト逝去の報受ける。リールで一度一緒にご飯を食べたことがあったっけ。今はただ、ご冥福をお祈りします。
Les vendredis de la philosophie
vendredi 2 mars 2007 La grammaire politique d'Antonio Negri, avec lui-meme
vendredi 16 mars 2007 Philippe Lacoue-Labarthe
となっています。放送後、一週間はネット上で聞けますし、Podcastも可能です。 念のため、リベラシオン紙掲載のナンシーの追悼文も転送しておきます。では失礼します。
もう一本、深く静かに進行中の企画について、あまり良くないメールをいただく。院生を適当に並べてお茶を濁す、だって!?どうすれば志は理解されるのか?粘り強く、粘り強く。
28日、ようやく「呼びかけ」論文校正提出。できるかぎりレベルを上げようと悪戦苦闘。限られた時間の中でやれることはかなりやったと思うが、あまり満足していない。
遅れに遅れて、今日から「ベルクソンの手」改稿に本格的に取り掛かる。しばらく前から技術論関係の本を読んでいるのだが、まだ新しいアイデアを思いつくまでには至っていない。例のトゥールーズ遠征、なんとヴィデオ撮影されるらしい。カナル・フィロでオンライン化されるかも、という話。乗り気ではないが、許可した。日本の哲学者がフランスでどんな風に戦っているか、日本でも見られるようになる。少しでも〈時代状況の閉塞〉を変えていければと思ってのこと。笑いたい奴は笑え。
語学能力か哲学能力か、などとありもしない不毛な二者択一で自分の怠惰を誤魔化すのは、いい加減やめるべきだ。両方必要に決まってるじゃないか。
Friday, February 23, 2007
近況(ゼミでやるべき三つのこと)
ちなみに、その場で言ったことだが、ゼミなどでやるべきこと、ゼミの効用は三つある。一つは、発表そのものに関わることで、自分の考えを整理して発表をし、他人のコメントをもらうこと、あるいは他人の発表を聞くことだ。そのとき、ただ漫然と聴かずに、自分だったらどうするか、どこをどう直してあげるとさらにいい発表になるのかを考えながら聴くといい。
二つ目は、先生(方)、他の学生たちのコメントの仕方を観察すること。発表に対してコメントをするというのも一つの重要な技術であり、立派な教育だ。彼らはその発表をどんな風に良くしてあげようとしているのか、に注意しながら聴く。全体の構造をきちんと把握できている的確なコメントは、偉大な指揮者のinterprétationに似て心地よい。うまいinterventionをできる人を観察して「技を盗む」こと。
三つ目は、その盗んだ技を自分自身試してみること、つまり失敗を恐れず積極果敢に質問してみることだ。むろん、質問したいこともないのに質問するのは、百害あって一利なし。奮うべき蛮勇と、単なる野蛮の違いを知るべし。
2月19日 大学紀要論文校正。28日最終締め切りだそうなので、もう少しだけ手を入れるつもり。
2月21日 友人宅で集まって発表三本、そのうち一人が私。「隠喩」論文を二十分程度、レジュメのみ原稿なしで喋った。評判は上々だが、「ベルクソンの隠喩論はデリダの先駆者」という言葉に困ってしまう。それを乗り越えないと凡百の研究と同じになる。なぜならベルクソンにデリダを見てしまうのは、私の凡庸な隠喩理解のしからしめるところだからだ。終わった後は楽しく鍋パーティ。詩の暗誦大会、続けたいな。
したがって、この十日間でやるべきこと。
大・「ベルクソンの手」英語論文バージョンアップ(三月上旬まで)。技術論関係読み直し。
中・身体論進める。
中・「呼びかけ」論文最終直し(28日提出)。
小・「隠喩」論文準備進める。
Wednesday, February 14, 2007
正和ではなく不和を!(中教審新会長選任)
わが国に哲学教授ではなく哲学者はいるのか?哲学科ではなく哲学はあるのか?もっとはっきり響く哲学の声を!
中教審総会 評論家の山崎正和氏を会長に選任
2月7日9時50分配信 毎日新聞
1日付で任命された第4期中央教育審議会の総会が6日、東京都内のホテルで開かれ、委員の互選により、評論家の山崎正和氏(72)が会長に選任された。中教審は山崎新会長のもと、安倍晋三首相が今国会の成立を目指している学校教育法、地方教育行政法など教育関連3法に関する審議を行う。
伊吹文明文部科学相は教育関連3法の改正に向け、「国会の都合を申しあげると恐縮だが、できれば2月中か3月早々にまとめていただきたい」とスピード審議を求めた。これを受け、山崎会長は「大臣のみならず内閣からの諮問なので、精力的に間に合うように議論していきたい」とあいさつした。
各委員のあいさつでは、教育再生会議の教育委員会改革の方向性について、石井正弘・岡山県知事が「(地方が)独自性を発揮できる改革にしてもらいたい」などと批判した。【高山純二】
◇「改正」から制度設計へ=解説
中央教育審議会の会長が6年ぶりに交代し、評論家の山崎正和氏が就任した。前会長の鳥居泰彦・文科省顧問の3期6年は教育基本法の「改正シフト」とも呼ばれ、与党・自民党の悲願とされた同法改正を受けて役割を終えた。第4期中教審をリードする山崎氏は、同法改正後の具体的な制度設計を担う。
安倍晋三首相は教育再生を最重要課題に掲げ、今国会で学校教育法など教育関連3法案の成立を目指している。しかし国会優先の強行日程に、文科省からも「改正案の提出はできる。ただし中身は保証できない」との声が漏れる。
政治主導の教育改革が進む中、山崎新会長と第4期委員はどのような姿勢で臨むのか。1月30日の第3期最後の総会で、委員から「中教審の役割は教育の政治的な中立性を確保することだ」と指摘する声が挙がった。審議の継続性を求める意見も出ている。
中教審は今、存在意義と位置づけが問われている。文部科学省組織令では中教審の役割として、「文部科学大臣または関係行政機関の長に意見を述べること」と明記されている。
まず政府や国会審議、教育再生会議と一定の距離を保ち、文科相らと対等の立場に立って、大所高所からの意見が求められる。また、各委員は、教育現場の主役である子どもや保護者、教員の声に耳を傾けてほしい。永田町だけに目を向けて、間違っても「拙速」に加担してはならない。【高山純二】
Tuesday, February 13, 2007
カタカナコトバ(思想書翻訳における)
「思想系の翻訳書でカタカナ表記をするというのは一体どういうことなのか」
というのがある。話を分かりやすくするために、私の知る限り最も過剰な例を挙げておこう。渡邊二郎氏の手になるハイデッガー『「ヒューマニズム」について』(ちくま学芸文庫、1997年)である。
すぐに言い添えておくが、この「非難」は訳文に関するものではないし、個人攻撃が目的でもない。さらに言っておけば、翻訳能力とは一切関係ない。この例を挙げるのは、ひとえにその過剰さが問題の本質をはっきりと浮き立たせてくれるものであるからに他ならない。
《サルトルは次のように言明している。すなわち、プレシゼマン・ヌー・ソンム・シュール・アン・プラン・ウー・イリヤ・スルマン・デ・ゾンム〔正確ニハ、私タチハ、タダ人間タチノミガイルヨウナ平面ノ上ニイル〕、と(『実存主義ハヒューマニズムデアル』三六頁)。右の命題に代えて、『存在と時間』のほうから思索されるならば、次のように言い述べられねばならないであろう。すなわち、プレシゼマン・ヌー・ソンム・シュール・アン・プラン・ウー・イリヤ・プランシパルマン・レートル〔正確ニハ、私タチハ、原理的ニハ存在ガ与エラレテイルヨウナ平面ノ上ニイル〕、と。》(66頁)
「il y aは、《es gibt》を不正確にしか翻訳していない」という一節がこの後に続く重要な箇所であるが、率直に言って私にはフランス語の部分がカタカナ表記される意味が理解できない。
非フランス語使用者にとって、この部分はアルファベットで記されようが、カタカナで記されようが、同じように目障りである。フランス語使用者にとって、カタカナでフランス語を読むことに肯定的な意味があるとも思えない。したがって、訳文だけを記すか、アルファベット表記するか、のいずれかが望ましいと思われる。
*
以上は文章に関する、しかも極端な例なので、異論はそれほどないと思うが、概念や固有名の場合はどうであろうか?
これはケース・バイ・ケースだろう。例えば、「エンテレケイア」「コナトゥス」「エラン・ヴィタル」ならカタカナ表記でもいい気がするし、「プラトン」「デカルト」「カント」を必ずアルファベット表記せよ、というのもたしかに馬鹿げている。よく知られたものに関しては従来どおりカタカナ表記でよいと思う。
しかし、新造語、のみならず、あまり知られていない固有名(人物名・地名)、従来とは異なる用法で強調して用いられている語などに関しては、それらがアカデミックな文脈において有用であると判断される限りにおいて、訳語とともにカタカナでなくアルファベット表記されるべきであると考える。
これに関しては、折衷的な解決策もありうる。訳語の横にカタカナ表記のルビを振る、という手である。たしかに、翻訳書の種類、読者層によっては、この解決策のほうがより効果的である場合もあろうことは否定しない。
*
なぜこんな些細な問題をつらつら考えるかというと、まずは自分自身の実感から来ている。
私自身、ドイツ語にそれほど習熟していないので、カタカナ表記されたドイツ語の語彙・概念をよりよく知ろうとして辞書を引いても、すぐにその言葉にたどり着けないことがある。そんなとき、「ああ、アルファベットで書いていてくれたら」と思ってしまうのである。
このことを友人に話すと、「そんな奇特な人間はほとんどいないのだから、そんな人のことを考慮に入れて翻訳などしていられない」と言われてしまう。それも分からないではない。原文挿入ならアルファベット、原語挿入ならカタカナルビ、啓蒙書ならそもそも挿入なし、という原則でも良さそうな気もする。
しかしまた、翻訳はアマからプロになろうとする者の熱意を拒むものであってはならないのではないか、とも思う。カタカナ表記とは、アルファベットの異質さを隠蔽する似非民主主義的な折衷主義にすぎないのではないか、とも。
ハイデガーやデリダの文章のように、明らかに原文・原語で読むことを強いる文章というものがある。その場合、カタカナ表記で表層的に「読める」ものにしてしまうことは、本来その哲学が目指しているもの自体を損なっていはしないか。
結局、「学術書の翻訳はいったい誰のためのものか」、あるいは「アカデミックな学術書として翻訳する(あるいはしない)とはどういうことか」ということを考えてしまう。
一般に翻訳は「非専門家」ないし「非学者」のためのものであるが、しかしまた、学者が時間の節約のために翻訳書で済ますということも往々にしてある。学術書の翻訳はまさに学者のためと言えそうだが、しかしまた学術書を(啓蒙書とのグレーゾーンにある著作ならなおさら)いかにアカデミックに訳さないか、平明に砕いて訳すか、なるべくアルファベットを登場させず読者を萎縮・倦怠させないか、ということもまた、一つのポリティクスでありうる。
*
いずれにしても常に立ち戻るべきは、はじめて補助輪なしの自転車に乗れたときの喜び、かな。翻訳は、その喜びに至る手助けでなくてはならないのでしょう。
Friday, February 09, 2007
隠喩の退引(原語挿入、誤訳情報ページ)
焦眉の点は、長い序論―25頁中14頁。三回分載計75頁の序論だから、実はこれまでの私の基準からすると、それほど長くはないつもりだったのだが―をどの程度「隠喩」論文にもっていくか。しかしそうすると、逆に、「隠喩」論文の全体が見えないと「手術」にかかれない。
というわけで、以前からちらちら目を通していた隠喩論関係の本をふたたび読み始める。

それにしても、デリダの「隠喩の退-引」の翻訳(前半のみ。後半は翌月号に分載)は問題だ。翻訳の質が問題なのではなく、原語の挿入が甚だしいのである。
フランス現代思想を読んで思想形成を行なったので、私は原語の挿入には相当寛大なつもりだ。その私が言うのだから、かなりのものである。デリダの最終頁とデイヴィッドソンの冒頭を比較してみよう。緑の部分が原語挿入である(下の写真をクリックすると、拡大して読めるはずだ)。

デリダのほうの下段は、訳者付記なので、原語挿入はまだ他の頁より少ないくらいである。たしかに、難解な文を書き、複雑なレトリックを駆使することで有名なデリダのほかならぬレトリック論、隠喩論なので、デリダの「言葉遊び」がひどくなるであろうことは予想がつくし、訳者の苦労もひとかたならぬものがあろうとは思う。
だが、ハイデガーの反響を読み取ろうとして、デリダの原テクストにはないドイツ語を挿入するに至っては明らかにやりすぎであろう。しかも、訳注やルビを用いず原語挿入を選ぶという訳し方について説明するはずの「訳者付記その1」の書き方が、何と言えばいいのか、中途半端に思わせぶりで、いい加減にペダンティックなのである。要するに、ありもしない深みを匂わせようとして、こけている感じなのだ。「訳注」や「ルビ」について思うところがあるのなら、単純明快にそれを論じればいいではないか。
蛇足とは思うが訳者の理解した限りで以下に、議論の展開の跡を追い、あるいは通読に困難を感じられる読者の一助としていただくことで訳者としての務めを果たしたいと考える。(「デイビッドソン・メタファー論への註解」、上掲、68頁)デイヴィッドソンの訳者・高藤(たかとう)直樹さんのこのような姿勢のほうがよほど「健全」に知的だと思うが、如何?
*
ちなみに、上のデリダの件とは無関係だが、私があれやこれやの翻訳に注文を付けると「大した翻訳力もないくせに」という人がいる。しかし、それはちょっと筋が違うのではないか。
私に翻訳力があるかないかということと、いい翻訳を見分ける力があるかないかということは別である。問題が的確に指摘されているなら、それは批判であって非難ではない。
たしかに一般的に、文句をつけるのは容易い。それは、すでに数年前に「海の広さとerrata」(2000年12月26日の項)で述べたとおりである。また、たしかに誤訳をあげつらうのはいい趣味とは言えない。
が、また同時に、現在の学術出版の苦境に(少なくとも部分的には)由来する《誤訳の放置》という由々しい現状はどうするつもりなのか?
「出版社に誤訳を指摘した手紙を送ればいいんです。再版のときに直すでしょう」。なるほど、しかしそれは、もし再版されればの話である。それまで、読者はどうすればいいのか?出版社や訳者のproduct liabilityはないのか?
せっかく各出版社がHPを持つようになったのだから、それぞれの翻訳出版物に関して、誤訳情報ページを作ればいいのではないか。スレッド&チャート方式で、頁・行・誤訳のポイント(簡潔に)を読者に書き込んでもらうのである。これなら、忙しい編集者の手を煩わせない。もちろん定期的に訳者がチェックし(忙しいというなら、年に一回でもいい)、「たしかにこれは直したほうがいい」という指摘だけを「確定事項」にして、ページに残していく。
こうすれば、出版社としては、自社のPL精神をアピールできる。読者は、いつ来るか分からない再版を待たずとも、小規模の「バージョンアップ」を行なえる。パソコンのソフトであれば、小規模の(限定的)バージョンアップは無料で、大規模な(本格的)グレードアップは有料で、といった考え方が一定程度理解されていると思うのだが。要は、多少の誤訳は「セキュリティ・ホール」と考えて、無償で、早急に、対策を講じる、というスタンスだ。
これまで誤訳というもののあり方についてきちんと考えた人はいるのだろうか?どなたか面白い「誤訳論」をご存知の方はお教えください。
Thursday, February 08, 2007
百年の大計ではないのか(教育再生会議第一次報告)
春のベル哲研(第21回)のお知らせ、hmさんどうもありがとう。困った、重なってる。他の人もいろんな情報お待ちしてます。
*
私がゆとり教育の反対者のように見えたとすれば、それは誤解である。「ゆとり教育」は必要な改革過程であったと思っている。ただ、親にも、何よりもまず親にこそ、ゆとりが与えられるべきであり、親が自覚的にゆとりを求めて闘うべきであったと思っているのである。
「ゆとり教育」の“戦犯”(Web現代、2003年10月22日)
論旨が読み取りづらいが、
マニュアル世代が多数を占めるようになってきた官僚・教員たちにこそ小・中学時代に「ゆとり教育」が必要だったのである。
そのとおりである。しかし、付け加えさせてもらおう。 数十年来の「会社至上主義」「仕事人間大量生産」によって、家庭で子供を育てていく力が衰えてはいないか。土日が休みとなると、親たちは子供を塾や習い事に通わせることで安心しようとしてはいないか。家庭が教育を学校に任せすぎるようになったとすれば、それはなぜか。マニュアル世代が多数を占めるようになってきた子どもの親世代にもまた、小・中学時代に「ゆとり教育」が、ただし親や地域共同体自身がゆとりをもって子どもの教育に参加できるような「ゆとり教育」が必要だったのである。たしかに、子どもは教師に教えられて育つものだ。しかしまた、子どもは親の背中を見て育つものでもある。
[教育再生報告] 百年の大計でないのか
『南日本新聞』、2007年1月27日付社説
政府の教育再生会議が第1次報告を決定した。これを受け、安倍晋三首相は通常国会に教員免許法改正案など関連3法案を提出する方針を示すとともに「教育再生国会にしていきたい」と表明した。
報告には、ゆとり教育見直しに伴う授業時間数増、教員免許更新制、教育委員会改革などさまざまな処方せんが並ぶ。だが、これまでの教育のどこがどう問題だったのかが見えてこない。
肝心の現状分析が欠落したまま処方せんを並べても、説得力に欠ける。「50年先、100年先を見据えた議論もしてまいりたい」(首相)というなら、腰を据えて取り組むべきだ。急ぐ背景には教育再生で政権浮揚のきっかけをつかもうという思惑が見え隠れする。夏の参院選に備える動きととられても仕方あるまい。
問題はまず、ゆとり教育見直しとして掲げた授業時間数の10%増だ。「すべての子どもに高い学力を」という首相の意向をくんで盛り込まれたに違いない。だが、子どもたちの学力のどこにどんな問題があり、授業時間数という処方せんにたどりついたのか、判然としない。
ゆとり教育については、文部科学省や中央教育審議会は「趣旨は間違っていないが、手だてに問題があった」として、学習指導要領の見直し作業を積み上げているところだ。どんな学力を目指すのか、十分な論議もないまま、政治の力で横やりを入れるやり方は乱暴すぎる。
授業時間数を増やすことと学力との相関関係が実証されていないことは、文科省も認めている。それどころか、学力世界一といわれるフィンランドの授業時間数は、日本よりはるかに少ない。
2003年の公立小中学校授業時間数は、日本の9歳から11歳が年間709時間に対してフィンランドは654時間、12歳から14歳が817時間に対し796時間となっている。
また、報告は基礎・基本の反復・徹底など指導方法にまで言及しているが、これらは学校が子どもの状況に応じて判断すべき事柄であり、官邸が口を出す問題ではない。かつての画一教育に戻そうというつもりなのか。
ゆとり教育見直しなどいったん消えかかったテーマが、報告に次々と復活したのは「先送り、先送りでは首相の指導力が見えないということになる」という官邸の意向だったという。教育は政治の道具でなく、子どもや国民のためにあることを忘れてはならない。
Wednesday, February 07, 2007
近況

Tuesday, February 06, 2007
蛍雪(マラルメ斜め読み・2)
しかし、赤ん坊が泣くと思考が妨げられる。泣いても読める本を読み(柏倉康夫、『マラルメ探し』、青土社、1992年。読みやすい)、暇つぶしにブログを書く。これじゃ以前と変わらない。
*
難解、晦渋、孤高の詩人、特異な言語観、『骰子一擲』において到達した独自の《書物》概念、などのイメージがあるマラルメ。先に読んでもらった「芸術の異端、萬人のための芸術」は、若者の傲慢で実態のない単なる強がりと嗤うこともできる。ロマン主義から派生した高踏派の典型、そう文学史的にくくることもできるかもしれない。
五歳で母を失い、妹とともに外祖父母のもとで育てられたが、十五歳でその妹も失い、父は時を同じくして脳を患って病床についた。三年後、大学入学試験に通ったものの、進学を諦め、公証人事務所の臨時雇いとして働き始める。二十歳のことである。彼には詩があった。詩しかなかったというべきか。
『悪の華』に深く感動し、ボードレールを介してポーの虜となったマラルメにとって、ポーをよりよく理解し訳したい、英語に磨きをかけ、将来英語教師となって、その傍らに文学をやりたい、という気持ちは半端なものではなかった。
登記所管理官を長く務めた祖父の意見も頷けるものである。せっかく得た安定した仕事を捨てて、なぜ不安定な道を好んで選ぶのか。英語教師となるにはマラルメの英語の知識は初歩のものでしかないこと、「リセにおける現代語の授業は、お前が考えるほど魅力のあるものではなく、ごく初歩的なものだ。文法の域を出ず、文学的な意義などありはしない」こと、そのうえ収入も低く、のべつ話していなければならず大変疲れるので、丈夫とはいえないマラルメには向かない、というのが反対理由であった。
だが、マラルメの決意もまた固かった。祖父母の同意を得られないまま、1862年2月、二十歳のマラルメは個人教授について英語の勉強を開始する。
「週に五日、木曜日を除いて一日一時間の授業で、作文、仏文への翻訳、文法、会話を習い、宿題も多かった。公証人事務所での仕事は、もちろんそのまま続けていた。その上で、これらの個人授業も受けたのである。」(柏倉、上掲、78頁)
そして1862年11月、すなわち勉強開始の9ヵ月後、職業からの逃避、恋の逃避行をも兼ねたロンドン行きを決行する。後年、俗に「自叙伝」と呼ばれるヴェルレーヌ宛書簡で、当時を回顧してマラルメは次のように述べる。
「単にポーをもっとよく読もうとして英語を学んだ私は、二十歳のときイギリスへ旅立ちました。主として遁れ去るためでしたが、その一方、この国語を話せるようになって、これを学校で教えて世の片隅で生活し、他の糊口の手段を強いられるのを免れるためでもありました。私は結婚していたので、それは差し迫っていました。」
二十歳のマラルメが1862年9月に発表した「芸術の異端、萬人のための芸術」を読むとき、例えば以上のような状況を頭に入れて読むのと読まないのとでは、意味がぜんぜん違ってくる。
繰り返せば、若者の傲慢で内実の伴わない単なる強がりかもしれない。ロマン主義から派生した高踏派の典型、そう文学史的にくくることも間違いではないだろう。だが同時に、詩しかなかった八方破れの青年にとって、平凡ながらも幸せを手に入れた人々が「ついでに」「ちょっとした(偽善的な)好奇心で」詩集を購入し、気晴らしに詩を口ずさんだり批評家を気取ってくさしたりするのを見るのは憤懣やるかたないことだったに違いない。
現在、私たちはルサンチマンを胸に腐るマラルメも、努力するマラルメすらも、思い浮かべない。志ん生と精進もそうだが、マラルメと努力という言葉ほど一見懸け離れたものはない。そして、それは彼らの栄誉である。
*
言うまでもなく、私は自分の怠惰を弁護しているのである(笑)。
Saturday, February 03, 2007
「偽善的な好奇心…」(マラルメ斜め読み・1)
《すべて聖なるもの、聖たらんと欲するものは、うちに神秘を含んでいる。宗教は選ばれた者にだけ神秘をあらわす。音楽がその一例を我々に提供する。
…こうした不可欠の性質が、なぜ唯一つの芸術、しかも最も偉大な芸術には拒まれているのかと私はしばしば自問した。それは偽善的な好奇心をもつ人々に対し、何らの神秘も持たず、無信仰な人々に何の恐怖をも抱かせない。何らなすところなく、無知な者、敵対する者の微笑や渋面のもとに晒されている。私は詩のことを言っているのだ。
…ずぶの初心者が土足でずかずかと傑作の中に入り込んでくる。そして、この闖入者たちといえば、覚えたばかりのアルファベットの一頁を、まるで入場券よろしく手にしているのだ!ああ、もの古りし祈祷書の黄金の留め金よ、パピルスの巻物の神聖な形象文字よ!
…ひとは民主主義者となりうる。だが、芸術家は二重人格なのであり、貴族としてとどまらねばならぬ。しかし、我々の眼に映るのは、およそ正反対のことだ。人々は詩人の著作の廉価版をつくって増刷する。しかも、それが詩人の同意と満足を得て行われるのだ。だが、貴方はそれで栄光を得られると信じているのか、夢見る人よ、抒情の人よ。大衆が安売りで貴方の本を買ったとして、彼らはそれを理解するだろうか。
…鳴り渡る今この時が重大なのである。教育は人々のあいだで行われ、さまざまの偉大な教義は普及していくだろう。それは一つの大衆化だが、あくまで富の大衆化ではあっても、芸術のそれではない。
…大衆が教訓譚は読んでも、後生だから、彼らに我々の詩を味わわせてはならない。詩人たちよ、貴方がたはこれまで常に誇り高くあった。そしてこれからもさらに尊大であれ!》(「芸術の異端、萬人のための芸術」)
Tuesday, January 30, 2007
ユースから一歩ずつ階段を上がる(エリート教育の問題・補遺)
性能強化の一つとして、日本のブログではすでに当たり前のものとなっていたラベリングが可能になった。こうなってくると、四つも五つも別名のブログをもっている意味もないようなものだが(今回のように主題がクロスオーバーすることもしばしばあるし)、当面は各ブログの方針を従来どおり維持していくつもりである。
引き続き他のブログ(profileから入る)もご愛顧のほどを。hf
「エリート教育」の問題について述べたとき、最後にサッカーの関連記事を付していたが、気づかれただろうか。Mundusのことだけではない。私たちは他領域を参照しつつ、教育の問題、制度の問題をもっと具体的に考えていくことができる。
(ちなみに、今期のテレビドイツ語会話では、昨年のサッカーW杯まで技術委員会のトップだった田嶋幸三JFA専務理事、つまり日本サッカー教育界のドンがインタヴューされ、ドイツ語で話していた。
アラビア語会話は会話向きの講師を発掘し、ナビゲーターに落語家を起用して素晴らしい効果をあげている。フランス語会話の製作陣もそろそろ抜本的な改革を真剣に模索しないと、今のままでは駄目だ。
田嶋氏については、宇都宮徹壱氏のいつもながら冴え渡るエッセイ「“総括”で隠されたもの。第5回フットボールカンファレンスより」(2007年1月10日)も参照のこと。そのうえで、私の「スシボンバーの憂鬱」(2004年10月20日)を読んでもらうと、拙いなりに私が何を言いたいのかがわかってもらえるかもしれない。)
梅崎の武器は“NOVA仕込み”の仏語
2007年1月29日(月) 10時56分 デイリースポーツ
大分からフランス2部リーグのグルノーブルに期限付きで移籍するMF梅崎司(19)が28日、成田空港を出発した。U-20日本代表のエースは、31日の入団会見に備えて、語学学校のNOVAに10日間通学。覚えたてのフランス語を駆使して、チームメートのハートをつかむ。
フランス入国を前に、梅崎は大分で“駅前留学”を済ませた。先に入団したFW伊藤翔(中京大中京高)から「待ってます」と言われて不安は多少和らいだが「言葉の壁が一番。積極的に話をしていきたい」。通訳をつけない裸一貫での移籍だけに、まずはコミュニケーションを図る作戦だ。
「海外のビッグクラブでプレーしたい。まずはグルノーブルで結果を出す。日本の魂を見せ、一部に引き上げる」。現在、リーグで20クラブ中8位のチームを押し上げた先には、夢見るスペインでのプレーが見えてくるかもしれない。
将来性が海外挑戦の鍵に 森本、はい上がって活躍
18歳8カ月、森本のセリエAデビューは衝撃的だった。後半39分から少ない時間でチャンスを生かし、鮮烈な同点ゴール。試合後はイタリア人記者に囲まれ「びっくりした。(頭の中が)真っ白になった」と喜んだ。
引退した中田英以来となるデビュー戦での得点。だが、日本代表で不動の地位を築いていた中田英とは違い、森本にフル代表歴はなく、10代で海を渡った。カターニアのユースで活躍し、はい上がって欧州屈指の舞台で出場機会をたぐり寄せた。
マリーノ監督は「彼は伸びている最中。特に体の強さが成長している」と目を細める。プルビレンティ会長も「若くて質が高い。この得点を一生の思い出にしないと」。周囲の目は温かく、森本は純粋に才能と将来性を見込まれている。
森本が所属するマネジメント事務所のモラーナ氏は「今の日本で中田英のように欧州で十分に活躍できる選手を探すのは難しい。クラブは若い内に体力と戦術両面を鍛える必要を感じている」と話す。ジャパンマネー目当てではなく、戦力に育ちそうな逸材を探すクラブが、日本にも関心を示している。
かつてオランダでプレーした平山や、このオフにフランスに渡った伊藤や梅崎など、若くして海外に挑戦する例は増えている。こうした傾向が今後も続くかもしれない。(共同)(了) [ 共同通信社 2007年1月29日 17:00 ]
新しい挑戦の道切り開く デビュー戦ゴールの森本
セリエAに初出場した森本がいきなりゴール。名前の発音が似ているためにサポーターから「マレモート(イタリア語で津波の意味)」と呼ばれる18歳の日本人が、愛称に負けない衝撃的なデビューを飾った。
主軸FWが出場停止で得たベンチ入りの機会だった。これまでは控えのまま投入されない試合が続いたが、そのたびに「焦りはない。いつでも準備はできている」と話していた森本に、ようやく晴れ舞台が訪れた。
0-1の後半39分にピッチに立つと、まずは巧みなポストプレーで試合の流れに入った。ユースの試合では活躍を続けているだけに「試合勘は忘れていなかった」と落ち着いていた。
試合終了間際にゴール前のスペースに忍び込むと、右斜めからのクロスを左足でトラップし、複数の相手DFと交錯しながら右隅へ決めた。「頭が真っ白になった」と驚きと喜びの混ざった表情。チームの仲間にもみくちゃにされながら祝福された。
これまでセリエAに挑戦した日本人は、フル代表として活躍した実績を引っ提げていた。だが森本は若くして本場へ移り、ユースから一歩ずつ階段を上るという新しい道を切り開いている。マリーノ監督は「無理なく自然に成長している」と、将来が楽しみな日本の若手に目を細めた。(ベルガモ共同)(了) [ 共同通信社 2007年1月29日 9:51 ]
森本がセリエA鮮烈デビュー=日本人最年少出場とゴールをマーク-伊サッカー
【ロンドン28日時事】サッカーのイタリア1部リーグ(セリエA)で、カターニアのFW森本貴幸は28日、イタリアのベルガモで行われたアタランタ戦で後半39分からセリエA初出場を果たし、同43分に初ゴールを挙げる鮮烈デビューを飾った。18歳8カ月でのセリエAデビューと得点は日本人選手最年少。ゴールは貴重な同点弾となり、カターニアは1-1で引き分けた。
欧州の主要リーグで、デビュー戦で得点をマークした日本人選手はMF中田英寿(1998年、ペルージャ)、FW大久保嘉人(2005年、マジョルカ)、FW平山相太(05年、ヘラクレス)に続いて4人目。
森本は88年5月生まれ。Jリーグ時代にも15歳だった04年に、当時J1東京Vでリーグ最年少出場、最年少得点を果たした。昨年7月に期限付き移籍でカターニアに加入した。北京五輪世代の1人としても期待されている。 [ 時事通信 2007年1月29日 9:31 ]
Thursday, January 25, 2007
ベント・プラドJr.逝去

今年の十二月にはサン・パウロでも『創造的進化』百周年ブラジル版が予定されており、彼が主催者の一人として名を連ねていた(実質的な責任者であった)だけに、さぞ無念であったろう。ようやくフランスでも彼の仕事が認知されつつあったというのに。
せめてもの手向けに、FAPESP(Fundação de Amparo à Pesquisa do Estado de São Paulo サンパウロ州研究支援財団?)の「おくやみ」を生齧りのポルトガル語から翻訳しておく(したがって正確さは保証のかぎりではありません)。
日本でもせめてベルクソン研究の文脈において彼の業績がきちんと導入され吸収・消化されることを祈ってやまない。
*
ベント・プラドJr.逝去、享年69歳
FAPESP通信 哲学者のベント・プラドJr.氏が1月12日金曜日の午前1時ごろ、サンカルロスの病院で亡くなった。享年69歳。ブラジルの哲学界を代表する人物の一人であった氏は、サンカルロス連邦大学(UFSCar)の哲学・科学方法論科で教鞭をとっていた。
UFSCarの発表によると、死因は喉頭がんの悪化による心肺機能停止。埋葬は同日、サンカルロスの墓地にて執り行われた。
UFSCar哲学科長 José Eduardo Marques Baioni 氏は、プラド氏をブラジルにおける哲学研究の構築における主要人物の一人であり、「哲学、文学、芸術の間のきわめて興味深い境界領域を、卓越した手腕をもって探求していた、偉大な著述家」であった、と語っている。
ベント・プラドJr.の哲学への最も偉大な寄与の一つは、フランスの哲学者アンリ・ベルクソンに関する業績である。1965年に諮問を経た彼の博士論文『現前と超越論的領野。ベルクソン哲学における意識と否定性』は、今もこの主題に関する国際的なレフェランスであり続けている[そのとおりである!]。本書は2002年に翻訳され、フランスで出版された。
「ベルクソンをめぐるあらゆる研究は、サルトルやメルロ=ポンティを含む二十世紀のフランス現象学についての研究同様、ベント・プラドの諸研究との対話を続けることを必要とする」とバイオニは語っている。
サンパウロのJaúで生まれた Bento Prado de Almeida Ferraz Júnior は、1961年から1969年までサンパウロ大学で教鞭をとっていたが、軍事独裁政権が倒れ、大統領令によって大学から追放された。同法令によってCaio Prado Júnior、Octavio IanniやFernando Henrique Cardosoなど23人の教員が退職を余儀なくされた。1998年に、USPの名誉教授号を得た。
1970年から1974年まで、プラドは、フランス国立科学研究センター(CNRS)の研究者としてポストドクター職を得た。1977年にUFSCarに入る。
なによりもまず教育者
最近、プラドは、20世紀のフランス現象学とアングロサクソンの分析哲学が共通の根を持ち、繋がりを保ち続けていることを示す研究を展開していた。
「2006年の最後まで彼は授業を続け、大学院の学生を指導し続けていた。2007年度に予定されている哲学科の学部の授業の編成を主に担当するなど、最後までUFSCarに重要な遺産を残した」とバイオニは語る。
「ベント・プラドのおかげで、私は教育的で啓発的な哲学研究というものが存在するという感覚を学びました。したがって彼のおかげで私は、学生と知の間に先生がしゃしゃり出てこない場合に哲学教育というものがあるということを学んだのです[…]。学生自身が「先生」になりえたとき、哲学教育というものは成り立つ。なぜなら、先生とはすべての者に開かれた、無限の研究のサインに他ならないからです。言葉を換えて言えば、ベント・プラド先生のおかげで、私は教え学ぶことに潜む自由の感覚を発見したのです」と、哲学者 Marilena Chauí さんは雑誌『高等研究』(Estudos Avançados)2003年号に発表された論文の中で語っていた。現在USPで教鞭をとる彼女は、かつて1967年にDEA課程に在籍しベント・プラドの指導を受けたのであった。
ベント・プラドはまた、カンピナス州立大学(Unicamp)やサンパウロ州立大学(Unesp)、カトリック司教大学(PUC-SP)などの機関でも研究に従事していた。
ベルクソンの哲学以外に、ベント・プラドJr.氏は、哲学史、認知哲学・言語哲学、心理学・精神分析のエピステモロジーなどの領域で活躍した。代表作には上記の博士論文のほかに、
『幾つかの試論:哲学、文学、精神分析』(Alguns ensaios: Filosofia, literatura e psicanálise),
『誤謬、錯覚、狂気』(Erro, ilusão, loucura)
『精神分析の哲学』(Filosofia da psicanálise)
などがある。
Friday, January 19, 2007
短すぎる夏の輝きよ―阿部良雄墜つ
制度を整えていくには、友愛と信頼に支えられた連携作業が必要不可欠である。
私がフランス詩をいくらか暗誦するようになったのは、フランスに行く一年ほど前だったろうか。友人たちが彼の家に招かれ、詩の暗誦大会などをやって楽しんだ、という話を伝え聞いてからであった。
それまでは「詩を暗誦する」などとはなんとなくスノッブで厭だったのだが、その話を聞いて肩の力が抜けた気がした。そうか、そんな風にワイワイやってもいいのか、それなら自分にも出来そうだな、と。
フランス語の練習ももちろん兼ねていた。詩の暗誦は今もやる。言葉はスポーツと同じだ。やればやっただけ上達するし、やらなければ忘れる。プロとしての心構え。これも私が阿部良雄から(一人合点して)受け取った「教え」の一つかもしれない。
Bientôt nous plongerons dans les froides ténèbres ;
Adieu, vive clarté de nos étés trop courts!
<訃報>阿部良雄さん74歳=東京大名誉教授、仏文学者
1月18日0時43分配信 毎日新聞
阿部良雄さん74歳(あべ・よしお=東京大名誉教授、仏文学者)17日、急性心筋こうそくのため死去。葬儀は25日午前11時、東京都渋谷区西原2の42の1の代々幡斎場。自宅は非公表。喪主は妻文子(ふみこ)さん。ボードレール研究で知られ、著書に「西欧との対話」などがある。95年度に和辻哲郎文化賞を受賞。
最終更新:1月18日0時43分
Thursday, January 18, 2007
哲学と政治
哲学を政治から切り離そうとする人々はこう主張する。「いったい誰が、数学者に政治を論じるよう求めるだろうか。政治は政治学者に任せておけばよい。哲学者は哲学をすることだけが任務なのである」と。日本のみならずフランスにも多くいるタイプである。
なるほど餅は餅屋であり、床屋政談などに大した意味はない。一市民として政治的な言論を行なうのは結構だが、それはすでにもはや哲学ではない、と。だがしかし、そのような物言いは、哲学という営みと、哲学科で行なわれているアカデミックな活動を我知らず同一視してしまっている。
アカデミズムを徒に敵視する人にも、アカデミズムに頑なに立て籠もろうとする人にも、あまりに個人的ルサンチマンが見えすぎる。問題はそんなところにはないのだ。
《なるほどひとは、哲学に、精神がおこなう快適な商売を見たくなるのも致し方ないのかもしれない。今度はコミュニケーションに倫理を提供することができる社会性、しかも西洋の民主主義的な会話を糧とする不偏不党の社会性だ、というわけである。
しかし、近代哲学に救いがあるとするなら、近代哲学は、古代哲学が都市国家の友ではなかったように、資本主義の友ではないという点を挙げねばなるまい。
そのつどユートピアを携えてこそ、哲学は政治的なものに生成し、おのれの時代に対する批判をこのうえなく激しく遂行する。
なぜなら、哲学が呼び求めるような人種は、芸術同様、純粋だと主張されるような人種ではなく、ある虐げられた、雑種の、劣った、アナーキーな、ノマド的な、どうしようもなくマイナーな人種だからだ。》(ドゥルーズ、『哲学とは何か』)
Tuesday, January 16, 2007
『創造的進化』百周年(英語雑誌投稿募集)
***
皆様、今年もよろしくお願い致します。
ベルクソンにご関心がお有りかと思われる方々に一括送信させていただいております。長文メール、あらかじめご寛恕のほどをお願い致します。
ご存知のように本年は『創造的進化』百周年にあたり、11月のコレージュ・ド・フランスにおける大規模なコロックをはじめ、各地で様々なイヴェントが企画されております。
私も若輩者ながら4月にトゥールーズで行われるコロックの主催者に名を連ねさせて頂き、日本の『創造的進化』読解の最前線を担う方々にご協力を仰ぎつつ日本チームでの「遠征」をして参ります。
http://w3.univ-tlse2.fr/philo/article.php3?id_article=100
出版物も例外ではありません。ベルクソン「公認」の名の下に久しく改訳の出なかった英語でも、ようやく『創造的進化』の新訳がアンセル・パーソンのイニシアティヴでWarwick大学から出るようです。
この機会に、英訳者二名が、ウィスコンシン大学出版の"SubStance"という雑誌から『創造的進化』特集号を出すので英語論文を投稿してみないかというお誘いが参りました(下記および添付ファイル参照のこと[添付ファイルはもちろんここには採録されていない])。
この投稿募集を広く告知してよいということなので、こうして皆様にもお知らせする次第です(転送歓迎です)。掲載の保証はもちろん私にもありませんが、チャレンジされてみてはいかがでしょうか?
寡聞にしてこれまでその存在を知りませんでしたが、数号の目次を眺めていると、定期的にフランス現代思想や現代文学、アートなどの特集がある雑誌のようです。
雑誌について:
http://muse.jhu.edu/journals/substance/index.html
雑誌のサイト:
http://www.french-ital.ucsb.edu/substance/category/home/
英・独・仏語で哲学することがますます重要になりつつある昨今――むろん、これは裏を返せば「何故、いかに、日本語で哲学するのか」がますます問われるということでもあります――、こうしたささやかな挑戦を、しかし粘り強く積み重ねていくことも大切なのではないかと思っています。
日本でもさまざまな雑誌で『創造的進化』特集が組まれ、実りある議論が活発に交わされるようになることを心から祈りつつ。
hf
Date:Mon, 15 Jan 2007 00:59:58 +0900
Subject: Bergson's Creative
Evolution CFP
Dear HF,
As you are no doubt aware 2007 is the centenary of Henri Bergson's master-piece Creative Evolution. Please find attached the call for papers for a special issue of SubStance devoted to this text.
The coming year will see a series of events devoted to Creative Evolution at (among others) the University of Warwick, the University of Toulouse Le Mirail, etc. There will also be a new edition of Creative Evolution published by Palgrave Macmillan in 2007, edited by ourselves along with Keith Ansell Pearson.
Please feel free to forward this message to any person who might be interested.
Yours Sincerely,
Michael Kolkman and Michael Vaughan
Department of Philosophy
University of Warwick
Sunday, January 14, 2007
新年
というわけで、メール返信速度が鈍り、ブログ更新回数が減ることを私の仕事(研究にせよ子育てにせよ)が捗っていることと解して喜んでいただきたい。むろんメールはチェックするし、このブログも更新はするので、たまに見に来ていただけると嬉しい。
「世の中に人の来るこそうるさけれ とはいふもののお前ではなし」
という蜀山の狂歌を玄関に貼り出した内田百閒は並べて
「世の中に人の来るこそうれしけれ とはいふもののお前ではなし(當家あるじ)」
今年もよろしくお願い致します。hf
Wednesday, December 27, 2006
おばあちゃんは追いかけない
川崎市は事件が頻発した十年前、教員向けに冊子を作った。襲われた人たちは高齢、病弱、障害者で、「襲撃はいじめと同質」と分析。加害者の少年も周囲から疎外されていたとしている。そう、こういったことすべてはつながっている。誰を、何を批判すべきなのか。見間違えるべきではない。
時を経ても、構造は変わらないようだ。景気は「いざなぎ」を超え戦後最長という半面、正社員になれず希望が持てない人がたくさんいる。いじめや虐待が毎日のように発覚する。「勝ち組」と「負け組」に選別され、不満が弱い方へ向く傾向がありはしないか。
ホームレスへの偏見も根強い。広島市の聞き取り調査では、ホームレスになった原因の四割は倒産や失業。リストラや公共事業削減のしわ寄せが表れている。「気まま」「怠け者」といった見方は正しくない。住まいを確保して、就労、自立を促す策も必要である。
ノンポリのインテリでいることも、インテリ嫌いのアクティヴィストでいることもたやすい。私は確信している。どれほど抽象的な思考に没頭しているように見えても、真の知識人は決して現実から目をそむけない、と。どれほど社会的・政治的な行動に没頭しているように見えても、真の活動家は決して理念のもつ力を軽視しない、と。
<教育再生会議>素案提示も、委員から不満続出
12月21日11時6分配信 毎日新聞
政府の教育再生会議の全体会議が21日午前、首相官邸で開かれ、来年1月の第1次(中間)報告に向け、学力向上やいじめ防止など5項目を柱とする素案を各委員に提示した。これに対し「議論したテーマが削除され納得できない」(渡辺美樹ワタミ社長)などの不満が続出。義家弘介担当室長が「(了承は)これから」と語るなど、取りまとめは難航必至だ。
安倍晋三首相はあいさつで「法律を改正すべきは改正し、予算も充当していく」と報告を重視する考えを示した。
素案は、社会人の教員への中途採用や授業時間数の増加、いじめなど問題行動を起こす子への出席停止を提言。基本的な考え方で「家庭、地域社会、経済界、メディアが当事者としての自覚を欠いた」と批判している。
これに対し委員からは大学の9月入学の削除や「ゆとり教育の見直し」の明記を見送ったことに不満が噴出。「メッセージ性が弱い」(中嶋嶺雄国際教養大理事長)と具体的な政策を盛り込むよう求める声が相次いだ。山谷えり子首相補佐官は終了後の記者会見で、こうした不満について「今後議論を詰めていきたい」と述べるにとどまった。【平元英治】
最終更新:12月21日12時56分
足の悪い高齢女性ら狙いひったくり、少年6人を逮捕
12月19日14時8分配信 読売新聞
高齢の女性を狙ってひったくりを繰り返していたとして、警視庁少年事件課と小松川署は19日、東京都江戸川区内の中学3年男子生徒ら、14~15歳の少年6人を窃盗容疑で逮捕したと発表した。
被害に遭った女性7人は65~83歳で、うち4人は足が悪く、歩くのにつえや手押し車を使っていた。
調べに対し、少年たちは「つえを持っているようなお年寄りの女性なら、追いかけて来ないと思った」などと供述しているという。
調べによると、6人は今年5月5日午後2時30分ごろ、同区松江7で歩いていた女性(70)に自転車で近づき、追い抜きざまに現金約7万円入りの手提げかばんを奪い取るなど、7月までに同区内で計7回、被害総額約16万4000円のひったくりをした疑い。
最終更新:12月19日14時8分
「おばあちゃんは追い掛けない」=高齢女性狙いひったくり-中学生6人逮捕
12月19日13時1分配信 時事通信
高齢女性ばかりを狙いひったくりを繰り返したとして、警視庁少年事件課と小松川署は19日までに、窃盗容疑で、東京都江戸川区に住む中学3年の男子生徒(14)ら男子中学生6人を逮捕した。調べに対し、「おばあちゃんだから追い掛けてこないと思った」と供述している。
最終更新:12月19日13時1分
<路上生活者殺害>殺人発覚後も襲撃重ねる 中2少年ら
12月20日15時6分配信 毎日新聞
愛知県岡崎市の河川敷で無職、花岡美代子さん(当時69歳)が殺害されるなどした路上生活者襲撃事件で、中学2年の少年(14)=強盗殺人の非行事実で補導=らのグループが花岡さん殺害後も、「もっと金が欲しい。別の路上生活者を襲おう」と謀議し、襲撃を重ねていたことが20日、分かった。県警岡崎署捜査本部は悪質さが際立つとして、他の関与事件の特定を急いでいる。また、少年らが襲撃に使った凶器の多くは、花岡さん殺害を含め現場で調達していたことも分かった。
調べでは、岡崎市内では先月、路上生活者が襲撃される事件が少なくとも8件発生。この多くに、同市内のいずれも14歳の中学校2年の少年3人(事件当時14歳1人、13歳2人)と逃走中の無職の男(28)のグループが関与したとみられる。
このうち、少年2人は(1)同市明大寺町の殿橋南側河川敷で11月19日午前0時ごろ、警備員男性(39)から約5000円入り財布を強奪(2)同市板屋町の河川敷で同1時ごろ、花岡さんを殺害(3)同市真宮町の真宮遺跡で同3時10分ごろ、男性(56)を襲い小屋に放火――の3件の順で、襲撃を続けたことを認めた。 さらに、少年らは花岡さんの遺体が同20日朝に発見され、21日に殺人事件として捜査が始まったのを報道で知りながら、22日午前4時半、殿橋南側で再び同じ警備員男性を襲い、6500円を奪った疑いが浮上。この際、「(前回襲われたことを)警察に密告しただろう」などと男性を脅していたという。
一方、花岡さんは解剖の結果、棒状のもので殴り殺されたことが分かったが、捜査本部は凶器とみられる複数の棒を現場で押収した。真宮遺跡の事件では男性の襲撃に鉄パイプが使用されたが、これらもその後、遺跡近くで発見、押収された。捜査本部は、凶器を持ち歩くと目立つことから、少年らが凶器になりそうなものを現場付近で調達し、襲撃後はその場に遺棄したとみている。 花岡さんへの暴行は特に激しく行われ、河川敷で殴打を加えた後に川に突き落とすなどしていた。少年は「4人で徹底してやった」などと供述しており、捜査本部は花岡さんへの暴行がエスカレートした理由や奪った金品の捜査を続ける。最終更新:12月20日15時6分
<いじめ自殺>先輩隊員が暴行 事実隠す 空自浜松基地
12月20日15時4分配信 毎日新聞
航空自衛隊浜松基地(静岡県浜松市)が、隊員の内部暴力の懲戒処分を発表する際、暴力を受けた男性隊員がその後自殺した事実を隠して発表していたことが20日、分かった。男性隊員の両親は「先輩からのいじめが原因」と訴えていたが、同基地からは「行き過ぎた指導があった」としか説明はなかった。両親は「『いじめられれば泣き寝入り』ということかもしれないが、そうはしたくない」と話している。
同基地によると、基地内にある第1術科学校の30代の2曹が04年3月~昨年11月ごろ、20代後半の男性隊員に対し、20~30回にわたって殴るけるの暴行を繰り返した。同基地は今月15日、「2曹に行き過ぎた指導があった」として停職5日の懲戒処分とし、報道機関に発表した。暴力を受けた男性隊員は昨年11月、浜松市内の自宅で自殺しているが、その事実については発表しなかった。
関係者によると、男性隊員は日ごろから周囲に「隊内でいじめを受けている」と漏らしていたという。両親は「『人間性を失っていて生きていけない』など、2曹に書かされた『反省文』が残されていた。隊内のいじめが自殺の原因だ」と主張し、同基地に説明を求めていた。
同基地は、男性隊員の自殺から1年以上過ぎてようやく2曹を処分したが自殺には触れなかった。両親は「(処分翌日の)16日に術科学校長が説明に来たが、『行き過ぎた指導』というだけで、最後まで十分な説明がなかった」と憤っている。
空自第1航空団司令部は毎日新聞の取材に、2曹の暴力について「仕事熱心のあまりの行為で、いじめではないと聞いている。被害者に外傷などがなく、長期間気付かなかった」と説明。男性隊員の生死については「処分とは関係がなく、個人も特定されるので答えられない」と回答した。【望月和美】最終更新:12月20日15時6分
Sunday, December 24, 2006
いじめ-教員への(スクラップブック)
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「不適格教員」?「排除」?「厳しい措置」?ファシスト国家や共産主義国家に住んでいるわけではないのだ。本当にこんな表現を用いていいと思っているのだろうか?
(安倍政権の好きな言葉「厳しい措置」が北朝鮮といい勝負の大時代的な表現であることには嘆息しつつもあらためて注意を喚起しておこう。)
政府が上手に「誘導」しているわけだが、この国の人々はどこまで公務員、とりわけ教員に八つ当たりすれば気が済むのだろうか?では、「勤労意欲や指導力を欠く不適格社員の排除」という表現を用いていいとでも?このような表現を用いさせる社会の雰囲気こそがいじめを助長していることに気づかねばならない。各種新聞で指摘されていることだが、大人の社会にすらいじめがあるのに、子供のいじめを根絶できるはずがない。これは教員に対するいじめである。
指導力欠く不適格教員を排除=いじめに厳格対応-中間報告の骨格固まる・再生会議
政府の教育再生会議(野依良治座長)が来年1月にまとめる中間報告の骨格が9日、固まった。教育意欲や指導力を欠く不適格教員の排除を明記。児童・生徒の相次ぐいじめ自殺問題への対処としては、問題行動を起こす子どもに対し「出席停止」を含む厳しい措置を取るとともに、教育委員会制度の抜本的な見直しも盛り込んだ。また、学力向上のため学習指導要領を改定し、現行の「ゆとり教育」も改めるよう求める。 (時事通信) - 12月9日19時0分更新
<教員意識調査>会社員以上に、仕事に満足感と多忙感
12月12日0時33分配信 毎日新聞
公立小中学校の教員は会社員よりも仕事に満足感を得ていると同時に、多忙感も感じる傾向にあることが11日、文部科学省の調査で分かった。また、教員自身は勤務実績などで給与に差をつけることを否定的にとらえているが、保護者は肯定的ということも分かった。
文科省は10月、全国354校の公立小中学校教員8976人(回収数8059人)と保護者1万4160人(同6723人)を対象に意識調査を行い、平均点を算出。中央教育審議会の「教職員給与の在り方に関する作業部会」に中間報告した。
中間報告によると、「仕事にやりがいを感じている」と答えた教員が5点満点で平均4.23点だった。一方、「仕事が忙しすぎて、ほとんど仕事だけの生活になっている」のは3.75点となり、調査会社が所有している会社員のデータと比較すると、教員は会社員よりも満足感と多忙感を同時に感じているという。
また、「指導力不足教員らに給与などへの反映が必要」と考える教員は3.37点。保護者への同種の質問では4.41点となり、両者のかい離が際立った。【高山純二】
最終更新:12月12日1時23分
<いじめ自殺>教委に理由「不明」と報告した元校長の苦悩
女子生徒がいじめを示唆するメモを残し命を絶った苦い経験を持つ元校長(61)が、一連のいじめ報道を受けて取材に応じた。生徒の死はいじめと関係があると遺族に説明したが、教育委員会には自殺の理由を「その他(不明)」と報告した。「(報告は)あれでよかったのか。彼女はなぜ死に急いだのか。いろんな思いが今も頭から離れません」。退職した後も、心穏やかに過ごせないという。【井上英介】
東日本の公立中学校に校長として勤務していた時のことだ。初夏のある日、教え子の女子生徒が自宅で亡くなった。自室にあったノートに「死にたい」と書かれ、級友たちから害虫呼ばわりされたことなどを苦にする記述があった。
遺族からノートを見せられ、級友への聞き取り調査で生徒が不快なあだ名で呼ばれていた事実を確認した。「いじめはあった。自殺と関係があると認識している」と遺族に説明し、保護者会でも報告した。
「お母さんは泣き崩れ、私も泣きました。あだ名で呼ばれたのは短期間だが、ささいなことでも本人が嫌だと思えばいじめです」
教職員とともに誠意をもって対応し、いじめた子も親とともに謝罪、月命日のたびに焼香に訪れたこともあって、遺族の一定の納得は得られた。半年以上かかって学校は落ち着いたが、一人でいる時にぼんやりと生徒のことを考え、はっと我に返るようなことがしばらく続いた。
いじめ問題への文部科学省の取り組みに、疑問を感じないではない。「いじめかどうかを判断する認定基準が厳しすぎる。『いじめがいじめではない』という極めて奇妙な結果を導き、現場を誤らせかねない」
文科省は「自分より弱い者に対して一方的に、身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、相手が深刻な苦痛を感じている」という認定基準を定めている。だが、基準とは別に「いじめか否かは、子どもの立場に立って判断せよ」と何度も現場に呼びかけ、教育現場に混乱を招いている。
「教員はみな基準を頭に刻みつけている。なぜ実態に即したものに変えないのか。いじめの芽を見逃しかねない」。現役時代、日ごろから教員たちに「いじめの小さな前兆を見逃すな」と言ってきた。それでも前兆を察知し、防ぐことができなかった。
教え子の死から半年以上たち、教委にいじめがあったことを報告した。しかし、自殺については「主たる理由を一つ挙げよ」との指示に基づいて「その他」とした。「いじめは理由の一つだとは思うが、主たる原因だったのかどうか……学校は警察ではない。真相究明は難しい」。対応が正しかったのかどうか、答えは出ていない。(毎日新聞) - 11月12日7時41分更新
Monday, December 18, 2006
「よい」学校へ-実学志向の呪縛(スクラップブック)
このような考えは、中学・高校といった中等教育にまで浸透している。「偏差値、ネームバリューなどから見て、少しでも「よい」高校は、「よい」大学へのパスポートである」、「中学は・・・」というわけだ。これが、日本の社会が過去数十年にわたって是認してきた通念であり、現在の学力低下は、教育の内容ではなく、教育がもたらす「実益」(むろん表面的な)に関心を持ち続けた、その必然的な帰結である(アメリカやヨーロッパでも事情は似たり寄ったりであるが、もたらされる帰結は異なる。日本ほど大学進学率が高くないからである)。これは一部の「教育熱心」な「教育ママ」の行き過ぎや歪んだ価値観といった個人的な資質に帰される問題ではない。「知」や「文化」に無関心でありながら、その世評や功利的価値には過大な評価を与える、社会の全般的な風潮自体が問題なのである(言うまでもないが、偏差値やネームバリューを評価したり、有名塾の校長の講演会に足繁く通うことが「知」に敬意を持つことではないし、ハイカルチャーに精通することが必ずしも「文化」に親しむことなのでもない)。「ゆとり教育」や「総合学習」の意義は決して小さいものではないが、問題の根はもっと深いのである。では、「知」への敬意を持てばそれでいいのか。そうではない。まだ、「実学志向」という、結局のところ「能率」や「効率」、一言で言えば、performativityの問題と結びついた根強いイデオロギーが残っている。これについては、項を改めて述べる。
「ゆとり教育」や「総合学習」についてのみ付言しておく。未履修問題などはなから起こることが分かっていた事態であり、今さら何を騒いでいるのかという感じである。未履修問題とは、文部省が教えるよう定めた正規のカリキュラムと受験勉強用に学校で設定された特別なカリキュラムとのずれの問題である。奔走されている関係各位には申し訳ないが、本当の問題はそんなところにはないと思う。
すべては「受験戦争」に対する誤った反省から始まった。受験戦争は苛烈にすぎた。だから「ゆとり教育」が必要なのだ、と。受験勉強は不毛にすぎた。受験のための知識、知識のための知識ではなく、厳しい現実社会を生き抜いていくための知恵が必要だ。そのための「総合学習」なのだ、と。
だが、「ゆとり」とは学校で教えられるものなのか?ゆとりもなく働いている親の姿を間近で見ているほうがよほど「人生勉強」になっているというのに?「生きるための知恵」とは授業で教えられるものなのか?子供たち、教師たちは、総合学習の時間を受験勉強にあてることがまさに厳しい現実社会を生き抜くための知恵だと本能的に知っているというのに?何も分かっていないのは、いったい誰だ。
いじめが巷で話題になっている。「大人の間にすら陰湿ないじめがあるのに、子供の間でだけ根絶できるはずがない」という意見がある。一理あると思う。学校は社会の鏡である。親が馬車馬なのに子供にはゆとり、有給すらろくすっぽとれない親の黄金則が「カイシャに盲従」なのに子供には総合学習。大人の社会が虚弱で歪んでいるのに、子供だけたくましく清廉潔白などとはムシがよすぎるというものだ。
共通一次はセンター試験になった。前期・後期に分かれた試験方式はまもなく前期のみに一本化されようとしている。まもなく大学全入時代を迎えるのだという。大学は生き残りを賭けて必死なのだという。大学も一企業として「当たり前の」営業努力を求められているのだという。本当にこれでいいのか?議論すべきはこんなことなのか?
大学とはどのような場所であるべきなのか。社会の中にどのような位置を占めるべきなのか。そのことを国民の間で十分に議論したうえではじめて、本当にすべての子供たちが大学に行くことが「必要」なことなのか、その子供たちにとって「いいこと」なのかが議論できるようになるはずではないか。そして大学に入るためにどのような基礎知識・基礎教養が必要なのかについて、つまり大学受験についての議論が可能になるはずではないか。
今現在、国民は大学で与えられるべき教育について明確なヴィジョンをもっていないというのが偽らざるところではないか。本当に大学に行くことが「必要」なのかどうかも。子供にとって本当に「いいこと」なのかどうかも。理念のもつ力を深く信じる必要性を説く声すらも、今の日本国民の耳には届かない。
「私たち」は本当の問いを回避し続けている。他の多くの問いとともに。仕事が忙しいから。時間がないから。
<家庭学習時間>小中学生で増加「学習離れ」に歯止めか
減少していた家庭での学習時間が増加に転じるなど小中学生の「学習離れ」に一定の歯止めがかかっていることが、「ベネッセコーポレーション」(岡山市)の調査で分かった。また「いい友達がいると幸せになれる」と小中高校の9割以上が答え、子どもが「友人関係」を重視していることも浮き彫りになった。
同社の「学習基本調査」は90年からほぼ5年おきに実施。今年6~7月に全国の公立小中高生計9561人を対象に行った。回答は児童生徒に直接記入してもらった。
家庭学習時間(平日)の平均は90年調査から2回続けて減少していたが、今回小学生は前回01年の71.5分から81.5分、中学生は80.3分から87.0分に増えた。今回70.5分の高校生は前回とほとんど差がなかった。
社会観に関する問いでは、「いい友達がいると幸せになれる」とした小中学生はいずれも9割を超え、高校生は96.3%に達した。子どもたちが友人関係を重んじ、生活の中心にしていることがうかがわれる。「いい大学を卒業すると将来幸せになれる」と答えた小学生は61.2%だったが、高校生は38.1%に減少。学年が上がると「高学歴が有利」とは考えない傾向を示した。 また、「日本は努力すれば報われる社会だ」と答えた小学生は68・5%▽中学生54・3%▽高校生45・4%となり、こちらの答えも年齢が上がるにつれ減少した。さらに高校生の75・8%が「日本は競争の激しい社会だ」と答えた。【吉永磨美】
耳塚寛明・お茶の水女子大教授の話 ゆとり教育の実施で学力低下論や保護者の不安が高まり、「脱ゆとり」論が出てきた。その結果、家庭教育や基礎学習が徹底され、小中学生の「学習離れ」に歯止めがかかったのではないか。(毎日新聞) - 12月11日19時21分更新
高校生宿題しないの? 「家庭学習ない」4割 やる気も格差拡大
12月12日8時0分配信 産経新聞
「家庭でほとんど勉強しない」と答えた高校生が4割近くに増加し、学習離れが広がっていることが、教育シンクタンク「ベネッセ教育開発センター」(東京)の「学習に関する意識実態調査」で11日、明らかになった。小中学生では「できる子」と、そうでない子の学習時間の差は広がる傾向がみられ、同センターでは「学習意欲の格差が広がっている」とみている。
調査は今年6月と7月に全国の小学生2736人、中学生2371人、高校生4464人に学校を通じて実施。平成2年、8年、13年にも同一調査を実施しており、結果を比較した。
家庭での学習頻度は、高校生は「ほとんど勉強しない」が前回の23・1%から27・9%に、「週に1日くらい」も8・8%から9・9%に増えた。1日平均の家庭学習時間も「0分」が前回の22・8%から24・3%に増え、「約30分」も15・2%で、全体の4割近くが家庭でほとんど勉強しなかった。
小中学生では、成績上位者の学習時間が前回調査結果より大幅に長くなった。全体では家庭学習時間は平均5~10分延び、小学生で81・5分、中学生は87分となった。
これに対して高校生の家庭学習は、平均70・5分で前回と比べてほぼ横ばい。平成2年時の調査と比較すると、成績で平均点前後に位置する中間層の生徒の勉強時間が約30~50分近く減るなど、生徒の学習離れが広がった格好だ。
今回の結果についてベネッセ教育開発センターは「小中学生では前回より改善した点もみられたが、高校生では、家庭学習は限られた生徒が行うものになっており、深刻な結果だ」と指摘。「少子化の影響で大学受験がやや広き門となっていることが、高校生を家庭学習に駆り立てなくなった理由だろう」と分析している。
最終更新:12月12日8時0分
格差の現場:/5 広がる 異なるスタート地点 /宮崎
宮崎市中心部の進学塾の前では、毎晩同じ光景がみられる。午後9時過ぎ、授業を終えた小学生たちが、ドアから次々と駆け出してくる。通りには親たちの迎えの乗用車が並んでいる。
小学6年の息子と5年の娘がこの塾に通う父親(38)は、はるばる日南市から送迎に来ていた。妻と交代で1日に昼夜2往復することもある。片道1時間の両市を週10往復はする。
「正直、大変だと感じる時もあります。まだ小学生だし……。でも人生のスタートが異なればゴールも違ってしまう」。息子は県外の名門私立中高一貫校を志望する。「地元に学力を伸ばす教育環境があれば一番いいんですが」と言い、日南市へとハンドルを切った。
◇ ◇
04年度の県教委の7教育事務所管内別の学力調査は興味深い結果を示している。小学低学年までは、なぜか都市部より田舎の方が学力が高い。しかし高学年以降、都市部の学力が急上昇し、田舎は追い抜かれるのだ。
小学3年、小学5年、中学2年を比較すると、小学3年で西臼杵(高千穂町など)と西諸県(小林市など)が同率1位。児湯(高鍋町など)も3位と郡部の順位が高い。都市部の宮崎(宮崎市など)は最下位の6位だ。ところが、宮崎は小学5年で3位に浮上、中学2年では1位に躍り出る。
小学低学年までは田舎の学力が高い理由を、ある小学校教諭は「郡部の少人数の学校では一人一人の子供に合った教え方ができる。子供も指導を素直に受け入れ、まじめだからでしょう」と分析する。小学高学年以降、都市部の学力が上昇する理由を、宮崎市内の進学塾関係者は「塾の影響」と断言する。この塾は、市外からの塾生が2割を占める。「地方の親にも危機感があるから、日向市や小林市、都城市からも子供を通わせるんでしょう」と明かす。
日南市から通う父親は「自分が高校生だった20年前と比べ、全国と宮崎との格差はさらに広がり、県内の地域間での格差もますます広がってきたようだ」とため息をついた。県教委の調べでも毎年、約45人が県外の有名私立中学に進学している。競争社会を生き抜くための受験技術を得る機会も、都市と地方で差が広がっているのかもしれない。
6月27日朝刊(毎日新聞) - 6月27日18時0分更新
都教委“未履修”を黙認 都立高20校 総合学習で受験対策
12月12日8時0分配信 産経新聞
必修科目の未履修が全国の高校で相次いで確認された問題に絡み、東京都立高校約20校が「総合的学習」の授業を数学や英語など受験対策に振り替えていたことが11日、都教育委員会の調査で分かった。総合的学習は体験学習やテーマ研究を狙いとするが、学習指導要領を逸脱した受験対策の隠れみのになっていた。都教委は都立高の未履修は1校のみとしていたが、これら“偽装授業”を行っていた学校については「成績表は総合的学習でつけている」として未履修ではないとの判断を示し、黙認の態度だ。進学率の向上を目指した都立高改革の落とし穴が浮かび上がった形だ。
都立八王子東高で倫理の未履修が発覚したのを契機に都教委が11月、全都立高207校を対象に調査。その結果、約20校が総合的学習の一部を受験対策に振り替えていたことが判明。この中には、戸山や立川の進学指導重点校も含まれていた。
多摩地区の中堅校では、3年生約45人が2単位(70時間)すべてを数学の応用問題集を購入した受験勉強に活用。同校は平成15年度の総合的学習の導入からこうした授業形態をとっていた。
また、区部の高校では3年生の2単位(同)の3~4割を「入試基礎講座」などの授業に振り替え。校長は「不適切と受け取られかねない授業」と話しているが、進学校を中心に総合的学習を受験対策に特化させていた傾向が強いとみられる。
都教委は「(20校は)限りなく灰色に近いが、成績表は総合的学習でつけており、未履修でないと判断している」との見解を示した。いずれも「正規履修の範囲内」として、改善指導にとどめる方針。しかし教育関係者は「受験対策は明らかに総合的学習の趣旨を逸脱しており、都教委が都合よく解釈しただけ。他県では未履修扱いだ」と批判している。
今回のケースについて文部科学省は「個別の具体的な内容を見てみないと分からないが、総合的学習の趣旨を踏まえず、授業で入試問題ばかりを解かせていたのであればおかしい」としている。 文科省によると、必修科目の未履修が確認された国公私立合わせた高校は全国で663校(11月22日時点)。都は私立14校と都立1校の計15校。
◇【用語解説】総合的な学習の時間 平成14年度(高校は15年度)施行の学習指導要領で導入。(1)問題解決能力を養う(2)自己の在り方、生き方を考える(3)教科、科目の知識、技能を総合的に生かす-が狙いで、「国際理解」「環境」「生徒の興味・関心、進路に応じた課題」などを例示している。高校3年間で3~6単位が配当されるが教科書はなく、内容は地域や生徒に応じ、学校で決めるよう求めている。最終更新:12月12日8時0分
Saturday, December 16, 2006
memento mori -またひとつ私たちの手で自由が殺されていく。
「思想の自由」とは冗語である。思想とは自由であり、自由とは思想である。思想という自由を人間のかけがえのない、奪うことの許されない権利と考える一人でも多くの「私たち」と出会うために、堅忍とともに「彼ら」を呼び招き続けること。それが哲学でなくて何であろうか。
教育基本法改正案きょう成立へ 会期18日まで延長 与党調整
12月15日8時0分配信 産経新聞
今国会の最重要法案である教育基本法改正案は14日、参院教育基本法特別委員会で自民、公明両党の賛成多数で可決された。15日の参院本会議で成立する見通しだが、民主党など野党4党が内閣不信任決議案提出を決めたため、与党は15日に会期末となる国会を小幅延長する方針を決めた。
教育基本法の改正は、昭和22年の施行以来初めて。前文には現行法にはない「公共の精神」、教育の目的には「伝統と文化の尊重」「わが国と郷土を愛する態度を養う」などが明記された。
自民党が当初求めていた国を愛する「心」の盛り込みは、公明党との与党協議で「態度」となった。公明党を除く宗教界から要望が強かった「宗教的情操の涵養(かんよう)」については、「宗教に関する一般的な教養」との表現にとどまった。
現行法10条の「教育は、不当な支配に服することなく」との条文は、教職員団体などが国旗掲揚・国歌斉唱を拒否する根拠とされてきた。改正案にもこの部分は残ったが、「法律の定めるところにより」との文言が追加された。安倍晋三首相は14日、特別委の質疑で「法律にのっとって行われる教育行政は『不当な支配』ではない」と強調した。
特別委は14日夕、野党による追加質疑終了後、与党が緊急動議を提出し、採決に踏み切った。野党4党はこれを受け、15日朝、衆院に内閣不信任決議案を提出することを決めた。参院でも首相問責決議案提出を検討しているが、当初予定していた麻生太郎外相の不信任決議案提出は見送ることになった。
与党は法案成立を確実にするため、会期延長に踏み切る方針。20日に平成19年度予算の財務省原案内示を控えていることから、延長は18日までの小幅にとどめる方向で調整している。参院自民党の国対幹部は14日夜、記者団に対し、15日午前に同党の衆参国対委員長会談を開いた上で、首相と会期延長について最終協議する考えを示した。
最終更新:12月15日8時0分
Wednesday, December 13, 2006
棚から一掴み(大学関係記事スクラップブック)
<学術会議調査>研究機関の12.4%が論文などで不正
12月12日11時32分配信 毎日新聞
日本学術会議が全国の大学、研究機関、学会を対象に初めて実施した論文や研究資金などに関する不正の実態調査で、有効回答数の12.4%にあたる164機関が「過去10年間に不正行為の疑いがあった」と答えた。02年以降の発生件数が増えており、同会議は「国立大学の法人化など、研究現場の競争激化が影響している可能性がある」と分析している。
調査は今年5~6月に実施。全国の大学、高等専門学校、研究機関、学会の計2819機関に質問表を送付し、1323機関(46.9%)から回答があった。
不正行為の疑いは計236件あり、そのうち150件が「不正があった」と認定された。認定された不正の内訳は、▽論文の多重投稿52件▽研究資金の不正使用33件▽研究の盗用31件▽データ改ざん5件▽プライバシーの侵害4件▽データねつ造3件▽その他22件。論文にまつわる不正が全体のほぼ3分の2を占め、研究資金の不正使用が約2割だった。
不正行為の疑いの発生件数は01年までは10件前後だったが、02年19件▽03年33件▽04年29件▽05年46件と急増。内容別では、データのねつ造・改ざんや盗用、論文の多重投稿の増加が目立った。
調査を実施した同会議科学者の行動規範に関する検討委員会の浅島誠委員長は「04年の国立大学法人化の前後で不正が増えたのは、隠されていた事案が表に出たことに加え、研究資金の獲得競争やポストの任期制導入で研究者が追い詰められ、過酷な環境にいることも背景にあるようだ」と話している。【永山悦子】
最終更新:12月12日11時32分
これは経済効率を優先する日本の教育行政の論理的帰結である。
大学夜間部 東海地方で次々募集停止 教育格差拡大に懸念
愛知県議との意見交換会では、県立大の募集停止の方針に対し、学生から反発の声が上がった=名古屋市中区で9月、浜名晋一写す
苦学生の象徴「夜学」が次々に姿を消している。東海地方で6校あった大学夜間部のうち、日本福祉大と愛知大、名城大が00年から05年にかけて学生募集を停止した。岐阜大は07年、愛知県立大は09年に募集を停止し、存続するのは名古屋工大の1校だけだ。募集を停止する各大学は「勤労学生の減少」を理由に挙げる。専門家からは「経済的に苦しい家庭に生まれた子供の行く大学がなくなってしまう」と、さらなる教育格差の拡大を心配する声が上がっている。【浜名晋一】
「働きながら学び、異なる世代の人と机を並べられるのが魅力。廃止を撤回してほしい」。愛知県立大英米学科4年の真野由紀さん(24)は、募集停止の方針を残念がった。先月19日、名古屋市内で存廃をテーマに、学生約10人と県議との意見交換会が開かれ、学生から反発の声が噴出した。昼間、喫茶店でアルバイトをした後、大学に通う松岡浩平さん(21)=3年=は県議に対し、「家計を助けるためにも、学費の安い夜間はありがたい」と強調した。
同大では主に夜に授業がある「夜間主コース」に996人が在籍する。学費は昼間主コースの半額の約27万円で、ここ3年間の入試倍率は4~5倍と人気が高い。しかし、勤労学生の比率は大幅に低下し、98年度には全体の62.6%と半数を超えていたが、今年度は25%に。関係者は「昼間部の受験に失敗した学生が志望した結果だ」と、夜間部本来の意義が失われている現状を指摘する。このため、県は「勤労学生に高等教育を提供するという夜間大学の本来の趣旨から逸脱している」として、今年3月に募集停止を決定した。
一方、04年度に夜間部の募集をやめた愛知大。同市東区の車道キャンパスには授業が始まる夕方になると、学生が続々と登校する。定員400人に対し、286人が在籍。法科大学院進学を目指して法学部に通う女性(40)は「大学教育は社会人にも開かれるべきで、社会人が通える夜間部を廃止するのは間違っている」と主張する。
だが、定員割れもあって、多くの学生の関心が薄いのも現実だ。4年の男子学生(22)は「働きながら勉強したいという人は減っているし、廃止は時代の流れでは」と冷静に話す。
文部科学省によると、夜間部のある大学は全国で79校。99年には104校あったが、7年間で25校が夜間部を廃止した。
教育関係の著書も多いルポライター、鎌田慧さんの話 勤労学生の排除は教育の機会均等の理念に反する。少数でも受け皿の保証をすべきだ。エリート養成を進める一方、広く学業の機会を認めないのは教育格差の拡大につながる。(毎日新聞) - 10月14日17時12分更新
<科研費>9大学で不適切経理10億円超 会計検査院が指摘
文部科学省が交付する科学研究費補助金(科研費)を巡り、東京大など九つの国立大学で、研究用に購入した物品の納品書の日付が、業者側に残った日付と大幅に異なる不適切な経理を行っていたことが、会計検査院の調べで分かった。日付が1カ月以上異なっていた納品書の総額は10億円を超え、文科省は、1年以上ずれていた6大学の計約2000万円分について、補助金適正化法に基づき返還させた。また、私立大学も含めた全大学に対し、納品検査の徹底を通知した。
科研費は独創的・先駆的な研究を発展させる目的で、文系・理系や基礎・応用を問わず、あらゆる学術研究を対象にした政府の研究資金で、06年度の文科省分の規模は総額1895億円。
検査院の調べでは、9大学で注文した物品を業者が大学に納入したものの、事務担当者の確認が遅れたため、業者側と大学側で、それぞれ保管していた帳簿類の納品日付にずれが生じた。うち約2億円分については、大学側の納品が年度末の3月31日を越え、補助対象の翌年度になっており、文科省の補助条件に違反した状態になっていた。さらに約2000万円分は、研究者が1年以上前に納品があったにもかかわらず、大学側に届けていなかった。
ただ、研究費の私的流用やプールなどといった不正行為はなかった。
文科省学術研究助成課は「公務員の定数削減の影響で、事務スタッフの減少が納品を確認する体制の不備につながった。今後、納品検査を徹底させ再発防止したい」と話している。
科研費を巡っては昨年、慶応大医学部教授ら4大学の研究者らが、実験用動物などの架空購入などで、総額約8900万円の不正受給を検査院から指摘された。このほか、別の研究費を巡っても今年、早大理工学部教授の不正受給が発覚している。【斎藤良太】(毎日新聞) - 10月1日3時11分更新
Tuesday, December 05, 2006
グレゴリオ『純粋理性批判殺人事件』
表題から察するに、名探偵カントか、天才的犯罪者カントが登場するのであろうという見込みであった。背表紙によれば、「世界中の出版エージェントの度肝を抜いた大型新人デビュー作、壮大な歴史ミステリ!」であるとのこと。遅読の私も、二三日で読了。
別にどうということのない本なので下巻を買わずにいたが、やはりなんとなく気持ちが悪いので、最近下巻を購入。堅忍の一字とともにやはり数日で読了した。「唯一の手掛かりが導くありえない真実」という帯の文字は先の触れ込みに比べれば食指をそそるが、しかし内容に適合したものとは必ずしも言えない。
カントの「根元悪」(radikale Böse)の概念を「あらゆるものの中で最も極悪非道なもの。冷酷な殺人。動機のない殺人」(下・139頁など)と結びつけるという発想自体は悪くない。カントが探偵なのか犯罪者なのか最後まで分からないというプロットも悪くないと思う。にもかかわらず、読後感を正直に言えば、本書を人に薦めようとは思わない。なぜか。
結局本書をつまらないものにしているのは、作者の皮相なカント理解である。カントが探偵なのか、犯罪者なのか、あるいはそれ以外なのかはここでは重要ではない。本書の舞台は1804年2月のケーニヒスベルク。したがって登場するカントは最晩年のカントである。問題は、従来のカントを「人間の肉体的および精神的世界を、論理という手段で定義するために一生を費やしてきた」(下・57頁)哲学者と捉え、晩年のカントを老衰や狂気によるそこからの逸脱ないし成熟と見る主人公のカント像がまったく魅力的でない、という点にある。
しかし、彼はおだてられなかった。癇癪を爆発させ、目をぎらつかせ、両手を激しく振り回した。「いかれたカント、と不埒な連中はわしのことを呼んでいる。精神と魂を堅苦しい理論体系と不変の法則の世界に閉じ込めたというのだ。大学での最後の日々は耐えがたかった。実に屈辱的だった。あんな処遇をされたことは、これまで一度もなかった。苦悶に耐えていたのだ!」感情が激して、カントの目はぎらついていた。声は怨念でかすれていた。彼の唇からもれた恨みのこもった笑い声には、ユーモアのかけらもなかった。「やつらは大馬鹿なのだ!非現実的な夢想者…わし一人で計画を立て、実行できるとは想像もできないのだ。連中にはわからんだろう、美しさが…」(下・134-135頁)。
グレゴリオ的カントの言う「美しさ」が探偵的なものであれ、犯罪者的なものであれ、このような取り乱した場面は必要なかったのではないか(カント時代の大学については、下記2002年10月14日の項参照)。性格の複雑さを見せるのはいいのだが、それを老齢や時代状況の変化のせいにするのは安易に過ぎるということだ。
晩年のカントが聖書的伝統に準じて弱い人間の魂を「曲がった木」(下・138,140頁)と見た、というのはよい。しかし、それを「人と人の関係では論理は通じない」(同上)などという凡庸な一言で片付けてしまっては、《道徳的カントから探偵的あるいは犯罪的カントへ》という移行の両側が―いわゆる批判期までのカントも晩年のカントも―色褪せて見える。
「いや、グレゴリオの描写はもう少し微妙だ」と言う人もあるだろう。実際、カントの発言が魅力的に見える場面も確かにある。だが、カント「最後の著作」を主人公が破いて川に捨てる場面を見る限り、作者がこの論文の「書き手」がカントでなかったという事実を最大限利用しなかったこと、ひいては哲学者カントの何も理解しなかったことは残念ながら明らかである。
翻訳は読みやすかったが、一点だけ。下巻285頁の《カント教授なら「至上命令」だといっただろう》というのは、原文を確かめたわけではないし、最近出た岩波版全集の訳語も知らないのだが、「定言命法」としたほうがよかったのではないだろうか。
道徳的カントから探偵的あるいは犯罪的カントへという移行に豹変を見るのではなく、むしろ、それまでのカントの思索の「論理的」帰結として、『実践的見地からする人間学』――これは1798年、カントが生前自らの手で刊行した最後の著作である――刊行と並行して、『犯罪的理性批判』の実践(執筆ではなく)が行われていた、といったストーリーのほうが少なくとも私には興味がもてるような気がする。要するに、pathologischという語のカント的用法に着目することで、リゴリズム道徳哲学の極北と見なされていた『実践理性批判』の只中に享楽の論理を見て取ったラカンの「サドとともにカントを」(Kant avec Sade)のほうが、はるかに『犯罪理性批判』の名にふさわしいのではないか、ということだ。
ちなみに、帯には「呪いと理性が同居する稀有な時代を精緻に描く、この夏のミステリ決定版」という文句もある。フリーメーソンや黒魔術、あるいは錬金術や動物磁気のことを念頭においての台詞だろうが、心理学や精神分析、社会学やシステム論、「マイナスイオン」や「トキソプラズマ」だって、百年後にどう言われているかは知れたものではあるまい(2002年10月19日の項)。細木某や江原某の流行る日本については何をかいわんや、である。呪いと理性は、 この意味では、あらゆる時代に同居しているのである。カントについては、ドイツ語訳も出ているこちらのほうが圧倒的に面白いので、お勧めしておきたい。紹介はいつものごとく中途半端で終わってしまっている。
ボチュル『カントの性生活』(1)2002年1月2日の項。
ボチュル『カントの性生活』(2)2002年1月12日の項。
ボチュル『カントの性生活』(3)2002年10月13日の項。
ボチュル『カントの性生活』(4)2002年10月14日の項。
ボチュル『カントの性生活』(5)2002年10月17日の項。
ボチュル『カントの性生活』(6)2002年10月21日の項。
Monday, December 04, 2006
時間をかけて(efficacité du temps)
*
制度的な努力は静かに進行している。ちょっとしたトラブルもある。年かさの人であれ、誰に対してであれ、もっとゆっくり時間をかけて、十分に意を尽くして説明していかねばならないと繰り返し自分に言い聞かせる。
研究面での努力は、これに比べればもっとフィジカルだ。やらねばならないことはすべて技術論的なレベルで解決できることである。マルクスの言うように、人間は解決できる問題しか(本当の意味では)提起しないのである。
私のような人間でも悩み相談などを受けることがあるが、そういうときいつも困ってしまう。たいていの場合、彼らの中で答えはすでに出ており、私にはアドヴァイスの仕様がないように思われるからである。「研究が進まない」「どうすれば良い論文が書けるんでしょう」云々。こういう質問はたいていの場合、偽の問題であり、問題のすり替えである。偽の問題に悩まされ、疲労困憊し、それを振り払うのに時間と労力を費やす(その実、それは彼らが発明したものなのだ)ことが彼らの真の目的なのであり、これをフロイトは「疾病利得」と呼んでいた。彼らは問題を精神的なものにし、深刻にとる。pathétiser, psychologiserしすぎるのである。
『二源泉』の人格性概念を、ベルクソンが用いている声という形象を通して分析してみようという趣旨の論文をひとまず書き上げた。ハイデガーによるカントの人格性概念分析と比較したり――和辻は1931年の段階でこの分析を取り上げて論文に組み込んでいる。やはりあの当時の即応力には並々ならぬものがある――、パスカルのさまざまな習慣論を持ち出したりと、いつもどおり好き放題である。今、この論文の細部を詰める作業を始めている。
というわけで、いつも斜め読みの『パンセ』とともに、斯界の泰斗・塩川徹也氏の『パスカル『パンセ』を読む』、岩波セミナーブックス80、2001年を読んでいる。開始数頁でいきなりつまづく。「着手」って、チェスのmoveのこと(ほぼ同義)だったのね。
Thursday, November 30, 2006
感謝知らず-高潔の哲学史(取るに足らぬ序文)
純潔を保つために人を遠ざけ、あるいは「孤客(ミザントロオプ)」であるがゆえに否応なく保たれた純潔が腐り落ち、傲岸不遜に堕する、そういった人々のことをいっているのではない。純潔と高潔は異なる。マニャニミテは、泰然自若とも訳せるはずだ。
人と交わることを怖れず、人の輪の中にあって高潔を保ち、どうしても空の高さを感じさせずにおかない人。ごく稀にそういう人に出会うと、性別はどうあれ、心がときめく。少し時代がかっているかもしれない、でもそれがなんだろう。
Sed omnia praeclara tam difficilia, quàm rara sunt.
とスピノザも言っているではないか。私自身も、常々magnanimeでありたいとは思っているし、またそのように振る舞うよう努力もしているのだが、修行が足りないのでずいぶんつまらないことで腹を立てることもある。
もっとも、《いろいろと親切に教えてあげてもなんとも思わない》とか、《情報をしれっと利用した挙句にあたかもはじめから自分は知っていたと言わんばかりのポーズで対抗意識をむき出しにしてくる》とかいうくらいはかわいいもので、全然許容範囲である。
パリのとある友人があるテーマについてゼミを開くことにしたと予告を送ってきたのだが、そこに並んでいる参考文献は一年前なら彼の知らなかったものばかりだ。たしかに悔しい気持ちもないとはいえない。だが、この悔しさはフランス人の彼がパリで当該テーマについてセミナーを開くという事実に対する私の地政学的な関心(羨望?)に由来するもので、彼のそういう性格自体への怒りに由来するものではない。たぶん彼は私に情報提供を乞うたという事実すら忘れている幸福な人なのだから…。まあ、そういう人は世界中どこにでもいる。
自分のmagnanimitéを本当に試されるのは、いわれのない攻撃を受けた場合ではあるまいか。火のないところに煙は立たぬという。しかし、マッチ一本から大きな山火事に至るには、相当乾ききった心か、苛立ちの大風という下地がなければならないはずである。なんでも悪く取る用意のある人に対してどう毅然とかつ穏やかに対処できるか。哲学者たちの声に耳を傾けてみよう。
ちなみに、「取るに足らぬ序文」とは、キェルケゴールのドン・ジョバンニ論である「直接的エロス的諸段階、あるいは音楽的-エロス的なもの」(『あれか、これか』第一部第二論文)序文の表題である。ウェブ上ではデンマーク語で読むこともできる。
Tuesday, November 28, 2006
混線、混戦-戦場で友に送る手紙
そんな中で、温かい声を掛けてくださる方々がいてくださって、精神的にとても助かっている。自分の研究のことは自分でやるほかないという以上に、単に自分の事柄なわけだが、状況を変えていこうとすると、求められるのはそういった事柄以上のものだ。しかし、自分の仕事と決して無関係ではない。見知らぬ人が他人を判断する基準は仕事しかないのだから。
他方で、物見高く見ているだけという人々もいる。自分は知らないよ、と。おこぼれには与るけれど、と。 ある程度優秀な学者も含めて、普通はそういうものかもしれない。たぶん「羊たちの沈黙」はいつの時代にもある。彼らはいつも小声で文句を言いながら付き従う。私の努力が実を結ぶのはまだまだ先のことだろうが、そのとき彼らは、今私が時代状況に感じている閉塞感やそれを突破するために払っている努力や犠牲の大きさなど一顧だにせずに、結果だけを平然と受け取るだろう。彼らはいつも小声で文句を言いながら誰かにつき従うだけだからだ。あてにできるのは、研究レベルの努力と制度的なレベルの努力という「両面作戦」で行動を共にしてくれる友人たちだけだ。
しかし、「日本は知的砂漠である」という意見には反対である。教育国家と文化国家の違いも弁えないそのような放言にはルサンチマン以上のものを認められない。言い放つだけならとても簡単だとも思う。大切なのは内側から(繰り返すが研究レベルだけでなく制度的なレベルで)少しずつでも変えていくことだ。そのような努力抜きの「鋭い批判」などに何の意味もない。
aboutに掲げているが、大事なのは嘲笑することでも、慨嘆することでも、呪詛を投げつけることでもなく、理解しようと努めることである。真の理解はやがていつの日か真の変革につながる。
Thursday, November 23, 2006
Master Mundus追加情報
Sunday, November 19, 2006
予行演習にゼミを活用する
『二源泉』に現れる《声》《火》《道》のイメージを丹念に追いかけることで、「開かれたもの」(開かれた道徳・動的宗教)のダイナミズム、創造的行動の論理の構成要素、すなわち《呼びかけ》《熱狂》《情動》の諸特徴を明らかにするとともに、哲学研究において隠喩をたどること、テクストの声に耳を傾けることの重要性を強調する――といった趣旨である。
先々週、h大学aゼミで、先週t大学sゼミで、それぞれ予行演習として発表させてもらった。自分の考えをまとめるのにこういった形で親しい先生方のゼミを使わせてもらうのが好きだ。勝手知ったるアットホームな雰囲気で、けれど真剣勝負で発表する。
まあ、往々にして最初はアイデアをたくさん詰め込んだまとまりのない発表で、聞いていただく方々に申し訳ないくらいなのだが、それでも徐々に形になっていくのだから、やはり発表はしてみるものだと思う。人それぞれ自分なりの仕事のスタイルがあるから、別にお勧めするわけじゃないけれど。
発表はたいてい同じ反応。最初に哲学科で聞いてもらうと、たいてい構成がクリアでないと言われるので、ここで大枠を明確にするよう努める。次に仏文科で聞いてもらうと、専門ではないので難しいと言いながら、けっこう細かい点をいろいろと突っ込んでくれるので、ここで微調整する。
先週の発表では読み上げ原稿を完成できず、三分の二程度はアドリブで喋ったのだが、そのほうが圧倒的に分かりやすくて面白かったとほとんど全員言っていた。喜んでいいのか悲しむべきなのか。
水曜が締め切りなのに、まだ最終形が見えない。『二源泉』を読んだことのない人にも分かるように丁寧な序論を書いたら、それだけでかなりの分量になってしまったので、ひとまず《声》《火》《道》で三分割することに決めた。というわけで、今回は「(上)《声》-呼びかけにおける人格性の問題」を扱う。査読側がなんと言うか分からないけれど…。
Friday, November 17, 2006
近況
1)9月9日(土)日仏哲学会2006年秋季研究大会(於:法政大学)にて、「ベルクソンと目的論の問題-「苔むした」生気論?」と題した研究発表を行なう。
2)9月18日(月)第20回ベルクソン哲学研究会(於:学習院大学)にて、「場所の記憶、記憶の場所-ベルクソンとメルロ=ポンティ」と題した研究発表を行なう。
3)10月28日(土)日本フランス語フランス文学会2006年秋季大会(於:岡山大学)にて、「唯心論(スピリチュアリスム)と心霊論(スピリティスム)-ベルクソン哲学における催眠・テレパシー・心霊研究」と題した研究発表を行なう。
1と3はそれぞれの機関紙に掲載されるよう、これから論文化を鋭意行なっていくつもりですが、2は機関紙がないのでどうしたものか。
次に、論文(掲載決定済み・現在投稿中・投稿予定)ですが、
4)カッシーラーのベルクソン『二源泉』に関する長い書評(というより研究論文)の仏訳、および、それに付した私のこれまた長い序文が『ベルクソン年鑑』(PUF)に掲載されます。近日校正刷が送付されてくる旨(ようやく・・・)連絡がありました。
5)「哲学の教育、教育の哲学」(仮)と題するエッセイを某所に投稿中。これは厳密には私の研究分野ではありませんが、興味をもっている主題の一つなので、これまでに書きなぐったものを出してみました。まったくの床屋政談ですが、どうなることか。
6)大学紀要に「《大いなる生の息吹…》 ベルクソン『道徳と宗教の二源泉』における呼びかけ・情動・熱狂」と題する論文を投稿予定。現在鋭意執筆中です。
これからの執筆計画。
7)ベルクソンにおけるメタファーやアナロジー(修辞学の問題)に正面から取り組んでみたい。これは来年春の仏文学会向け。
8)来年の百周年トゥールーズ篇では、もう一度「目的論」の問題を取り上げなおし、いっそうの深化を試みるつもり。あるいは技術論をやり直そうか。
9)最後に、問題の大論文。これらと同時並行的に。というか、これらの仕事は全部、大論文のélaborationの過程なわけですが。
Monday, November 13, 2006
テクストの聴診-杉山直樹『ベルクソン 聴診する経験論』
「聴く」と言えば、日本のベルクソン研究者一同が待望していた杉山直樹氏の著作がこの10月に刊行された。その名も『ベルクソン 聴診する経験論』(創文社)。カバーに印刷された仏語題名は、
Naoki SUGIYAMA, Bergson, auscultateur de l'expérience, Sobunsya, 2006.
となっている。いずれ仏訳していただきたいものだ。書評はまた別の機会にして、本書の印象を一言で言えば「王道を行く」という感じ。私はしばしば杉山氏を「日本のヴォルムス」と呼ぶのだが、そのような直感は間違っていなかった、と本書に目を通しながら思った。
王道にもいろいろあるので、守永直幹氏の著作『未知なるものへの生成 ベルクソン生命哲学』(春秋社、2006年)も、個人的には「王道」路線だと思っている。ファイティング・ポーズが勝っているので、分かりやすく言えばマイク・タイソン、より正確な比較対象を探せば輪島功一ということになろう。杉山氏は、一見より穏やかだが、舌鋒は鋭い。分かりやすく言えばモハメッド・アリ、より正確な比較対象を探せば具志堅用高ということになる。プロレスで分かりやすい例を探せば、猪木と馬場となる(ちなみに「猪木スタイル」必ずしも「ストロングスタイル」ならず、と言っている人がいるが卓見である)。
ちなみに、檜垣立哉氏の『ベルクソンの哲学 生成する実在の肯定』(勁草書房、2000年)は、入門書と研究書の中間くらいという位置づけだと思うが、チャーミングな魅力に満ちているので、『酔拳』のジャッキー・チェンといったところであろうか。千鳥足だからと打ちかかったらとんでもない目に遭う。彼の研究スタイル全般に言えることだが、やりたい放題に見えて、けっこう計算されているのだ。
話を元に戻せば、ベルクソンを「経験の聴診者」と定義する杉山氏自身のアプローチが実にベルクソニアンである、つまり「聴診的」である。
[ベルクソンの文体は]流麗なリズムをそなえた繊細な文体、などと言われはするし、確かに目の前の数行単位で読む限り、彼の言葉はそう言われもしよう心地よい滑らかさを有してはいると思うが、しかしそうしたフレーズたちが構成する全体はというと、それは私には、実に見通しの悪く、ぎこちない、今にも崩れそうな集塊のように映る。ノートを取り、用例集を作り、自前のレキシコンを作成し、つまりは「哲学書」を前にしての通常の読みの作業をするのだが、こんな難物はない。[…]このような哲学を「明晰」だの「端正」だの形容する人々が少なくないようだが、きっと彼らは、ベルクソンのテクストを本当に自分で読んだことがないのだ。
引用の仕方でその人がテクストを読むという行為をどう考えているのかは如実に分かる。explication de texteの伝統のない場所では、読むという行為にあまり注意が払われないようにも思える。引用とは添え物ではないし、偉大な哲学は論理の骨組みだけに解体されはしない。
というわけで、本書にはいくつかの偏りが生じている。本書は「ベルクソン哲学」というものの包括的な注釈書とはなっていない。参照される著作のページリストを作れば、どこが素通りされているかは明らかだと思う。私としてはまず、テクストとして前述の「異様さ」を強く孕むと感じられた箇所を中心に読解を試みたつもりである(ある意味、この取捨選択が本書の一番大きな主張だとも言える)。[…] このように一定のテクストの読解だけにこだわる態度がある種の顰蹙と嘲笑の対象になることは分かっているが、今の私は、騒がしい「アクチュアリティ」にとびつくよりもむしろその種の地味な作業を続けることにこそ意義があるように感じている。
テクストを前にすればごく当たり前の態度をこのように「偏り」と呼ばせ、いくつかの特権的テクストを執拗に読解し続ける態度が「ある種の顰蹙と嘲笑の対象になることは分かっているが」と予防線を張らせずにおかない場所において、哲学のテクストを「読む」とはいったい何でありうるのだろうか?
この「読む」ことに関する無関心はまた、「読みあげる」ということに関する無頓着と切り離せない関係にあるように思う。現在の哲学系(思想系ではない)の発表はたいがい原稿を事前に配布しそのまま読み上げる形式のものだが、形式としては実に退屈で工夫がない。原稿を配るのなら、わざわざ読み上げる必要はないではないか。
もちろん、目の前にテクストがあったほうが親切だという考えは分からないではないし、一字一句を点検できるという意味で可能性としては緻密な議論が展開できるようになっていることは認めるが、テンションが如実に下がることもまた事実だ。これでは、耳で話を追うという重要な思考の体験がまったく蔑ろにされていると思うのだが、どうだろうか。思考の刺激ということだけから言えば、いっそ「4分33秒」のケージよろしく発表時間中ずっと沈黙を守っていたほうがいいのではないかと思うくらいだ。
海外では数え切れないほど発表を聴いたが、読み上げ原稿を配布する場面に出会ったのは、外国人相手とか自分が慣れない外国語で話すとか、そういう例外的事態だけである。もちろん、何も配らないことが多いフランス流のやり方が完全だというのではない。おそらく両方の中間くらい、各項目のレジュメ+引用文がいいのではないか。
「読む」ことへの無関心、「読み上げる」ことへの無頓着は、結局のところ「聴く」ということに対する不感症に通ずる。何度でも言おう。耳からはじめること、哲学の歌を聴け。
Saturday, November 11, 2006
哲学の歌を聴け(追加情報)
今のところ直接お顔とお考えを存じ上げない方とブログ上で交流させていただくことには消極的ですが(したがってこういった形でいつもお返事を差し上げられるか分かりませんが)、いただいた貴重な情報は皆で共有できればと思いますので、これからもぜひご教示くださいませ。
*あがるまさんのメールより一部抜粋
ウィーン大学の講義や講演(の一部)はhttp://audiothek.philo.at/modules.php?op=modload&name=Downloads&file=indexで聞くことが出来ることを知りました。大御所E.Tugendhatの2002年の動物と人間の違ひについての2つの講演などもあり、内容は余り面白くもなささうですが、話し方は明確で聞き易いですね。その他の大学はどうなつてゐるのか知りませんが、Toulouse大学の資料の頁は充実してゐました。ところでパリのF.Dasturの許で(10年くらい前に)九鬼周造についての論文を書かれた方の消息をご存知ですか?
こういった「耳」の情報、とてもありがたいです。最近はいろいろな音源がネット上にアップされていて、こういったものを「哲学耳」のトレーニングにどんどん活用していくべきだと思っています。九鬼の方は存じ上げません。DasturはパリⅠのあと、今は亡きジャニコーの誘いでニース大学に移り、近頃退官したはずです。私は彼女を見るといつも「やんちゃで憎めない精悍なドラ猫のようだ」と思います。彼女は私と会うといつも(たぶん日本人なら誰にでも)「デリダとヘーゲルについてすごい博論を書いた日本人がいるんだけど、知ってる?どこの出版社も出してくれないのよ」というのですが、そのたびに「名前なんだっけなあ」と言ってました。覚えといてよ、っていう(笑)。日本人の名前って彼らには難しいですからね。
Thursday, November 09, 2006
『創造的進化』百周年トゥールーズ篇
まだろくにキャリアもスタートしていない人になぜ、と驚いてはいけない。フランスではコロックを仕切るのは、どちらかと言えば、将来を見込まれた(?)若人たちのやる仕事なのである。フランスの御大たちはむしろ自ら率先して発表をしたがる。これは齢を重ねるほど落ち着いて「差配」仕事だけを引き受けたがる風土とはかなり異なる。
今回の一件で本当に驚くべきは、まだろくにキャリアもスタートしていない「外国人」になぜ、ということである。これには正直私も驚いた。それとともに、人種の分け隔てなく人を見る目を持った(?)co-organisateursに驚嘆もし感謝もしている。と同時に、冷静に見れば、これは「アジアを引き込む」という遠大な戦略のごくわずかな一端なのだとも思う。
それはともかく、今回の私の望みは、1)『創造的進化』に関する日本最強布陣をつくること(もちろんフランス語ができることが最低条件である)、2)フランス側に旅費を出させること、であった。二つ目は些細な金銭問題のようだが、決してそうではない。フランス側にほぼ全額出してもらって日本人哲学者チームが丸ごと呼ばれたことが、果たして過去何度あったか?
日本人がフランスに行って発表したといっても、たいていの場合は個人招待が限度、グループの場合は持ち出しが多い。しかし相手の誠意、こちらに対する評価は、そういう部分に表れるのである。望みは十分に叶えられたので、とても満足している。
このブログを読んでくれている数少ない私の友人たち――しかし真の知的友情とはいつの時代も稀なものだ。無理に耳目を集める必要はない――にはまだもう少しサプライズがある。いずれここで一番にご報告できればと思う。
Tuesday, November 07, 2006
哲学の歌を聴け-『意志的隷従に関する文言』のCD

フランスやドイツには哲学関係のCDが少なからず存在する。ドゥルーズのものは日本でも(日本でこそ?)よく知られているであろうから、ここでは日本人にとってもっと切実な意味で重要なCDを紹介しておく。切実だという理由はすでに述べたことがあるので、ここでは繰り返さない(2003年8月2日の「意志的隷従と怠ける権利」の項を参照のこと)。
朗読しているドゥニ・ポダリデスは、名前からしていかにもギリシャ系移民の二世ないし三世。私のお気に入りの役者だ。コメディー・フランセーズで「リュイ・ブラース」に出演しているのを見たこともあるし、ブルデューの息子の情けないドキュメンタリーにも友情出演したりと芸の幅は広いが、やはり軽い映画がいい。ガストン・ルルー原作の『黄色い部屋の謎』は誰にでもお薦めできる佳作である。
このCDを出しているテレーム出版社の名前はもちろんラブレーの「テレームの僧院」から来ている。作家・思想家の言語のもつ「音楽性」に注目し、「声に出して読むことは、偉大なテクストを誰の手にも届くものにする」と宣言できるのは、それ以前のフランス知識人たちの地道な努力、歴史の積み重ねがあるからにほかならない。日本の哲学はどうだろうか?「聞くに堪える」だろうか?あるいは、より正確に言えば、思想の重みに堪えて聴き続けようとする聴衆はいるだろうか?

日本でも西田の対談の録音などが残っているようだが、記念館の独占物にしておくというのはいかがなものか。また、西田の主著の録音などは不可能なものか?もし不可能に思えるなら、なぜ不可能なのか?近代日本の哲学がはらんでいる問題の核心には案外そんな素朴なところから接近できるかもしれない。耳から始めること、哲学の歌を聴け。
Sunday, November 05, 2006
哲学に-耳を澄ませば(ネットラジオの効用)
日本の西洋哲学研究にはいろいろと大きな問題があるが、その一つに「耳」の問題がある。より詳しく言えば、西洋諸語を聴くことの困難という問題があり、また翻訳日本語で西洋哲学を聴くことの困難という問題がある。
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フランスは文化国家であり、日本は教育国家である。フランスにはarteがあり、日本には教育テレビがある。フランスには一流の研究者が最先端の研究成果を自由に発表するコレージュ・ド・フランスがあり、日本には大家が実に行き届いた入門コースで懇切丁寧に教えてくれる放送大学がある。
悪平等社会である日本は「目」新しいものをすぐに取り入れる自由闊達さがあるが、また資本の論理に従ってすぐに忘れてしまうという気風があり、階級社会であるフランスは外来のもの、新手のものをなかなか取り入れないが、いったん取り入れると粘り強く「耳」を傾けるという気風がある。ニュートラルに言えばそういうことだが、殊高等研究に限って言えばそうはいかない。
日本では大衆教育や啓蒙には金を出すので人が集まるが(文化センターやレクチャー・コースの隆盛を見よ!)、金を出すだけではどうにもならない高等研究は遅々として蓄積していかない。建築への意志、文化への意志、すなわち堅固(堅実にして着実)な制度化が欠けているのだと思う。アメリカのそれとかなりよく似た、自由で軽やかで純粋資本主義的な状況下で、日本の人文科学、とりわけ哲学・思想研究は無限の後退戦を強いられている。
このような気風を一朝一夕に変えられるわけもないし、状況を客観的に見れば、そんなことを望むことすら非現実的と笑われかねない。だが、小さなところから始めることは暗い時代の人々にも可能だし、暗い時代にはむしろそのようなところから始めざるを得ない。
France Cultureでは、毎週金曜日に哲学に関する放送「Vendredis de la philosophie」が朝十時から一時間放送される。私たちはそれをネットで聴き、podcastで録音していつでも聴きなおすことができる(Windowsでも)。日本はどうだろうか?日本の哲学は、真剣な哲学・思想研究は、人々の耳に届いているだろうか?
耳から始めること、哲学の歌を聴け。
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p.s.ラクラウ=ムフのすでに古典となった『ヘゲモニーと社会主義者の戦略』に関するバリバールらとのCollège International de Philosophieにおける討議もよろしければどうぞ。
Wednesday, November 01, 2006
Master Mundus、あるいは無限の後退戦を戦い抜くこと
Erasmusというヨーロッパの大学間短期留学・単位互換制度はご存知の方も多いと思います。Erasmusは学部レベルですが、それを今度は大学院レベルで長期、それも独仏の哲学・思想研究の少数精鋭に絞ったもの、それがMaster Mundus EuroPhiloです。
詳細は当該サイトを参照していただきたいのですが(専用サイト設置:2006年11月22日追記)、年間2万1千ユーロ(150円換算だと315万円)相当の奨学金を得ながら、二年間で仏・独などの三つの大学で優秀な研究者のもとで研究し、フランス哲学とドイツ哲学両方のスペシャリストを目指す、というものです。この制度に非ヨーロッパ圏からも参加者を募ることがこの度正式に決まった旨、フランス側の代表者であり私の友人でもある
Jean-Christophe Goddard氏から連絡がありました。
一年に全世界(非ヨーロッパ圏)から13人だけ選ばれるという超難関コースですが、教育内容的にも財政的にも恵まれた環境で研究するという経験は、日本の優秀な哲学・思想系の若手研究者にとって何物にも代えがたい財産となることでしょう。
この壮大な実験を見るにつけ、現在の日本の西洋哲学・思想研究には大きく二つの構造的問題があるという事実が浮かび上がってきます。今この話に関係のある限りで簡潔に言えば、一つ目は、哲学研究における語学教育(とりわけ書く・話す)の軽視や早期からのインテンシヴな教育の不在など、「高等教育」という視点が決定的に不足していること、二つ目は、ドイツ哲学とフランス哲学の間に積極的な共闘の姿勢があまり見られず、とりわけ「両刀使い」を育てようとする姿勢がほとんど見られないことです。
Cf. 以前書いたgribouillage「哲学の教育、教育の哲学」を参照されたい。
(1)数の問題 (2005年2月21日)
(2)エリート教育の問題 (2005年5月9日)
私たちの国の問題を他国の新制度によって解決できるなどと幻想を抱いているわけではありませんし、日本人にとって西洋諸語の言葉の壁が大きいことも重々承知しています。ただ、手遅れになる前にその欠を少しでも埋めていくのは現在の大学人、哲学・思想研究者の責務であるとも思っています。人文科学が強いられている無限の後退戦をただ嘆くばかりでは何も始まりません。若手の優秀な研究者の出現を偶然の産物とするのでなく制度的に促進していくこと、今回のMaster Mundusはそのごくわずかばかりの補完になりうるのではないかと期待しています。
自薦他薦を問いませんが、皆様の周りの優秀な大学院生(来年度から即留学できるので修士終了間際がベスト、博士前半まで)をこの制度にご推薦いただけませんでしょうか?現実問題としましては、フランス語ないしドイツ語のどちらか一つがとてもよく出来(読み書き話す)、もう一つは読める(少し話せる)くらいでよいと思います。仏独の思想を研究対象としていれば、どの学科に所属していても問題はありません。
フランスの大学に応募される場合、いろいろとご相談に乗ることも出来るかと思いますので、どうぞ私のほうまでお気軽にご相談くださいませ。